第22話
「オリバーじゃないか! 久しぶりだな!」
「ダニエル……おれの妻と何をしている!」
「妻だって……? オリバー、エマと結婚したのか? クロエじゃなくて?」
「クロエはおまえと財産を持ち逃げしただろ? リード家はダニエル、おまえを許しちゃいない! しらばっくれるな!」
「なら、これは? おまえは結婚式の前の月にクロエの純情の花びらを散らした……。この意味はわかっているんだろうな?」
「ダニエル……クロエと別れたおまえには関係のないことだ! おれの妻から離れろ!」
「わたしの妻? これは笑える! では、その子は誰の子だ? 自分の子だって言えるのか?」
「ダニエルさま! おやめください……ゴホッゴホッ……!」
たまりかねて男たちの罵りあいに口を挟んだ。
このままではオリバーがダニエルの口車に乗せられ、犯してもいない罪を糾弾させられてしまう!
「エマ!」
オリバーがわたしへ駆け寄り抱きとめてくれた。
香の匂いがした。
ネル・グウィンの香水だ。
オリバーの頬には、3時間前にネル・グウィンに叩かれた痕が真っ赤に残っていた。
「ハアハア……オリバー……だい、じょうぶよ……」
「パパー!」
「ノア!」
ノアがオリバーに駆け寄ってきた。
オリバーがノアを腕に抱きかかえる。
「パパ……か……ノア! こんちわ! おれが誰かわかるかい?」
「ダニエル、やめろ!」
「いいだろ、別に? ノア、親戚のおじさんだよ! ああ、ほんとうにおれたちの子供のころによく似ている。かわいいな……おれにそっくりだ!」
「おじ……ちゃん……?」
「ノア、いいから! 帰るぞ! エマもだ!」
オリバーが強引にわたしの手を引き、帰ろうと出口へ向き直った。
ドアの前に立っていたダニエルが、オリバーのうしろを指差した。
「オリバー! おまえの娘は? いいのか?」
オリバーはびっくりしてうしろを振り向いた。
ナニーに抱かれたキャロルが目を瞠り震えている。
オリバーは再び出口へ向き直り、ノアを抱いたままわたしの手を引き歩きはじめた。
ドアの前に立つダニエルの横を通り過ぎた。
「オリバー、自信がないんだな?」
ダニエルが横目でオリバーを見ながらフフンと不敵に笑った。
睨み返してオリバーが怒鳴った。
「この落とし前は絶対につけてやる! もう1度いう! リード家はダニエル、おまえを絶対に許さない! 必ず罪を償わしてやるぞ!」
「罪? どの罪だ? エマとのことか? なあ、エマ、あの宿屋の……」
「ハアハア……やめて! ダニエルさま……そのことは……コホン、コホンッ」
「エマ! ダニエルにかまうな! こい!」
「ああーんっ!」
オリバーの剣幕にノアが泣きはじめた。
強い力でオリバーに腕を取られ、抱えられるようにして部屋の外に出された。
そこでハッと気がついた。
そうだ――キャロル!
キャロルがダニエルと同じ部屋に取り残されてしまう!
いそいで振り向き、ドアの向こうに立つダニエルに手を差し伸ばした。
「ハアハア……ダニエルさま! やめて! 子供たちを振り回さないで……! コホンッコホンッ……」
「エマ! いいかげんにしろ!」
――バンッ!
オリバーが叩きつけるようにドアを閉めた。
「きゃあっ!」
「ぎゃああーんっ!」
わたしとノアを抱きかかえるようにして大急ぎで階段を下りる。
オリバーは頭を下げる従業員たちを全員無視して、エントランスを通りすぎ通りに出た。
――ドンッ!
玄関前に佇んでいた女にぶつかった。
「あぶないだろうがっ!」
「ハアハア……ごめんなさい……」
いつかの赤毛の売春婦だった。
こんな大通りまで商売にきているのか。
女はすそのホコリを払うと2階を見上げた。
わたしもつられて上を見た。
ダニエル・リードが窓際からこちらを見ていた。
そのとき、視線を感じた。
「ああっ……! ゴホッゴホッ……」
隣りの部屋の窓からクロエがこちらをのぞいていた!
まただ!
またクロエとダニエルにだまされたのだ!
「エマ! 何をしている! 行くぞ!」
「オリバー……」
「ああーんっ!」
泣き叫ぶノアと一緒に彼の白馬に乗せられた。
「はあっ!」
――パカッパカッパカッパカッ! パカッパカッパカッパカッ!
オリバーがすごい勢いで馬を駆り、あっという間に東の離宮へ到着した。
わたしとノアを馬から降ろすと、引きずられるようにしてオリバーの寝室まで連れてこられた。
「警備兵! こちらへ!」
すぐにいつもの警備兵がやってきた。
「リードさま、なにか」
「ノアの子守は手配できたか?」
「はい。すぐに呼び寄せることができます」
「では、ノアを庭へ。ポニーの練習をさせてやってくれ。子守が到着したら世話をさせろ。ノアに部屋を与えて子守と寝かせろ。以上だ」
「はい!」
警備兵はノアを連れて庭へ行ってしまった。
「オリバー……あの……ノアの部屋とは……?」
「夫婦の寝室に子供を入れるわけにはいかないだろう?」
「夫婦の……? いいえ、ここはあなたの寝室でしょう?」
「いまから2人の寝室だ! この大きさじゃ、不満だとでも? ダニエルとはもっとすごい寝台で愛し合ったのか?」
「なんですって! ダニエルさまとは神かけて何もないわ! 今日もそうだし、4年前もだまされたのよ!」
「では、ジャックとかいう幼馴染の子だとでも?」
「どういうこと? ノアを疑っているの?」
「いままで黙っていたが、誕生日が合わない。それは母親であるエマがいちばんわかっていることだろう? だが、ああそうだな。おれも君のことは言えない。さっきの女の子はクロエの子なんだろう? おれたちはもう大人だ。お互い過去は水に流そう。3年経ってもまだダニエルと密会していたとはな……島にいる間も会っていたのか?」
「そんなわけないでしょう! 何度も言うけど、わたしたちはダニエルさまとクロエにだまされているのよ!」
「だまされている?」
「ええ、そうなのよ! そうだ! オリバー、さっきはなぜ、あたなはあの宿屋にやってきたの?」
「密告の手紙が届いたからだ」
「それは……ネル・グウィンの家に?」
「そのことを……なぜ?」
「あの宿屋の2階から、あなたがネル・グウィンといるところを見ていたの……それで……」
「なんだって! エマ、君は上からおれたちを見ていたのか? どうして? おれのあとをつけてきたのか?」
「そんなことしてないわ! ……ノアをダニエルさまとクロエに誘拐されて……あの宿屋には無理やり連れていかれたの……」
「誘拐だって? 作り話をするな! おれはさっき、階段の下でエマとダニエルのやり取りをぜんぶ聞いていたんだぞ! ダニエルはエマをハニーと呼び、2人の子供に会わせてくれと言っていたじゃないか!」
「だからそれは! キャロルのことなのよ!」
「キャロルってあの……クロエの子供のことか?」
「そうよ」
「本当はおれじゃなくて、ダニエルの子供なのか? そのことを、なぜ君は知っているんだ? 知っていたなら、どうしておれにもっと早く教えてくれない! いつ知った? 今日か?」
「いいえ……もっと前よ……。オリバー……とても複雑な話なの……」
「エマ、君は何を隠しているんだ? キャロルという子がダニエルの娘だって確証はなんだ? 実際、君の話をどこまで信じていいのかおれにはわからないんだ。4年前、聖女じゃなかった君はダニエルとの噂が流れていた。ボバリー夫人が話していたダニエルとの密会の前日、君はジャックと一夜を明かしている」
「ジャックのことってなに? あの日は雨でリードのお屋敷には帰れなくて、スミスさんのお宅に泊まったのよ」
「うわさ話から推察したまでだ……。前にも言ったが、君はそのとき独身だった。淑女のすることではないが、婚約者のいたおれにそれは責められない。これらの出来事はとっくにおれのなかで消化したつもりだ。だが、今はちがう。君はノアの母親で、れっきとしたおれの妻だ。不貞は許されないんだ。たとえそれが、ダニエルと逢うだけだとしてもだ!」
「逢うだけでも? だったら……あなたとネル・グウィンはどうなの?」
「……なんだと? おれへの当てつけに、ネル・グウィンの館の目の前で逢引きをしていたのか?」
「逢引きだなどと……ちがうわ! オリバー……わたしたちは嵌められたのよ! 今日も! 4年前も!」
「4年前の結婚式の翌朝……おれはその名を呼ぶなと君に言った。だが、今のおれはそんな狭量の男じゃない。呼んでくれよ、おれの名を……。もっと情熱的に叫んでくれもいい!」
「あなた……まさか……」
「そのまさかだ。ちょうどいい。ぜんそくも引っ込んでしまったようだな。君と再会したこの数ヶ月、おれがどれほど我慢していたか知ってるか? それもすべて、君とノアをおもんばかってのことだ。君の信頼を取り戻してからと思っていた。時間をかけてよく話し合い、だんだんとお互いの誤解を解いて心の繋がりを深めるつもりだった。だが、それも今日でおしまいだな」
「おしまい……?」
「心の繋がりはいらなくなったということだ! 繋がるのは……カラダだけでいい!」
「あなた……!」
オリバーの瞳が憎しみの光を帯びはじめた。
瞼をすがめてわたしを見る。
身震いしながら後ずさった。
「あなた……やめて……!」
「こっちにこい! たしかめてやる! 不貞のあとを! あのときのように!」
「まって! わたしの話を聞いて!」
「ああ、聞いてやる! まずはカラダからだ!」
「オリバー……!」
わたしは無理やり寝台に担ぎ上げられ、服をむしりとられていった。
4年前の朝のように、なすすべもなくカラダの力を抜いた。
ネル・グウィンの香のかおりがしてくる。
他の女の影が寝台のなかにまで入りこんできている。
悪夢がまたはじまる。
夢は覚めていなかったのだ。
「ああ……エマ……君はなんて……美しいおれのデイジー……」
「オリバー……どうしたら……」
「君は何もしなくていい。ただ、力を抜いて身を任せてくれればいい。あのときのように……」
あのときのように。
わたしはあなたの操り人形になる。
心を失くし、ただ生きるだけの魂を失くした人形に。




