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島の娘  作者: M38
20/27

第20話

「ハアハア……ノア……どうか……どうか無事でいて……!」


――パカッパカッパカッパカッ! パカッパカッパカッパカッ!


 必死でクロエのあとについていった。

 彼女は王城の前を通り過ぎると左へ曲がり、目と鼻の先にある高級宿泊施設の前で馬をとめた。


「ハアハア……ここにノアが……?」

「エマ! 2階の正面の部屋よ。手荒な真似をして悪かったわ。あんたがいくら頼んでも会ってくれないから仕方なかったのよ」

「ノアを……ハアハア……ノアに早く会わせて……ゴホン、ゴホン……!」


 馬を降りクロエに詰め寄った!


「ちょっと、落ち着いてよ! 息を整えなさい。また発作が出るわよ? 見てのとおり、ここは一流の宿屋よ。めったなことは出来ないわ! さあ、いきましょ!」


 クロエが先に立ち高級宿屋に入っていった。

 従業員たちの応対も一流だ。

 息を整えクロエに続いた。

 正面の階段を上り2階へ行くとすぐ目の前の部屋のドアを開けた。

 奥の窓の下にキャロルと長椅子に座るノアがいた。

 いつかのナニー、子守もいる。


「ノア!」

「ママー!」


 すぐにノアが飛んできて抱きついた。


「よかった……どんなに心配したことか……ハアハア……」

「ママ、ママー! 恐かったよー!」


 ノアを抱きしめ心からホッとしていた。

 こんなひどいことをしたクロエを許すわけにはいかない!


――バタンッ。


 ドアが閉まる音がした。

 ノアを胸に抱きしめたまま振り返った。

 不敵な笑みを浮かべたクロエが立っていた。


「コホン、コホン……帰るわ。そこを通してちょうだい!」

「力ずくでもここは通さない! しばらく一緒にいてよ」

「なんのために?」

「窓から通りを見てごらんなさいよ。正面の大きな建物が誰の館だかわかる?」

「えっ……?」


 宿屋の前には宮殿のように美しい白亜の館が建っていた。

 ノアを抱いたまま窓に近寄りキャロルの真上から外を眺めた。

 その館の窓ガラスはピカピカに磨きあげられ、劇場を彷彿とさせるせり出した美しいバルコニーが建物とよく調和していた。

 要人の住まいなのだろうか。

 アーチ状に区切られたエントランスには衛兵が立っていた。

 

――ガラガラガラガラッ、ガラガラガラガラッ……!


 王城方向、わたしたちの来た方角から馬車がやってきた。

 館の前で停車した。

 2人連れの男女が降り立った。


「うそ……ハアハア……」


 オリバーだった! 

 ルーシー・ウォルターも一緒だ。


 オリバーは衛兵にあいさつをしてエントランスから中へ入ろうとした。

 だが、すぐに内から着飾った女が出てきてオリバーを押しのけるとルーシー・ウォルターに詰め寄った。

 ネル・グウィンだ!

 この館はネル・グウィンの住まいだったのだ。


「クロエ……! これは……! ゴホン、ゴホンッ……」


 いつの間にか隣りに並び立ち、一緒に窓の外を眺めるクロエに聞いた。

 

「お察しのとおりよ。正面の館の女主人はネル・グウィン。そして、オリバーさまが足繁く通う場所の住人」


 ネル・グウィンとルーシー・ウォルターの小競り合いはまだ続いていて、オリバーが間に入ってなだめている。

 ネル・グウィンがルーシー・ウォルターのお腹に人差し指を突きつけながら何か叫びはじめた。

 ルーシー・ウォルターも負けてはいない。

 オリバーを指差し賢明に言い訳をしているようだが、こちらからではよくわからない。

 痺れを切らしたネル・グウィンが、手の平を大きく振り上げた。

 ルーシー・ウォルターが叩かれる!――そう思った瞬間オリバーがネル・グウィンの前に進み出て、彼女の手の平を自分の頬に受けた!


 わたしは唖然としてしまった。

 あの賢騎士オリバー・リードが頬を叩かれるなんて!

 それも、彼はそれを甘んじて受けた。

 手の力が抜け、ノアを腕の中からずるずると足下の椅子に座らせてしまった。


 オリバーは暴れはじめたネル・グウィンを強引に押さえつけ、ルーシー・ウォルターを衛兵に頼みそのまま館のなかへ入っていってしまった。

 あとに残ったルーシー・ウォルターは馬車の中から出てきた侍女に支えられ、再び馬車に乗り去っていった。


「エマ、これをあなたに見せたかったのよ。ルーシー・ウォルターが一緒に来たのは、うれしい誤算だったわ! とにかく、オリバーさまは浮気をしている。それも飛びきり上等な女どもと!」

「ハアハア……子供たちの前でおかしなことを言うのはやめて……ゴホン、ゴホン……」

「ママー! だいじょうぶ?」

「ノア……」


 ノアが下からわたしの顔を見上げて心配している。


「エマ! そこの長椅子に座って休みなさいよ! 水差しの水でも飲んだら?」

「ハアハア……クロエ……あなたの差し出すものなど……飲むわけがないでしょう?」

「そう? ご自由に?」


 クロエはクルリとうしろをふり向き、テーブルの上の水差しから自分だけコップに水を注いで飲んだ。

 わたしは、ノアの隣りに腰かけた。


「ハアハア……」

「ママー……」

「ノア……大丈夫よ……少ししたら、いつものように良くなるから……コホン、コホン……」


 ノアが背中をさすってくれた。

 だんだんと息が落ち着くことで、周りの様子が見えてきた。

 キャロルがナニーの腕のなかで、きょとんとしながらこちらを見ている。

 あまり食べていないのか、この前より痩せて顔色が悪い。

 キャロルの額に手を当てようとしたら、クロエの叱責が飛んできた。


「その子にさわらないで! いいから、放っておいてよ!」

「クロエ……そんな言い方……」


 クロエの大声にキャロルがビクビクしている。

 普段から怯えた生活を送っているようだ。

 ナニーも恐怖からか一言も話さず微動だにしない。

 クロエの子供に生まれたキャロルを心の底から気の毒に思った。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ぜんそくの発作が治まってきた。

 ノアもキャロルも寝ている。

 キャロルはナニーの腕の中でしきりにマミー、マミーと寝言をいっていた。

 かわいそうに。

 この子は母親の愛情に飢えているのだ。


――カーン、カーン、カーン、カーン……。


 教会の鐘の音があたりに響き渡る。

 この宿屋に入ってからすでに三時間は経過している。

 オリバーはいっこうにネル・グウィンの館から出てこない。


 もう充分だ。

 オリバーの女性関係は充分すぎるほど把握した。

 あとは忘れる努力をするだけだ。

 オリバー自身と、彼を心から愛してしまったわたしのこの心ごと。


「クロエ……そろそろ帰してちょうだい。気は済んだでしょ?」

「まだよ、エマ。役者が揃わないと!」

「役者? なんのこと? お芝居でもはじめるつもり?」

「よくわかってるじゃないの! そうよ! これから楽しい楽しいエマ・リードの人生劇場の第2幕目がはじまるのよ! 観客はあんたに関わるわたしたち全員よ!」

「クロエ……いつまでそんなにわたしを憎み続けるの? あなたの気持ちは充分に伝わったわ。ここらでもう解放してちょうだい。それと……今度ノアを巻き込んだら承知しないから!」

「その取り澄ました態度! 本当に勘にさわるよ! そんな大口たたけるのもいまのうちだよ。あんたの人生が平穏無事なのが気に入らないのさ! エマのために波乱万丈な幕開けを用意してやった! 存分に楽しむがいい!」


――バンッ! ガチャッ!

――コツコツコツコツッ……。


「あっ! クロエ! クロエ、待って! コホン、コホン……」


 クロエの立ち去ったドアへ駆け寄り、いそいで取っ手をまわした。

 

――ガチャガチャッ、ガチャガチャッ!


 外から鍵が掛けられていて、びくともしない。


――ドンッ! ドンッ、ドンッ!

 

「ハアハア……誰か……! 誰か、助けて!」


 ドアを叩きながら大声で叫んだ。

 ここはきちんとした立派な宿屋だ。

 きっと誰かが助けにきてくれるだろう。

  

――ツカツカツカツカッ!

――ガチャガチャ、ガチャッ!

――ガチャリッ!


「よかった……すみません! 小さい子がいるんです! ハアハア……どうか助け……」

 

 ドアを開けた男を見て凍りついた。

 ダニエル・リードだった!

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