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島の娘  作者: M38
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第2話

「あ……あの! ちがいます! わたしはクロエではありません!」


 青年の肩を押し返しながらそう叫んだ。


「え? クロエじゃない? だったら……きみは誰? あっ! 申し遅れました。わたくしはオリバー・リードと申します。イングランドからきました」

「わたくしは……クロエの義理の姉のエマと申します」


 ススけた金髪の乱れをなおしながらそう答えた。

 こんなホコリまみれの姿をオリバーには見せたくなかった。

 化粧っ気ひとつなく痩せて薄汚れた惨めな女。

 瞳の輝きには希望のかけらもない。

 情けなくて涙が出る。


「エマ? では、エマという女性はやはりいたんだ! 教えてくれ! ぼくが結婚の約束をしたのはエマ、きみではなかったのかい?」


 オリバーの必死の問いかけに、口から心臓が飛び出そうなほど驚いてしまった。

 彼はわたしのことを憶えていてくれた!

 こんな姿になってもわたしだと気づいてくれた!


 だが、いまやわたしは屋敷の下働きにすぎない。

 こんな節くれだった指やあかぎれだらけの手を見て、誰がもう1度プロポーズなどする気になるだろう。

 昔は白かった肌も農作業のせいで真っ黒に日焼けしている。

 おまけに喘息まで患っている。

 いけない。

 興奮したせいで久々に発作が出はじめた。

 

「いいえ……コホン、コホン、ちがいます。クロエ……です」


 必死で涙をこらえながら答える。

 わたしがいまオリバーにできることは、彼と関わらないであげることだけだ。


「そうなのかい……? 抱きついたりしてごめん! すまなかった……デイジーの花畑があまりになつかしかったものだから……。ここは昔となんら変わらないな……」


 そう言うとオリバーは遥か遠くを見つめた。

 8年前も彼はこうしてよく海を見ていた。

 イングランドに帰りたいと、両親に会いたいと言いながら。


「8年前は王室と議会が揉めていて、ぼくだけここに避難させられました。来たばかりのときはとてもイングランドに帰りたかったな……この島は何もなくてたいくつで……。だけどすぐに夢中になってしまったのです……ひとりの少女に……」


 とつぜんオリバーがこちらをふりむいた。

 咄嗟にわたしは下を向く。

 涙を見られるわけにはいかない。


「申し訳ありません。あなたによく似ていたものですから……おや? この墓は……ゾーイの……そうか、死んでしまったのだな……。年を取っていたからな。亡くなったはいつですか?」


 オリバーが足元の小さな石の墓にひざまずいた。

 デイジーを1本、折ってささげる。


「ゴホッ、ゾーイは8年前に……」

「そう……ぼくがこの島を去ってすぐだな。最後は苦しまなかったのでしょうか?」

「はい……安らかにいきました……。わたくしの腕のなかで……コホン、コホン」

「それはよかった……。そうだ! これをあなたに! いま作ったばかりですよ」


 オリバーは立ち上がると、下を向くわたしの頭にデイジーの花冠を載せた。

 わたしの目から涙がとめどなく流れはじめる。


「オリバーさまー! どちらに行かれましたかー!」

「セバスチャン! ここだー! こなくていいぞ! この坂はおまえには無理だからな! すぐにもどる!」


 執事らしき男が丘の下から叫んでいる。

 

「では、エマ! 晩餐会でお会いできるかな? じいやがうるさいので、お先に失礼いたしますよ!」


――サアー……。


 オリバーが横を駆け抜けるとき、一陣の風が起こりわたしのスカートを揺らした。

 滲んだ視界で風に揺れる裾を見つめていたら、とつぜん名前を呼ばれた。

 振り返ると丘の下でオリバーがわたしを名を呼びながら、こちらに向かって手を振っている。 

 ああ、そうだ。

 彼は8年前もあんな風に手を振りながら別れを惜しんでくれた。

 デイジーの花冠の下で、オリバーの消えた草原をいつまもで見つめ続けなつかしさに浸っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 オリバー・リードとクロエのための婚約式を兼ねた晩餐会がはじまった。

 あきらめたとはいえ、2人を目の当たりにするのはいまのわたしには辛すぎる。

 今夜の給仕は他のメイドたちに任せ、調理に専念していた。


「エマ! エマはどこ! すぐにきて! 肉が硬いの! 焼きなおして!」


 料理が中盤に差し掛かったころ、継母がわたしを呼ぶ声が厨房にまできこえてきた。


「エマさま……」


 古参の料理長が困っている。


「大丈夫、わたしがいって謝ります。代わりの肉を用意してください」


 エプロンを脱ぎ厨房を出て屋敷の中央へ向かった。

 大広間は晩餐会の真っ最中だった。

 オリバーの連れてきた家臣たちが食事をしながら談笑するなか、女主人の継母が上座でこちらをにらみつけていた。

 隣には勝ち誇ったようにほくそ笑むクロエがいる。

 彼女は義姉妹だけあってわたしとよく似ている。

 ただしクロエの体重はわたしの2倍はあるし目つきは誰よりも鋭い。

 向かいに座ったオリバーが驚いて目をみはっている。


「申し訳ございません。すぐに代わりをお持ちいたします」


 わたしは賓客たちに頭を下げた。


「エマ! あんたのせいでひどく恥をかいたわ! この島じゃ原住民みたいに硬い肉を食べさせるのかと勘違いされてしまうわ! オリバーさま、申し訳ございません。この子の不調法で皆様に不快な想いを……」

「不快なのはあなたの言動ですよ、カーライル未亡人。お宅は令嬢に食事の支度までさせているのですか? でしたらクロエも働かせたらどうです? 肉が硬くなる前に配膳できますよ!」

「オ……オリバーさま! あなたはエマがうちの娘だということを……?」

「知っておりますよ。それがなにか?」

「い、いえ……行儀見習いに料理をさせておりますの。ク、クロエはオリバーさまの花嫁ですのでそのようなことは……」

  

 チロリと継母が意地の悪い目つきでこちらを見た。

 オリバーはクロエと婚約したのだから、おまえはもうあきらめて下がれということか。

 クロエもさっきからすごい目をしてこちらをにらみ続けている。

 当てつけで2人の様子を見せわたしに意地悪しようとしたことが、裏目に出たようだ。

 お辞儀をして厨房に戻ろうとするわたしの手をオリバーが引きとめた。


「エマ、あなたも男爵令嬢だ。一緒に食事をしましょう!」

「エマ!」


 継母の鋭い叱責が飛ぶ!

 咄嗟にオリバーから手を引いた。


「も、もうしわけございませんでした。すぐに代わりの品を用意いたします。コホン、コホン」

「エマ! あんたまたぜんそくが出たのかい? やだやだ! お客さまにうつすんじゃないよ!」

「失礼いたします……」


 わたしは逃げるように厨房へもどった。

 継母は客がくると毎回こうしてわたしを呼びつけ叱責する。

 そこにいつもはクロエが加わるのだが、今日はオリバーがいたので控えていたようだ。


「エマさま……」

「肉はもう用意できているようね? 出していただけるかしら? コホン、コホン、わたしは少し外の空気を吸いにいくわ」


 ◇ ◇ ◇ ◇


――カチャ、カチャ。


「コホン、コホン……これ以上ぜんそくがひどくならないといいのだけれど……」


 外に出たついでに井戸で洗いものをしていた。

 春とはいえまだ水は冷たく手がかじかむ。

 だが、このぐらいで音を上げては辛い労働には耐えられない。

 明日も早朝から家畜の餌やりや畑仕事が待っている。

 手が空いている限り屋敷の清掃や水汲みなどの家事労働もしなくてはならない。


――カサリッ!


「どなた?」

「これは失礼、驚かせてしまったかな?」


 オリバーだった!

 いそいで立ち上がりエプロンで濡れた手を拭くと背中のうしろに隠した。

 こんな荒れた手をオリバーに見せたくなかった。

 オリバーは膝を折り正式なあいさつをしてくれた。


「伝令が来たのでいそぎイングランドに帰らなくてはなりません。エマ……別れのごあいさつに参りました。おいとまさせていただきます」

「まあ……コホン、コホン、失礼。そのようなことをわたくしに……。よろしいのに」


 わたしも片膝を折りあいさつを返す。

 このように貴族らしい仕草をするのは何年ぶりだろう。

 あらためて自分の境遇の変動ぶりが身に沁みた。


「ぜんそくだったのですね? 無理をなさらないでください」

「ゴホッ……いつものことですのでお気になさらずに」

「エマ……」


 オリバーがわたしの両手を取った。

 思わず首を上げ背の高い彼を見上げた。

 月がオリバーの美しい面に光を投げかけている。

 輝くばかりの美男子だ。

 あらためてわたしは彼との差を感じた。

 

「かならずあなたもクロエと一緒にイングランドに呼び寄せますから、待っていてください!」

「オリバーさま……そんな、もったいないことを……コホン、コホン」


 瞳を伏せそうこたえた。

 オリバーはわたしとこれ以上かかわらないほうがいい。

 わたしも、オリバーとクロエが夫婦になっていく様子を間近では見たくない。


「きっとですよ」


 オリバーはわたしの両手を強く握りしめると膝を折り、顔を覗きこむとそうささやいた。

 

「…………!」

「それまでお元気で!」


――カサカサ、カサカサ……。

 

 オリバーの靴音が遠ざかっていく。

 涙がこぼれ落ちそうで、いつまでも顔があげられなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


――ミャアミャア、ミャアミャア……。


 漁から戻る船で港はにぎわっていた。

 海鳥たちがたくさん集まっている。

 それらの光景を丘の上から眺めながら、遠くイングランドへ想いを馳せた。


 ゆうべはデイジーの花冠を枕の下に入れて眠った。

 8年前の誓いのキスの夢を見た。

 あのころのわたしはぽっちゃりとしてとても元気で、水蜜桃のような丸い頬をいっぱいにふくらませてオリバーに笑いかけていた。

 幸せだった当時の夢を見たことで、現実の惨めさに朝から枕を濡らしていた。

 いまもゾーイの墓の前で夢の続きを探しあぐねている。


 ぜんそくが本格的にぶりかえしたようだ。

 朝から咳がとまらない。


「コホン、コホン……あら? なにかしら?」


 足元に銀色に光る物がある。

 拾い上げてみると赤ん坊用の銀のスプーンだった。

 

「どうして、このような物が……?」


 不思議に思いながらもポケットにしまいこんだ。

 教会の鐘の音がきこえた。


「いけない! こんな時間だわ!」


 そしてそのままスプーンのことは忘れてしまった。

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