第27話 人の意地 前編
祝祭の戦場 27 人の意地 前編
夕暮れ時。燃えるような茜色の光が、広場にぽつりと佇むダンの影を長く引き延ばしていた。
その肉体は、すでに内側からボロボロに崩れ去る寸前だった。
「ククッ……。ウグッ……」
血の混じった不敵な笑みを浮かべるダンの四肢は、絶え間ない激痛に小さく震えている。
ただの「人間」でありながら、死線を潜り抜け、己を呪いのように鍛え上げた今の彼は、並の「同調者」と互角に渡り合えるほどの異常な戦闘能力を手に入れていた。
だが、それは肉体が強くなったわけではない。
ティレナを殺された、どす黒い執念だけが、限界を迎えた死に体の肉体を無理やり動かしているに過ぎなかった。
このような歪んだ無理が、長く続くはずもない。
彼の肉体と精神の「崩壊の時」は、すぐそこまで迫っていた。
ふとした瞬間にティレナの面影を思い出しては、張り裂けんばかりの胸の痛みに涙を流す。
そして、その後に押し寄せる圧倒的な憎悪に心を焼き尽くされそうになると、泥のような酒を煽って意識を濁らせ、狂気を紛らわせる。その繰り返しだった。
「ティレナ……俺は……。俺は、もう……」
ポツリと呟いたダンの目から、熱い涙が頬を伝って地面へと落ちていく。
その時だった。
――『私は、ここに居ます』
脳裏をよぎったのは、かつて彼女に生涯を誓った、あのプロポーズの日の記憶。
優しく微笑み、世界で一番愛おしそうに自分を見つめてくれたティレナの、鈴を転がすような愛の言葉だった。
その声が、濁りきったダンの世界を、一瞬だけあの幸福だった日々の色彩で満たしていく。
涙を拭い、ダンは静かに、だが何よりも強固な決意をその胸に固めた。
(待っていてくれ、ティレナ。俺は必ず――)
最期の戦いへ向かう復讐者の瞳に、迷いはもう何もなかった。
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戦場には、肉体が激突する金属音と、激しい風切り音が鳴り響いていた。
宿敵『双剣のケイ』との死闘は、遅々として続いていた。
ヒラヒラとした衣装を翻し、ダンは文字通り命を削りながら戦場を駆ける。
地獄の鍛錬によって、彼の身のこなしはすでに人間の限界を突破し、並の同調者なら仕留められる領域に達していた。
だが――悲しいかな、眼前に立つ怪物の動きは、その遥か上、天上の次元にあった。
「諦める、ものか……! ティレナの苦しみを……その身に、刻めッ! ククッ、ゲホッ!」
喉を血で濡らしながら、ダンは必死に立ち回る。
爆発で崩れた遮蔽物に身を隠し、地形を利用し、死角から無数のボウガンの矢を放ち、衣装の影から暗器を滑らせる。
人間の知恵と執念のすべてをぶつけるような猛攻。
しかし、ケイはそのすべてを、まるでダンスでも踊るかのように優雅に、紙一重ですり抜けていく。
想いの強さだけでは、決して届かない現実。どれほどの憎悪を注ごうとも、覆ることのない絶対的な実力差という絶望が、冷厳としてそこに横たわっていた。
息を乱し、満身創痍でボウガンを構え直すダン。
そんな彼を、楽しげにもてあそぶように見つめていたケイの唇が、不気味にニヤリと吊り上がった。
「ねえ、お兄さん。さっきからずうっと『ティレナ、ティレナ』って言ってるよね。……今、やっと思い出したよ」
唐突に戦場に響いた、美少年の無邪気な声。
その瞬間、過酷な戦闘でいまや完全に壊れかけていたダンの瞳の奥に、鋭い光が灯った。
ケイは、空間を滑るような神速の動きでダンの猛攻を軽々とあしらいながら、歌うような口調で言葉を紡ぎ続けた。
「あの緑の髪のお姉さん。思い出したよ、彼女は僕の『最高の作品』の一つになったんだ」
愉悦に濡れた赤い瞳が、ダンの動揺を値踏みするように見つめる。
「必死になって逃げ回る彼女を、僕は何度もじわじわと追い詰めて、仕留めたんだ。すごかったよ、ボロボロになりながら泣き叫んでた。『死ぬわけにはいかない!』『私は、必ず生きて帰るんだ!』ってさ」
「――っ!!」
その言葉が鼓膜に触れた瞬間、ダンの顔面が怒りと憎悪で引きつった。
かつて出陣の前に、自分に微笑みかけてくれた彼女の最期の悲鳴が、脳内で最悪の形となって再生される。
だが、悪魔の告白は終わらない。
「あんなに惨めに泣きながら逃げ回っていたのに、最後は何故か、覚悟を決めたみたいに僕に立ち向かって来たんだ。……うん、あれは本当に綺麗だった。もちろん、仕留めちゃったけどね」
ダンは、糸が切れた人形のようにガクリと深く俯き、その場に立ち尽くした。
前髪に隠れて表情は一切見えない。だが、彼の身体から立ち昇る空気は、肌を刺すような、触れれば爆発しそうなほどのドス黒い緊迫感を孕んで辺りに漂っていた。
(いいぞ、お兄さん……。もっと壊れろ……。その怒りに狂った、醜い姿を僕に見せてよ)
ケイはダンの沈黙を極上の前菜のように味わいながら、最後の一刺しを突き入れる。
「彼女が死ぬ瞬間の『絶望に満ちた表情』……。あれは本当に、感動すら覚える芸術だったよ」
心底楽しくてたまらないといった、無邪気な子供のような口調でケイは言い放った。
しかし――これに対して、ダンは何も答えなかった。
変わらず深く俯いたまま指先一つ動かさず、ただ、不気味なほどの静寂だけが彼を包んでいた。




