1.無職、飛び出す
ピコン。
誰もいない公園の隅っこの、塗装も所々剥げたブランコに腰掛けていた俺は、微かに鳴った音でスマホのメールボックスを開く。
『弋 灯哉 様
この度は、弊社の採用選考にご応募いただき、誠にありがとうございます。ご応募いただきました書類をもとに、厳正な選考を行い、誠に残念ではございますが、今回は採用を見送らせていただく結果となりました――』
ふう。そう軽く息を吐いて、俺はスマホの電源を切る。刹那、黒くなった画面にはまさに『死んだ魚のような目』をした男が映る。
……まあ就活が始まってからどころか、ずっとそれ以前から俺がよく知る、とても見慣れた顔だ。
中学の頃からか、もしくはそれよりも前か、いつからか俺の表情筋は働くのをよくサボるようになった。
そんな表情筋さまのお陰か、面接において俺の評価はあまりよくないらしい。
「……言い訳だよなあ」
独り、そんなことを呟く。
そう、これはただの言い訳。面接なんて限られた時間に「初めまして」同士で顔を合わせるだけ。表情ひとつで合否が決まるほど、実はそんなに大きな問題ではないのである。
でも、わかっていてもなお、そんなことを理由にしたいのだ。
大学を卒業したのが数ヶ月前。振り返れば、果たして今日まで何社に「ごめんなさい」を言われてきたか。
感謝や謝罪も、言われれば言われるほどありがたみや申し訳なさは薄れると言うけど、あれは事実だ。もちろんソースは俺。
でも一方で、理解はしている。その原因が何かと言えば、無論そんなのは俺自身だ。
職業、無職。これが今の俺の肩書き。さらに言えば、就活連敗中の無職、である。今日も今日とて、採用応募の書類の郵送のために郵便局へ、それも気分転換にと少し遠くの郵便局へ行ってきた所だ。
一体どれだけ履歴書に同じことを書いてきたか。最近はまるで、十年間毎日惰性で書き続ける中身の無い日記のように、考えることなく、澱みなくスラスラ書ける。もはや特技欄に「履歴書を書くこと」と書いても嘘ではないと思う。
「履歴書の用紙、買って帰ろ」
色々頭の中で考えを巡らせてはみたものの、結局はこれからも応募し続けるしかないのだ。まだ俺が履歴書を送っていない会社なんて星の数ほどあるんだから!
まだ星は姿を見せていない空を見上げて、そんなことを自分に言い聞かせる。
そして意気揚々と履歴書を買いに、俺はゆらゆら揺れるブランコを残して公園を後に――しようとした。
「――ねえ、いいじゃん。一緒にお茶でもしようよ!」
耳に飛び込んだ声に、俺は思わず物陰に隠れた。
「俺この辺の店詳しいからさ!︎︎ 近くにおすすめの店あるんだけど、そろそろ閉まっちゃう時間なんだよね。だからさ、早く行こうよ! ほら!」
「………………」
もはや様式美さえ感じる口説き文句を吐く男と、その隣を実に嫌そうな顔で女性が歩いている。見た限り、どちらも俺と同い年くらいだろうか。どう見てもナンパとかその類だ。
段々とこちらに近づいてきていて、すぐにここは通り過ぎるだろう。
「ねえ、無視しないでよ。いくら俺だって悲しくなっちゃうじゃん!」
「………………」
聞こえる言葉を自分事のように不快に思いつつ、スマホを使って近くの警察署を調べる。
「……遠いなあ」
決して近いとは言えないし、いま通報してもすぐには来てくれないだろうけど、仕方ない。俺はそのまま、一、一、とダイヤルボタンを押して――。
「――嫌、離してください!」
「!」
女性の叫ぶ声。まだ物陰に隠れたままの俺には、あの女性のものであるのか確認はできない。しかし誰のものであれ、それが助けを求める声なのは間違いなかった。
画面を押す指がぴたっと止まる。それと同時に一瞬で頭が回転する。
普段人通りもないこの場所。近くにいるのは俺だけかもしれない。少なくとも悠長に電話をかけて、ここで待つばかりでいるような、そんな時間はない。
「……やるしかないか」
俺はそこから飛び出し、あの二人が通り過ぎて行った方向を見る。やはりそこには、さっきの女性が男に手を掴まれていた。
俺は大きく息を吸って――二人とは全く別の方角に向かって叫んだ。
「お巡りさん! こっちです!早く!」
俺は横目でちらりと二人の方を見る。二人とも驚いた顔でこっちを見ていたが、男は女性と俺とで何回か視線を往復させてから、やがて女性の手を離して逃げていった。
その場に座り込む女性。それを見て、俺は。
「――じゃあ、お気をつけて!」
どこを向いて言ったのか自分でもわからないまま言葉を吐いて、女性とは反対側に向かって走り出した。
「あっ、あの!」
背中越しに聞こえた声は間違いなく俺に投げられた言葉だった。けれど俺はそれを受け取ることもなく、前を向いたまま真っ直ぐに走った。
これでいい。これがいい。半ば咄嗟だったとはいえ、しかし自分から動くことができた。これはもう、俺の中では上出来だったという自負はある。
基本的に、面倒なことは避ける。逃げることは悪いことじゃない。それが行動理念というか、上手く生きるコツ。そう思って生きている。
でも一方で、目の前で悪事を働かれ、それを見てしまったら、そして見て見ぬふりをしてしまったら、何より自分自身の気分が悪い。けど今回みたいに、それを堂々と指摘できるほど、普段の俺には度胸も意気地もない。
矛盾しているようだけど、でもこれが俺という人間。
――だけど。
「はあ、はあ――たまには、頑張ってみるもんだな!」
普段しないだろうことをしたからだろうか。達成感に包まれながら、走り出した足は止まらなくて。とりあえず落ち着ける所にと、たまたま目の前にあった開きっぱなしの知らない門を通過していた。
そこでやっと足が止まった。
そこに聳えていたのは、傾いた日でできた黒い角柱。
そんなに遅い時間でもないけど、高めの塀に囲まれたその一帯は薄暗く、そのビルにも灯りが灯っていないこともあって、廃墟というほど汚れてもないけどえも言えぬ不気味さに包まれている、そんな場所。だから思わず引き寄せられたというか。
――まあつまり、ついさっきのとこで頭がいっぱいで、無自覚飛び込み不法侵入を試みていたわけで。
門を通過した瞬間、俺は左脇からやってきた何か巨大な物体の進行を阻む存在になっていた。
直前になって耳に音が届く。どうやらそれはトラックだったらしい。
この薄暗い中、ライトも点けずにそいつは動いていた。そして、その突然を避けられる訳もなく。
辛うじて確認できた運転席のオールバックの男が、何か大声で叫んでいるであろう慌てた姿を最後に見ながら、俺の意識は飛んでいった。




