第1話 白狐神、森で無趣味のおっさんに拾われる
俺には趣味がなかった。
名前は左近光――サコン・ヒカル四十歳。どこにでもいるサラリーマンである。
平日は会社。帰ったら飯を食って、風呂に入って、スマホを眺めて、寝る。休日は洗濯して、掃除して、買い物して、気づいたら夕方。
趣味は何ですか、と聞かれると困る。読書、と言えるほど本を読んでいない。映画、と言えるほど映画館に通っていない。スポーツなんて、最後にまともにやったのは学生時代だ。
強いて言うなら、ネットで動画を流し見すること。ただ、それを胸を張って趣味と言っていいのかは分からない。そんな俺が、目を覚ましたら森にいた。
「……いや、どこだよ」
目の前には木。右を見ても木。左を見ても木。上を見れば空。天井はない。壁もない。布団もない。
地面に座り込んでいた俺は、ゆっくり立ち上がった。服装は、会社帰りのスーツではない。
茶色スエードのフード付きハーフコート。黒のニット。黒のデニムパンツ。茶色のワークブーツ。異世界転移にしては、妙に親切な格好だった。
「異世界転移って、今、普通に考えたな俺」
口に出してから、少し嫌になった。だが、そうとしか思えない。見たこともない植物。妙に濃い空気。スマホはない。財布もない。そもそも、さっきまでどこにいたのかも思い出せない。
その時、視界の端に半透明の文字が浮かんだ。
____
【転移処理完了】
【対象:サコン・ヒカル】
【年齢:40歳】
【固有スキルを付与しました】・四十の手習い
【転移ボーナスとして、基本資格スキルを取得しました】
・総合鑑定士資格・整理収納アドバイザー資格・マインドフルネス スペシャリスト資格
【転移ボーナスとして魔石ポイントを付与しました】
____
「……はい?」
空中に文字が浮いている。俺は目をこすった。消えない。もう一度こすった。やっぱり消えない。
「四十の手習い……?」
俺が呟くと、説明が表示された。
____
【固有スキル:四十の手習い】
地球上に存在する趣味、娯楽、スポーツ、あらゆる余暇活動を“手習い”として取得できる。
取得した手習いに応じて、知識・技能・身体感覚を得る。
また、各手習いに関連したショップが解放され、物資を購入できる。
購入には魔石ポイントを使用する。魔石ポイントは、魔物の魔石を回収・変換することで増加する。
____
「趣味……?」
俺は固まった。趣味。よりによって趣味。無趣味で四十まで来た俺に、趣味由来のスキル。
「皮肉か?」
誰も答えない。すると画面が切り替わる。
____
【基本スキル】
・総合鑑定士資格・整理収納アドバイザー資格・マインドフルネス スペシャリスト資格
【現在保有ポイント】
魔石ポイント:10,000
____
【総合鑑定士資格】
対象の名称、状態、性質、危険度などを確認できる。固有スキル「四十の手習い」と連動し、状況に応じた手習い候補を提案する。
____
【整理収納アドバイザー資格】
物品を異空間に収納できる。
容量:無制限時間経過:なし生物収納:不可
補足:この世界において収納スキル所持者は約百人に一人。珍しいが、極端に希少ではない。一般的な収納容量は、大きくても馬車一台分程度。
____
資格講座案内にありそうな、名前のスキルが並んで表示されている。
「いや、俺の収納だけ性能おかしくないか? 鑑定スキルはありがたいが」
百人に一人いるなら、収納スキル自体は珍しくない。だが、無制限で時間経過なしはさすがにおかしい。
「で、マインドフルネス……?」
聞いたことはある。なんとなく、呼吸とか瞑想とか、心を落ち着けるやつだった気がする。すると画面が詳細を表示した。
____
【マインドフルネス スペシャリスト資格 】
現在の呼吸、鼓動、緊張状態を自覚しやすくなる。恐怖や焦りを感じた際、即座に飲み込まれず、深呼吸で一拍置いて判断できる。精神攻撃を防ぐものではないが、混乱からの回復を補助する。
____
「そんな資格もあるのか、いや、スキルになって全く別物なんだろうが……」
資格の世界も、俺が知らないだけで色々あるらしい。四十の手習い。昔から言う。四十歳から新しいことを始めても遅くない、という意味だ。
習字。 英会話。 釣り。 登山。 キャンプ。 家庭菜園。 ゴルフ。 写真。 料理。
確かに趣味っぽい。だが、異世界の森でそれを渡されても困る。
「俺、無趣味なんだけどな……」
そうぼやいた時だった。森の奥から、小さな声がした。
「しゃー!」
猫か?いや、違う。子供の声だ。
「くるな! びゃっこ、つよいぞ!」
俺は息を止めた。木々の向こうに、白いものが見える。小さな女の子だった。年齢は五歳くらい。白いおかっぱの髪。瞳は黒に金色の光彩が入ったような色。顔立ちは、なんとなく日本人に近い。
そして、白い狐耳。白くて大きな尻尾。服は、服というより白い布袋を貫頭衣にして、腰に麻紐の様なものを巻いている。
足は裸足。腕には木の実を抱えている。現実世界では、どう見ても通報案件のその子が、小さな身体で必死に威嚇していた。
その前にいるのは、狼のような魔物。狼よりも大きい。背中に黒い棘が生えている。口元から涎を垂らし、赤黒い目で白い女の子を見ている。
ただ、魔物は女の子に飛びかかっていない。近づきたいのに、近づけない。女の子の周囲に、見えない壁のようなものがあるらしい。魔物はその境界の外をぐるぐる回っている。
だが、女の子の足は震えていた。
「しゃー! びゃっこ、かむぞ!」
いや、噛んでも無理だろ。俺は思わず心の中で突っ込んだ。同時に、鑑定スキルが勝手に反応した。
____
【鑑定結果】
対象:スパイキー・ウルフ
分類:魔物
危険度:低〜中
状態:空腹、興奮
推奨:距離を取って対処してください。
【四十の手習い連動提案】
現在の状況に適した手習い候補:
・狩猟・サバイバル・キャンプ・射撃競技
最優先候補:狩猟
____
「提案してくれるのか……!」
ありがたい。自分で選べと言われても、今の俺には判断できない。
狩猟。
趣味としての狩猟。
ハンティング。
銃の扱い。 獲物の追跡。 解体。 安全管理。
森で魔物相手なら、確かに最適に見える。
「狩猟を選択!」
____
【手習い:狩猟を取得しますか?】
必要魔石ポイント:1,200
取得内容:
・銃器の安全管理・射撃基礎・獲物の追跡・獲物の解体基礎・罠の基礎・野外での気配察知
関連ショップ:狩猟用品ショップが解放されます。
____
「取得!」
頭の中に知識が流れ込んだ。
銃の持ち方。 安全装置。 射線確認。 風向き。 獣の動き。 足跡。 血抜き。 解体。
吐き気がするほど一気に情報が入ってきたが、不思議と身体は理解していた。続けてショップ画面が開く。
____
【狩猟用品ショップ】
購入可能品:
・狩猟用ライフル・スコープ・弾薬・狩猟用ナイフ・防護手袋・迷彩ジャケット・ブーツ・双眼鏡・簡易罠・解体道具一式
____
その中にセット商品があった。
____
【高性能狩猟セット】
内容:高性能ライフル、スコープ、弾薬、整備キット、狩猟用ナイフ、防護手袋、安全装備
必要魔石ポイント:2,000
____
「高いな、おい」
取得と合わせて3,200。初期ポイントの三割以上が消える。だが、目の前では五歳くらいの子供が魔物に囲まれている。悩んでいる場合じゃない。
「購入!」
空気が歪み、俺の手に重さが生まれた。黒いライフル。スコープ。腰にはナイフ。手には防護手袋。背中には弾薬と整備キット。
知識だけでなく、最低限の身体感覚もある。俺は木の陰に膝をついた。狩猟スキルが頭の中で静かに警告する。
射線確認。 背後確認。 対象の動き。
子供に当たる角度は避けろ。俺は横へ回り込み、魔物の注意を引く。
「おい、そこの狼もどき!」
魔物がこちらを向いた。白い女の子も俺を見る。
「おっちゃん?」
「初対面でおっちゃん呼びって…えっ日本語?」
今は、それどころではない。魔物が低く唸った。俺はライフルを構える。
心臓がうるさい。手が震える。俺は深く深呼吸した。するとあれ程高鳴っていた心臓が落ち着いてきた。マインドフルネスの効果か?恐怖感は拭えないが、指だけは動く。スコープの中に、魔物の肩口が入った。俺は一旦息を止め、引き金を引いた。
ドーンと轟音。肩に衝撃が来て、魔物が跳ねる。
「うおっ……!」
撃った俺自身が一番驚いた。魔物は地面に転がる。だが、狩猟スキルが告げる。まだ近づくなと。
そして魔物がわずかに動いた。二発目を撃つ。魔物は今度こそ動かなくなり、森が静かになった。俺はしばらく銃口を下げられなかった。
息が荒い。手も震えている。人間というのは、銃を手にしたからといって急に勇敢になるわけではないらしい。
「……生きてるか?」
俺が声をかけると、白い女の子は木の実を抱えたまま、じっと俺を見ていた。
「びゃっこ、いきてる」
やはり日本語を喋っている。とにかく言葉は通じるようだ。
「そうか。よかった」
「おっちゃん、でかいおとした」
「俺もびっくりしてる」
「おっちゃん、つよい?」
「このライフルとスキルが強い。俺本人は普通だ」
「ふつう?」
「四十歳のサラリーマンだ」
「さらりーまん?」
「説明が難しい。大人の群れで働く生き物だ」
「おっちゃん、むれ?」
「会社という名の群れだな。たまに魔物より怖い」
白い女の子は首をかしげた。耳がぴこりと動く。その仕草が、あまりに幼い。俺はライフルの安全を確認して背中に回した。
「怪我は?」
「ない」
「名前は?」
「びゃっこ」
「びゃっこ? それが名前か?」
女の子は首を振った。
「びゃっこは、びゃっこ。なまえは、ない」
「……どういうことだ?」
「びゃっこは、びゃっこ」
「説明が円を描いてるぞ」
俺は鑑定を使った。
____
【鑑定結果】
種族:白狐神
読み:びゃっこしん
年齢:五歳相当
状態:空腹、疲労、警戒
神名:未登録
____
「白狐神……びゃっこしん?」
俺は思わず呟いた。
「どこの稲荷神社だよ……」
白い女の子は胸を張った。
「びゃっこ、たぶんえらい」
「たぶんなんだ」
「もりが、びゃっこをすき」
「すごい理屈だな」
白狐神。名前はない。自分のことを「びゃっこ」と呼んでいるが、鑑定結果を見る限り、それは種族名らしい。
つまりこの子は、自分の名前を持っていない。五歳くらいの子供が。いや、子供に見える神様が。
「……腹、減ってるのか?」
白狐神の耳がぴんと立った。
「へってる」
「何食ってたんだ?」
彼女は抱えていた木の実を見せる。
「これ。あと、さかな。にく」
「肉と魚も食べてたのか?」
「うん。びゃっこ、火、つけられる」
「火?」
白狐神は指を立てた。小さな指先に青白い光が集まる。
ぱちっ。プラズマのような放電が走った。
「うおっ!」
「これで、火、つく」
「危ない危ない危ない!」
「ちいさい火は、だいじょうぶ。大きい火は、こわい」
彼女は近くにあった大きな葉を一枚取った。蓮の葉のように広く、少し器のように丸められる葉だ。
「これに、みず、いれる」
「器代わりか?」
「うん。かわのそばで火つける。けすとき、これでみず、ばしゃってする」
「ちゃんと消してたのか」
「大きい火、こわい」
神様らしい力で火を起こし、川のそばで肉や魚を焼き、大きな葉に水を汲んで消火する。五歳児にしては、とんでもなく逞しい。
だが、それは幸せに暮らしていたという意味ではない。ただ生き延びてきただけだ。
「味付けは?」
「あじつけ?」
「塩とか、タレとか」
「しお?」
「知らないのか」
白狐神は首をかしげる。肉も魚も焼いて食べていたらしいが、しっかり味付けされたものは食べたことがないようだった。俺の視界に、鑑定と手習いの連動提案が出る。
____
【状況判定】
対象:白狐神
状態:空腹、栄養不足傾向、衣服破損、足部に小傷あり
【四十の手習い連動提案】
現在の状況に適した手習い候補:
・キャンプ・料理・登山・釣り・応急手当
最優先候補:キャンプ
____
「キャンプか」
趣味としてのキャンプ。
野営。 火の管理。 寝床。 アウトドア用品。 食料。 衣類。 救急用品。
今の状況にはぴったりだ。
「キャンプを選択」
____
【手習い:キャンプを取得しますか?】
必要魔石ポイント:800
取得内容:
・野営基礎・火の管理・簡易調理・テント設営・水の扱い・防寒対策・野外安全管理
関連ショップ:キャンプ用品ショップが解放されます。
補足:キャンプ関連ショップでは、アウトドア用品や衣料のほか、スーパー系食料品、ドラッグストア用品、ホームセンター用品の一部を購入可能です。
____
「取得」
また知識が流れ込む。
テントの張り方。 焚き火の安全。 風向き。 水場との距離。 寝床の断熱。 食材の管理。 子供を冷やさない方法。
同時に、ショップが開いた。
テント。 寝袋。 毛布。 調理器具。 ランタン。 水。 保存食。 レトルト食品。 肉。 野菜。 衣料品。 靴。 タオル。 消毒液。 絆創膏。 鍋。 ロープ。 ナイフ。 ブルーシート。 折りたたみ椅子。
「キャンプショップの範囲、広すぎないか?」
ほぼ生活用品店だった。ありがたいが、ありがたすぎて怖い。俺はまず水を買った。それから惣菜品の温かいコンソメスープ。ロールパン。タレ味の焼き鳥。子供用の白いワンピース。下着。靴下。小さなブーツ。タオル。毛布。消毒液と絆創膏。小型テント。寝袋。
____
【購入合計:魔石ポイント220】
購入しますか?
____
「初日から飛ぶな……」
金ではなく魔石ポイントだが、生活には金がかかる。異世界でもそれは変わらないらしい。
「購入」
足元に紙袋や箱が現れた。俺はそれらを収納に入れる。無制限。時間経過なし。便利すぎる。
「おっちゃん、きえた」
「収納に入れた」
「しゅうのう?」
「荷物をしまうスキルだ」
「おっちゃん、すごいひと?」
「この世界では百人に一人いるらしい」
「いっぱい?」
「まあ、珍しくはないみたいだ。ただ俺のは容量が変らしい」
「へんなおっちゃん」
「それは否定しづらい」
俺は水を出して、白狐神に渡した。ペットボトルを見て、彼女は警戒する。
「かたい」
「容器だ。中が水」
「へんな水?」
「たぶん綺麗な水」
キャップを開けて渡すと、彼女はすんすん匂いを嗅いだ。
「へんなにおい、ない」
「なら飲め」
白狐神はこくこくと水を飲んだ。そして、ほっと息をついた。
「うんみゃあ」
「水でその反応か……」
次にコンソメスープ。温かい状態で購入できた。
「熱いから気をつけろ」
「びゃっこ、つよい」
「強くても熱いものは熱い」
彼女は慎重に口をつけた。
一口。耳がぴんと立つ。
二口。尻尾が揺れる。
三口目。無言になった。
「おい、大丈夫か?」
「いま、くちがいそがしい」
「そうか。邪魔して悪かった」
スープを飲み終えると、白狐神はカップの底を見つめた。
「なくなった」
「飲んだからな」
「もうない?」
「あるけど、ゆっくりだ。急に食うと腹がびっくりする」
「はら、びっくりする?」
「する。俺みたいな四十歳の腹はよくびっくりする」
彼女は俺の腹をぽんと叩いた。
「おっちゃんのはら、がんばれ」
「俺の腹を励ますな」
次にタレ味の焼き鳥を渡す。匂いを嗅いだ瞬間、白狐神の目が丸くなった。
「にく」
「ああ、肉だ」
「このにく、へんなにおい」
「タレだ。味がついてる」
「あじが、ついてる?」
「食ってみろ」
彼女は小さくかじった。直後。白い尻尾が爆発したように膨らみ、ぶんぶん振られた。
「うんみゃあ!なにこれ!」
「焼き鳥」
「にくが、すごい!」
「そうか」
「びゃっこも、にくやいた。でも、これ、ちがう。にくが、えらくなってる!」
「タレの力だな」
「おっちゃん、すごい」
「すごいのは日本のスーパーだ」
「すーぱー、えらい」
「ああ。スーパーは偉い。社会インフラだ」
「しゃかい?」
「難しい話は後だ。食え」
白狐神は夢中で肉を食べた。
肉。 パン。 スープ。 水。
どれも彼女にとっては新鮮らしい。
焼いただけの肉や魚で生きてきた子供に、タレ付き焼き鳥は衝撃だったのだろう。
食後、俺はタオルで彼女の顔と体、手足を拭いた。裸足の足には、小さな傷がいくつもある。
「いたいか?」
「ちょっと」
「ちょっとでも痛いなら手当てする」
「てあて?」
「大人がやる面倒な世話だ」
消毒液を出す。
「しみるぞ」
「びゃっこ、つよい」
「強くても、しみるものはしみるぞ」
消毒すると、彼女の耳がぺたんと伏せた。
「うー。しみた」
「だから言っただろ」
「おっちゃん、いじわる」
「治すためだ」
絆創膏を貼る。それから靴下と小さなブーツを履かせた。白狐神は不思議そうに足を上げる。
「あし、なんかへん」
「靴だ」
「くつ」
「足を守る」
「いたくない」
「ならよし」
「くつ、えらい」
「肉と靴が同じくらい褒められてるな」
次に服。白いワンピースを着せるのに少し苦労した。
「おっちゃん、へた」
「子供の服なんて着せたことないんだよ」
「びゃっこも、きたことない」
「ならお互い初心者だ」
なんとか着替え終わると、白狐神はくるりと回った。白い髪。白い耳。白い尻尾。白いワンピース。泥だらけの森の子供が、少しだけ神様らしく見えた。
「似合ってるぞ」
「にあう?」
「いい感じってことだ」
「びゃっこ、いいかんじ?」
「ああ。いい感じだ」
彼女は胸を張った。
「おっちゃん、よくやった」
「なんで俺が評価されてるんだ」
それから、倒した魔物の処理に移る。気は進まない。だが、魔石ポイントは必要だ。鑑定を使ってみる。
⸻
【鑑定結果】
名称:棘狼
読み:スパイキー・ウルフ
分類:魔物
危険度:低〜中
素材:牙、皮、棘、肉、魔石
食用:可。ただし血抜き、加熱推奨
魔石位置:胸部中央付近
【四十の手習い連動】
狩猟スキルによる解体手順を表示できます。
⸻
「表示」
頭の中と視界に、解体手順が浮かぶ。血抜き。皮を剥ぐ順番。刃を入れる角度。魔石の位置。食用に向く部位。避けるべき部位。
狩猟スキルを取っていなければ、絶対に無理だった。俺は防護手袋をつけ、ナイフを持つ。
「おっちゃん、なにするの?」
「魔石を取る」
「ませき」
「これがないと、俺の買い物ポイントが増えない」
「ぽいんと?」
「肉を買うための力だ」
「おっちゃん。はやくとれ」
「理解が早いな」
鑑定と狩猟スキルを併用しながら、俺は棘狼を解体した。正直、気分はよくない。血の匂い。肉の感触。ナイフの重さ。だが、スキルがあるおかげで手順は分かる。
「うっ……」
「おっちゃん、よわくなった?」
「弱い。だが大人なので我慢してる」
「おとな、たいへん」
「分かってくれて嬉しいよ」
胸部中央から、黒っぽい石が出てきた。
⸻
【魔石を回収しました】
棘狼の魔石:魔石ポイント換算 350
【魔石ポイントに変換しますか?】
⸻
「変換」
⸻
【魔石ポイント +350】
⸻
「よし。少し戻った」
牙、皮、棘も鑑定して収納に入れる。時間経過なしなら、腐敗の心配はない。肉も迷ったが、収納しておくことにした。
食べられるとは出ているが、今すぐ食べる勇気はない。白狐神が目を丸くする。
「きえた」
「収納した」
「おっちゃん、たべちゃった?」
「たべてない。俺を何だと思ってるんだ」
「へんなおっちゃん」
「またそれか」
日が少し傾いてきた。森の夜は早い。キャンプスキルが警告している。暗くなる前に寝床を確保しろ。水場の近く。ただし近すぎるな。風向き。地面の状態。魔物の通り道を避けろ。
「お前、いつもどこで寝てたんだ?」
「こっち」
白狐神は歩き出した。新しい靴に慣れないのか、時々足を持ち上げている。
「歩きにくいか?」
「へんなかんじ。でも、いたくない」
「そのうち慣れる」
しばらく進むと、小川のそばに出た。水は澄んでいる。少し離れた場所に、大きな木の根元があり、そこに葉や柔らかい草が集められていた。
どうやら、そこが彼女の寝床らしい。そして地面には、何かの絵が描かれていた。二本の柱。上に横木。さらにその上にも横木。俺は思わず呟いた。
「……鳥居?」
白狐神が振り返る。
「とりい?」
「ああ。この形。俺の国にある、神社の入り口みたいなやつだ」
「じんじゃ?」
「神様を祀る場所だ」
「かみさま」
「お前、たぶんそれだろ」
白狐神は地面の絵を見た。それから俺を見る。
「これ、とりい?」
「ああ。鳥居」
「とりい……」
耳がぴんと立つ。尻尾がぶんぶん揺れる。
「とりい! これ、とりい!」
「そんなに嬉しいのか?」
「なまえ、わかった!」
彼女は地面にしゃがみ、鳥居の絵を指でなぞった。
「びゃっこ、これ、かく。ねるときにかく」
「何のために?」
「まもの、くるなってする」
「する?」
白狐神は鳥居の絵の前に指を置いた。目を閉じる。
「まもの、くるな」
小さく呟き、指先から青白い放電を走らせた。
ぱちっ。地面に描かれた鳥居が淡く光り、周囲に薄い膜のようなものが広がった。鑑定が反応する。
⸻
【鑑定結果】
名称:簡易結界
基点:鳥居紋効果:低級魔物の侵入抑制
術者:白狐神状態:安定
⸻
「マジかよ」
俺は地面の鳥居を見る。鳥居。神社。白狐神。稲荷。偶然にしては、日本に寄りすぎている。
「お前、日本の神道と関係あるのか?」
「にほん?」
「俺のいた国だ」
「しんとう?」
「神様の道、みたいなものだ。神社とか、鳥居とか、狐とか」
「とりい、びゃっこ、しってた。でも、なまえしらなかった」
「そうか」
白狐神は嬉しそうに、何度も呟く。
「とりい……とりい……」
覚えたばかりの言葉を、宝物みたいに確かめている。この子は、いろいろなことを知っている。火の起こし方。水の汲み方。肉や魚の焼き方。結界の張り方。
でも、その名前を知らない。鳥居という言葉も。塩という言葉も。タレという味も。靴という道具も。そして、自分の名前も。
「なあ」
「なに、おっちゃん」
「本当に名前はないんだな?」
「ない。びゃっこは、びゃっこ」
「それはたぶん、種族名だ」
「しゅぞく?」
「人間とか、狐とか、そういう分類だ」
「びゃっこは、びゃっこ」
「まあ、それはそうなんだが」
俺は白い髪を見る。白い狐耳を見る。大きな白い尻尾を見る。泥で少し汚れてはいるが、本来はきっと雪のように白いのだろう。
「雪みたいだな」
「ゆき?」
「ああ。俺の国で、寒い日に空から降ってくる白いやつだ」
「たべられる?」
「食えなくはないが、腹を壊すぞ」
「だめなやつ」
「いや、綺麗なんだよ。冷たくて、白くて、静かで」
白狐神は自分の尻尾を見た。それから俺を見上げた。
「ゆき、きれい?」
「ああ。綺麗だ」
「びゃっこ、ゆき?」
「名前がないなら、ユキってどうだ」
「ユキ」
彼女はその音を口の中で転がすように呟いた。
「ユキ……ユキ……」
そして、ぱっと顔を上げる。
「それ、びゃっこのなまえ?」
「嫌じゃなければな」
「おっちゃんが、くれた?」
「ああ」
「じゃあ、ユキ」
彼女は胸に手を当てた。
「ユキは、ユキ」
その瞬間、森がざわめいた。風は吹いていない。それなのに、葉が一斉に揺れた。小川の水面が淡く光る。地面に描かれた鳥居が、ふわりと白く輝く。
鑑定結果が表示される。
⸻
【鑑定結果】
対象:白狐神
神名:ユキ
状態:安定、喜び
【名付けによる縁が成立しました】
サコン・ヒカルは白狐神ユキの名付け親となりました。
【白狐神ユキの小さな加護を取得しました】
効果:森での方向感覚微上昇、低級魔物気配感知微上昇。
⸻
「……名前を付けただけで、なんか成立したぞ」
ユキは満足そうに頷いた。
「ユキ、なまえもらった」
「それは分かる」
「おっちゃん、えらい」
「また評価された」
ユキは俺の袖を掴んだ。
「おっちゃん」
「なんだ?」
「とりい、かいて」
「俺が?」
「うん。おっちゃんも、かく」
「描いたらどうなるんだ?」
「ユキが、ぱちってする」
「ぱちって……」
放電のことか。俺は枝を拾い、地面に鳥居を描いた。二本の柱。横木。その上にも横木。神社の近くを通った時に見た記憶を頼りに描いただけだが、それっぽくはなった。
「こんな感じか?」
「とりい」
ユキは嬉しそうに頷く。そして俺が描いた鳥居の前にしゃがみ、指を立てた。
「まもの、くるな」
ぱちっ。
青白い放電が走り、俺が描いた鳥居も淡く光った。薄い膜が周囲に広がる。
⸻
【鑑定結果】
名称:簡易結界
基点:鳥居紋
効果:低級魔物の侵入抑制
術者:白狐神ユキ
補助:サコン・ヒカル
状態:安定
⸻
「俺が描いてもいけるのか……」
「おっちゃん、とりい、かける」
「日本人だからな。いや、普通の日本人が全員描けるわけじゃないけど」
「にほん、すごい?」
「場所による」
「おっちゃんのくに、とりい、いっぱい?」
「ああ。神社にはだいたいある」
ユキの目が輝いた。
「ユキ、そこ、いきたい」
「俺も帰れるなら帰りたいよ」
口にしてから、胸の奥が少し重くなった。帰りたい。もちろん帰りたい。自分の部屋。コンビニ。風呂。布団。いつもの道。いつもの生活。だが、俺の袖を掴む小さな手がある。
名前をもらって嬉しそうにしている神様がいる。四十歳のおっさんには、いろいろ無理が利かない。でも、五歳くらいの子供を森に置いていくほど、まだ人間はやめていない。
「とりあえず、今日はここで寝るか」
「ここ、ユキのねるところ」
「悪くない。ただ、地面は冷える。キャンプスキルの出番だな」
俺は収納からテントと毛布、寝袋を出す。キャンプスキルのおかげで、設営方法は頭に入っている。もちろん実際にやるのは初めてだ。無趣味だった俺が、異世界で初キャンプ。笑えない。
「おっちゃん、それ、なに?」
「テント。布の家みたいなものだ」
「ぬののいえ」
「雨と風を避ける」
「てんと、えらい」
「今日から偉いものが多いな」
設営は思ったよりスムーズだった。スキル様々だ。テントの中にマットを敷き、寝袋と毛布を入れる。ユキは恐る恐る中を覗いた。
「ふかふか」
「そうだ。ふかふかは偉い」
「ふかふか、えらい」
ユキは毛布に潜りかけて、ふと俺を見た。
「おっちゃん」
「ん?」
「おっちゃんも、ここ」
「俺も?」
「ユキのとりい、まもる。おっちゃんも、まもる」
小さな神様が、当然のように俺を結界の中へ入れてくれる。俺は少しだけ笑った。
「ありがとな」
「ユキ、えらい?」
「ああ。偉い」
ユキの尻尾が嬉しそうに揺れた。俺は現在の状況を確認する。
⸻
【現在保有ポイント】
魔石ポイント:6,130
【取得手習い】
・狩猟・キャンプ
【基本スキル】
・総合鑑定士資格・整理収納アドバイザー資格・マインドフルネス スペシャリスト資格
【加護】
・白狐神ユキの小さな加護
⸻
「初日から結構使ったな……」
だが、その代わりに得たものも大きい。ライフル。狩猟知識。キャンプ用品。食料。衣服。無限収納。結界。
そして、ユキ。ユキは毛布にくるまりながら、俺の腕に尻尾を巻きつけてきた。
「おっちゃん」
「なんだ」
「ユキ、なまえ、ある」
「ああ。あるな」
「とりいも、なまえ、わかった」
「ああ」
「おっちゃん、すごい」
「たまたまだよ」
「たまたま、えらい」
「雑な褒め方だな」
ユキは眠そうに目を細める。
「おっちゃんは、ユキの群れ」
「群れか」
「うん。なまえくれた。にくくれた。とりい、しってた。だから、群れ」
「条件が独特だな」
「おっちゃん、にげるな」
小さな声だった。さっきまでの偉そうな声ではない。森で一人で生きてきた子供の、心細い声だった。俺は毛布の端を直してやる。
「逃げないよ。少なくとも今夜はな」
「こんやだけ?」
「大人は保険をかけるんだ」
「ほけん?」
「安心するための仕組みだ」
「じゃあ、ユキもほけん」
「何の?」
「おっちゃんが、にげないほけん」
「保険料は?」
「ユキが、えらいっていう」
「安いな」
「あと、にく」
「高くなったな」
ユキは満足そうに笑った。結界の外で、森が静かにざわめいている。地面に描かれた鳥居が淡く光っている。俺はそれを見ながら考えた。
白狐神。 鳥居。 結界。 稲荷神社。 神道。
何より、日本語が通じる。この子と日本には、何か関係があるのかもしれない。だが、それを考えるのは明日でいい。
今日はもう、情報量が多すぎる。無趣味の四十男が異世界に転移し、趣味系スキルで狩猟とキャンプを覚え、魔物を撃ち、解体して魔石を取り、名前のない白狐神にユキと名付けた。
どう考えても、普通の一日ではない。俺は小さく息を吐いた。
「四十の手習いで、神獣幼女を養うことになるとはな……」
ユキが半分眠りながら呟いた。
「おっちゃん」
「ん?」
「ささげものは、にくがいい」
「神様っぽいこと言ったと思ったら、要求が肉か」
「にくは、えらい」
「ああ。明日な」
「やくそく」
「約束だ」
ユキは安心したように目を閉じた。白い尻尾が、俺の腕にくるりと巻きついたまま離れない。
知らない森。知らない世界。知らないスキル。けれど、隣には小さな温もりがある。名前をもらって喜ぶ、五歳の白狐神がいる。
異世界生活初日。どうやら俺は、神様を拾ってしまったらしい。
続く




