夢(2) 茜色の空に紫苑の花を
__ガンガンガン。ガンガンガンガン!
弟たちを抱き締めながら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
玄関からけたたましく鳴り響くノック音に起こされてしまった様だ。
寝惚け眼で窓の外を見やれば、空は雨模様であり、激しく降り頻っていた。
こんな時間に、それもこんな空模様で、一体誰が何の用なのだろうか。
鬱陶しさすら感じながら弟たちを起こさぬようにそっと離れて、はいはい今出ますよー、なんて言葉を放ちながら玄関へと向かっていった。
扉を開けてみれば、果たして其処には両親と仕事へ出掛けたと聞いていた、近所のおじさんが血相を変えて立っていたのだ。
「…今すぐ家を出ろ。荷物を纏めて逃げるんだ…」
「え? …えっ?」
何の脈略もなく突拍子もない要求をされれば、唐突な事で頭も理解が追いついていけず、間の抜けた声を漏らすだけだった。
「今すぐ逃げろ、荷物を纏めて逃げるんだ! 早く_」
繰り返される同じ言葉。
何が?どういうこと?そんな疑問ばかりか弥宵の頭を埋め尽くしていく。
おじさんは何を言っているんだろう?それに何でおじさんは此処に居るの?たしか弟たちの言い分には確か両親と仕事に…。
あれ?何で?何で何で何でなんでなんでナンデナンデなん――
ガシャァン!!
遠くでおじさんの声を聞きながら、右から左へと流れる言葉。
理解が出来ぬまま、立ち尽くすだけの弥宵を現実に引き戻したのは奇しくも後ろから、居間から聞こえてきた爆発音にも似た大きな音と衝撃。
はっ、と我に帰り、後ろを振り向けばおじさんの制止も聞かずに履き物を脱ぎ捨て、宙へと放って弾かれたかの如く居間へと走り戻る。
あそこには今、まだ何も知らず夢の世界へと旅立っている二人の可愛い弟が……!!
「……え…?」
__バキ、パキャッ…メキョッ…。
__グシュッ…。
__ゴリッ、ゴリュ、ゴリゴリ……。
______ぐちゅり。
そこに可愛い寝顔を浮かべたまま、寝息をたてる二人の弟は居なかった。
代わりとしてそこに居たのは、あったのは、
骨 を 砕 き 、 2 つ の 肉 塊 を 貪 る 1 つ の 化 け 物 の 姿 だ っ た 。
砕かれた天井から射し込む月光に照らされた部屋には、そこに留めるには無理があるほどの余りある血飛沫、そして床には溢れ出た血潮の水溜まりが広がっており、その上に弟「であっただろう」物が転がる、惨憺たる光景であった。
そしてその肉塊から千切り取り、肉片を貪る姿は正しく【悪魔】…いや、正しく【化け物】と呼べる何かであった。
何が起きたのか理解が出来ぬまま放心している此方など意に介さずに化け物は食事を続けていた。
「うっ…、ぷ……」
唐突に意識が戻れば血、同族の、それも弟たちであったはずの肉の臭いに吐き気を催し、膝から崩れ、口を手で押さえる。
「チッ…遅かったか…!」
遅れて家に上がり込み、惨状を目にしたおじさんは膝から崩れて動けない状態の闇瀬を抱えあげ、その場を後にした…。
* * *
…い…よい……。
遠くで誰かの声を聞きながら、手放していた意識を手繰り寄せ、目を開けるまで至れば目だけで辺りを見回す。
顔に雨が当たる感触もあり、だんだんと意識がはっきりとしてきた。
「弥宵、無事か!? 生きているか?!」
横では名前を呼びながら横たえたこちらの体を揺さぶり、起こそうとするおじさんの姿が目に入った。
「おじ、さん…? 此処は…?」
顔に手を当て、フラフラとする意識の中で上半身を起こせばようやっと口を開き、相手に場所を問う。
雨に濡れた地面の上に寝転がされていた為か、後頭部や背中に泥がついており、うへぇ…と小さく漏らした。
「村外れの林の中だ、ここならあの悪魔…いや、もはやあれは怪物だな…どちらにせよ、あれもそう易々と追っては来れまい…」
怪物? 何の事だろう…? 確か自分は親の帰りを待つため家で弟たち…と………。
「弟は!? あいつらは!? 何処!?」
はっと全て思い出せば横に座るおじさんの方を向き、詰め寄る。
そしてヒステリックさえ起こしながらおじさんの襟首を掴み、鬼のような形相で、すがるような形で問い詰めた。
「……残念だが…」
だが、おじさんの口から聞けそうになったのは自分の希望的な予測とは違うものだった。
「違う! 違う違う…!! そんなのは聞きたいんじゃない!! 弟たちは?! 今すぐ助け__」
「いい加減にしないか!!」
嘘だ、嘘だ嘘ダうそだ全て嘘だ!
聞きたくない!そんなのは!
おじさんから告げられる、短くも訪れた全てを知るには足る事実を認めたくなくて、信じたくなくて、否定する悲痛な声色で、荒らげながら放った言葉は、しかしてそれ以上の言葉でかき消された。
おじさんから今まで聞いてきたどの怒号よりも大きく、強い怒りを帯びていた。
あまりにも衝撃的な様子に、闇瀬は口を閉じた、閉じざるを得なかった。
「…私だって、私だって救いたかった…ッ!! あの子達は未来ある子だ! 私よりも!! 弥宵、君だってそうだ! 両親から何度も聞かされていたし、見てもいた! 君たちは両親の宝なんだ!! その両親から最後の願いとして保護を頼まれた!!」
「ッ…!!」
おじさんの口から放たれる言葉は怒りを帯びていたが、涙と共にその言葉は少しずつ愁いへと変わっていった。
「君は賢い子だ…。全てを語らなくても、両親がどうなったかは察することが出来るだろう…」
それ以上の事は語らず、おじさんは口を閉じた。
暫く沈黙が二人の間を流れ、涙を雨に混じらせて頬を伝わせるのみであった。
しかし決心したのかおじは少しずつ、何が起こったのかポツリポツリとだが語ってくれた。
仕事で集まった3人、依頼も楽勝と言えるもので難なく完遂した。
「さっさと帰って飲みたいものだ、バカを言うな」「家では子供達が待ってるだろうし寂しくて泣いてるかもしれない」「早く帰ってやんないとね」なんて軽口を叩き合いながら帰路に着いたこと。
しかし途中であの化け物じみた【悪魔】が現れたこと。
咄嗟に動く間も与えられずに、弥宵の父親を易々と殺してしまったこと。
弥宵の母親に足止めをする代わりに子供達を頼まれ、それを断腸の思いながら了承をして逃げてきたこと__。
「…ぁ…あぁ……ああァア…! ああぁぁァアあああ!! あ"あ"あ"あ"あ"あ"ァアぁぁあぁあああぁァア!!」
全てを知ってしまえば耐えきれずに嗚咽を漏らし、涙を流す。
言葉にならぬ声を垂れ流し、鼻を垂らして涙を流し続けた。
泣いたとしても戻らないことを知ってるのに、泣かねばどうにかなってしまいそうだったからだ。
林の中で聞こえてくる悲痛に暮れたその泣き声は、普段よりも強く降り注ぐ雨の音に混じり、溶け込んで消えていった__。
* * *
__ふと、村側の林からがさごそと音が聞こえる。
泣くのを止め、注意深くその方向を見ていれば藪から出てきたのは兎だった。
ほっとしたのも束の間、僅かな殺気を察することが出来たおじさんは大きく闇瀬を突き飛ばした。
突如として襲ってきた影は、膝立ちからゆっくりと立ち上がり、頭のみこちらを向けて横目で逃した獲物を見やる。
月光にその体を照らされ、浮かび上がったのは…奇襲をかけて来たのは、まさに家を襲ったあの悪魔であった。
「逃げるんだ!!」
おじさんの体には左肩から鎖骨辺りまで浅くも深く、鋭利な爪で切り裂かれており、ドクドクと流れ落ちる血と脂汗が流れていた。
傷口を空いている手で押さえながら、何よりもいち早く察する事が出来たおじさんは後ろで座り込み、怯えている闇瀬を一喝した。
「今死んだら元も子も無いだろう! 全てを無駄にする気か! 私を置いて…行けぇ!!」
最初の言葉を聞き、立ち向かおうとする姿勢を取るのを知ってか知るまいか、闇瀬が何か言うよりも早く、被せるように放たれた言葉は、闇瀬を弾くように逃げ出させるには十分だった。
「全く、情熱的なアピールじゃねぇか…。女なら熱烈歓迎なんだが、オメェはちと論外だな…。はぁ…モテるのは女だけで十分なんだよ…」
律儀にもこちらの様子をジッと見るだけで襲い掛かろうとしてこなかった悪魔を相手に、皮肉混じりの啖呵を切って見せよう。
男なら最後に意地を見せねば恥だろう?
全く、これが自分の最後か__。
この職では誰もが劇的に死ぬことはまず出来やしない、なんて過去に同僚や先輩から言われた事があったが、まさか本当にその通りになるとはな…。
弥宵の為に逃げる時間を稼ぐため、足止め役となる…。
弥宵の母親もこんな心境だったのだろうか…?
弥宵の弟たちを助けれなかったのは悔いとして残るし、自分が弱かったから、そして駆け付けるのが遅かったからだ。
無力さを嘆いたところで仕方がないが、それでも嘆かざるを得ない…。
だが、だが! 今だけは、弥宵だけでも生き残らせる事が出来る…。
ただの少しでも、一秒でも長く、そして遠くへ逃げるための時間を稼ぐ事が出来る…!
あぁ、悪くない。
人生を締め括るにはまだちと早い気がするが…まぁ、良いか。
あぁ、うむ。何とも良い人生だった__。
「…俺がどうなろうと、例え粉微塵に消し飛ばされ、この命が果てて死ぬことになろうと、テメェだけは死んでも、何があったとしても、ぜってぇ通さねぇぞ…! 来いや、バケモンが…!!」




