入隊
「それじゃあ、この紙に名前を書いてちょうだいね。……えっと、文字は書ける?」
「ん、なんでもいいのか?」
「なんでも……名前の事かしら、実名の方が良いけれど……それとも言葉? それなら何でもいいわよ」
朝食を終えたオレはあの少女に絡まれる前に宿を出て、その足で直接軍の買取所へと向かう。
昨日と同じ受付のお姉さんの所で軍に入る旨を伝えたところ、別室に案内されてオレは粗悪な紙と羽ペンを手渡されていた。
人が五人くらい入ればもうギチギチで入れなさそうな小さな部屋、そこでオレは小さな机を隔てて向かい合って座っている。
羽ペン、なんか持ちにくいな……まあ、いいけど。
名前の記入欄へとオレは筆ペンを滑らせて、自分の名前を書き記していった。
「えっと……『澤 楓果』っと」
「……見た事が無い字ね、勉強不足かしら。まあいいわ、それで、本当に軍に入るって事で良かったのよね?」
「だって、はいるのが当たり前なんだろ?」
「まあ、うちの国民に関してはそうね。けど君は、外から来たんでしょ? 大丈夫なの?」
そうオレに心配そうな視線を向けて来る受付のお姉さん。年のころはオレの母さんくらいで、赤茶色の髪の毛を長く伸ばしている。
ゆったりとした白いローブを纏い、その腰元には重そうなメイスが刺されていた。
「ん、だいじょうぶ」
「そうなの。それじゃあ保護者……そうね、近くに大人は? 一人でこの国へやって来たの?」
「それ、いわなきゃダメなのか?」
根掘り葉掘り聞く様な、何だか少しだけ訝し気な色を見せた瞳で射竦められながらもオレはそう聞き返す。
なんか、一瞬だけ怖い感じがしたな。少しだけ身体が硬くなるのを感じながら答えを待った。
「まあ、身辺調査の一環だから、私としては聞くしかないわよ。別に言いたくないなら良いんだけどねぇ、形式上は聞いておかないと」
「んー……いまはいねぇ、オレ一人だ。けど、にいちゃんが迎えに来てくれる」
「にいちゃんねぇ? にいちゃんって、あなたのご主人様かなにか?」
「は? ご、ごしゅじん……?」
「だってあなた首輪してるじゃない。ヴィードには首輪を付けて動物のように飼う国もあるって聞くし、もしかしてあなたはその類なのかなって思ったんだけど、違ったかしら」
そんな言い草にオレは思わず言い返そうと口を開く。
首輪で飼うって、つまりそれ奴隷って奴だろ? もしくはペットだ。
ペットってのは間違いないけど、でもそれじゃあにいちゃんが奴隷を買うようなやべぇ奴みたいじゃん!
……んぁ? それを強要したオレって、結構やべぇ奴?
「ち、ちげーよ! にいちゃんは、にいちゃんはオレの……!」
オレの……え、にいちゃんってオレのなんだ?
一番大事な人で、家族で、あと、飼い主で……手綱を握ってくれる人で……あれ、ご主人様って間違ってない?
でも絶対にいちゃん嫌がるからな……じゃあ、にいちゃんはオレの……。
「にいちゃんは、オレの……家族だ」
「家族ねぇ……ま、そうよね。奴隷だったらわざわざ迎えに来てくれるだなんて言わないわ。よっぽどいいご主人様でもない限りあり得ない。
だというのにあなたのその格好、とてもいいご主人様とは思えないわ」
「オレの、かっこう……」
「最底辺の鉱山労働者と同等よ? 軍に入ったら支度金も出るわ、それで少しは整えなさい」
そっか、そうだよな。ちゃんと服装はしっかりしないとだよなぁ。
お金が出るなら買い換えよう、だってオレが着てるのこれパンツだし。この上に着るのが何か欲しい。
にいちゃん、オレが裸でうろちょろしてたら怒るからなぁ。せめて俺の前でだけにしろ~って、そもそもオレがにいちゃん以外のところに行くわけねぇのに。
オレが昔の事を思い出していると、更に受付のお姉さん、受付嬢の話は続く。
「それと、あなたの……えぇっと、わたしはこの文字読めないんだけど、『サワ フウカ』が名前だったかしら」
「名前はフウカだぞ。サワは苗字」
「苗字……家名とはまた違うのかしら、不思議な名前ね、近隣国の名前でもない……詮索はよしましょうか。
えー、フウカくん、あなたの武器は何かしら」
「オレのぶき? オレ、ぶきなんて使ったことねえ」
「あら? でもスヴェーラを持ち込んだわよね。あれはどうやって倒したの?」
「スヴェーラって、あのワームだよな。あれは地面からドーンってでて来たとこをな、おもいっきりけったんだ」
「けっ……ふ、フウカくん、そういうタイプの戦いをするの、なるほどね。てっきり何か強力な武器でも持ってるのかと……。
それ、後で見せてもらう事は出来るかしら。正確な戦闘能力は図っておかなければならないの」
「ん、わかった」
すらすらと手元の紙に何かを書いて、それを一度机に伏せる。オレもそれを眼で追ったけれどそこにあるのは良く分からないミミズ文字。やっぱり読めない。
「じゃあ、そうね……あとはちょっとした儀式、軍に入った人には必ず行っている行事みたいなものを行うわ」
「……なにするんだ?」
儀式、その大層な響きに少しだけ身を固くする。それに気が付いたのか受付嬢は、人受けが良さそうな笑みを浮かべながら目の前で手を振る。
「そんな身構えなくても大丈夫よ。ちょっとした誓いみたいなもの、この国特有のね」
そういうと受付嬢は立ち上がり、豊かな胸元に取り付けられた簡易なポケットから一個の短剣を取り出した。
「大丈夫よ。刃は潰してあるわ」
妙に豪華な装飾が施された立派な短剣。鞘を抜き放つとそこから出て来たのもやはり豪華な刀身。
黄砂色に輝く金属部分には蛇が絡み合ったような文様、その頂点には人型が剣を差し向けている姿。
穴のような窓から差し込む光を受けて輝くそれは、刃を潰しているとはいえどことなく威圧感が漂うものだ。
「フウカくんは何もしなくて大丈夫よ。この国の挨拶とか知らないでしょう?」
「……おう」
「じゃ、始めるわね。少しだけ下を向いて」
別に逆らう必要もなかったオレは、その言葉に素直に従う。
少しだけワクワクするな。そう思って黙っていると、頭のつむじの部分にひんやりとした感触を感じた。
ふぅ、と一息、受付嬢の息遣いが聞こえ、次には妙に堂に入った、威厳豊かな声が聞こえて来る。
「帝への忠誠は必要なく、帝への妄信はあってはならぬ、汝らが枷になる事こそ最大の侮蔑なり。
至高なるは武技、愚かな金銀は刃とせよ。力に溺れず邁進を続けよ、帝はそなたらの天で立つ」
つむじの刀身は、続いて頬へと触れた。
「肉を食え、土を食え、水を飲め、血を飲め。ただ血潮に溺れるな。汝らは戦士である。
生きる為ならばあらゆるものを糧とせよ。命を賭した相手への敬意を忘れず、流された一縷を秘めよ。
人ならざる者へも例外はなく、その一部を貰い受けよ」
頬から刃が外される。今度は首だ。
「善なる心、悪なる心。我らには等しく同じである、ただ穢れさえなければ須く赦されよう。
欲に塗れようが力こそ至高、善悪を超えた真理を求めよ。
追及に到達はあり得ぬ、道を外れる事もあり得ぬ。死に瀕して初めて後悔をせよ。
我らが本質は闘争なり、穢れとは真に愚かであると心得えるべし」
ナイフの冷たさが身体から離れていった。次から次へと唱えられる言葉の数々の意味は全く分からないけれど、何だかすっごく『儀式』って感じがする。
「……はい、これで終わりよ。もう頭を上げて大丈夫」
「なんだったんだ、いまの」
「面倒よねー、軍に入るなら全員がこれを誰かにされないといけないのよ」
やれやれと肩をすくめ、短剣を懐に戻した受付嬢。代わりに取り出された小さな金属片を渡される。
「これ、仮の身分証明書ね。後々何かしらの任務を受けて達成が確認されれば改めて自分のものが発行されるわ」
「ニンム……それ、たたかえばいいのか?」
「まあ、そうねぇ。それ以外の雑用もあるけど、大体は外で何かしらの魔物の討伐がメインかしら。
子細は後で説明するとして……そうね、次は武器でも買って来なさい。あなたは見たところ、最低限の武器と防具で敵を打ち砕く拳闘士の類で合ってるわよね。
殴るにしろ蹴るにしろ、手足を守るプロテクターはあった方が良いわよ。それも服と一緒に買って来なさい」
確かにそうかもしれない。まず道場で教えられたのも、拳の握り方だったり、そういう怪我をしない方法ってのを真っ先に教わったし。
うん、よし、そうしよう。オレのこの後の予定は決まったな。……あ、そうだ。
「そーいえば、オレがもってきたやつあるだろ」
「ん? ああ、そうね。立派で美味しそうなスヴェーラだったわ」
「おいし……? あのよ、あれの肉……心臓とかってのこってるか? あったら食いたい」
「うん、多分まだ残ってるはずよ。けど代金は払っちゃったから……あ、でも満額で支払ってないんだっけ、じゃあ支度金と一緒に渡すわね。じゃあ戻りましょ。カウンターにいらっしゃい」
そういって立ち上がる受付嬢。オレも話は終わったと椅子から退けて、一緒に部屋から戻っていった。




