独りの朝食
二階建ての岩造りの宿、簡素ながらも丈夫な在室の廊下にはカーペットが敷かれていて、砂で汚れて消えないシミが幾つも付いている。
階段を降り、下の食事スペースへたどり着くと、奥から声が聞こえて来た。
「おはようさん! いま朝食出来上がったからさっさと座りな!」
「……なんでオレきたってわかったんだ?」
昨日受付してくれたおばさん、いや、宿の女将の声。
森を歩く癖で足音を消していたはずなのにな……。
「でも、強そうだったしな」
オレは昨日見た女将の姿を思い出す。
灰色の髪の毛にシュっと引き締まった身体つき。今朝の女の子と同じように露出したへそ部分は、女性ながら腹筋が割れていた。
明らかに戦いを知っている人の身体だ、あの門番の言っていた言葉、そして資料室で聞いた事柄は本当なんだ。
ユーミリァ帝国は国民皆戦士。戦いを知らない者はこの街にいる資格はないと。
じゃああの子もそうなのか? そうなんだろうな。
「あっ、お客さん起きたんだ!」
「……さっきの」
「そっ。……あれ? キミ服着てる? ……あ、着てた」
「なんだ、おまえ」
また話しかけて来た。階段からは次々他の客が下りて来るのに、こいつは何故かオレの隣に居る。
きちんとしたイスとテーブル。木製のそれには所々罅が入っていて、それと同じくらいの修繕された跡。
長く使ってきたことがすぐにわかる、けどあまり大切に使っているわけではないようだ。
「ダメだよー、服はちゃんと着ないと。男どもはさぁ、服が暑いとか動きにくいとかなんとか言ってすーぐ脱いじゃうんだから……、あ、でもお客さん、その首輪ってなんでしてるの?」
「なんでもいーだろーが」
教える必要もないし教える気もない。オレとにいちゃんの繋がりはオレだけのもので、ひけらかすものじゃない。
でもこれ目立つかもしれねえよなぁ……ま、無視すりゃいいけど。
それ以前にさっきから視線を感じる。周りの奴らの視線だ。そりゃあ今この場で喋ってるのってコイツだけだしな。
それと一緒にいるオレに視線が集まるのも当たり前だ。迷惑な話だけど。
「えー、教えてよお客さぁん。あっ、あたし知ってる! 外の世界ではお金持ちが貧乏人を捕まえて、奴隷ってのにするんでしょ!?」
「は?」
「お客さんってボロボロの格好してるしぃ、もしかしてどれ──」
そこまで言いかけて、厨房の奥から大声が掛かる。
「ルーナ! 手伝いもしないで何してんだい! 戻って来たなら仕事しなっ!」
「えー! いいじゃないのよー、せっかく帰って来た娘を労わる気ないわけぇー?」
「寝言抜かしてるんじゃないよ! ほらっ、配膳!」
「んぁー! じゃ、じゃあねお客さん、またあとではなそっ!」
「やだ」
強い命令口調に一瞬だけ肩をすくめ、ドタバタとその場から慌ただしく駆けて暖簾の奥へと消え去った。
後には数人だけの他の客とオレだけが取り残される。別段誰かが話かけてくるわけでも無く、先ほど話しかけられていたオレに対する興味も失せたのか思い思いに朝のひと時を過ごす。
「……いーにおいだな」
奥から漂ってくる香ばしい匂い。何かの肉か、香辛料か……とにかくオレの食欲をそそる匂いだ。
にいちゃんが焼いてくれた肉とか、色々な山菜とか。そういう食事ばっかりだったから、手の込んだ料理ってのは本当に久しぶり。
今まで感じていなかった確かな文明の香り、けどそれに興奮していたのか冴えていた思考も時間と共に徐々に慣れてきて、ぼんやりとした眠気がまたオレの頭を包み始める。
そんな中、また慌ただしい足音が聞こえた。
「はいっ、お客さんの朝ごはんだよ!」
「またオマエかよ、ひまなの?」
「あー、ひどーい! あたしは仕事してるだけですぅー!」
「ルーナぁ! 早く戻ってきて運びな!」
「よばれてんぞ」
「もぉ……母さんったらせっかちなんだからぁ」
いや、せっかちも何も料理冷めちまうじゃねえかよ。
オレの目の前のテーブルに置かれたのは、何やら香辛料が振りかけのように掛かっていて、ソースに浸されている焼いた肉の塊。
さっき感じた良い匂いはこれなんだろう、焼かれた肉の茶色に混じる焦げ色がなんともおいしそうだ。
その隣には木のカップ、中に入っているのは薄黄色のスープで少し油が浮いている。具はあんまり入ってなさそうだけど、これも美味しそう。
肉の皿の端には木製のフォークのような食器が置かれている。これで食うのか。
店の奥から女将のおばさんが現れて、両手に料理を持ったまま客の前に行くと次々料理を持っていく。その後ろからちょこちょこ付いていきながら料理を運ぶのはあの少女。
あ、こっちを見てウィンクした。
「なによぉお客さん、そんなにあたしを見てぇ」
「……はぁ」
「なによそのため息!」
「ルーナ……あんたねぇ」
いや、だってウザいもん。自分のペースを押し付けてくるような奴嫌いなんだ。
それより今はこの料理だ。食って良いのかな、周りを見渡すと、配られた客たちは既に肉を頬張っている。
……やっべ、腹減って来た。早く食お。
「いただきます」
フォークで肉を突き刺すと、中からは湯気とより強くなった香りが漂ってくる。
溢れる唾を呑み込みながら、一口サイズに千切り取った肉の塊を一口に収めた。
「……っ、うま」
ピリリと効いたスパイス、口の中で溢れる肉汁。肉の味は癖が強いけどスパイスがそれを打ち消し昇華させている。
思わず漏れた声は心からの本心で、久方ぶりに食べた『料理』の味に酔いしれそうになった。
肉をしっかり呑み込んで、隣の木のカップに入ったスープで口の中を潤す。強い塩味と初めての風味が鼻を抜けていく。
具材はほぼあって無いようなもの、何かの穀類が底の方に溜まっている、強いて言うならスパイススープ。けど肉のおかずとしてはぴったりだ。
「はぐっ、んむ、んまぃ……」
最初は大きく感じた肉の塊も、今となっては小さいとすら感じられる。
中心に通っていた太い骨。太骨から伸びる骨と骨のつなぎ目の軟骨を剥がして食べればコリコリとした食感が楽しくて、細かい骨は無いから食べやすい。
豚肉でもないし牛肉でもない、何の肉かは知らないけれど、美味しいんだから何でもいい。
「んくっ……ぷはぁ」
たっぷり十分時間を掛けて味わって食べ切ると、丁度腹八分目くらい。オレは程よい満腹感に、腹に手を当て天井を見上げた。
オレの所持金は銀貨三枚と銅貨五枚、この宿は一日銅貨五枚。銅貨十枚で銀貨一枚だから、オレはあと七日間ここで飯を食う事が出来るわけだ。
確かにこの宿には風呂は無いし、ただ部屋とご飯が出るだけだ。けど十分すぎるとオレは思う。
それでもオレは幸せを感じない。満足感は感じるけど、決定的に足りないんだ。
「……ごちそーさま」
にいちゃんと一緒に、食べたかったな。
オレの想いはそれだけだった。




