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月の戦姫と金星の浮遊都市  作者: 川越トーマ
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農作業

 ナグリ・ユウジが薄暗いトンネルのような道路の横に設けられた階段を五〇段ほど上ると明るい地上に出た。蒸し暑く汗ばむような陽気で空は白く輝いていた。

 金星の浮遊都市ビーナスシティは、直径約二キロの巨大な球体で、金星の二酸化炭素の濃密な大気中を浮遊していた。

 二酸化炭素に比べて人類の生存に適する酸素と窒素の混合気体は軽い気体であるため、浮遊都市は巨大なガス気球の様に金星の大気の中に浮かんでいた。

 金星の地上は摂氏五〇〇度、九〇気圧の過酷な環境だったが、ビーナスシティが浮遊している高度五〇キロ付近では気圧は一気圧で気温も摂氏〇度から五〇度の範囲内だった。

 浮遊都市内部にいると感じなかったが金星のジェット気流は極めて強烈だった。

 ビーナスシティはそのジェット気流に乗り赤道付近を時速一〇〇キロ近いスピードで移動していた。

 その結果、ビーナスシティは金星を約三六〇時間で一周し、約一八〇時間(約一週間)の昼と夜を交互に繰り返していた。

 当然人間は一日三六〇時間(約二週間)の生活には順応できないので、一日二十四時間の地球時間を採用し、太陽の見た目の運行とは関係なく生活していた。

 ちなみに金星の自転周期は二八〇〇時間、一一七日であり、強烈なジェット気流がなく、金星の自転に合わせて一日が送られるとしたら、一日二八〇〇時間(約四ヶ月)となってしまう環境だった。

 ビーナスシティを形成する球体の上半分以上は日差しが差し込む透明なドームとなっていて地上には水辺や耕作地が広がり、地下は居住区をはじめとする生活施設になっていた。

 地下居住区からの階段の出口はドームの一番外側を占める幅五〇メートルほどのドーナツ状の貯水池のすぐ近くにあった。

 貯水池は水深一〇メートル以上あり食用の藻類やテラピアなどの淡水魚を養殖していた。

 貯水池の内側は幅二〇〇メートルの水田、さらにその内側は幅二五〇メートルの畑、中央部は直径一〇〇〇メートルの果樹などを栽培する森となっていた。

 貯水池の淵から森に向かって一直線に伸びている道路は全部で六本あり、一番外側では隣の道路と一キロ近い間隔があった。

 ナグリ・ユウジは両脇が用水路になっている幅一〇メートルほどの道路を森に向かって急ぎ足で歩き始めた。

 すでに前方には農作業用の服装をした人が何人か歩いており、両脇の水田では稲が大きく育っていた。


「毎日毎日巣穴から出てきてせっせと働くなんて、昔絵本で見た働きアリだよ、まるで」

 収穫が終わったトマトの苗を引っこ抜きながら、ナグリ・ユウジと同じ年頃の若い男がぶつぶつと大きな独り言をしゃべっていた。

 ユウジよりも少し小柄でぽっちゃりしており、黒い髪はきれいに切りそろえられて手入れが行き届いていた。

 目じりが少し垂れ気味で優しい雰囲気だった。

「その絵本じゃアリは幸せになったんだろ。ハオユー」

 麻の袋に引っこ抜いたトマトの苗を入れながら、ユウジは愚痴る友人に声をかけた。

「アリがのんびり幸せに暮らしたのは寒い季節になってからだよ。ここじゃあ、年中あったかいじゃない。つうことはあれよ、俺たちゃ、ずうっと働き続けなきゃいけないってことよ。ユウジ、だいたいお前は、よく飽きもせず朝から農作業してるよね」

 リュウ・ハオユーは機関銃のように早口でまくし立てた。

 のんびりした語り口のユウジとは対照的だった。

「お前だってやってるじゃないか、農作業」

「好きでやってるわけじゃあないよ。いったい誰だろうね朝は全員で農作業なんて日課を決めたのは! 午後はさらに別の仕事があるなんて考えられないよ」

「仕方ないだろ、人手が少ないんだから」

「俺、ネットで調べたんだけど、この村の人口の三五〇人て飛行機一機に乗れちゃう人数らしいよ」

「まあ、この村自体が乗り物みたいなもんだからな」

「乗り物といえば、やっぱり地球との定期船のパイロットになるのが一番だね。そうすれば、この畑仕事から解放される」

「パイロット志望なのは、それが目的なのか?」

「違うね。いろいろあるメリットのひとつであることは確かだけど、それだけじゃあないよ。このクソ田舎から外に出られるっていうのが一番だね。ユウジ、ビーチって知ってる? きれいな裸のお姉さんがいっぱいいるらしいよ」

「それ、ビーチの中でもかなり特殊な場所だと思うよ」

「いやあね。ハオユーったら、いやらしい」

 隣の畝でトマトの収穫をしていたニーナ・ラクロアが思わず口を挟んだ。

 今までのやり取りを聞いていたらしい。

「うるさいな! 男のロマンだよ。男のロマン! 逆に正直者と賞賛して欲しいね」

 ハオユーはニーナのほうに近寄りながら、まくし立てた。

「近寄らないで! スケベがうつるから」

 ニーナはちょっと体を引くと頬を膨らませた。

「そこ、くっちゃべってねえで仕事しろ! 仕事!」

 ニーナとは反対側の畝で収穫後の苗を引き抜いた後の畑を鍬で耕していた恰幅のいい年長の男が、ガラガラ声を響かせた。

 ウェーブのかかった赤茶色の髪は肩にかかるほど長く、彫が深く、眼光の鋭い男だった。

 彼の名はグスタフ・エンゲルス、地表探査船の船長だった。

 船といっても濃密な二酸化炭素の大気の中を航行する飛行船のような潜水艦のような船だった。

 ユウジとハオユーは、現在、乗組員が四名しかいないその船の乗員見習いをしており、午後は彼の元で働く予定になっていた。

 二人とも恒久的に地表探査船の乗組員をするつもりはなかった。

 二人の夢は地球との連絡宇宙船の乗組員になることだった。

「ユウジ、あの船長、絶対、地球で二~三人ぶっ殺して居場所がなくなって仕方なく金星に逃げてきたに違いないよ」

 エンゲルス船長の名誉のために説明するとハオユーのこの発言は事実ではなかった。

 横暴で柄は悪いが実は惑星物理学者であり、研究のためにビーナスシティに移住してきたのだった。

 気のいい奥さんとちいさな娘さんもいた。

「聞こえてるぜ。ハオユー」

 巨体に似合わずグスタフ・エンゲルスは音もなくリュウ・ハオユーの背後に忍び寄っていた。

 ハオユーが振り返った瞬間、彼はグスタフの大きな手で頭をわしづかみにされていた。

「はう……」

 恐るべき握力でこめかみを締め付けられているらしい。

「人を犯罪者のように言わねえでくれるか。それとも何か? 自分が被害者になってでも俺を犯罪者に仕立て上げたいのか?」

「いたたた、滅相もありません、旦那。何かの聞き間違いでは……」

 グスタフはハオユーの頭をわしづかみにしたまま彼を持ち上げようとしていた。

 ハオユーは爪先立ちになっていた。

「まあ、いい。ちゃんと仕事しろよ」

 グスタフはハオユーを離すと持ち場に戻っていった。

「いたたた、訂正する。あの船長、地球で二~三人半殺しにして金星に落ちのびたに違いないよ」

 ハオユーはこめかみをマッサージしながら小声でユウジに向かってつぶやいた。

「ほんと、お前って懲りない奴だな。」

 ユウジは呆れた。


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