【第111話】「戦闘のあと」
【第111話】「戦闘のあと」
ヴェルドラコン銀河帝国・帝都――帝都外縁軌道複合施設 → アストレオン・ヴェロリア
戦闘は、勝利を告げる声もなく終わった。
勝利を知らせるサイレンはない。
パレードもない。
何かを勝ち取ったのだと、指揮艦橋から告げる通信もない。
残されたのは、金属片の残骸。
ゆっくりと消えていく真空中のプラズマの軌跡。
戦闘能力を失った数隻の攻撃艇。
そして、より安全な軌道回廊へと再び誘導されていく数十本の民間航路だけだった。
アストレオン・ヴェロリアは、まだそこにいた。
しかし、船体はまだ元の姿には戻っていない。
戦闘装甲は、いくつかの箇所で展開されたまま。
主兵装アレイも、依然として即応態勢を維持している。
防衛ドローンは、船体の外側に展開されたまま。
そして6層のシールドも、低出力ながら稼働を続けていた。
指揮艦橋で、紬は何も言わずに座っていた。
目の前では、戦闘後のデータが更新され続けている。
ASTRAEON VELORIA――戦闘後ステータス
コンバットモード: ACTIVE
主要脅威: 撤退中
民間人保護契約: ACTIVE
民間航路: 安定化中
船体完全性――100%
シールド層1――91%
シールド層2――86%
シールド層3――74%
シールド層4――68%
シールド層5――61%
シールド層6――58%
ポイントディフェンス――96%
戦闘ドローンネットワーク――97%
主兵装システム――稼働中
FTLコア――稼働中
航法コア――稼働中
整備制限――なし
民間人死傷者: 確認済み死亡者0名
民間人負傷者: 軽傷7名
敵側死傷者: 最終確認待ち
紬は、最後の一行をしばらく読み続けた。
「セラフィエル」
「はい、紬?」
「すべての外部システムの安全が確認できたら、コンバットモードを解除して。戦闘が終わったからって、急ぐ必要はない」
「すでに解除シーケンスの確認を開始しています。ただし、まだ完全には離脱していない攻撃艇が存在するため、一部の防衛ドローンは引き続き外周警戒を維持しています」
「安全になるまで、そのままでいい」
「承知しました」
紬は背もたれに身体を預けた。
ようやく今になって、今日という一日がどれほど長かったのかを実感する。
負傷したからではない。
船が損傷したからでもない。
むしろ、その逆だった。
アストレオン・ヴェロリアは、ほとんど意味のある損傷を受けていない。
疲れたのは、判断だった。
画面に赤い点が現れるたび、その向こうには人間がいる可能性がある。
武器を撃つたび、その破片が別の船に当たる可能性がある。
そして撃たないことを選ぶたび、敵に隙を見つけられる可能性がある。
船長であるということは、常に正しい答えを知っていることではない。
時には、他人を墓へ送る可能性が最も少ない間違いを選ぶことだけなのだ。
セラフィエルが、紬の隣に立った。
「紬」
「何?」
「コンバットモードは解除段階へ移行しました。主兵装システムは、段階的に秘匿構成へ戻ります」
紬が彼女を見る。
「どれくらい?」
「全システムの完了まで、およそ6分40秒です。ただし、船内の大部分はすでに通常運用へ戻せます」
「分かった。終わったら、船内を全部確認して。あとで出発してから壊れてるものがあるって知るのは嫌だから」
「全域点検を実施します」
紬は立ち上がった。
「飯、食べたい」
セラフィエルが微笑む。
「戦闘後の船長の最初の判断は、やはり食事に関係するものだと思っていました」
「ずっとここに座ってたから」
「それについては、私も異論ありません」
紬は指揮艦橋を後にした。
その背後では、先ほど帝都全体を沈黙させた兵装システムが、再び収納され始めていた。
装甲パネルが1枚、動く。
エネルギーアレイが1基、船体内部へ収まる。
ミサイルランチャーが船体構造の奥へ消える。
ドローンが格納庫へ戻っていく。
アストレオン・ヴェロリアは、ゆっくりと姿を変えていく。
別の船になるのではない。
かつての顔を、再び身につけるように。
豪華な宇宙船としての顔を。
まるで、先ほどの戦闘など最初から存在しなかったかのように。
グランド・サロン――アストレオン・ヴェロリア
紬がグランド・サロンへ入ると、予想していたものより遥かに普通の光景が広がっていた。
レアが食事をしている。
少し食べている、という程度ではない。
本当に、重労働を終えた人間のようにしっかり食べている。
ランは、いくつものデータ画面を目の前に展開していた。
カリスタは、技術端末に向かって何かを文句を言っている。
ヴェスペラは軌道図を読んでいる。
そして、解除処理の一部を終えたばかりのセラフィエルも、いつもの本体の姿で少し遅れて姿を現した。
紬は立ち止まった。
「お前たち……」
レアが顔を上げる。
「あ、船長。食事ですか?」
「今、そう言っただろ」
「それなら、座ってください。もう全員分、注文してあります」
紬は椅子を引いた。
「これだけ大きな戦闘のあとで、まだ食事のことを考えてたのか?」
レアは食べ物を口へ運んでから答えた。
「だからこそです。戦闘中にお腹が空いていたら問題です。戦闘が終わっても空腹なら、それも問題です。だから、今のうちに解決しておくのが一番です」
カリスタが笑った。
「理屈としては変ですが、結果については否定できませんね」
ランは画面から顔を上げない。
「私は、コンバットモード使用によって発生した追加運用費を計算しています」
紬の手が、食器を取るところで止まった。
「大きな数字は言わないで」
ランがようやく顔を上げた。
「まだ計算が終わっていませんので、先に怖がらせるつもりはありません。ただ、追加エネルギー消費、ドローン使用量、兵装システムのメンテナンス、シールドアレイの点検、それから外装構造の検査があります」
カリスタがすぐに割り込んだ。
「それらは私が、出発準備完了と言われる前に全部確認します。インジケーターが緑だからって、アクチュエーターの1つくらい壊れたままにするつもりはありませんから」
紬は食事を始めた。
「全部確認して。途中で問題が出るのは嫌だ」
ヴェスペラが航法画面を横へずらした。
「もう1つあります」
「何?」
「戦闘後、帝都の軌道航路がかなり変更されています。いくつかの回廊は、まだ制限中です。出航許可が下りても、以前の航路をそのまま使うことはできません」
紬がため息をつく。
「だよな」
レアが笑った。
「船長、まるで請求書を見た人みたいな声ですね」
「もっとひどい。これは官僚手続きだ」
ランが笑いを堪えた。
「請求書より難しいんですか?」
「ずっと難しい。請求書なら、少なくとも数字がはっきりしてる」
セラフィエルが席についた。
「私も紬に同意します。官僚手続きでは、支払いをする前に数字そのものが変わる場合がありますから」
カリスタが振り向いた。
「セラフィエル、そこに便乗しないでください」
「私は観察結果を述べただけです」
しばらくの間、彼女たちは細かな話を続けた。
食事。
ヴァルキリーの状態。
次の航路。
メンテナンス。
政治の話はない。
公爵家の分析もない。
先ほど無力化した艦隊についての議論もない。
不思議だった。
数十分前まで、彼らは戦闘の真っ只中にいた。
それが今は、同じテーブルで食事をしている。
外から見れば、理解しがたい光景かもしれない。
しかし、アストレオン・ヴェロリアの住人たちにとっては――
これこそが、彼らの生活だった。
働く。
戦う。
帰る。
そして、食べる。
紬はグランド・サロンを見回した。
ほんの一瞬だけ、すべてがいつも通りに戻ったような気がした。
そのとき。
自動ドアの音が響いた。
カイラが入ってきた。
ドラゴンキンの彼女は、テーブルから数歩離れた場所で立ち止まった。
すぐには座らない。
その視線が、まず部屋全体を見回した。
グランド・サロン。
食卓。
大きな窓。
豪華な内装。
ほんの少し前、この場所が戦闘の中心だったとは思えない。
カイラは紬を見る。
「星崎船長」
紬は空いている椅子を指した。
「食べるなら座れば」
カイラは少し黙った。
「先ほどの出来事のあとで、食事に誘われるとは思いませんでした」
「なんで? お前も戦い終わったばかりだろ」
カイラは、ようやく席についた。
「アストレオン・ヴェロリアの戦闘能力を見たあとなら、船内はもっと緊張した空気になると思っていました」
紬は飲み物を手に取った。
「なんで? 船は同じ船だろ」
カイラはすぐには答えなかった。
もう一度、周囲を見渡す。
「そういう意味ではありません。コンバットモードが起動している間、私はこの船を別の角度から見ていました」
レアがすぐに口を挟んだ。
「私もです。船体の中から、あれだけ大量の兵装システムが出てくるなんて、まだ処理しきれてません」
カリスタがレアを見る。
「あなたも? 私はもっと大変ですよ。ずっとこの船を点検してきたのに、まだあんなに大量の秘匿システムが残っていたんですから」
セラフィエルがグラスを持ち上げた。
「いくつかのシステムは、制限構成に設定されています」
カリスタが鋭い目を向ける。
「つまり、あなたは知っていた?」
「もちろんです」
「それで私には一度も教えなかったんですか?」
「船内全員に戦闘構成を説明するよう、私は命令を受けていませんでした」
カリスタは黙った。
そして箸でセラフィエルを指す。
「その言葉、覚えておきますからね」
セラフィエルは微笑んだ。
カイラは思わず笑いそうになった。
しかし、紬を見ると再び真剣な表情になった。
「紬さん。先ほどの戦闘について、1つ言わせてください」
「言って」
「私はこれまでにも戦闘艦を見たことがあります。要塞艦も、軍用空母も。しかし、アストレオン・ヴェロリアは違います」
紬は答えない。
カイラは続けた。
「兵装の数が理由ではありません。私が強く印象に残ったのは、その使い方です。あれほど巨大な艦なら、あの指揮巡洋艦を一撃で破壊することもできたはずです。それなのに、推進系統と通信、そして指揮ネットワークだけを切断した。あなたは、相手に降伏するか撤退する余地を意図的に残した」
紬はゆっくりと食事を続ける。
「船を破壊したら、破片が民間船に当たる可能性がある」
「分かっています。私が言いたいのは、そこです」
カイラは真っ直ぐに紬を見た。
「それほどの力を持っている人が、あえてその力を抑えている。今なら、セラフィエルがなぜあなたの命令にあれほど厳密に従うのか、少し分かる気がします」
セラフィエルは何も言わなかった。
紬は、ただ答えた。
「必要がないなら、殺したくないだけだ」
カイラは頷いた。
「覚えておきます」
過剰な称賛はない。
空虚な憧れもない。
ただ、1人の戦闘専門家が、別の船長の判断を認めていた。
カイラは、今度はレアを見る。
「それと、レアさん」
レアが食事を止めた。
「はい?」
「ヴァルキリーはかなり攻撃的でした。それでも、制御はかなり正確でした。何度か目標を追える状況だったのに、あえて追撃を抑えていましたね」
レアは大きく笑った。
「船長にそう言われたんです。面白そうな相手を全部追いかけてたら、私はもうここからずっと遠くに行ってるでしょうから」
紬がレアを見る。
「禁止しなかったら、お前がそうするのは分かってる」
「そこについては、否定しません」
カイラは薄く笑った。
彼女がこの船へ来てから初めて、本当に肩の力が抜けたように見えた。
だが、そのとき。
セラフィエルが通知を受け取った。
「紬」
「ん?」
「外部システム全域の初期点検が完了しました。重大な構造損傷はありません。ただし、帝都を離れる前に手動点検が必要な箇所がいくつかあります」
カリスタがすぐに立ち上がった。
「私が確認します」
紬が彼女を見る。
「時間を忘れて働くなよ」
「分かっています。でも、コンバットモードによって温度が変化した箇所があるなら、自分で確認したいんです」
「分かった」
カイラは、その会話を聞いていた。
そして、あることに気づいた。
彼女たちは、本当にいつも通りに戻っている。
誰1人として、戦闘後の英雄的な空気を維持しようとはしていない。
誰も英雄のように話さない。
ただ、同じ船で暮らす人間へ戻っている。
カイラは、少しだけ頭を下げた。
「今なら分かります」
紬が振り向く。
「何が?」
「あなたが、アストレオン・ヴェロリアを家と呼ぶ理由です」
紬は一瞬だけ黙った。
カイラは、それ以上何も言わなかった。
言う必要もなかった。
エウフォリア医療研究所
船の別の場所では、空気が違っていた。
セレネはオーレリアの診察台の隣に立っていた。
オーレリアはすでに完全に意識を取り戻し、落ち着いて座っている。
大きな外傷はない。
戦闘による身体的な損傷もない。
それでもセレネは、彼女の身体を徹底的に検査していた。
セラフィエルが医療画面にデータを表示する。
オーレリア・ヴェイリエン――事故後医療再評価
神経学的安定性――99.1%
代謝安定性――99.3%
細胞修復活動――99.6%
組織完全性――99.6%
急性ストレス反応――上昇
異常神経活動――なし
心血管系不安定性――なし
低温睡眠合併症――検出されず
現在の評価: 安定
セレネは、そのデータを何度か読み返した。
そしてオーレリアへ視線を向ける。
「今の体調はいかがですか、オーレリア様?」
「大丈夫です、セレネさん。少し疲れているだけです」
「先ほどのような状況のあとなら、それはまだ自然な反応です。生理学的に気になる兆候は見当たりません。ただ、もう1つ確認したいことがあります」
オーレリアは頷いた。
「どうぞ」
セレネは追加検査を開始する。
システムが細胞反応をスキャンする。
代謝。
組織調節。
ナノメディカル・メンテナンスへの反応。
そして結果が表示された。
セレネは黙った。
オーレリアが彼女の表情を見る。
「何か問題があるのですか?」
「いいえ。だからこそ、少し困っています」
セラフィエルが近づいた。
「異常ですか?」
セレネはデータを拡大する。
「病的な異常ではありません。ただ、ここを見てください」
細胞反応
標準的な低温睡眠回復パターン:
回復安定化 → プラトー → 緩やかな適応
オーレリア・ヴェイリエン:
回復安定化 → 継続的適応 → 二次的最適化
パターン偏差: 検出
病理学的指標: なし
現在の生体安定性: 99.4%
オーレリアは画面を見る。
「これは、どういう意味ですか?」
セレネは診察台へ片手をついた。
「まだ結論は出せません。ただ、あなたの身体は低温睡眠から回復した状態を維持しているだけではありません。今いる新しい生物学的環境に、まだ適応を続けています」
「危険なのでしょうか?」
「今のところ、その兆候はありません。むしろ安定性は非常に高いです。ただ、私が知っている標準的な低温睡眠回復とは異なるパターンです」
セラフィエルが尋ねる。
「その反応は、外傷が原因である可能性は?」
セレネは首を横に振った。
「一致しません。外傷なら通常、変動が出ます。オーレリアさんのデータは、それにしては安定しすぎています」
「アストレオンのナノメディカル・メンテナンスは?」
セレネは黙った。
「関与している可能性はあります。ただ、医療技術が私の知る標準と違うからという理由だけで、原因だと断定したくありません。比較対象となるデータが必要です」
オーレリアは2人を見る。
「つまり、私の身体はまだ変化しているのですか?」
セレネは言葉を慎重に選んだ。
「正確には、まだ適応を続けているということです。損傷の兆候はありません。現時点で、この過程があなたに害を与えていることを示す指標もありません。ただ、以前お話しした通り、この変化は今後数か月にわたって継続的に観察したいと思います」
オーレリアは安堵の息を吐いた。
「それなら、心配しなくてもいいのですか?」
「慌てる理由はありません。ただ、体調がいいからといって検査を無視しないでください。身体は、変化が明確になるまで警告を出さないことがあります」
オーレリアは微笑んだ。
「分かりました。検査の予定には従います」
セレネも微笑み返す。
「ありがとうございます。そのほうが私の仕事もずっと楽になります」
セラフィエルはグラフを見つめる。
「新たに変化しているパラメータについて、監視感度を上げることができます」
セレネが彼女を見る。
「それは助かります。ただし、1つ条件があります」
「どうぞ、セレネさん」
「オーレリアさんの生体変化に関するデータは、患者本人の同意なしに他の目的へ使用しないでください。公爵家でも、帝国医療行政でも、それ以外の誰であっても関係ありません。患者の身体に関わることである以上、そのデータをどう扱うのか、患者本人が知る必要があります」
セラフィエルは、すぐには答えなかった。
オーレリアはセレネを見る。
そしてセラフィエルは、静かに答えた。
「同意します」
セレネは少し驚いた。
「すぐに認めるのですか?」
「医療上のプライバシーは、エウフォリア医療研究所のシステムの一部です。紬も、医療上必要な範囲を超えて患者データを使用する許可を出していません」
セレネは画面を見る。
それからオーレリアへ視線を移す。
「この船の医療システムが、なぜ私の知るものと違うのか、少し分かってきた気がします」
オーレリアは小さく笑った。
「私も、まだ勉強中です」
セレネは再びデータへ目を向ける。
1本のグラフが、ゆっくりと動いている。
安定している。
しかし、完全に平坦ではない。
小さな変化が、ずっと続いている。
劇的ではない。
脅威でもない。
ただ、目の前にいる人間の身体が、何か普通ではないことをしている。
それを医師に知らせるには、十分な変化だった。
セレネは検査結果を保存した。
「次回の予定でも、追加検査を行いたいと思います」
オーレリアは静かに答えた。
「もちろんです、セレネさん」
セレネは画面を閉じた。
しかし診察室を出る前に、もう一度そのグラフへ目を向ける。
「これは、単なる回復技術ではありませんね」
オーレリアが振り返る。
「どういう意味ですか?」
セレネは薄く笑った。
「まだ分かりません。だから、今は結論を出しません。観察します」
グランド・サロン――しばらくして
紬は再び席へ戻っていた。
食事は、ほとんど終わっている。
レアはまだ食べている。
ランはまだ仕事を続けている。
カリスタはまだ戻っていない。
ヴェスペラは相変わらず軌道航路を監視している。
セラフィエルはテーブルの脇に座っている。
カイラも、まだそこにいた。
そのとき、メインディスプレイが切り替わった。
コンバットモード
解除――100%
ASTRAEON VELORIA ステータス
戦闘構成――閉鎖
主兵装システム――安全状態
ビームアレイ――収納済み
ミサイルシステム――安全状態
戦闘ドローン――格納済み
モビルフレーム格納庫――閉鎖
シールド――民間構成
公的分類
高級私有宇宙船
現在の状態
稼働中
レアが画面を見る。
「よし。やっと元通りですね」
カリスタがドアから入ってきた。
「完全に、ではありません。私はまだ18ページ分の点検項目を残しています」
紬が眉を上げる。
「18ページ?」
「しかも、これは初期点検だけです。文句を言わないでください。あなたの船は、さっき帝都銀河の前で主兵装を展開したばかりなんです。ボルトの1本まで、まだ自分の居場所を愛しているか確認したいんですから」
レアが笑う。
ランが画面の1つを閉じた。
「最後の一言が技術的なのか感情的なのか、私には判断できません」
「判断する必要はありません。私が確認するまで、点検していない箇所には触らないでください」
紬は飲み物を手に取る。
「分かった。全部終わったら出発しよう」
セラフィエルが紬を見る。
「帝都保安ネットワークが事件後評価を完了したら、出航許可の手続きを進めます」
紬はため息をついた。
「やっぱり、それも残ってるか」
カイラが席を立つ。
「私は公爵家保安局へ戻ります。戦闘について報告し、アストレオン・ヴェロリアが理由なく攻撃したわけではないことを、公爵家にも理解してもらう必要があります」
紬は頷いた。
「事実だけ伝えて。話を盛らないで」
「そのつもりです、紬さん」
カイラは扉の近くで立ち止まった。
そして、もう一度グランド・サロンを見る。
それから、アストレオン・ヴェロリアを。
船は、すでに元の姿へ戻っていた。
豪華で。
静かで。
つい先ほど何が起きたのかを考えれば、ほとんど現実味がないほどに。
カイラは、ようやく理解した。
この船の力そのものが、最も驚くべきものではない。
それ以上に理解し難いのは、その船長だった。
相手を破壊する力を持ちながら――
それでも、相手を止めることを選ぶ人。
カイラは薄く笑った。
「また会いましょう、紬さん」
「うん」
扉が閉じる。
紬は再び食事へ戻った。
レアが顔を上げずに尋ねる。
「船長」
「何?」
「もし本当に帝都を出られることになったら、ヴァルキリーを調整する時間をもらってもいいですか? さっきの戦闘のあと、いくつか調整を試してみたいんです」
「カリスタに相談して」
カリスタがテーブルの向こうから即座に割り込んだ。
「私に相談するのは、あなたがヴァルキリーをさっきまで乗り物として扱っていたのか、おもちゃとして扱っていたのかを確認してからにしてください」
レアが笑う。
「やっぱり、そう言うと思いました」
紬は、ただため息をついた。
あの艦隊が現れてから初めて――
グランド・サロンが再び、家のように感じられた。
しかし、エウフォリア医療研究所の奥では、まだ1本のグラフが動き続けている。
そしてセレネは、あの数値について考え続けていた。
本来なら、あれほど変化するはずのない数値。
オーレリアの回復は安定している。
極めて安定している。
しかし、身体は回復だけで止まっていない。
適応を続けている。
そしてセレネのような医師にとって――
その小さな違いこそが、最も無視しにくいものだった。
【NEXT BAB 112――「医療倫理」】
「医療倫理」
事件後の検査を終えたセレネは、ASTRAEONの技術とは無関係に、患者の権利に関する決断を下す。
オーレリアの生体データは、本人の同意なしに使用してはならない。
紬はそれに同意する。
セラフィエルも、明確なアクセス制限を設ける。
セレネとASTRAEONの関係は、単なる専門家としての好奇心から、信頼へと変わっていく。
そして、別の問いが浮かび上がる。
セレネは、公爵家の一員になることなく、合法的な医療研究のためにASTRAEONとの関係を続けることができるのか。
【第112話へ続く……】




