イレギュラー
「いたな。排除するぞ」
「りょーかいです〜」
上空から確認出来たのは、他の亜人よりも二回り以上も大きな体躯を持つ人馬種。
人馬種がみんなそうという訳ではなく、この個体がそうなのであるため、識別は容易であった。
しかし、体が大きいというだけで群れを統率出来る訳はない。もちろんそれを成せるだけの能力は持っている。
混合種。他の種族の特徴を伴った、いわばイレギュラーと呼ばれる存在である。
だがイレギュラーとはいえ、せいぜい手品が増えた程度の能力上昇しかないため、基本的には少し珍しい魔力源程度の認識しか、紫苑達は持っていない。
だがそれが『上位種』との混成ともなれば話は別だ。
通常、そんなことは有り得ない。
確かにワンランク上の生物を、たまたま偶然倒してしまうことはあるだろう。そしてそれを自らの血肉と変え、さらなる力を得ることも不思議ではない。
だが、ここで言われる上位種とはそんなレベルではない。
正真正銘、本物の化物、『フェンリル』。
『魔狼』と呼ばれる非常に獰猛な魔物である。氷の魔法を使うことが出来、神速の動きで肉を喰い千切るランクAの魔物が、ケンタウロスの下半身にいる。
馬ではなく、狼の下半身を持ったケンタウロス。
白銀の毛並みを隠すこともなく、保護色を嘲笑うかのように晒け出し、倒壊したビル群の間を悠々と歩いている。
紫苑達には、『フェンリル』の詳しい情報は無い。
ただ速いというのと、氷の魔法を使うという程度の情報しかなかった。
故に。
反応が遅れる。
ほんの一瞬のことだった。
目を離してなどいない。しっかりと凝視し、その姿を見失わないように、一撃で首を刈り取るつもりであった。
だが、ケンタウロスは紫苑ですら捉えられない速度でブレた。
背後に強烈な殺意。万物を叩き割る致死の刃が紫苑に迫る。
恐らく、紫苑が人であったならばそのまま死んでいただろう。危機察知能力において、人の本能というのは弱すぎる。
しかし紫苑は人ではない。元来地球に生存していた獣達よりも尚強い、本物の戦場を生き抜いてきた歴戦の猛者の性質が紫苑には宿っている。
後ろを振り返る時間ですらもどかしく、翼を全力で震わせてその場から離脱する。
それでも右翼の半ばから断ち切られていたのだから、その威力の高さが伺える。ドラゴンの鱗を傷付けられる存在など、数えるほどにしかいないのだから。
翼を失った事によりバランスを崩して落下していく紫苑達。
それでも、この程度のイレギュラーで取り乱すほど『DOW』の隊員は甘くない。
花梨が地面に手を伸ばし、風のクッションを作って衝撃を緩和する。
落下エネルギーが相殺され、空中で一瞬静止して地面に降り立つ。
と、すぐに花梨が紫苑に駆け寄った。
「お兄ちゃん、翼が!」
「これぐらいすぐに再生する。それより備えろ、花梨」
上を見上げて紫苑が言う。その視線の先には、紫苑が翼を斬られる直前、尾を使ってケンタウロスの頭上に撥ね上げた秋が。
横に構えた紅の刃がケンタウロスの首筋に迫る。
ただのケンタウロスであれば、確実に仕留められた筈の一撃は、しかしその肌に弾かれた。
――硬化か。
紫苑は瞬時に答えを導き出す。そしてそれは秋も同様だった。
斬撃が効かないのならば次の手を実行する。
「血桜」
己の相棒の名を呼び、それに答えるように刀身が鮮血に変わる。
「鮮花・斬薔薇」
血の刃が秋の周りに形成され、それがケンタウロスへと殺到する。
その全てをその身に受けながらも、一切の擦り傷すら負わずにそれを耐えきったケンタウロス。
しかし秋の目的は攻撃ではない。陽動だ。
硬化能力は、魔物であればその密度に差はあれ、どれでも持っている能力であり、その実態は魔力による身体能力強化の延長である。
一部分のみに魔力を集中して、その耐久性を高めることで攻撃を防いでいるのだ。
だがその能力は持続しない。過負荷による肉体崩壊を防ぐために、数秒程度しかその硬度を維持することが出来ないのだ。再使用には数秒のインターバルを必要とする。
そして、その数秒あれば殺すには充分過ぎる時間がある。
紫苑はその時間を逃さない。
「死ね」
極大にまで魔力を集中させた拳を、ケンタウロスの顔面に叩き込もうとした瞬間――再びその姿が掻き消える。
フェンリルの能力の真価。それはその移動速度もそうだが、何よりもそれを更に凶悪な部類に押し上げる移動可能域にこそある。
つまり、足場が在ろうと無かろうと関係無いのだ。
脚さえあれば移動できる。フェンリルに行けない場所などない。それがフェンリルの能力。
だから紫苑達がここで採るべき最善策だったのは、攻撃ではなかった。
否、確かに攻撃する事は正解であった。しかしそれは相手が反撃することを想定していればの話。
確殺出来ると踏んだ攻撃を避けられた場合、例えどれほどの鍛錬を積んでいたとしても、その後の行動はどう甘く見積もっても一秒はラグが発生する。
反応速度がどうこうではない。本当の意味で予想外の行動を取られれば、その処理に頭が時間を採るのだから。
故に。紫苑はその反撃をまともに受ける事となった。
ハルバードが勢い良く、紫苑の身体を両断せんと振るわれる。
硬化は追いつかない。凄まじい速度で薙がれたそれは、竜鱗を以ててしても止められない威力を秘めていた。
絶望的な状況の中、紫苑は咄嗟の判断を下した。
自分の右手を盾代わりに広げてハルバードへと突き出す。
更に尾と左足、跳ぶ時にブースター代わりに使った左翼までもを重ねて、四重の防御を展開する。
一重目、翼はあっさりと斬り裂かれる。
二重目、尾も難なく斬り飛ばされた。
三重目、足の半ばまでも斬り裂かれながらも。
四重目、右手に深い傷を受けるのと引き換えに、ハルバードを止めた。
ケンタウロスがハルバードを引き抜こうとする。が、それを許す訳もない。
激痛が走るのを無視して筋肉に指令を送り、圧縮させる。
もしもそれが右手だけであれば抜かれていただろうが、ハルバードは足までもを斬り裂いている。それら全てが万力の如く締めあげるのだから、容易に抜けよう筈もない。
それを悟ったケンタウロスが、柄から手を離してその場から離れようとするが、一手遅い。
体を固定してしまえば逃げられることは無い。初撃に躱された鬱憤も含めて、全力の『竜の一撃』を解き放った。
灼熱を纏った破壊の一撃が顔に叩き込まれ、大車輪の如く回転しながら廃ビルを三つ程ぶち抜いて飛んでいくケンタウロス。
ケンタウロスはせいぜい高くてもCランク程度。それは肉体的強度も含めてであるため、この一撃を受ければその肉体を爆砕四散させることは必至であった。
が、そうはならない。フェンリルという魔物と混ざったことでその肉体も爆発的に強化されている。
このケンタウロスに関して言えばおそらくはB、あるいはAにすら届くレベルであろうことは、紫苑の攻撃を肉体を残して耐えきったことで明白になった。
プライドなのか、反射的なものなのか、ハルバードを持ったまま飛んでいったケンタウロスの瞳に、明らかな殺意が宿る。
瓦礫を吹き飛ばして咆哮し、その神速を以て戦闘不能とはいかないまでも、大きなダメージを負った紫苑の元へと跳ぶ。
血のついたハルバードがギラリと輝き、再び紫苑に迫ろうとする。
その時、紫苑の口角が上がった。
瞬間、ケンタウロスの背筋に寒いものが走った。
これはマズイと。野生の本能が訴えた。
しかし既に腕に送られた指令はキャンセル出来ず、三日月の軌道を描き始めた。
世界がスローになる。あらゆる動きがゆっくりと、おかしくなりそうな程ゆっくりと進む。
何かが起こる気配は無い。だが、確実に何かが起こるという、確信めいた何かがケンタウロスの本能を強く刺激し続ける。
そして、世界が元に戻る。
気付いた時には、ケンタウロスはバラバラになっていた。
理解が出来ない。現状を認識出来ない。
死へと向かう道のりの狭間で、ケンタウロスの視界の端に映ったのは少女の姿。
声は聞こえない。
ただ、口元の動きだけが、やけにハッキリと見えた。
――『消えろ』、と。
何を言われたのかもわからないまま、ケンタウロスはその命を閉ざした。