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「何を言う…」
かっとして相手の顔を睨みつけたとたん、冴え冴えと深い瞳に捕らわれる。
「そなたは力でもってよしのを攫った。では、それを貫くしかあるまい。貫くなら、同じく力をもって、よしのを守るがよい」
「守った! 守ってきたのだ!」
俺はあまりな言い草に激怒した。よしのを守り、看病しながら逃げ回った日々、手下共から次々と見捨てられ孤独になっていく日々が一度に頭を過ぎ去った。
「俺は守った! 全てを犠牲にして守ってきたのだ!」
自分の喜びも楽しみも全て捨てて、よしのを背負い連れ歩いた。花が咲けば美しいと言うか、水の側なら気持ちがよいとつぶやくかと、うろうろと歩き回ったこともある。
だが、よしのは、一緒になってから、ついにただの一度も笑ってくれなかったのだ。
いつも静かに目を閉じて、『あなた、もう、よろしいのです』というばかり、側で手を握る俺の目の中一つ覗き込んではくれなかった。たとえ肌を重ねていても。
目頭が熱くなり、頬をだらだらと涙が流れた。
「犠牲になぞ、なってはおらぬよ」
僧はたじろぐこともなく応じた。冷水を浴びせるような声だった。
声の冷たさの奥に、これまで僧のことばの中には含まれていなかった、俺の激情に勝るとも劣らぬ怒りを感じて、思わずことばを呑んだ。
僧は青々と剃りあげた頭を動かしもせず、俺を冷ややかに見下ろしている。
「犠牲になったのは、よしのや手下達のみ。そなたはそなた自身の欲に駆られてよしのを攫った。今、その代わりを払っておるだけのこと。よしのや手下のために死ぬことも拒んだのだからな、仕方あるまい」
「俺が死んだら、どうなる!」
何かにぐいぐいと呑みこまれそうな気がして喚いた。
「よしのは誰が守る!」
「そなたが死ねば、よしのは田島の一人娘だ、大事にもう一度迎えられたことだろう」
「おっ、俺は…」
「第一、ほれ、ここにこうして、そなた一人逃げのびたのは、如何なる理由のためか、言うてみい」
僧は薄く笑った。整った顔立ちが酷薄に見える笑みだった。
「俺は助けを求めに!」
「見るがよい」
僧は目を逸らせ、すいと手を上げ彼方を指した。
「夜明けじゃ」
海の果てから、血に濡れたような朝日がとろとろと溶けながら昇りつつあった。海面に黄金の波が弾けて広がっていく。
「そなたほどの男が、家からここまでの往復、夜明け前までに手勢を連れて戻れると思うたなんぞとは、信じられぬ」
そうだ。
ふいにわかった。
俺は知っていた。
ここまでの距離を往復するためには、もっと早くに家を出なくてはならなかった。手勢を連れて戻り、家で一戦交えても、果たして勝てたかどうか。それよりは、よしのを背負って家を出た方が、より二人で生きられる道となっただろう。
しかし、それでは、追いつかれる心配があったのだ。
『あなた、もう、よろしいのです』
三度、よしのの声が耳の奥で響き、激しい震えが体を襲った。
よしのも気づいていたのだ。
僧に頼んで手勢を連れ、必ずおまえの元に戻ってくる、そう言って家を出た時に。
もう俺はここへは帰ってこないのだと。
それを知って。
それを、知って。
「くそ…坊主!」
俺は吐き捨てた。
まぶたのよしのの顔がにじむ。忘れまいと必死に胸の中に守ってきた、よしのの笑顔が砕け散る。加熱し乱れていく頭の中を、もはや止めようとは思わなかった。
「てめえのせいで、よしのは死んだ! てめえのせいで、よしのが死んだ!」
俺は僧を睨みつけた。溢れ出る涙を拭くこともなく、ぎろぎろと目を剥いた。
「俺はよしのを助けようと、死に物狂いで走ってきたんだ! それをてめえがゴタゴタと! てめえが危ない目に会いたくねえばっかりに! それでも僧か!」
「策は授けた」
相手は水面に葉が落ちたほどもうろたえなかった。
「討たれてこい、と言った」
「そんなことができるかよ!」
「なぜ、できん」
「俺が死んだらよしのが悲しむ!」
「では、命かけて守ってこい」
「もう、遅いんだ!」
「よしのは生きておるかもしれん」
「死んでる!」
俺は激しく頭を振った。その可能性を考えまいとしたのかもしれない。
ひょっとしたら。
頭の中を、田島がやってきたときに、安心したように微笑むよしのの顔が過った。
そうだ、ひょっとしたら、田島が迎えに来たことによしのは安堵さえするかもしれない。もうこれ以上俺と逃げ続けなくてもよくなった、と。俺の思いは結局は独りよがりでしかなかったのだ、と今度こそ思い知らされるのかもしれない。
俺には決して見せなかった、想像の中の安らかなその笑みを振り払うように、声を張り上げる。
「よしのは殺されてる! てめえのせいだ! てめえ、それでも修行者か! 世の中の、悩み苦しみをなくすのが修行者だろうが!」
俺の叫びに僧が一瞬黙った。
俺も口をつぐんだ。乱れた髪が風に舞って、俺の視界をわさわさと遮る。
朝日はどんどん昇り続け、その色を次第にまばゆい白金に変えていく。金の光に照らされていた僧がゆっくりと言った。
「悩み、苦しみなど、世にはない」
凜として、そのくせ、心の奥底に染み入るような、憐れみを含んだ声だった。
「あるのは、そなたが行ったことと結果のみ。どう受け取るのも、そなたの好きようにするがいい」
奇妙に光を入り乱れさせている薄い色の瞳。
まるで、こちらの背中の傷までも、一瞬にして見通すような不思議な目。
「よしのは生きておるやもしれん」
「春日!」
僕は叫んで跳ね起きた。
とたんに、強い吐き気が襲ってきて、ベッドから飛び降り、トイレへ走った。
吐いた。
繰り返し吐いた。
体を二つに折って苦しい空えずきを続けながら、頭の後ろから見つめる、万華鏡のように不思議な色を跳ねる春日の目を感じていた。
「僕は……」
つぶやきかけてひんやりした頬に気がつく。
顔中が、水を浴びたように、汗と涙で濡れていた。




