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送ろうか、と言った春日の申し出を、僕は断った。
玄関まで出てくれた春日の顔に、両親と離れたくないと泣いた小学生の顔が重なって、痛々しくてまともに見られなかった。
視線を振り切るように、そそくさと背中を向けて門を出、坂を下りていく。いつか同じことがあった。また、そんな気がして、あの夢を思い出した。
山門の僧を訪ねた武士は、あれから一体どうしたのだろう。今の僕のように、山門から追い払われて、とぼとぼとよしのとかいう女の元に戻ったのだろうか。誰も俺を助けてくれない、そんなふうに怒りながら。
そして、どうなったのだろう?
ちかりと青い海が脳裏に広がって、僕は無意識に体を震わせた。
あの夢は、春日のいう『転生』の記憶なのかもしれない。僧が春日で、武士が僕。
僕は繰り返し春日に助けろと迫り、春日は繰り返し僕を救うことを拒む。そういうつながりなのかもしれない。
けれど、それが真実なら、どうしてそんな記憶を後生大事に抱えていて、思い出したりする必要がある?
運命は変えられない。宿命は繰り返す。そう知ったところで、結局は、自分は無力でどうしようもない、ただ流されるままに生きている存在だと思い知らされるだけじゃないのか。
そんな気持ちを繰り返すだけなら、人生なんてこれ一回こっきりのもの。そう考えた方が、気楽でわかりやすくて、諦めもついて、居直りもできるような気がする。
第一、本当に、夢は一体何のために見ているんだ?
昼間起きたことや、かなわなかった思いなどの消化のため、と聞いたこともある。でも、それだけなのか?
それなら、なぜ同じ夢を繰り返し見るんだろう。それも、長くて複雑な物語を芝居のように。
あの丸や三角や四角の夢は、一体何なんだろう。あれにも意味があるんだろうか。それに、いつかの運動会みたいな夢。この二つは現実とまったく関わっていないようにしか思えないけど。
それとも、夢は眠っている間の幻なんだから、こんなふうに真剣に考える方がおかしいんだろうか。
僕は考え込みながら、『南高杉』の改札を入った。電車の時間はまもなくだった。ホームの柱にもたれて、ぼんやり続きを考える。
夢は扱いが難しい、と春日は言った。夢にはテーマがある、とも言った。
春日は夢の意味を理解しているんだろうか。
ふと目を上げると、売店に並べてある文庫本の一冊に気がついた。
『夢解釈読本』
紫に銀の星を散らした装丁の題字はそう読めた。
僕は体を立て直した。とくん、と心臓がおかしなリズムで打った。
『物事には必然性がある』
春日の声が背中で聞こえて、ぐい、と僕を押した気がした。柱を離れて売店に近寄る。
いつもなら、高校生が近づいて行くとうさんくさそうな顔をしてこちらをにらむおばさんも、近くの客と応対中で、僕の動きは気に止めていないようだ。
僕はそっと文庫本を手に取った。ぱらぱらと目次をめくってみる。
『夢は無意識からの合図?!』
『有名人達の夢のお告げ?!』
『未来を教える夢達?!』
『あなたの夢と現実はつながってる?!』
やたらめたらと『?!』がくっついた文章は、夢についてはつまりは何にもわかってないんだよ、と言っているように見えた。本の最後の方に『夢言語解釈辞典』というコーナーがあって、それだけは『?!』がついていない。
僕はそのページを開いた。
あいうえお順に、夢に出てくるいろんなものや出来事が上げられている。『青』『朝』『足』『あせる』といった具合に、その事象が出てくる場合にはどういう意味が考えられるのかがまとめられている。
ふと思いついて、『虹』の項を引いてみると、そこにはこう書かれていた。
『七色に輝くことから成功の象徴。完成の一歩手前の黄金色に至る経過。すぐに消える栄光。予兆。見果てぬ夢をさすこともある』
つまり? どういうことなんだ?
僕は首をひねった。
『虹』はすばらしい成功も意味するが、幻であることも意味するってことか? かないっこない夢とも言えるし、何かの合図とも取れる、ということなのか?
続いて、『黒雲』を引いてみると、『嵐』を見よ、とあった。
『嵐』は『人生の危機。避けようのない災難。しかし、嵐は人々の価値観を吹き飛ばし、新しい気づきをもたらすものでもある。破壊と再生への合図』と書かれている。
僕はますますわからなくなった。
電車が来て、ちょっぴりの乗客を吐き出し、ちょっぴりの客を吸い込んで出て行く。一瞬迷ったが、売店のおばさんは変わらず別の客の相手をしている。
僕はそのまま、ページをめくった。
『小学校』の項を引いてみる。そこには、『学校』を見よ、とある。
『学校』は『学ぶところ。学びそのものもさす。集団生活の規律。物事の順序。評価や能力を判断すること』とあった。
僕はため息をついて、本を閉じた。
結局何もわからない。
夢にはテーマがあるということが正しいとすると、あの『虹』の夢のテーマは『成功(幻のような)と破壊と規律』らしい。
で? だから? それが僕と何の関係があるんだ? 別のもっとわかりやすい夢に出てくるものを選んでみればよかったのかな。
売店のおばさんが唐突にじろりと僕を振り返った。風を巻いて次の電車が滑り込んでくる。僕は本を棚に戻してそこから離れ、慌てて電車に乗り込んだ。
車内は空いていて、ゆっくり座れた。接続部近くの隅に体をもたせて座る。
帰ったら、母さんはヒステリックにわめくだろうか。あんなふうに家を飛び出したなんて初めてだ。
少しは何かが変わるだろうか。
窓の外を行きには気づかなかった日差しに照らされた町並みが過ぎて行く。開いた窓から明るい緑に燃え出した木々の香りが風と一緒に流れ込んで、髪を揺らせていく。
ずいぶん気持ちが楽になった。
春日に会ったせいだろうか、あんな飛び出し方をした家に戻るのも、そんなに苦痛じゃない気がする。
そんなこんなをぼんやりと考え、少し眠ってしまったらしい。
かすかに胸を押す息苦しさに目が覚めると、車内はいつの間にか一杯になっていた。リュックを背負った家族連れ、お互いの体を寄せ合って立つカップル、うんざりした顔でネクタイを緩めるおっさんは休日出勤か。
開いた扉の向こうから、降りる一つ前の駅名を告げるアナウンスが聞こえてきた。
乗りすごさなくて助かった。
ほっとして体を動かすと、目の前によろよろとねじくれた杖をついた着物姿のおばあさんがやってきた。僕の隣に座っていたダークスーツの管理職風の男が、ちらり、と何かいいたげに僕を見る。おばあさんも男の視線に促されたように僕を見つめ、僕は急いで立ち上がった。
どうせ、もう降りるんだし。
当然のように僕の席に座り込むおばあさんと、薄く笑ってのんびりとふんぞりかえる男から離れ、戸口の方へ動こうとして僕は凍りついた。
リカが乗ってくる。それも、あのいつかの男と一緒だ。
二人に続いてもう一人、品のよさそうなおばさんが乗ってきて、僕はぎょっとした。
もし、僕の頭がまだぶっ壊れていないなら、今乗ってくるおばさんはリカの母親のはずだ。リカの父親は早くに死んで、保険外交員として女手一本でリカを育ててくれたと聞いたことがある。
なぜ、三人が一緒にいるんだ?




