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道斗さんはトーストをすっかり食べてしまってから、席を立ち、コーヒーを淹れ直した。それと一緒に気持ちのどこかもいれかえたように、
「そのときに伊織が話してくれたのじゃ。どこへも行けない、何もできない人生を繰り返している者が、ずっと果てしなく永遠に『それ』を繰り返すのだと知ったら、自分をごまかし流されて、終わりが来るのをただ待っていることはしないだろう。死んでもまた同じことを繰り返し、同じ状況に引き込まれていくのだとわかれば、何かを少しは変えようとするだろう。そういう者のためにこそ、輪廻転生の思想は説かれたのだ、と。だから、時とところを得ない自分の記憶はむしろ不要で、誰の役にも立たないと…泣いた」
僕の脳裏に映った春日はいつも静かに落ち着いている。何もかもわかっているように、何もかも見通しているように、微笑を浮かべて立っている。けれど、その春日でも、自分の居る場所を見つけられなくて泣いたときがあったのか。
何か鋭い痛みのようなものが、胸の奥を貫いた気がした。
道斗さんはコーヒーを飲むと、深く大きなため息をついた。
「今思うと、あの子は、わしのために辛い役目を引き受けてくれたのじゃなあ。一人息子を急に失うわしのために、先触れの一人をつとめてくれた。……伊織の父も医者だったのじゃ。腕のいい外科医じゃった。母親は心理学者でな、あの日も、海外での臓器移植スタッフとして渡米したんじゃ」
「そうして、事故が、起きた」
僕はそっとつぶやいた。何だか道斗さんに一人でしゃべらせておくのが辛かった。
「その通り。伊織はもう落ち着いとったよ。二年の間に覚悟を決めたと言っとった」
また、僕の頭の中を春日の静かな目が過っていく。けれど、今度は、その目は単に落ち着いているとは見えなかった。いつか僕が夢の話をねだったときに、腕を組んで目を閉じていたように、深い傷を抱えたまま、じっと苦痛に耐えている、そんな気がした。
「わしはまあ、伊織に比べれば情けないもんじゃ。跡取りにと考えておった医院も手放し、一夜にして髪も髭も真っ白になった。医者のくせに、そんなことが本当に起こるとは知らなかった。これでも六十になったばかりなんじゃが」
道斗さんは沈んだ僕を気遣うように、眉を少しあげて片目をつぶって見せた。
「伊織はわしと暮らしてよかった、と言ってくれた。自分の記憶が何に役立つのか、少しはわかった気がすると。わしも随分、あれに支えになってもらったよ」
春日も一人で苦しんでたなんて。
春日も身動き取れずに迷ったことがあったなんて。
なのに、どうして春日はそこから抜け出せたんだろう。
「夢…」
僕は思わず口に出した。
「春日は夢について何か話してませんか?」
僕の頭の中で、僧と春日が重なったり離れたりしている。あの僧を、なぜ春日だと感じるのかはわからない。けれど、あの夢が、いつかどこかで起こったこと、僕の遠い昔の人生の記憶だとしたら、あの異様な現実感がわかる気がする。
僕が、僕である前に生きていたときの記憶。
でも、そんなものが本当にあるんだろうか。ましてや、それが夢となって現れるなんて。
大体、人間が生死を繰り返す、転生なんてありえるんだろうか。この体は死ねば単に肉の塊になって腐って骨になっていずれは分解して消えていく。そうずっと習ってきた。
けれど、もし、命がそれだけのものならば、どうして人間は人工的に命を合成できないんだろう。クローンだって、結局のところ、生殖の仕組みの変形だ。構成分子一つ一つから人間が造った命じゃない。
もし、すべてが科学でできるようになったら、感情とか感覚とか思考とか、そう、心なんていうものはどうするんだろう。脳ができれば自然に発生してくるんだろうか。それとも、もっと科学が進んだら、心も造って入れ込むようになるんだろうか。
もし、人間が転生を繰り返すなら、そして、前世でやり残したことを今の人生でやり遂げようとして生きていくのが人生の意味なら、どうして最初から転生の記憶をきちんともって生まれてこないんだろう。そのほうが、うんと効率がいいのに。
僕の頭の中で疑問だけが渦巻いている。
「さあ…それは…」
道斗さんが口ごもったのが合図だったように、二階から春日が降りてきた。妙な顔をしてきょろきょろとあちこちを見回している。
「おかしいな、ちょうどいい袋があったと思ったんだけど」
「見つからないのか?」
道斗さんも話の切り上げどきだと思っていたのだろう、春日に調子を合わせた。
「あ、ならいいよ、適当に…」
僕が言いかけた矢先、春日の目はぴたりとテーブルの端に止まった。そこに、焦げ茶色の小さなきんちゃく袋がある。
「あれ? ここにあったのか」
あっけにとられた声だった。
「この袋なら、さっきからここにあったぞ」
道斗さんもきょとんとして応じる。
「茶色だから見えなかったんだよ」
僕が口を添えると、春日は少し首を傾げて、僕と道斗さんを交互に見た。
「何か、話をしたのかい?」
「え? ああ、うん」
「ちょっとな」
道斗さんがうなずくのに、春日はにこりと笑った。ひどく温かみのある、いろんなものを黙ってそのまま受け入れてくれそうな、優しい微笑みだった。
「ああ、そのせいか」
納得したようにつぶやく。
「何が?」
僕の問いに、春日は応えるのを少しためらった。やがて、
「物事には必然性がある。この袋は…」
茶色のきんちゃく袋に改めてリカのカップをきれいに拭いて入れ、僕に渡しながら、
「君とおじいちゃんを結びつけるために役立った、というわけだ」




