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「いるよ」
穏やかな落ち着いた声がすぐに答えて、ほっとした。
春日は出て行かなかった、ずっとそこにいてくれた。
安心すると同時に、今度はなぜ何もしてくれないのかといらいらした。
「夢の話、しろよ」
背中を向けたまま唸る。
「したくない」
相変わらず明瞭なためらいのない声だった。
「何でさ」
からんでいる、とわかっていた。けれど、そこには春日しかいなかったし、背中を向けて布団にもぐりこんでいる僕には、それ以外にはうまくことばがでなかった。
「夢は…扱いが難しい」
春日はゆっくりと深く、ため息をついた。母さんがよくやる、重苦しくて鎖みたいに飛んで来て自由を奪うものではなくて、部屋の中の邪気みたいなものを、じんわりと緩やかに浄化していくような。
その吐息が布団を通して僕の背中も温めていく気がして、少し気分が楽になり、僕もそっとため息をついた。
「夢なんて、ただの夢だろ。幻みたいなもんなんだろ。現実で、やりたかったこととか、嫌だったこととかをどうにかする、脳の働きって奴なんだろ」
なおも春日にからんでみる。春日が黙り込んで、ひょっとして答えてくれないかと妙にどきどきした。
「そう、ただの夢だ」
春日が低い声で、掠れたつぶやきで応じた。それから、何かの覚悟を決めたように、
「けれど、そこにはテーマがある。そのテーマは、見た本人が一番よくわかっている、逃げたり拒んだりしなければ。だから、本当は、夢の話をあちこちで無謀にするもんじゃない……夢のエネルギーは大きくて、ときに人を巻き込むからね」
春日の珍しくけだるそうな声も気になったが、夢に関するその話には興味がわいた。
いつの間にか、吐き気もめまいもなくなっている。そればかりか、久しぶりに頭の中の霧が晴れていくような気がした。
テーマ。
ひょっとして、僕が見る、あの夢にも、何かテーマがあるんだろうか。
「テーマって、夢の題、みたいなもの?」
春日は答えない。
「何度も同じ夢を見るっていうのは、ひょっとして、何度も同じテーマを繰り返してるってことなのか?」
やっぱり、春日は答えない。
「春日?」
僕は我慢しきれずに布団から顔を出して、春日を振り返った。
しっとりと森の奥の泉のように深い二つの目が、瞬きもせずに僕を見つめていた。
サーチしている。そんな気がした。
僕にその先の話を聞ける準備ができているかどうか、さっきみたいにぶっ倒れたりしないかどうかを見極め考えている。
「大丈夫だよ」
僕は思わず口走った。
ここで春日を手放すと、またわけのわからぬ不安に追いかけられるだけの日が戻ってくる、そう感じた。
「僕、大丈夫だから」
春日は少し首を傾げた。それから、静かに首を振った。
首を振るだろう、と思っていた。
「もう、大丈夫そうだな」
そういう意味じゃないと反論しようとしたが、立ち上がってちらりと僕を見た春日の目に、時期が来ていないと言われたようだった。
「一人で帰れる」
置き去られるとわかってむくれた子どものような気がして、そんな自分がわからなくて、僕は言い放った。
ふいに、春日が、にっこりと笑った。
鮮やかできれいな微笑。心の内を清めるような。
何だか思わず見愡れてしまった。
「君はせっかちでがんばりやだった、ずっと」
静かな声がそう告げた。
いきなり、ずっと胸の奥への通路を塞いでいた大きくて重いものが、どすん、と大きな音をたてて深いところへ落ちていったような気がした。
衝撃に息が止まってことばを失った僕に、
「もう少しのんびりやろう」
春日は付け加えた。それから、ひらひら、と『今時の高校生ふうに』おざなりに手を振り、保健室から出て行った。
姿が消えた瞬間。
僕は泣き出していた。
置いていかれたからじゃない、見捨てられたからじゃない。
もっと甘くて優しい涙、けれど、それが何だかわからない。
体中の水分がなくなるほど、誰もいない保健室で、僕はわんわん泣きまくった。
生まれたときに、したように。




