夜番の薪は、夜会の拍手では燃えません
王都北門の荷馬車は、朝霧の中で止められていた。
積まれているのは、薪束十、乾燥肉二袋、薬草酒六瓶、靴油三壺。どれも王子府の慰問倉庫では「北方支援物資一式」と一行で処理されていた品だ。
王子府の書記官が、帳面を抱えて言った。
「倉庫を出た時点で、会計上は完了扱いです。これ以上の立会いは不要かと」
エレノアは、荷札を一枚はがした。
「倉庫を出た薪は、まだ誰の夜を温めてもいません」
書記官の筆が止まる。
「薪は薪でしょう」
「いいえ。夜会の暖炉で飾り火になる薪と、北方第三見張り小屋で夜番を越す薪は、同じ欄に入れてはいけません」
エレノアは荷馬車の板に紙を置き、項目を分けた。
薪束十――夜番炉用。
乾燥肉二袋――交代兵二名分。
薬草酒六瓶――凍傷手当用。
靴油三壺――帰還靴補修用。
第一受領確認者――レオ・マイヤー。
横に立っていた老兵が、小さく息を呑んだ。
「倅の名が……」
「名前で受け取らなければ、また『北方へ届いた』だけで閉じられます」
エレノアは老兵へ受領札の控えを渡した。
「お父上。これは同情の札ではありません。夜番が交代できるかを確かめるための札です」
「はい」
老兵は震える手で札を受け取った。
◇
北へ向かう街道の途中で、王子府の伝令が追いついてきた。
「お待ちください。薪束十は重すぎます。式典倉庫の装飾木箱を割った廃材で代替すれば、同数として処理できます」
荷台へ置かれた廃材は、薄く、薔薇の金粉が残っていた。見た目は華やかだが、湿っている。炉に入れれば煙ばかり出るだろう。
「夜番の炉に入れられない木は、薪ではありません」
「しかし帳簿上は木材です」
「帳簿上の木材で、凍えた指は温まりません」
エレノアは薪束を一本抜き、長さを測った。
「第三見張り小屋の炉は浅い。長すぎる薪は半分に割る必要があります。湿った廃材は煙で見張り窓を曇らせます。薬草酒は夜番明けの凍傷手当に使います。靴油は交代兵が帰る靴を割れさせないためです」
ユアンが、荷台の横で頷いた。
「北方では、靴底が割れれば一晩で足を失う。夜会の拍手では歩いて帰れない」
書記官は、何か言い返そうとして、靴油の壺を見た。
薔薇の飾り箱より小さい。けれど、帰る足にはこちらが必要だった。
「では、代替不可、と」
「生活機能未達のため不可、です」
エレノアはそう訂正した。
◇
北方第三見張り小屋に着く頃、空はもう鉛色だった。
小屋の煙突からは細い煙しか上がっていない。入口の横で、若い兵が手袋を外そうとして、赤く荒れた指を息で温めていた。
「レオ・マイヤーさんですね」
エレノアが呼ぶと、兵は驚いた顔をした。
「俺の名を、王都の方が?」
「荷札に戻しました」
レオは父の控え札を見て、口を結んだ。
「親父が……俺の名で頼んでくれたんですか」
「頼んだのではありません。届くべきものが、あなたの夜番まで届いていなかっただけです」
王子府の伝令は、荷台から薪を下ろすとすぐに帳面を開いた。
「見張り小屋に置きました。これで完了――」
「まだです」
エレノアは受領札を閉じなかった。
「完了条件を確認します。薪は炉の横へ、今日使う十束。乾燥肉は交代兵二名が受け取り、薬草酒は凍傷棚へ六瓶。靴油は帰還靴の棚へ三壺。最後に、レオ・マイヤー本人が読み、名を確認すること」
小屋の中へ薪が積まれた。
ぱち、と火が強くなる。
乾燥肉を受け取った交代兵が、ほっとしたように笑った。凍傷棚に薬草酒が並び、靴油の壺が古い布の横へ置かれる。
レオは受領札を両手で持った。
「薪束十。夜番炉用。乾燥肉二袋。交代兵二名分。薬草酒六瓶。凍傷手当用。靴油三壺。帰還靴補修用」
声は途中で震えたが、最後まで読んだ。
「第一受領確認者、レオ・マイヤー」
彼は自分の名を書いた。
その瞬間、エレノアはようやく帳面の一行へ細い線を引いた。
「北方第三見張り小屋分、生活到達を確認しました」
ユアンが静かに息を吐く。
「今夜は、交代できる」
「はい」
レオは炉の火を見た。
「今夜だけじゃなく、明日の朝、靴で帰れます」
それは小さな勝利だった。
夜会場を飾る薔薇より、ずっと地味だ。拍手もない。けれど、火は燃え、肉は分けられ、靴は帰るために塗られる。
エレノアは受領札を乾かそうとして、裏返した。
薄く、別の紙の文字が写っていた。
北方第一見張り小屋――薪未受領。
北方第二見張り小屋――乾燥肉未受領。
西尾根狼煙台――薬草酒未受領。
凍河橋番所――靴油未受領。
レオが息を止めた。
「第三だけじゃ、なかったんですね」
「ええ」
エレノアは、閉じかけた帳面に青い保留札を挟んだ。
「では次は、届いた一棟ではなく、届いていない夜を数えます」
炉の火が、ぱちりと鳴った。
その音は、夜会の拍手よりも確かに、北方の夜を温めていた。




