偽りの受領名は、ノアの喉へ夜薬を届けません
孤児院の門は、夜だけ少し低く見えた。
セリムが木箱を抱えて叩くと、中から乾いた咳が二つ返ってきた。返事より先に、薄い毛布を肩にかけた少女が顔を出す。さっき夜門で木札を差し出した子だ。片手には、洗ったばかりの薬匙。もう片方には、湯気の弱い椀を持っていた。
「ノアは、まだ起きています。咳が止まらなくて」
わたくしは木箱を開ける前に、底板の紙片を門灯へかざした。
孤児院夜薬、受領済み。
署名、ノア。
その名は丸く整いすぎていた。子供が息を詰めながら書く線ではない。帳場で清書された感謝状の端に似た、上品で、生活から遠い筆跡だった。
「ノア様は、ご自分のお名前を書けますか」
少女は首を振った。
「練習板なら、一画だけ。咳が強い日は、途中で手が止まります」
奥の寝台で、小さな声がした。ノアと呼ばれた子は、薬を見ても起き上がれず、姉の袖をつかんでいる。受領済みの紙より、薬匙のほうが彼に近かった。
「では、受領名を閉じるのは後です」
ローゼン商会の帳場係が、門の外まで追ってきていた。息を切らしながら言う。
「すでに署名はあります。救済実績は今夜の式典前に確定しなければ」
「確定するのは、拍手ではありません」
わたくしは木箱から一瓶を取り、少女の椀へ少しだけ注いだ。ミリア様が袖口を濡らしながら、湯を足す。熱すぎず、冷たすぎず、薬の白い曇りがゆっくりほどける温度だ。
シェリア様は門番の記録板を借り、三つの欄を書いた。
薬箱到着。
夜薬調合。
本人服用。
「受領済みは、三つ目の後にだけ置いてください」
少女は薬匙を持つ手を震わせた。ミリア様がその下に自分の手を添えるだけで、代わりには飲ませない。
「あなたの手で。飲んでいないときは、飲んでいないと書けるように」
ノアは一匙を飲んだ。すぐに治ったわけではない。けれど、喉の奥で引っかかっていた音が、少しだけやわらいだ。少女の目から、緊張が一滴落ちる。
わたくしは受領済みの紙片を破らず、青い保留布で包んだ。
「この筆跡は、ノア様の名を閉じる証拠ではありません。ノア様がまだ飲んでいなかった証拠です」
少女は練習板を持ってきた。ノアの小さな指が、煤で黒くなった板に震える線を一つ引く。名前には足りない。けれど、その一画は、底板の整った署名よりずっと本人に近かった。
セリムが門番の横で賃札を閉じる。
「薬箱、孤児院門到着。運搬半刻。賃札は、本人服用確認後に閉じました」
帳場係はなお、感謝状控えを握っている。その紙の下で、同じ筆跡がちらりと見えた。
わたくしは青布の端を押さえた。
「次に読むのは、誰がノア様の名を先に書いたかではありません。なぜ、飲んでいない薬を式典前に済ませる必要があったのかです」
門の奥で、ノアがもう一匙を待つように口を開けた。
その小さな動きが、晩餐会のどんな拍手より先に、今夜の到着印になった。




