第2章 イシスの影 6
マクシミヌスが自分達の披露宴に出す、お薦めのローマ料理の品目をアンジェリーカに尋ねた所、逆に彼女は、出席者達の出身地をマクシミヌスに訊いて来た。
その結果、今回の料理について、アンジェリーカはマクシミヌスに二つの基本方針を示した。
一つは、ローマ人は一人だけで、残りはブルガリア人だから、ブルガリア人の口にも合うローマ料理を出す事。
そしてもう一つは、エディルネ市の料理人の腕前でも作れるローマ料理を出す事、だった。
アンジェリーカから言われて見ると、俺はマニウス侯に満足して貰える事ばかりを考えていて、他の参加者の事は余り考えていなかった事に気が付いた。
アンジェリーカ曰く、それ程の身分が高いローマの人物だったら、日頃から本格的なローマ料理を食べているから、エディルネの様な田舎町に来てまで本格的なローマ料理を食べたいとは思わない。
アンジェリーカは、寧ろ、その人物の副菜と主菜は、ブルガリア料理を出す方が喜ばれるだろうとも言った。
アンジェリーカの指摘は、実に的を得ているとマクシミヌスは感心した。
抑々《そもそも》、エディルネの料理人の腕前は勿論だが、ローマ料理に造詣が浅そうなエディルネの店が選ぶ料理の品目が、俺には一番の不安材料だったのだ。
それが、ピアチェーレで修行を積んだアンジェリーカの品目選定で、然も、エディルネの料理人の腕前でも作れると言うなら、全ての不安が解消する。
「いやぁ、アンジェリーカさんは素晴らしい!貴女が言われる通りの料理にしますよ」
マクシミヌスは感が極まった表情で、アンジェリーカにそう言った。
その後、アンジェリーカと一緒に決めた料理は、前菜がクレスの酢漬けと塩味のカタツムリの煮物、それに羊乳で作られたチーズ「ペコリーノ・ロマーノ」だった。
そして、 副菜は白チーズを包んでオーブンで焼いたパイの「バニッツァ」と乳酸発酵キャベツの葉で挽き肉を巻いた煮物の「サルマ」に決めた。
更に、珍味はガチョウのフォアグラ、主菜は野兎の肩肉に羊の乳を掛けて焼いた、「焼きカチャトーラ」を、アンジェリーカからは薦められた。
アンジェリーカに言わせると、果物類はブドウとイチジクとナツメヤシで十分なのだそうだ。
アンジェリーカの選択に、すっかり満足したマクシミヌスは、彼女に対して深い感謝の言葉を述べた。
「あ~、もう無理!限界!やってらんない!淑女言葉で話すのは疲れるちゅうの!」
「えっ?」
ラーマクリオスが、ニタッと笑った。
「ラーマクリオス、この人はアンタの友達なんでしょう?」
この人って、若しかしたら俺の事か?
「そうだよ。マクシミヌスはオレの友達だ」
「だったら、ラーマクリオスはあたいの友達だから、この人は友達の友達!てっ事は、やっぱ、この人はあたいの友達じゃん!」
あたい?
「あたい達はお友達なんだから、タメ口で良いよね?マクシミヌスさん」
マクシミヌスさん?
これが ラーマクリオスが言っていた、猫の被り物を取った素のアンジェリーカの姿なのか?
「あ、ああ」
マクシミヌスはアンジェリーカの毒気に押されて、思わず彼女の申し出を承諾してしまった。
「ああ、良かった。これからも宜しくね、マクシミヌスさん」
「あ、ああ、こちらこそ」
マクシミヌスは尚も呆気に取られ続けていたが、アンジェリーカの助言が大いに俺の役に立った事は事実だった。
「アンジェリーカさん、君の助言は実に有意義だったよ。有難う」
マクシミヌスは素直な気持ちで、アンジェリーカに御礼の言葉を述べた。
「そう?それは良かった。ラーマクリオス、毎日林檎を買って呉れるアンタへの恩返しは、これで終わったからね!じゃあマクシミヌスさん、あたいらはこれで帰るわ」
アンジェリーカはマクシミヌスに一礼すると、館の玄関の方に踵を返した。
「ま、待てよ、アンジェリーカ。マクシミヌスの用件は済んんだけど、オレ達の用件の方は未だ・・・」
「ラーマクリオス、悪いが俺は今、頭の中が混乱しているんだ。その話は後日にして呉れ」
「しかし・・・」
「マクシミヌスさんは、あたいからローマ料理の事を一杯聞いたから、頭の中が混乱してんのよ。ラーマクリオス、あたいらは此処からさっさとヅラかるよ!」
アンジェリーカはラーマクリオスの片腕を取ると、この館から去ろうとした。
「一寸、待って、アンジェリーカさん。今日の助言の御礼は後日、マルギ広場に使いが持って行くけど、取り敢えずこのワインをお土産で受け取って呉れ」
アマリウスはマクシミヌスに代わって、高級ワインの壺をアンジェリーカに手渡した。
「ふ~ん、高そうなワインだね。マクシミヌスさん、これ誰かに売っても良い?」
アンジェリーカは、何処までも商売人だったのだ。
「そう言う事なら、そのワインは君が飲んで、売るのはこっちのもっと高いワインの方が良いだろう」
マクシミヌスの指示で、アマリウスは別のワインの壺をアンジェリーカに手渡した。
「マクシミヌスさんって、気前が良いんだね。ありがと!マルギ広場で貰う御礼の品も売れる物にしてよね」
「ああ、分かったよ」
アンジェリーカは、自分用のワインの壺をラーマクリオスに持たせて、売り物のワインの壺は大事そうに両腕で胸に抱え乍ら、お尻を2回、横に振る事でさよならの挨拶に代えた。
その後、マクシミヌスはサフィーネと一緒に夕食を摂ると、暫しの間、ダンケとじゃれ合った。
今ではすっかりダンケは、マクシミヌスに懐いていた。
犬とじゃれ合うのが、こんなに楽しいとは!
その時だけは、マクシミヌスは童心に返っていた。
やがて彼らが自室に戻ると、マクシミヌスは馬車で独り、ズドラヴェイに向かった。
アンジェリーカって娘は、一体どんな性格の娘なんだ?
これはどうしても、詳しい話をルフィアから聞かないとな。
「あら、マクシミヌス。独り?」
ルフィアは店に入って来たマクシミヌスの姿を見つけると、接客していたテーブルを離れて出迎えた。
「今夜は繁盛しているみたいだな」
「お陰様でね。暑く成って来ると、皆、ビールを飲みにこの店に集まるのよ」
「ビールか?俺も喉が渇いた。ビールを持って来て呉れ」
「まあ?良いの?総督様が庶民みたいにビールを飲んだりしても」
「それはローマのお偉いさんの偏見だろ?俺はガリア人程のビール好きでは無いが、ブルガリアのビール、ビーラタは旨いに決まっている」
「じゃあ、ビーラタで乾杯ね!」
暫くすると支配人のガラシアノスが、大き目の陶器のグラスにビーラタを並々と注いで、俺達のテーブルに運んで来た。
「あんたが独りで来たって事は、又、あたしに相談事が有るのよね?」
ルフィアは早くも、マクシミヌスがビールを飲みに来た訳では無い事に気が付いていた。
「相談事と言うより、お前に質問だ」
「その質問がお前は俺の事が好きか?だったら、答えは好きだけど、あんたの女には成らないと答えた筈よ」
「ルフィア、真面目に聞いて呉れよ」
「はいはい。何なの?あたしに質問って?」
「アンジェリーカの事だ。あのアンジェリーカって娘は、一体何者なんだ?」
「ああ、アンジェリーカね?あの娘は天才なのよ!」
「天才だって?」




