成長と錯覚 その1
時の流れは捉え方では残酷だけれど、角度を変えると意外とそうでもないのかもしれないね。
休日が退屈な時はどうすればいい。小さな店を一つ見つければ、日々の退屈は一歩距離をとってくれる。好意を寄せた、あの人みたいに。そのひととき、だけは。
それでも気分が晴れないなら、部屋を掃除するといい。
そうするといつの間にか退屈は、ベッドの上で眠りについている。隣に潜り込むのも、黙って部屋から出るのも好きなように。
でも、退屈が目を覚ます前に決めてしまわないと、退屈に化かされてしまう。
僕は退屈を置いて部屋を出る。
隼人は友人を誘い、昼間から酒でも呑み交わそうとした。けれど、誰も捕まらなかった。休日の予定は白紙のまま。
気分転換に部屋の模様替えをするには大掛かりで、そこまで手が回らない。黒いカーテンの裏が陽に焼けて白く褪せて疲れていた。
カーテンを変えるくらいのことはしてみようと量販店に出かけた。
部屋には今、黒色の遮光カーテンが備え付けられている。次は無地で紺色のカーテンにするか、深緑を基調としたペイズリー柄のカーテンにするか頭を悩ませていた。同じようにカーテンを求めている女性客が横に並んだ。
その女性客はカーテンを指でつまみ、厚みや生地感を確かめているようだった。カーテンに手触りなんて必要だろうか。隼人はペイズリーのひだを手の甲で揺らした。
女性客はカーテンの折り目の縫製を見ている。淡いクリーム色。立ち止まった足に女の子が抱きついた。女の子は女性客に手を伸ばす。手を繋いでもらい、体を後ろに反した。
女の子は体を反らしたまま隼人を黒い目で見上げた。女性客も女の子の視線を辿って隼人に気づく。そして、視線がぶつかった。
女性客は色落ちしたデニムに白いシャツ、頭にはキャップを被っていた。キャップにはローマ字でLUCKYと描かれていた。歳の頃は同年代くらい。
隼人は目を逸らしてペイズリー柄のカーテンの値段を確かめる振りをした。タグには四千九百八十。女が一歩を踏み出す気配がした。女は隼人の顔を覗き込んだ。隼人は横目で見やると、女は「隼人君だよね?」と、笑った。
それは、再会だった。
女の顔が迫り、隼人の喉に声が張り付いた。
女のことはよく憶えていた。高校時代の三年間は。
気まぐれに、肉の多く入った弁当を作ってくれて、一緒に食べた。のど飴をいつも持ち歩いていた。他の女子と話していると後で肩を殴られた。私服の時は赤いアーガイル柄の靴下をよく履いていた。ときには紫色のレースで作られた大人な下着を脱いでくれた。我儘は言わないかわりに、流れに身を任せない女の子。それが昔の彼女だった。
「久しぶりね、こんなところで隼人君は、なにしてるの? カーテン選んでるのかな? その柄物はやめた方がいいよ多分」
女は隼人に忠告した。
「あえて、この柄にするのも有りだな」
「無しでしょ。普通に」
隼人はペイズリー柄を確認して、カーテンを手放した。
「無しだな。久しぶり、美雪」
美雪は隼人にそう呼ばれてキャップのツバを下げた。
「憶えてたんだ、私のこと。てっきり捨てた女のことなんて忘れてしまう薄情者と思ってましたけど」
隼人は薄く笑って美雪に合わせる。
「女は捨てても、思い出までは捨てきれないのが男ってものさ」
「馬鹿じゃないの」
美雪は笑いながら隼人の肩を叩いた。隼人は美雪にまとわりつく女の子を見て、母親になったのかと理解する。君が俺を捨てたのだろう。記憶を改竄するんじゃない。口に出さずに舌で内頬を突いた。
「名前はなんていうの?」
隼人は当たり障りのない質問をする。美雪は娘の頭を撫でながら挨拶して下さいと促す。娘は三日月が、お辞儀をしたような目で「真美ちゃん」と答えた。隼人は真美と同じ目線に腰を落として、質問を続ける。
「真美ちゃんはいくつですか?」
真美は手を開いて隼人に向けた。
「五歳なのね」
隼人は真美の頭をそっと撫でる。コーヒーカップから上る湯気のような印象を受けた。
「幸せそうでなにより」
隼人は呟く。
「隼人は独身を謳歌してる感じね」
平日は仕事に追われ、空いた時間は久一や充とつるんで酒浸りの日々を謳歌というのなら間違いなく謳歌しているのだろう。蛙が田園で鳴き叫びたくて鳴いているならそうなのだろう。
「独身とは限らないだろ?」
隼人は強がり半分くらいで答える。しかし、美雪は笑って言葉を返す。
「だって指輪してないじゃない」
「つけ忘れただけかもしれない」
「隼人の性格ならきっとつけ忘れたりしないよ。私は知ってるもん」
「お見通しですか」
「それに、捨てた女より幸せになるなんて神様が許す訳ないものね」
「あなたの記憶はどうなってるの?」
気軽に接してくる美雪の態度に、体の中が自然と軟化していくのを感じた。
隼人は自分の近況や、久一と未だにつるんでいる話を手短に語って切り上げる。
美雪にペイズリー柄のカーテンを買うのを止められたが、買うことが正しい気になり購入した。
「じゃあまたどこかのカーテン売り場でな。旦那と仲良くしろよ」
捨てられた身だが、今の美雪がとりあえず幸せなら。失恋の痛みは遠に癒えている。傷跡は残っていても痛みはもうどこにもない。思い出しても実際に痛くはなかった。
美雪を背にして隼人は歩き出した。背中に美雪が声をかける。
「私、離婚したから今はこの子と二人なの」
隼人は足を止めた。一つ数えて振り返り、美雪の前に大股三歩で戻る。
「ちょっと美雪さん、別れ際にそんなこと言いますか? もっと早く伝えるタイミングあったでしょう? いくらでも会話に捩じ込められたでしょうに」
水溜りを超えるように戻った隼人を、真美は美雪の後ろに隠れて顔を出した。
「だって聞かれなかったから」
美雪は体を横に振りながら答える。隼人は溜息をついて注意した。
「一ついいですか? 人の選ぶカーテンの柄をとやかく言いましたが、あなたこそ、その帽子やめた方がいいですよ」
美雪は帽子を手に取って確かめる。
「どこが変なの?」
全く理解していない様子の美雪に隼人は大袈裟に口を開けて告げる。
「LUCKYって」
隼人の思惑を理解した美雪は大笑いして、帽子を真美に被せた。
「私は間違ってないと思うけどな。こうして隼人とまた再会出来てラッキーだったもんね」
隼人は上手い具合にやり込めたと、高笑いしようとしたが、美雪に軽く追い越され、盤面を返す策に持ち合わせはなく、角を取られたオセロみたいな感じがした。
隼人は連絡先を教えた。
「下心とかないですよね?」
美雪は隼人に顔を近づける。
「ねぇよそんなもん! 困ったことがあったら相談くらい乗ってやれるだろ? 人の優しさによく言うよ」
美雪は俯いてから、破顔して感謝を述べた。
「ありがとね、隼人」
「ありがと」
美雪の言葉に真美が続けた。隼人は真美の頬を人差し指で突いてから「気が向いたら連絡しろよ」と残し、心置きなく二人と別れた。
美雪は真美の手をぎゅっと握った。真美も同じように美雪の手を握り返していた。
「真美、なに食べたい?」
「ハンバーグ」
「決定!」
「決定!」
美雪と真美の二人は隼人の向かう真逆の方向に去って行く。
美雪と再会した後の日々はなにも変わらなかった。友人と週末に、いつもの居酒屋で季節料理に舌鼓を打つのが常であったが、深酒はしないようにしていた。
それも長くは続かず美雪からの連絡もないまま三ヶ月ほど経ち、居酒屋のカウンターの前に、いつもの三人で並んでいた。
運命と偶然は似て非なるものか、運命と偶然は同義なのか。証明する術はないのだろうか。
この時はただの偶然だったのだろう。久一がハイランドパークの水割りを呑みながら隼人に質問した。
「美雪ちゃんからまだ連絡ないのか?」
グレンリベットのソーダ割りを呑みながら隼人は返した。
「連絡がないということは上手くやっているってことでしょうが。結構結構」
二人に勧められたアードベッグのソーダ割りを苦い薬でも舐めるような顔で、充は疑問を投げた。
「事情は前に聞いたから知ってるけど、隼人はよりを戻したいわけ? 遠い昔に振られた女だろ? しかもこぶ付きで、普通に止めとけよ。苦労するよ後々」
久一は冗談半分で、充にこれ以上口を挟ませないように、口を挟む。
「友達思いなのはわかるよ、充は優しいからな。でもだ、しかしだ、デリカシーってものを学んだ方がいいぜ。黙ってアードベッグを舐めてなさい」
充はグラスを指で弾いて久一に申し立てる。
「癖が強すぎるよこれ。ピートっていうの? まだ俺には早すぎる。カナディアンクラブの方が飲みやすいから、残り呑んでくれよ久一ちゃん」
充はグラスを、隼人を飛び越えさせて久一の前まで押しやってから、カナディアンクラブのソーダ割りを注文した。素通りしたグラスを横から隼人が手を出して一気に煽る。
「美味いだろ? このヨード臭っての? 最高だよ」
頬が火照る隼人が二人の存在を確認する。
「お前らがいてくれたらそれでいいんだ俺は。女なんて可愛いだけだろ。裸を見たら満足満足ってなもんよ」
久一は隼人の背を摩りながら頷く。
「美雪ちゃんのこと、俺も知らない仲ではないからさ、あの日のことがフラッシュバックしてぞっとするな。けど、今では笑い話だ」
久一は隼人に過去を意地悪く匂わした。
「あの日のこと?」
充が肩を隼人にぶつけて聞き返す。
「それはまた今度な」
充はデリカシーをさっそく覚えたのか深く追求しなかった。代わりに隼人が美雪への気持ちを口にした。
「よりを戻すとかじゃあないんだよ。ただシングルマザーって大変だなと思う。俺にできることがあれば手伝いたいのかな? というよりも楽しかった過去が、別れてしまえば全て記憶だけになるだろ、その記憶もあやふやになっていって、その記憶さえも本当は自分が勝手に創り上げたものじゃないかと不安にならないか? 不安とは違うか、うまく説明できないわ」
久一と充はお互いに頷き合う。
「解る」と久一。
「俺も解る」と充。
二人はもう一度頷き合う。まったく理解をしていない二人は理解者の振りをした。
「お前らなら解ってくれると思ってた」
二人の間に座っている隼人がお互いの肩に手を回した。
その時、カウンターに置いてあった隼人の携帯電話が震えて激しく自身を主張した。
「美雪ちゃんからだったりして」
充が冗談めかした。
「このパターンは美雪ちゃん以外に有り得ないね。もし他の誰かだったとしても、それが中年親父でも美雪ちゃんということになるだろう。この場合」
久一は破綻した理論を吐く。
「その理屈、色々と野蛮だね。というより隼人、でないのか?」
隼人の様子を充が訝しがる。
「これ、美雪からだわ」
久一が吹き出して、慌ててお絞りでテーブルと隼人の顔を拭く。充は充血した目を見開く。隼人は携帯を手に店の外に出た。
店に残された二人は抱き合い笑っていた。
「よくわからないけど、おもろいな」
「うん、笑うところないけど、笑えるのなんでだろう?」
残った二人は目の前のグラスをぶつけた。
「隼人の運命に乾杯」と、久一。
「隼人が二度と女に振られませんように乾杯」と、充。
「うまいな充ちゃん、二度と振られることのないようにと、二度も同じ女に振られませんようにをかけたのね?」
「よせやい、久一ちゃん恥ずかしい」
二人は隼人が戻るまで乾杯の音頭をとり続けた。
『充の面白いことを言おうとして失敗する姿勢に乾杯。
いつもフォローありがとね、乾杯。
まさにその返しが、なところに、乾杯。
逆に妄想癖が酷い久一に、乾杯。
この世界は、現実ではなく僕の夢説に、乾杯。
近所の野良犬に乾杯。
その突飛な乾杯は100点、乾杯。
褒められて伸びるタイプに、乾杯。
その返しは2点、乾杯。
採点が厳しい、乾杯。
僕好みの乾杯を下さい、乾杯。
取り押さえられた痴漢に、乾杯。
80点、乾杯。
原付に追い越された普通車に、乾杯。
90点、乾杯。
日番を抜けて風俗に行く警官に、乾杯。
65点、乾杯。
学校で妹に話しかけて無視される兄に、乾杯。
それ俺やないかい! 乾杯。
緑のクレヨンを食べて吐いてしんどいところを散々説教される子供に、乾杯。
お前やないかい! 98点、乾杯。
振られた女にへんな責任を感じている男に、乾杯。
デリカシー。乾杯。
そろそろ限界ですが、乾杯。
お前の限界はお前が決めるのではなく、俺が決めるのだ。乾杯。
紐パンの女が好きです、乾杯。
その意気その意気。48点、乾杯。
巨乳が好きです。乾杯。
安直。0点、乾杯。
最近お気に入りのセクシー女優ができました。乾杯。
下に走り出したらお終い。3点、乾杯。
近々、そのセクシー女優のサイン会が近所の書店で行われるらしく、参加券を手に入れました乾杯。
まじ? その熱量0点。乾杯。
紛失してもいいように保険をかけて二枚入手しました。乾杯。
まじ? 一緒に行ってもいい? 満点!乾杯。
隼人には内緒ですよ、えへっ。乾杯!
敢えて教えて悔しがるところを楽しみませんか? でへぇ。満点!乾杯。
それもそれでオツですなぁ乾杯。
臼に敷かれて蜂に刺された隼人さん。花丸満点、乾杯 』
隼人が席に戻るまで二人はずっと乾杯を飽きずに繰り返した。
隼人にサイン会へ二人で参加することを説明する。券が二枚しかないので隼人はお留守番だと告げると、気をつけて行けと一言。
日の沈む前の、風呂上がりみたいな表情の隼人だった。
又もくだらないお話にお付き合い、どうも有難う御座います。まだまだ吐き出していきます。




