表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/228

    4.9 (火)11:25

 ガタン!


「あいぃいっ!」

 やや小太りの、眼鏡をかけた少年がトイレの間仕切りに押し付けられる。

 上履きの靴紐の色を見るに、高校一年生だ。

「ごめん、ごめんなさい! 本当に、本当に勘弁してください!」

 手を前方にばたばたと振りながら、目を閉じて哀願する。


「気持ちわりいんだよ!」

 そういって一人の男子生徒が

「おらっ!」

 小太りの少年の腹部をつま先で蹴りおろす。


「ひっ! げへっ! あぁぁ……」

 腹部を押さえながらかがみこむ一年生の少年。

 げほっ、げほっ、むせ返るようにして

「……かんべ、かんべん、して、くださいよぉ……」

 目に薄らと涙を浮かべ、汚れたトイレの床にへたり込む。


「ひゃっはっはぁ!」

 三年生の生徒の同級生であろう、もう一人の少年がいやらしい、甲高い声で煽り立てるように、見下すように笑う。

「かんべんしてください~だってさ。だっさださじゃねえかぁ」

 そういって痛がる少年の姿を、わざと誇張して真似た。


 しかし一年生の少年は、その不快な様子に言い返すことも出来ないくらいに卑屈な様子で言う。

「……僕が、僕がなにか悪いことしたって言うなら、あやまりますよぉ……だから、ごめんなさい。異体の嫌だから、もうこれ以上、ぶったりしないで……」


 という言葉を聞くが早いか

「うらっ!」


「げべっ!」


 三人目の少年が、一年生の少年の顔にけりを入れる。

「何かぁ、悪いことをしたかってぇ?」

 そういうと、眉を大きくあげ、まるでこの世で一番価値のないものを見下すかのような表情で言う。

「そうだなあ……」

 そういうと少年の前にかがみこみ、その髪の毛をぐい、と掴みあげる。

「てめえみてえな気持ち悪いやつがこの学校に存在してることだよっ!」

 そういって何度も顔を張る。

「なんか、俺たちいらいらしてっからよ! だからお前でストレス発散してるんだよっ! ありがたく思えよっ!」


「や、いゃめ、べ、やめべがだ……」

 見る見るうちに顔が赤くはれ上がる少年。


 バシ、バシ、バシ、その様子をみながら、ニヤニヤと手を往復させる三年生。

「いいかぁ? てめえは急に風邪を引いたんだ。だからこんなに顔が真っ赤なんだ。わかるよなあ?」


「ば、ばひっ。ぼ、ヴぉく、ふわ、かぜ、お、を、ひき……」

 目を瞑りながら、必死で嵐が過ぎ去るのを待つかのように言う少年。

「だ、誰にも、い、いわないん、で……だから……」


 その言葉を聞いて、ようやく手を止める三年生。

 そして、憎憎しい微笑で後を振り返る。

「な? 俺の言った通りだろ? こういっときゃあ、このブタ絶対チクんねえってよ」


 その言葉を聞くと、最初に少年を蹴飛ばした三年生が

「気色わりいんだよ!」

 ガシッ!

 再び少年の腹部を蹴り上げた。


「おへぇっ……」

 少年は腹を抱え、そしてトイレの汚れた床にへたり込み

「……うっ、うっ、うっ……」

 体を振るわせ始める。


 ぷっ、往復びんたの三年生が、あざけるように笑う。

「ひゃっはっはっはぁ、なっさけねえなぁ、おい? こいつ泣いてやがるぜ?」

 

 一方、少年を蹴り飛ばした三年生は

 ぺっ

 つばを少年に吐きかけた。

「見てるといらいらするんだよ、てめえはよ!」

 苛立ちを隠しきれないかのように言った。

 そして倒れている少年を無理やり起こすと、襟首を掴む。


「……ぎいぃっ……」

 衣服が頚動脈に食い込み、顔が見る見る青白くなる。


 眉間にしわを寄せ、そして硬く拳を握りしめる。

「……今日のところはこれで勘弁してやるよ……」

 そして腕を振り上げ、少年の顔の真ん中に狙いを定める。


「……ひ、ひぃぃ……」

 涙と鼻水でべとべとになった顔を歪め

「……ど、どうしで僕ばかり……なんで、殴られなきゃ……」

 負け犬のような目で、叫ぶような声で訊ねる。


 すると、その男の顔はいっそう険しくなった。

「理由だあ? 理由なんてもんはなぁ」

 拳に更なる力を込める。

「んなもんねえよ。むしゃくしゃしてる中、ブタの顔見たら、殴りたくなっただけだよ!」

 自己中心的な言葉を吐きながら、その拳が勢いよく少年の顔に叩き込まれる――


 ガシッ


 三年生の手首を掴む少年の姿が。


「――さすがにやりすぎじゃないですか」

 丈一郎は眉間にしわを寄せ、上級生を睨みつける。

「彼が先輩方にどんな無礼を働いたかは知りませんが」

 チラリ、必死に目を閉じていた一年生を一瞥し

「もう勘弁してやれませんか? いくらなんでもやりすぎでしょう、これは」

 普段のその中性的な、柔らかい表情からは想像も出来ない険しい表情。

 ギリギリギリ、こぶしを作るために鍛え上げられた握力が、三年生の手首に食い込んでいく。


「あ? な、なんだてめえは?」

 いままでこのような形で、自分たちのひそかな楽しみストレス解消を邪魔されたことのないその三年生は、戸惑いながら応える。

 そして出入り口の前に立っていた生徒に対し

「おい! 何でこいつ入ってくるの止めなかったんだよ!」

 と怒鳴りつける。

 そして、ばっと丈一郎の腕を払いのける。


 その怒鳴りつけられた三年生は、おそらく流されるままについてきただけなのだろう

「え、あ、いや……お、俺じゃ止めらんなくて……」

 と言い訳をする。

 

「ひ、ひぃぃ!」

 一年生の少年は、すがりつくかのように丈一郎の背中へと隠れる。

 そして、そのまましゃがみこみ、ひぃひぃと悲鳴をあげて泣く。

「も、もう! い、痛いの! 痛いの、嫌だ! 殴られるの、とか、蹴られるの、とか、嫌だぁ!」


 その様子を見て丈一郎は、その頭をポンポンと叩き

「もう大丈夫だから。ね?」

 優しく声をかける。

 そして、数名の三年生を、丈一郎にとって先輩に当たる少年たちを睨みつけ、そしてあくまでも感情を押さえながら言う。

「まだ相手は高校に上がったばかりの、つい数週間前まで中学生だった子じゃないですか。一体この子が何をしたって言うんですか? いや、たとえどんな無礼があったとしても、ここまでするなんて普通じゃないですよ」


「あ? お前に関係あんのかよ?」

 そういうと、主犯格ともいえる三年生が丈一郎に詰め寄る。


「関係? この一年生との? あるわけないじゃないですか」

 きっぱりと告げる丈一郎。

「けど、いくらなんでもやりすぎです。たとえどんな理由があろうともね」

 もしかしたら、これからこの上級生たちとひと悶着あるかもしれない、そう考えるといやおうなく心臓が高鳴り、体が強張る。


 冷静になれ、冷静になれ、ふうっ、と大きくため息をつく。

 丈一郎は体中の力を抜き、リラックスする。

 そして、目で周囲を確認する。


 ひいふうみい、目の前に立つ主犯格の少年を合わせて4人。

 積極的に一年生に危害を加えていたのは、2名程度だろう、丈一郎は分析した。

 体格はどうだ、丈一郎はさらに自問する。

 体操着ゆえか、その骨格や筋肉の量が把握しやすい。

 自分より皆身長は高いようだが、体を鍛えているようには――


 ふと、自分があまりにも冷静であることに気がつき、驚く。

 真央を相手に、初めてスパーリングしたときのことを思えば、この程度の恐怖はすでに通り過ぎた道にしか思えなかった。

 そう考えると、妙におかしくなり、丈一郎はふっ、と恵美をこぼす。


 ガタンッ!

「何ニヤニヤしてんだよ!」

 苛立った上級生は、トイレの壁を力いっぱい叩く。


 その音の大きさから、丈一郎は大体の腕力を想定する。

「失礼、別にあなたたちを笑ったわけじゃないですけど――」

 

 もし殴られたとしても、それがベアナックルだったとしても、顔面の急所をはずせばやり過ごすことが出来る。

 その程度の痛みより、この上級生たちの卑怯な振る舞いを見過ごすことの方が自分にとっては嫌だ、丈一郎はそう考えた。


 そして、こんな、ある意味ではクサいことを考えるようになったのはいつからだろう、きっと真央や桃の影響だろうな、とも。

「――けど、こんな弱いものいじめを、しかも下級生を相手にするような人たち、笑われたってしょうがないんじゃないんですか?」


「てめえ!」

 苛立った上級生はこぶしを振り上げ丈一郎の顔面を殴りつけるが


 ブンッ!


「!」


 テレフォンパンチの大振りな挙動を、丈一郎は最小限の動きでかわす。


「なあ、もしかしてこいつ、ボクシング同好会のやつじゃね?」

 へらへら笑っていた三年生が指摘する。

「丁度いいじゃん。なんかイラつくしさぁこいつ。みんなでふくろにしちまおうぜぇ」

 そして卑しい笑い顔で

「もし手なんか出したらぁ、わかってるよなぁ? お前の大事な同好会、解散になっちまうぜ?」


 その言葉を聞くと、丈一郎の体は固まった。

 その通りだ。

 しかも、ボクサーがリング外で拳を振るうなどもってのほかだ、丈一郎はそう考えていた。

 だからこそ、何があっても自分からは手出しをするわけにはいかない、丈一郎は自分に宗言い聞かせる。


「わかりましたよ」

 ふぅ、ため息をつく。

「殴りたければ自由にしてください」


「や、やめてください!」

 後ろに隠れる一年生が、懇願するように言う。

「や、やるなら僕をやってください! この人は僕を助けようとして……だから、僕が……」


 その意外な言葉に丈一郎は少々驚いたが、いつものあの柔らかい笑顔で

「気にしなくていいよ。これは僕の問題だから」

 と声をかける。

 そういえばあのスパーリングの時の真央も同じことを言っていたな、ふと懐かしく思った。

 そして上級生に向き直り

「さ、やりたければやってどうぞ」


 二人で逃げればいいのかもしれない。

 しかし、それは丈一郎のプライドが許さなかった。

 こんな連中から尻尾を巻いて逃げ出すなんて死んでもいやだ、だったら袋叩きでも何でも受け入れよう、丈一郎の決意は固まった。


「ただ、最低限急所だけは守らせてもらいます。さ、ご自由に」

 そういうと丈一郎はファイティングポーズをとり、そして両腕で顔面を硬くガードした。


 ニヤリ、相手の無抵抗な様子に舌なめずりをするような表情の上級生。

「そこまで言われちゃあしかたねえなあ」

 そして、ぐっと硬くこぶしを握りしめ

「人間サンドバッグ、いっただきー!」

 そして腕を思いっきり振りまわし、丈一郎の体を殴りつけようとする、その刹那――


 ガン!

 

 勢いよく蹴り開けられるトイレのドア。

「くわぁ」

 あくびを漏らしながら、眠そうな表情の大柄な少年の姿。

「んな必要はねーぞ、丈一郎」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ