ep.28 ヤシェラ親王とシエン王女の過去
◇◇◇
朝議の間を出ると、俺とヤシェラは王城王族庭園に向かった。そこは王族のみが出入りできる専用庭園だ。
ヤシェラが紫陽花を一緒に見たいと言い出したのだ。
「綺麗な紫陽花ですね。この青いのとか美しいですね!」
――そういえば、シエンは紫陽花が好きだったな。
だからヤシェラは、わざわざ庭園に俺を連れ出したのだろうか。
紫陽花をぼんやり眺めていると、ヤシェラが甘く微笑んだ。
「紫陽花より、シエンが綺麗だよ。シエンより美しい女性はいないよ」
――うわ……。ヤシェラってきざなこと言うんだ……。言われてもまったく嬉しくない……。
俺はぎこちなく微笑んだ。
「えっと。ありがとうございます。……ところで、ヤシェラお兄さまの朝議の間での弁舌は凄かったですわ!」
「本当? ありがとう」
ヤシェラは嬉しそうに笑った。
――いやまじで凄かったよ。
俺は心の中で拍手を送った。
女にコルセットとハイヒールを求めていた男の弁論とは到底思えなかった。
「シエンに喜んでもらえたなら、頑張った甲斐があるよ。それに、コランに一杯食わせられたね。ハハハハハッ」
ヤシェラは豪快に笑った。こんな風に笑うヤシェラを見たことがなかった俺は少し驚いた。
「シエンの署名のおかげで、俺は民を憐れむ親王になれたよ。コランは民より伝統優先って思われたんじゃない? 高官の前では痛いね」
「……まるで、コランお兄さまのイメージダウンを喜んでいるようですね」
「そりゃそうだよ。僕とシエンはコランが嫌いだからね。シエンも嬉しいだろ? コランに一泡吹かせられたからな」
――ヤシェラが俺を嫌い!?
ヤシェラは俺の前ではいつも温厚だった。
「まったく……。国王の子どもだからって自動的に王太子になれるなんてね。エスカレーター式の制度が憎いよ」
ヤシェラは目の前の青い紫陽花を掴むと、ぐしゃりと握り潰した。その瞳には、憎しみがはっきりと宿っていた。
「……ヤシェラお兄さまは国王になりたいのですか?」
「今さら何を聞くんだい? 知ってるだろ?」
――まじかよ……。体を取り戻したら、ヤシェラには要注意だな。
ヤシェラはふっと笑うと、赤い紫陽花を引きちぎって、花を俺の頭に当てた。
「可愛いね。今度、紫陽花の簪を贈るよ。次はいつ親王宮に来てくれる?」
――もしヤシェラに、謀反でも起こす気があったら大変だ。シエンの体は便利かもしれない。色々探ってみるか……。
「6月20日に青の国に出発ですからね。帰国したら、すぐに親王宮に伺いますわ!」
「そうか。嬉しいよ」
ヤシェラはにっこりと笑った。俺も、にっこりと笑った。
◇◇◇
シエンと別れて親王宮に帰ると、応接室でユラカ=デド公爵が待っていた。
「待たせてすまないね。ユラカ」
「とんでもありません。ご用件はなんですか? ヤシェラ」
デド公爵とは名前で呼び合う親しい仲だ。
僕はソファに座ると、デド公爵に微笑んだ。
「シエンの様子がおかしいんだけど。何か知らない?」
デド公爵ははっとした顔をした。
「そうなんです! シエンは最近おかしいんですよ! 数カ月、俺と会わずにリドル=ユゴー宰相とばかり会ってるんです!」
「……なんだって!? シエンがユラカに会ってない!? 今まであんなに頻繁に会ってたのに!?」
◇◇◇
「……なんだって!? シエンがユラカに会ってない!? 今まであんなに頻繁に会ってたのに!?」
ヤシェラが驚愕したから、俺は心の中でほくそ笑んだ。
――入れ替わりの事情はヤシェラには内緒だ。違和感は全部リドル=ユゴー宰相に押し付けよう。
「そうなんです! 宰相はシエンをたぶらかしたんですよ! 今やシエンは宰相に夢中です! 人が変わったかのようです!」
「そんな……。抱きついてこなくなったりしておかしいとは思ってたけど、シエンが変わったのは宰相が原因なのかい?」
「ええ、そうです。俺なんてもうシエンの眼中にありません」
「なんて奴だ! 宰相め! 僕はシエンとデド公爵を応援していたのに……! シエンには、宰相よりも若くて美しくて公爵な君がお似合いだろ?」
ヤシェラが悔しそうな顔をしたので、俺は悲しそうな顔をした。
「ですが……シエンは変わりました。最近言動まで変なんですよ。全部、宰相の影響です……」
「そうだったのか……。宰相め! 許せん!」
――これで、親王からのリドル=ユゴー宰相へのイメージは大幅ダウンだ。調度いいな。
デド一族はこれから、外戚になるのだ。前国王とコランに重用されていた宰相は邪魔だ。
「シエンはもしかして……火竜の影響も受けているのでは?」
俺が蛾眉をひそめると、ヤシェラは大きく頷いた。
「あり得る。火竜とシエンは恋仲なんだろう? なんでそんなことになったんだろう?
気になってるけどね。宰相と署名のインパクトがでかすぎて、火竜についてはまだ本人に詳しく聞けてないんだ」
「そうなんですか? 火竜とシエンはカラブルのドラゴン窟で会ったそうですが……」
「デド公爵に夢中だったシエンが宰相に夢中で火竜とも恋愛していて、アーガスト大公と結婚する……。不自然すぎないか?」
――だって、シエンの中身はコランだからな。
「俺も信じられませんが……。事実なんですよ」
ヤシェラはショックを受けた顔をした。
――そりゃショックだよな。ヤシェラはシエンがずっと好きだったんだし……。
◇◇◇
僕は紫王家の親王の一人息子として生まれた。
ヤシェラは2等星という意味だ。
1等星のごとき国王陛下を支える有能な親王になって欲しい、という両親の願いが込められている。
僕は自分の名前が死ぬほど嫌だった。
――なんで僕は国王の補佐なんだ。有能な自分こそ、国王にふさわしい!
僕は激情を押し殺した。王城では本心は隠すものだからだ。
それに、国王になりたいと願うだけでは無駄だ。
コランに子どもが生まれなければ、コランに次いで僕は王位継承順位2位だ。
しかし、王位継承順位1位のコランと2位の僕の間には、越えられない高い壁があった。
――もしかしたら、流行病のときみたいに、コランが死ぬ可能性もある。そうなったときは僕が後継者だ。僕が国王だ。そのためにも、善政を敷こう。
僕は親王の仕事に邁進し、領地をよく治めた。
身寄りのない老人のための施設や学費が安い男子学校まで設立した。
だが、実績を積んでも無駄だった。
コランは健康ですくすくと育ち、優秀な王太子になっていった。
野心の爪を研ぐ僕を癒してくれたのはシエンだった。
「ヤシェラお兄さま! 大好き!」
7歳下のシエンはそう言って、会う度に甘えてきた。
シエンが5歳のときに、僕は恋心を自覚した。
そのとき僕は12歳。年齢差を考えるとおかしいという自覚はなかった。
――僕は親王、シエンは王女だ。僕たちはお似合いだ。
将来はシエンと結婚しよう。そう、心に決めた。
当時国王だったコランの父親も、僕の父も、内心ではシエンと僕を結婚させたがっていた。
障害は存在しなかった。
それに、当時のシエンは僕の好みに合わせて、僕の好きな赤色のドレスをよく着て、頻繁に僕に会いに来てくれた。
――シエンは僕が好きなんだ。僕に合わせてくれるし、求婚したら喜んでくれるだろう。
そう楽観的に考えていた。そしたら、シエンが8歳のとき、彼女は僕に言ったのだ。
「あのね、ヤシェラお兄さま! 私、好きな人ができたの!」
僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「そうか……。相手は誰だい?」
動揺を隠しながら笑顔で探ると、シエンはあっさり白状した。
「ユラカ=デドよ!」
――ユラカ=デド? デド公爵の一人息子で、次期公爵の!? 確か、そいつは僕と同い年じゃないか!
「……なんで彼が好きなんだい?」
シエンはぽっと頬を赤くした。
「優しくて、かっこいいの! 私のお母さまとユラカのお母さまは凄く仲良しなのよ! だから、私もユラカと仲良くなったの! お母さまたちは私たちを結婚させたがってるのよ!」
――何だって!?
「へぇ……。僕もユラカ=デドに会ってみたいな」
――いったいどんな男なんだ! 僕の方がふさわしい!
「もちろん良いわよ。今度三人で遊びましょ!」




