sweet.1 色素の薄い彼女は、愛が重すぎる
俺の腕の中には、いつも真っ白な少女がいる。
色なんて忘れたかのような、雪よりも白い肌。
月光を溶かしたような白髪。
星の欠片のような、プラチナブロンドの瞳。
彼女の名前は、真白白愛。
幼い頃からずっと俺の隣にいて、今では俺の彼女になった少女だ。
「ねえ~~れいくん」
「なんだよ」
「はくあ、もう限界」
学校からの帰り道。
真白白愛は、俺の制服の袖を両手で掴み、弱々しい声を出した。
腰まで伸びた真っ白な髪が、風にさらさらと揺れている。
左右の髪を耳の上で結んだハーフツイン。重めの前髪の隙間から、色のない白い瞳が俺を見上げていた。
身長は確か、151センチだったか。
小柄で華奢な身体は、少し強い風が吹けば飛ばされてしまいそうに見える。
さすがに、実際に飛んだところは見たことがないが。
「さっきも休んだばっかだろ……たかが学校行ったくらいで」
「む~……でも、もう二分も歩いたんだよ!」
「何が二分〝も〟だ。二分〝しか〟歩いてないんだよ」
「え~~、二分は長いもん……」
白愛はこっちを見上げると、不満そうに眉をひそめた。
「それじゃあカップ麺もできないぞ」
「……白愛はカップ麺じゃないもん」
そんなことは知っている。
白愛は俺の袖を掴んだまま、じっとこちらを見つめている。
色素のない肌は、相変わらず雪みたいに白い。
けど、頬だけはほんのり赤く染まっている。
「……ねえ。だっこ」
「家まであと五分だぞ」
「ぜったいむり、たどり着ける気がしないよぉ」
「……あのなぁ」
「それにれいくんに抱っこしてもらったほうが、はくあは幸せだよ」
「……その根拠は?」
「愛!!」
これはまた、便利な根拠があったものだ。
こうなると、白愛は絶対に動かない。
白愛は、幼い頃から変わらない。
他人には大人しくて何も主張しないのに、俺と二人になると途端にわがままのオンパレードだ。
白愛はこちらをじーっと睨み、俺が折れるまで、ひたすら待っている様子。
「はあ……」
ため息を吐きながら、白愛の背中と膝裏に腕を回す。
そのまま体を持ち上げると、白愛は嬉しそうに俺の首へ腕を絡めた。
白愛のいう抱っこは、このお姫様抱っこのことだ。
「えへへ~」
「ったく、そんなに元気なら歩けるだろ」
「それは違うよれいくん、はくあはいま元気になったの」
「はいはい」
「んふふ~」
俺の胸に頬を寄せながら、白愛は満足そうに目を細める。
小さい頃から何度も抱き上げているのに、彼女は耳まで赤くなっていた。
恥ずかしいなら頼まなければいいのに。
「……れいくん、重くない?」
「むしろ心配になるくらい軽いけどな」
「……ほんと?」
「ああ、この鞄より軽い」
「はくあ、れいくんの鞄に勝った? やったね」
白愛は俺の腕の中でいたずらっぽく笑った。
今日はいつもに増して機嫌がいい。
言うことは高校生にしたって子供っぽいけど、こうも無邪気に笑われると何も言えなくなってしまう。
……俺と白愛は、幼い頃からずっと一緒にいる。
色素の薄い容姿を理由に、白愛が周囲から酷いいじめを受けていた。
――白子症。先天的な色素の欠乏により、皮膚や体毛が白くなる遺伝子疾患。
症状の強弱は人それぞれだが、白愛はその中でも特殊らしい。
幼い子供にとって容姿の特徴というのは、それだけで迫害の原因になり得るものだ。
俺は泣いている白愛の前に立ち、二度と誰にも傷つけさせないと決めた。
そんなこんなで昔は色々あったけど、その結果、俺は少しばかり気と喧嘩が強くなって、白愛は少しばかり俺に甘えすぎるようになった。
「れいくん」
「今度はなんだよ」
「……好き」
「急だな」
「だって、いつでも言いたいもん」
「……はいはい。俺も好きだよ白愛」
そんな会話をしながら歩き、俺たちは家へ帰った。
高校生の男女が同じ家に帰る。
普通なら色々と問題がありそうだが、俺と白愛は親公認で同棲している。
白愛は体があまり丈夫ではない。
日差しにも弱く、視力も低い。少し無理をするとすぐに疲れてしまう。
幼い頃から白愛の面倒を見てきた俺と暮らすのが一番安心できると、双方の親がそう判断した結果だ。
白愛が自分の親へ泣きつき、三日三晩かけて説得したのは関係ないだろう……多分。
「着いたぞ」
玄関の前で白愛を降ろそうとする。
すると、首に回された腕へ力がこもった。
「まだだめ!」
「もう家着いただろ、家に着くまでって約束だったはずだ」
「むー、はくあそんな約束してないもん。このままリビングまで連れてって!」
首に回された手がさらに締め付けられ……はぁ、とため息を吐く。
「ったく。これじゃ鍵が開けづらいっての」
白愛を抱えたまま、制服の胸ポケットからどうにか鍵を取り出す。
「♪」
白愛は俺の独り言には答えず、俺の胸に顔を埋めた。
耳は別に悪くないし、いつもの聞こえないふりだろう。
仕方なく腰をかがめながら鍵を開け、そのまま白愛を抱えて家へ入る。
靴を脱がせ、リビングまで運ぶと、ようやく降りて腕を解いてくれた。
「はあ、今日も一日つかれたぁ~……」
「お前は歩いてないだろ……それに、今日はまだ終わってないし」
「あのね、抱っこされるのも大変なんだよ?」
「えぇ……何が?」
「だって、どきどきするから」
白愛は胸元を両手で押さえ、恥ずかしそうに顔を伏せた。
自分から頼んでおいて、毎回これだ。
「……はいはい。手洗って着替えてきて、俺は夕飯作るから」
「は~い」
そう言って、白愛は自分の足で普通に歩いていった。
……やっぱり歩けるじゃねえか。
まあ、今さら突っ込むだけ無駄だろう。
それから十分ほど経った頃。
俺がキッチンで夕飯の支度をしていると、廊下のほうから、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
足音はキッチンの手前で止まり――。
「れいく~ん!」
次の瞬間、背中に柔らかい身体がくっついた。
「……白愛。料理中は危ないから離れて?」
「え~。やだもん」
「いま包丁持ってるんだけど……」
「そっか、じゃあ置いて?」
「置いたら夕飯が作れないだろ」
「ん~……じゃあ今日は夕飯いらない!」
「んな極端な……どうせあとでお腹空いたって騒ぐだろ」
「そのときはれいくんを食べるからいいもん」
「…………」
思わず、野菜を切っていた手が止まった。
背中にくっついた白愛は、俺の反応を窺うみたいに、そっと顔を横から覗かせてくる。
「……どうしたの?」
「それ、どこで覚えた?」
「ん~? 動画で見たんだよ?」
「どんな動画だよそれ……」
「えーとね……たしか」
白愛は少し俯いたあと、
「彼氏をどきどきさせる方法、十選」
どや顔でそう続けた。
「あのなぁ……。今すぐ忘れろ」
「やだ。だってまだ九個残ってるもん」
「全部忘れろそんなもん」
「え~~っ」
背後から、露骨に不満そうな声が聞こえてくる。
変なものを見せた奴は誰だ。
白愛は変なところで素直だから、影響を受けやすいというのに。
「ねえ、ちゃんと見てよ」
「ん、何を?」
「はくあのこと」
「後ろから抱き着かれてたら見えないだろ……」
「え~~……じゃあ仕方ないなぁ」
背中に回されていた腕が解かれた。
仕方なく包丁を置き、振り返る。
そこに立っていた白愛は、学校の制服から、いつもの黒いぶかぶかパーカーへと着替えていた。
サイズは、白愛の身体に対して明らかに大きすぎる。
袖は手のひらをすっぽり覆い、指先が少しだけ覗いている。裾も太ももの半ばまで伸びていて、下に履いているはずの短パンはほとんど見えなかった。
「……履いてる?」
「履いてるよっ!!!」
顔を真っ赤にして即答する白愛。
真っ白な髪と肌が、黒い布地の中でいつも以上に際立って見える。
この格好を気に入っているのは知っていた。
というより、俺に可愛いと思われたくて着ているのだと、本人が自分から白状している。
そんなことを言われたせいで、着てくるたびに少し意識してしまうけど。
「?」
白愛は少し首を傾げると、萌え袖になった両腕を広げ、その場でくるりと一回転した。
長い白髪とパーカーの裾が、ふわりと遅れて揺れる。
「似合ってるな」
「……それだけ?」
「……はいはい、かわいいよ」
「……ほんと?」
「ああ、ほんとに」
「どのくらい?」
「どのくらいって……」
「世界で一番?」
「……」
「む。なんで黙るのれいくん。はくあより可愛い女の子、いるの?」
白愛が首を傾げながら、じーっと俺を見る。
逃げ道を塞ぐような聞き方で、もう誤魔化せない。白愛はなんだかんだ自分の可愛さを自覚している気がして、あざとい。
「……お前が一番かわいいよ」
「!! ふふ~~♪」
途端に、白愛は目を細めて顔を綻ばせた。
けど、すぐに恥ずかしくなったのか、赤くなった頬を黒い萌え袖で隠している。
「そういうの真顔で言えちゃうの、ずるいよぉ……」
「自分で言わせたんだろ……」
「だって、言ってほしかったもん」
白愛は頬を膨らませると、俺の制服の裾を指先で摘まんだ。
俺がもう一度調理台へ向き直っても、そのまま離れようとしない。
「白愛、夕飯作るからちょっと離れてろ」
「やだ」
「今日の白愛はわがまましか言わないな……」
言いながら、いつもこんな感じな気もしてきた。
「だって、れいくんが全然どきどきしてくれないんだもん」
「……ドキドキ?」
「うん」
白愛は俺の服を掴んだまま、少しだけもじもじと足を動かす。
「このパーカーもね、れいくんをどきどきさせるために着てるの」
「あー、前にも聞いた気がする」
「……うん。あのね、今日はいつもより短いの履いてるんだよ」
「……な、何を……?」
白愛は俺の言葉を聞くと、パーカーの裾を両手で摘まみ、ほんの少しだけ持ち上げた。
黒い布の下から、白い太ももと、短いショートパンツの裾が覗く。
……なるほど。たしかに、いつもより短い。
「………どう?」
「ど、どうって……」
「どきどき、してくれた……?」
白愛は顔を真っ赤にしながらも、期待を隠しきれない顔で、俺を見上げている。
瞳まで白いせいか、その表情は何も知らない子供みたいに純粋で――やっていることとの落差が、俺の心に突き刺さる。
俺は恥ずかしくなって顔を背けた。
「……脚、冷えるぞ」
「っ、む~~っ!」
白愛は勢いよくパーカーの裾を下ろした。
「そうじゃないもん! 今のはどきどきしたとか、もっと凄いことを言うところだよ!」
怒った白愛は、そのまま正面から勢いよく抱きついてきた。
ただ、本人にほとんど力がないせいで、衝撃はまるでない。
そもそも怒っているというより、拗ねるついでにくっついてきただけだ。
俺が何を言っても、この回された腕が解かれるとは思えない。
仕方ないので、そのまま野菜を切り始める。
うん、動きづらい。かなり動きづらい。
それでも無理に離すほどのことでもなくて、俺は白愛をくっつけたまま夕飯の支度を続けた。
しばらくすると、さっきまで不満そうに騒いでいた白愛が急に静かになった。
さっきまではやかましいと思っていたが、急に黙られると気になるのが人間の常である。
「……白愛?」
「ん? なぁにれいくん」
「何してるのさ」
「これ? これはね、充電だよ」
「俺は充電器じゃないんだけど……」
「いいえ、れいくんははくあ専用の充電器です」
「勝手に専用にすんな」
「だーめ。もう他の子は使えないし、他の子も使えないんだよ?」
「……はいはい、もともと誰にも使わせてないけどな」
「ほんと?」
「ああ、知ってるだろ。ずっと一緒だったんだから」
「女の子にぎゅーされたこともない?」
「ないよ、お前以外には」
「……えへへ~」
背中に押しつけられた頬が、嬉しそうに左右へ動く。
こんな会話は今に始まったことではない。白愛は、こういうことを何度も確認する。
俺が白愛だけを見ていること。
白愛以外の誰かを、特別にしていないこと。
聞かれるたびに何度答えても、しばらくするとまた聞いてくる。
不安なのか、単に聞くたび嬉しいのか。
けれど、不思議と悪い気はしない。
「むー、でもこれだと充電足りないなぁ……」
「まだ足りないのかよ」
「足りないよ全然!!」
「さっき家まで抱っこしたし、家でもずっとくっついてるだろ」
「足りないものは足りないの! んー、そうだなあ……じゃあ、れいくんからもぎゅーして?」
背中にくっついたまま、白愛が甘えるように身体を揺らした。
このまま無視して夕飯を作り続けても、きっと永久に離れない。
「……もう分かったから、一回離れて」
「ほんとにしてくれる?」
「うん」
「ぜったい?」
「するってば」
「やったぁ!」
そこでようやく、白愛の腕が解かれた。
俺は包丁を置き、手を洗ってから白愛へ向き直る。
すると白愛は、待ってましたとばかりに両腕を広げた。
「はいっ」
「……」
……普段からあれだけくっついているのに、いざこちらからするとなると、なぜだか気恥ずかしい。
「れいくん、はくあは今ぎゅー待ちだよ」
「……まあ、見れば分かるけど」
「早くぅ」
「……はいはい」
急かす白愛の身体を、正面から抱き寄せる。
細い背中に腕を回すと、白愛もすぐに俺の胸へ頬を埋め、身体をぴったりとくっつけてきた。
「……んふふ」
「満足したか?」
「まだ。だめ。離れたらおこるから」
「わがままだなぁ……」
「ん~……じゃあわがままついでに、もっと強くして?」
ほんの少しだけ腕に力を込めると、白愛は幸せそうに息を吐いた。
「……ふぁぁ……れいくんの匂いがする」
「そう? 自分じゃよく分からないけど」
「するもん。はくあの大好きな匂い」
今日は体育もあったし、さすがに汗臭くないかと少し心配になってくる。
そんな俺の気も知らず、白愛はまったく離れようとしない……どころか、もっと深く顔を埋めてくる。
「白愛、そろそろいいでしょ?」
「ぜったいだめ」
「夕飯遅くなるぞ……」
「だってまだ、頭撫でてくれてないもん」
「注文が多いな……」
「へへん。だって彼女だもん」
「……はいはい……分かりましたよお姫様」
白愛は俺の言葉を聞いて満足気にすると、俺の胸へ顔を埋めたまま、頭を少しこちらへ傾けた。
俺は片腕を白愛の背中に回したまま、もう片方の手で白い髪を撫でる。
崩れないように、ハーフツインの結び目を避け、頭頂部からゆっくりと手を滑らせた。
「ん~~……」
白愛の身体から、ふっと力が抜ける。
さっきまであれほど騒がしかったのに、撫で始めた途端、借りてきた猫みたいに大人しくなった。
「れいくんの手、好きぃ……しあわせ」
結局、白愛は夕飯が完成するまで、一度も俺の背中から離れなかった。
夕飯を食べるときには「あーんして」と口を開け、風呂から上がればドライヤーを抱えて俺のもとへ来る。
今日に限った話ではない。
白愛は毎日、飽きもせず俺にくっついている。
◇
「れいくん、早くぅ」
「今行くから待ってて」
「む~……もうずっと待ってるよ? はくあ、寂しいな~」
「ずっとって……まだ二分も経ってないだろ」
「二分は長いもん」
「学校の帰りにも聞いたな、それ」
部屋の明かりを消し、先にベッドへ潜り込んでいた白愛の隣へ横になる。
すると、待ちかねていたように白愛が近づいてきた。
細い腕が俺の腰へ回され、真っ白な髪が顔をくすぐる。
「はやくぎゅーして?」
「何回するんだよ」
「寝るときのぎゅーは別でしょ?」
「……はいはい、ぎゅー」
言い返すのを諦めて、白愛の華奢な身体へ腕を回す。
すると白愛は、嬉しそうに声を漏らした。
「んふふ~」
「満足した?」
「ん~、ちょっとだけ?」
「ちょっとだけなのかよ」
「明日も帰りに抱っこしてくれたら、もっと満足するよ」
「明日は自分で歩け」
「そんなの無理だもん。……じゃあ、明日は一分だけ歩く」
「一分て。今日より減ってるだろそれ」
「だってそのぶん、れいくんと長くくっつけるもん」
「どんどん歩く気なくしてるじゃねえか……ただでさえ体力ないのに」
「ふふ。いつでもれいくんが抱っこしてくれるから大丈夫だよ?」
「……俺がいないときはどうするんだよ」
「はくあ、れいくんがいないところには行かないもん」
白愛は何を当たり前のことを聞いているのかと言いたげに、俺の胸元から顔を上げた。
「ほんとは、授業中も会いに行きたい」
「それはさすがに我慢しろ」
「むぅ……」
白愛は不満そうに唇を尖らせ、また俺の胸へ顔を埋める。
だけど今度は、さっきよりも少し強く、俺の服を握り締めていた。
「……れいくん」
「ん?」
「はくあのこと、ずっと好きでいてね」
さっきまでの甘えた声音とは少し違った。
小さくて、確かめるような声。
白愛は昔から、時々こういう顔をする。
俺が離れていかないか。
いつか、自分以外の誰かを選ばないか。
そんなありもしないことを、急に不安に思うらしい。
「今さら離れるわけないだろ」
「ほんと?」
「ああ、ほんと」
「ずっと?」
「ずっとだ」
「おばあちゃんになっても?」
「ん。まあ、その頃には俺もじいさんだけどな」
「じゃあ、おじいちゃんのれいくんにも抱っこしてもらう」
「さすがに腰がやられるぞ」
「はくあ、もっと軽くなるから大丈夫」
「それはさすがに心配になるな……」
白愛は小さく笑うと、安心したように目を閉じた。
「おやすみ、れいくん」
「ああ。おやすみ」
「大好き」
「……ん、俺も好きだよ」
「……もう一回」
「大好きだよ、白愛」
「んふふ……」
満足そうな笑い声を最後に、白愛の身体からゆっくりと力が抜けていく。
俺の胸に頬を寄せ、腰に腕を回したまま。
眠ってからも、離すつもりはないんだろう。
――俺の腕の中には、いつも真っ白な少女がいる。
白愛は、いつだって俺から離れようとしない。
けれど、それでいい。
俺だって最初から、彼女の手を離すつもりなんてないのだから。




