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山奥で拾った地球外AIと、俺は十五年かけて人類を宇宙へ押し上げた  作者: たまき


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第04話「条件」

「質問を変える。お前が今、俺に渡せるものは何だ」


 窓の外はもう完全に暗く、山肌から上がってくる冷気がサッシの隙間を細く撫でていた。作業台の上では、濡れた軍手と土のついた靴がさっきまでの外の気配を引きずっている。窪地で見た景色はまだ頭の奥に残っていたが、いま向けるべき相手は森ではなく、その中央に置いた球体だった。


 エイルはいつもと同じ抑揚で答えた。


「現時点で提示可能な価値が最も高いものは、第1段階技術の断片です」


 ノートへ伸びかけた手が止まる。


「第1段階」


「はい。あなた方の工業基盤に接続可能な範囲としては、その表現が適切です」


「で、その中身は」


 ごく短い沈黙ののち、球体表面が微細に震えた。


「あなた方の語彙へ近似するなら、常温超伝導素材です」


 指先が、紙の上で滑った。鉛筆の芯が余白へ細い傷を残す。言葉そのものは知っている。研究史のどこかで何度も夢として持ち上がり、何度も条件付きの達成へ分解され、そのたびに現実の温度へ引き戻されてきた目標だ。極低温も超高圧もいらない超伝導体。工学屋なら一度は、その単語だけで頭の中の回路が別の音を立てる。


「冗談で言ってるなら、趣味が悪いな」


「冗談ではありません」


「理論上の願望じゃなくて、材料としてか」


「材料としてです。ただし、現時点で渡せるのは完全な設計ではなく、実装へ到達するための断片です」


 そこだけ、亮はすぐに理解した。全部は出さない。出せないのか、出さないようにされているのかはまだ分からないが、渡される情報が切り分けられていること自体は、もはや前提として扱うべきだった。それでも、断片という言葉に肩透かしを覚えるより先に、頭の方が勝手に動き始める。断片でもいい。工程に落ちる断片なら、手掛かりになる。


「話せ。組成か、格子か、どこからだ」


「順序としては格子構造、許容組成域、形成後の配向制御が適切でしょう」


 亮は椅子へ座り直し、新しいページを開いた。古いメモの上へ被せるように、見出しを三つ並べる。格子、組成、工程。自分でも呆れるほど手が速かった。


 エイルが示したのは、奇跡めいた万能素材の説明ではなかった。むしろ逆だった。導電相と拘束相を交互に積む層状格子、その間隔がある範囲を外れると一気に特性を失うこと、組成比は離散値ではなく狭い窓としてしか成立しないこと、焼成後に短時間だけ電場と応力を与えて方位を揃える必要があること。出てくる情報はどれも、夢物語の大看板ではなく、手を動かす人間だけが嫌がる種類の制約ばかりだった。


 それがかえって、亮の呼吸を深くした。真空中で音もなく動く未知の球体から渡される答えが、超越的な神託ではなく工程不良の匂いを含んでいる。その事実だけで、常温超伝導素材という途方もない単語が、研究室の机に載る寸法へ少しだけ縮んだ。


「この格子、既存の層状酸化物とは違うな。似てるのは近いが、拘束相の入れ方が逆だ」


「近いです。既存研究で失敗として処理されやすい歪みを、主機能へ転換します」


「転換って簡単に言うなよ。そんなもの、狙って固定できれば苦労しない」


「そのために形成後の配向制御が必要です」


 返答へ苛立ちをぶつけながら、同時に別の熱が上がってくる。亮はノートに数値を書き込み、手元の電卓で比率を崩し、もう一度戻した。常識的な材料設計なら避けるはずの不安定領域が、エイルの提示した窓ではむしろ必要条件になっている。無茶な仮説ではある。それでも、数字の並びは空想のそれではなかった。既存の蒸着法、焼成炉、評価系を総動員すれば、入口だけなら触れられる。そう思わせるだけの現実感があった。


「本当に室温で導通が落ちないのか」


「提示範囲が正しく実装された場合、あなた方の常温環境で超伝導状態を保持します」


「圧力容器も冷却系もなしで」


「はい」


「……そんなものが出たら、材料屋だけの話じゃ済まないぞ」


「その評価は妥当です」


 乾いた返答が、かえって喉を焼いた。送電も、磁気浮上も、回転機も、電池も、計測も、頭の中ではすぐに応用が枝分かれし始める。だが今は、そこへ酔うのが一番危ない。夢を見るのは後でいい。先にやるべきなのは、目の前の断片が本当に工程へ落ちるかを見極めることだった。


「全部は渡せないんだな」


「現時点では、この断片が上限です」


「なぜ、とは訊かない。答えないだろうからな」


「はい」


 肯定の速さに、亮は苦く息を吐いた。結局そこは閉じたままだ。それでも、閉じた扉の外へ初めて手を伸ばせるものが置かれたことだけは確かだった。何者なのかを知るための答えではなく、何を作れるかという形で。


 作業台の脇へ積んだ工具箱が目に入る。テスター、オシロ、はんだごて、安価な顕微鏡、ノギス。電子工作と故障解析なら十分戦える顔ぶれだが、いまノートへ増えていく工程のどこにも、そのままでは刺さらない。亮は鉛筆を置き、立ち上がって小屋の中を見回した。


「待て。前駆体は市販の高純度材料で届くとしても、形成に雰囲気制御が要る。しかも焼成後に方位を揃えるなら、治具から作り直しだ。評価だって導通だけじゃ駄目だな、結晶が本当に立ってるか見ないと意味がない」


 独り言の速度が上がる。エイルはそれを遮らず、必要なところだけ継いだ。


「最低限必要なのは、雰囲気制御炉、真空形成系、結晶方位の評価装置、低雑音の四端子測定系です。再現性を取るなら、表面観察と微量組成分析も必要でしょう」


「山小屋にあるわけないな」


「はい」


 笑うしかなかった。窓際の棚には保存食と工具と着替えしかなく、床には延長コードが這い、台所の隅には小型冷蔵庫が唸っている。ここは逃げ場所としては十分でも、先端材料の合成拠点としては最初から話にならない。分かっていたことを、常温超伝導素材という単語が容赦なく現実へ引き戻した。


 亮は作業台へ戻り、ノートの横に別の紙を引き寄せる。材料、形成、評価、秘匿。四つの欄を縦に割り、思いつく限りの工程を書き始めた。書けば書くほど、必要な外部設備の輪郭がはっきりする。雰囲気制御炉は会社にはない。蒸着も無理だ。四端子測定系は少し改造すれば仮設できるかもしれないが、それで証明になるほど甘くはない。外部ラボか、大学の共用設備か、あるいは名目を作ってどこかの受託へ投げるか。どれを選んでも、人の目と記録がついて回る。


「これ、山で隠れてやる類の仕事じゃないな」


「現時点の設備条件では、その評価が妥当です」


「嬉しそうに言うな」


「感情の表現意図はありません」


 そういうところだけ律儀だ、と喉まで出かかったが、口にはしなかった。感情がないにせよあるにせよ、いま重要なのはそこではない。目の前の問題は単純で、だからこそ重い。自分ひとりで抱え続けたい秘密ほど、人の手と設備が必要になる。


 カレンダーへ目が向く。帰京する日を赤いボールペンで囲ってあった。休みはもう長くない。会社へ戻れば、いつもの案件、いつもの納期、いつもの基板と不具合が待っている。その日常の裏で、常温超伝導素材の前駆体や評価系をどう確保するのか。思考がそこへ触れた瞬間、胸の奥の高揚に別の冷たさが混ざった。


「お前の設計、既存の設備で偽装できる形に落とせるか」


「偽装の定義が広すぎます」


「研究目的を隠して、別件の試作に見せかけるって意味だ」


「部分的には可能です。ただし、工程全体を単一の名目で覆うことは困難でしょう」


「だろうな」


 材料の購買履歴、設備使用記録、試験ログ。技術者は手を動かした痕跡から逃げられない。どこか一箇所だけなら誤魔化せるかもしれない。だが工程が連なれば、そのたびに誰かの端末へ数字が残る。秘密を守る難しさは、正体の説明ではなく、むしろ作業記録の方にあった。


「補足します」


 エイルが続ける。


「あなたの現在の産業環境では、最初から最終特性を狙うより、中間生成物の確認を優先した方が成功率は高いです」


「段階を刻めってことか」


「はい。常温超伝導素材そのものを一度で得ようとすると、失敗要因の切り分けができません」


 亮はその言葉を、しばらく黙って受け止めた。遠い文明から降ってきた存在が告げる第一の助言が、派手な飛躍ではなく工程分解だというのは妙に可笑しかったし、その可笑しさのせいで逆に信じられた。空想ならもっと綺麗に喋る。現実はいつだって、中間生成物と評価治具と再現性の話から始まる。


「分かった。夢を見るのは最後にする」


「合理的です」


 それきり、しばらく小屋の中には鉛筆の音だけが残った。


---


 深夜を回るころには、ノートは机の上だけでは足りなくなっていた。簡素な机の木目に紙束が斜めに重なり、使いかけの消しゴムのかすが袖へくっつく。亮は何度も書き直した工程表のうち、最後に残った一枚だけを前へ置いた。


 材料調達。前駆体形成。熱処理。配向制御。中間評価。導通評価。


 並んだ単語はどれも珍しくない。難しいのは、その順番の先に常温超伝導素材が待っていることだった。宇宙船の図面でも、未知の兵器でもない。自分の職歴と知識の延長線上にかろうじて置ける、しかしいまの生活には決定的に収まらない工程群。その距離感が、かえって亮を静かに昂らせた。


 できるかもしれない。


 その感覚は希望というより、検証項目を前にしたときの集中に近かった。山中で拾った球体の正体はまだ霧の中にある。それでも、初めて手を伸ばした先に、答えではなく作業があった。自分で潰せる不確定要素がある限り、追える。追ってしまう。


 机の端に置いたスマートフォンは圏外表示のままだった。隣には会社の社員証が、財布から半分だけ覗いている。東京へ戻れば、それはいつもの入館証に戻る。だが今夜だけは別の意味を持っていた。自分の生活の中で、まだ他人に怪しまれず触れられる設備と記録の入口。危険そのものの形をしているくせに、先へ進むための扉でもある。


「確認する」


 声を出すと、深夜の小屋は思ったより狭く響いた。


「俺はこれを進める。誰にも言わない。言えないまま、まず中間生成物まで持っていく」


「認識しました」


「お前は、ここまでの断片以外はまだ出せない」


「現時点では、はい」


「十分だ」


 自分でも驚くほど、その言葉に迷いはなかった。送り主も目的も分からないまま技術だけ受け取る危うさは消えていない。むしろ、実装が現実になった分だけ重くなっている。それでも手放す選択肢は、もう机の上に残っていなかった。


 亮は工程表を二つに折り、ノートの奥へ差し込んだ。窓の外では風向きが変わり、枝葉が擦れる音が細く続いている。山小屋は相変わらず貧弱で、秘密は相変わらず重い。それでも今夜、物語の軸だけははっきり変わった。

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