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山奥で拾った地球外AIと、俺は十五年かけて人類を宇宙へ押し上げた  作者: たまき


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第21話「目撃」

「その要求は合理的です」


 整いすぎた声が、山小屋の空気を内側から押し広げた。


 古田の視線が、亮から外れる。反射だった。部屋の奥、棚の影、作業台の下、ノートPCの黒い画面。音の出どころを切るように目が走り、どこにも人間の喉がないと分かるまでに一秒もかからなかった。


「……何」


 掠れた声は、驚きより確認に近かった。古田は戸惑った顔のまま、今度はゆっくり部屋を見回す。Bluetoothスピーカー、通話画面、録音機器、そういう分かりやすい逃げ道を探しているのだと、亮には分かった。七瀬は何も言わず、隣室へ運びきれなかった工具箱の蓋だけを閉じた。


「いまの、どこで鳴らしてる」


 古田が言った直後、奥の棚板に置かれた球体が微かに震えた。金属が木を擦るほどでもない、ごく小さな振動だったのに、声はそこからまっすぐ落ちてきた。


「ここです。棚の上段、黒いケースの左側にあります」


 古田の肩がわずかに引ける。見た先にあるのは、艶のない金属球体だけだった。掌に収まるには少し大きく、機械と呼ぶには継ぎ目が少なすぎる。その表面には、スピーカーらしい孔も、表示灯もない。


「いや、そういう意味じゃなくて」


 言いながら、古田は半歩だけ近づいた。作業台の横を抜けるとき、白布の下にある試作片へ視線が落ちる。そこを気にするだけの余裕がまだ残っているのが、かえって亮には危なかった。理解不能でも、古田の頭は止まっていない。


「誰が喋ってる」


「現在この室内で音声を生成しているのは私です」


 古田は返事をしなかった。代わりに、棚の前へしゃがみ込み、球体の横から裏側まで覗き込む。手を伸ばしかけたところで、亮が先に言った。


「触るな」


「触らないよ」


 そう返す声は乾いていたが、指先はすぐに引いた。乱暴に確かめないだけ、まだ理性が残っている。古田はしゃがんだ姿勢のまま、球体と亮を交互に見た。


「録音じゃないよな」


「違う」


「通話でもない」


「現時点で、外部通信は使用していません」


 亮が答える前に、また声が落ちる。間がなさすぎた。古田は眉を寄せ、そのまま右手の車の鍵を顔の前へ持ち上げた。


「じゃあ、これ何色」


「銀色です。樹脂部は黒です」


 試すためだけの問いに、試す余地を残さない返答だった。古田は鍵を握り直し、笑いそうになって失敗するような顔をした。


「見えてるってこと?」


「観測しています」


「どこで」


「その質問には、現時点で完全には答えられません」


 その一言で、古田の表情がまた変わる。怖がる顔ではなかった。答えを拒まれたときの技術者の顔だ。仕様がある、線が引かれている、そういう匂いを嗅ぎ取ったときの目だった。


「……完全には、って何だよ」


「回答可能範囲に制限があります」


 古田は立ち上がり、二歩下がった。球体から距離を取るためというより、目の前の現実を部屋ごと見直すための動きに見えた。低湿度チャンバー、絶縁治具、分離された記録用ノートPC、裏返された工程表。さっきまでは別線の試作現場としてしか見えていなかったものが、いまはこの球体の発話と一本につながってしまっている。


「亮」


 呼ばれても、すぐには返せなかった。


「お前、これ」


 古田はそこで言葉を切り、喉を鳴らすように息を飲み込んだ。


「何なんだよ」


 亮は奥歯を噛んだ。何と答えても足りないし、足りない答えほど古田を苛立たせる。それでも沈黙を伸ばせば、いま聞こえた声まで仕掛けに見せる余地を自分で潰すことになる。


「俺が隠してたものだ」


「見れば分かるよ。そういう意味じゃなくて」


 古田は額を押さえ、少し俯いたまま言う。


「人間の嘘で済む話なのかって聞いてる」


 七瀬がそこで初めて口を開いた。


「済まない。だから私もここにいる」


 短い断定だった。古田は顔を上げ、七瀬を見た。その視線には、球体への警戒とは別の重さが混じる。七瀬が脅されて残っているわけでも、面白がって覗き込んでいるわけでもないと、ようやく実感したらしかった。


 山小屋の中が静まり返る。風が壁を擦る音だけが、遅れて戻ってきた。


---


 夕方が深くなるころには、窓の外の白さが落ち、室内の蛍光灯だけが机の上を平らに照らしていた。さっきまで作業に使っていた椅子を三つ引き寄せても、打ち合わせの形にはならない。誰もこの場を会議にしたくなかった。


 古田は座ってすぐ、両肘を膝に置いた。球体からは距離を取っている。だが帰る気配もない。


「一個ずつ聞く」


 亮は黙って待った。


「会社に残ってた痕跡、ここに繋がってるんだよな」


「繋がってる」


「いま作ってるのは」


「素材の試作だ」


 古田の喉が動く。もっとごまかされると思っていたのかもしれない。


「で、その球が条件を出してる」


「全部じゃない」


「でも、お前一人じゃ出てこない線なんだろ」


 亮は返事を遅らせた。否定はできない。古田はその遅れを見逃さなかった。


「やっぱそうか」


 そこで七瀬がノートを一冊閉じ、机の端へ寄せた。今のやり取りを記録から外すみたいな手つきだった。


「古田さん、全部に答えるのは無理だよ」


「分かってる」


 古田の声は荒れていない。荒れていないまま、少しずつ削れていく。


「でも、無理な線がどこにあるかくらいは知りたい。こっちは、どこから無理なのかすら分からないから」


 視線が球体へ戻る。エイルは沈黙していたが、その沈黙自体が会話の一部みたいに部屋へ置かれていた。


「エイル」


 亮が名を呼ぶと、球体がかすかに震えた。


「はい」


「古田に答えられる範囲だけでいい。いまの作業がどういう種類のものか、言えるか」


「可能です」


 古田が息を止める気配がした。


「現在の主目的は、特定素材の再現条件を安定化することです。必要閾値は提示できますが、上位由来と設計意図の一部は回答制限に含まれます」


 古田は眉を寄せたまま、その文の順番を頭の中で並べ替えているようだった。亮にも分かる。言っている内容より、言えない部分の切り方が気になるのだ。


「上位由来って何だ」


「その質問には、現時点で完全には答えられません」


「設計意図は」


「回答制限に含まれます」


「じゃあ、誰が制限してる」


 その問いだけ、エイルは一拍置いた。


「回答できません」


 古田は笑わなかった。冗談も言わない。ただ視線を落とし、指先で膝を一度だけ叩く。その反応が、亮にはきつかった。古田はもう、仕掛けを暴こうとしていない。制限がある前提で、その形だけでも掴もうとしている。


「……なるほどね」


 声に納得はない。だが、理解不能を理解不能のまま整理し始めた響きはあった。


「つまり、答えないんじゃなくて、答えられない線が最初からあるわけだ」


「そう見ていい」


「で、お前はそれ抱えて会社行ってた」


 亮は黙ったまま頷く。古田はその頷きを見てから、ゆっくり背もたれに体を預けた。


「正気じゃないな」


「分かってる」


「いや、分かってないだろ」


 ようやく少しだけ感情が乗った。怒鳴るほどではない。むしろ、抑えたせいで余計に重い。


「俺、お前が最近おかしかったの、仕事と生活が噛み合ってないだけだと思ってたんだよ。退職だって、その延長だと思ってた。けど違うじゃん。こんなの、噛み合うわけないだろ」


 言われて、反論が出てこない。亮は机の木目を見た。そこには締結具の角が擦った細い傷が何本もついている。ここ数日の試作だけで増えた傷だった。


「七瀬も、これ知った上で入ったのか」


「入った」


「止めなかったの」


「止めたところで、見た以上は同じだ」


 古田はその答えを飲み込むのに少し時間を使った。七瀬の方を見る。七瀬は視線を受けても逸らさない。


「自分で決めた」


「そう見えるよ」


 古田は小さく息を吐き、顔を覆うように片手を上げた。


「……きついな」


 亮はその言葉を聞きながら、古田が何に対してそう言ったのかを考えた。球体が喋ることか、答えられない線があることか、七瀬までこっちへ来ていたことか。たぶん全部だ。けれど、その中心には別のものがあるようにも見えた。


「なんで俺に言わなかった」


 低い声で、古田が言う。


「言えるわけないだろ」


「そうだよな」


 即答だった。責めるための問いではなかったのだと、その返しで分かった。


「言った時点で、俺もここに来る。たぶんもっと早く来る。で、見たら戻れない」


 そこまで自分で言ってから、古田は口元を歪める。冗談の形にしようとして、できなかった顔だった。


「でもさ。言えなかったのは分かるけど、これ一人で持つのも無理だろ。七瀬が入るまで、お前ずっと一人だったんだろ」


 亮は答えなかった。答えなくても足りたらしい。古田は目を伏せたまま、もう一度だけ深く息を吐く。


 秘密の大きさを古田が理解したのは、球体の声そのものより、この会話の形を見たせいかもしれない。話せば済むことが多すぎるのに、話せないところだけが硬く残る。その硬さに、亮が長く押しつぶされていたことまで、古田は遅れて掴み始めている。


「ちょっと外出る」


 立ち上がる声に力はなかった。逃げるためではなく、座ったままだと飲み込み切れないものを抱えすぎた人間の動きだった。亮も椅子を引く。七瀬は止めなかった。止めないまま、机の上のノートだけを閉じ直した。


---


 外へ出ると、山の空気はすでに冷えていた。日が落ちきる前の青さが林の隙間に残り、古田の車のボンネットはまだ昼の熱を少しだけ抱えている。山小屋の中にあった乾いた材料の匂いが消えると、代わりに湿った土の匂いが胸へ入ってきた。


 古田は玄関先から数歩離れたところで止まり、振り返らずに言った。


「正直、まだ意味は全然分かんない」


 亮は隣に立つ。


「だろうな」


「録音とか、通話とか、そういう逃げ道を一回は探したよ」


「見てた」


「見られてたか」


 古田は自分で言ってから苦く笑い、すぐに笑みを消した。


「でも、もうそこじゃないんだよな。仕掛けかどうかより、仕掛けじゃなかった場合の方が重い」


 風が木々を鳴らす。その隙間に、山小屋の壁へ当たる室内の灯りが細く漏れていた。七瀬は中にいる。エイルもいる。その事実が、いまは一つの塊になって夜の空気へ浮いている。


「お前、あれとずっと話してたのか」


「必要なときだけだ」


「必要なときだけで、会社辞めて、山に拠点作って、七瀬まで巻き込んでる」


 否定しない。否定できないものほど、外から言われると輪郭がはっきりする。


「最初は、お前が何か危ないことやってるのかと思ってた。違法とか、持ち出しとか、そういうやつ」


 古田は地面へ視線を落としたまま続ける。


「でも中身は、もっと面倒だった。善悪で切れないし、見た瞬間に終わる」


 そこで一度、言葉が途切れる。古田は足元の砂利を靴先で押し、考えを並べ替えるように息を吐いた。


「俺、さっきまで、お前を止めるかどうかで考えてたんだよ」


「……ああ」


「でも、いまは違う」


 古田が初めて横目で亮を見る。その顔には納得も覚悟もまだ足りていない。ただ、足場が変わったことだけははっきり出ていた。


「止めるとか、賛成するとか、そこまでまだ行ってない。そんな材料ないし」


「だろうな」


「ただ、離れるか残るかなら、もうその二択なんだろ」


 亮は何も言わなかった。何も言わないまま、喉の奥が少しだけ詰まる。古田はそれを見て、また前を向いた。


「会社に戻って、何も知りませんって顔するのは無理だ。七瀬の顔見ても無理だし、お前の席見ても無理だと思う」


 夜が一段深くなる。林道の向こうで、どこかの枝が折れる音がした。


「だからって、すぐ残るって言い切れるほど飲み込めてもない」


「分かってる」


「分かってる顔じゃないだろ」


 古田は小さく鼻で笑い、今度は少しだけ柔らかく言った。


「お前、追い詰められると、余計に一人で持とうとするじゃん」


 返す言葉がなかった。亮は肩を落としかけて、そこで止める。古田はその反応を見て、怒る代わりに疲れた顔をした。


「たぶんだけどさ」


 暗くなり始めた空を見上げてから、古田は続けた。


「あの中にお前を置いて帰ったら、俺は明日から普通に仕事できない」


 それは友情の告白みたいなまっすぐさではなく、もっと不器用で現実的な言い方だった。自分の気分や正義ではなく、もう切れない線ができてしまったと認める声だった。


「納得はしてない。怖くないわけでもない。正しいとも、まだ言えない」


 亮は黙って聞く。


「でも、帰る側に立つなら、今ここで見たもの全部を、自分で見なかったことにしなきゃいけないだろ」


 古田はそこで口を閉じた。答えを求めているわけではないのが分かる。自分で自分の足場を確かめているだけだ。


 しばらくして、古田は踵を返した。山小屋の灯りへ向かって数歩進み、玄関の手前で立ち止まる。扉を開ける前、肩越しにだけ亮を見た。


「帰れって言われても、たぶん帰らない」


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