(58) 午後の恐竜(1)
「私は死ぬわけにはいかない、はたすべき目的があるから、そのためにも……」
それの、なにがいけないのか。
目を覚まし、ゲンコは夢の内容をすべてわすれた。夢であったからしかたがない。めざめる直前、なにかにさけんだ。そのなにかは、だれか、かもしれないが、きっと自分をあわれんであざ笑っていたのだろう。
笑われるのはいい。が、あわれみをかけられるのはだめだ。よくない。
ゲンコはひりひり痛むのどをおさえて、最悪な状態の胃に錠剤をながしこんだ。
薬も飲んでいるが、栄養剤のたぐいも今はある。ここ数日よく眠れていない、だけならまだしも、神経が常にとがったまま覚醒しつづけている。
幻覚、幻聴、おそろしい夢。いつも、自分が殺されているような、苦しく激しい。
言いかたをわるく言うならジャンキーのようだった。
「はあ〜〜〜〜」
シンクの前でゲンコは息を吐いた。どうにか身なりを整え、学校に行かないとならない。
そろそろ前回の出現から十日あまり。
このあいだ、本当に出現は起こらず、ゲンコのアパートの部屋が襲撃されるようなこともない。
まるで、姿を見せず、潜ることでより巧妙にゲンコをなぶるような。嬲るというような生やさしいものでもない、もう少しきつい表現がふさわしかったが、気分としてはそういう感想があった。
(被害者意識強いの)
息切れぎみにぐちる。
もう事態は終息するようではある、予断はできないが、と、現場の空気からは感じられた。彼らが優れているのは弛緩するところは弛緩するところで、引き締めるときはどれだけその状態がつづいてもいいこと。現場にのぞむのに際して、いつも余力を残して全力であること。
余力もない事態に際して、可能なかぎりベストな状態を維持できる自分を保有し、可能性という言葉に一喜一憂しないこと。
それらはゲンコがあこがれたまぶしいものだ。それについていけないなら、自分を切り捨てるべきだった。
無論、現場という実践レベルから。
いないほうがいいというのは、べつにネガティブな祈りではない。
ゲンコにとって、それが自分を鼓舞するまじないであるし、尊敬をあらわす手段であるし、たとえば正当な、神の目において自分が正しいことをしているかそうでないか、罪と白日につねに問う手段である。
アパートをどうにか出て、身綺麗にして、駅にいく。駅にはなぜか佐々典昌がいた。なんでも、昨日は友人の家に泊まったそうだ。
かるく会話していると、途中で奥面がやってきた。佐々が奥面と(友人関係なのだそうだ。偶然、ゲンコは佐々から聞いていた)話しているあいだに、ゲンコはそそくさとはなれていった。逃げる義理というのはなかったが、不良と話す留学生はいないし、結局、ゲルトヒーデルから得られた話以外、話の真偽すらわからない。
奥面がゲンコをゲンコ・オブライアンとしての、もっと下がって作業員、組織に所属する人間として目星をつけているのは確かなのだから、話す必要性はないと言えるが。
「竜騎兵のオペレーター」
と、ゲルトヒーデルは言った。グリニザに所属する人間として、それだけで通じるという意味で言われたのなら、竜騎兵とはフィストが所持運用すると言われる「自律戦車」の符牒だった。
実際の正体は、エイブリーをカスタマイズして組みこむことに成功した大型兵器である。これまで、二回の実働が他組織によって観測され、情報共有されている。自律戦車というのはブラフであって、事実としては多くの場合、操縦するオペレーターがいる。また強力な兵器である。
オーバーテクノロジーと現代技術のかみ合わせが致命的に悪く、半実験段階、ひいてはその欠陥のためにオペレーターを必要とする、とか、竜騎兵の名はその駆動音がおそろしく大きく、「竜の吠え声」を思わせるほどうるさい。
または二回だけしか観測されていないが、ロールアウトは十五年前にもなり、現実には、もっと多くの現場で極秘裏に使用されてきたと認識がなされている。
など、しょせんゲンコに降りてきている状況では、姿も映像も見たことがない代物だった。
ゲルトヒーデルとフィストはつながりがあり、奥面もそうである。
と、思ってきたが、ウェルフからはそれらを言っても、調査するとだけ下ろされ、あとはなにも聞いていない。
(全部終わってから聞きゃいいのよ)
日常……女学生としての、からはなれたことに思考を回して、よけいなことをしたと思う。
人のいないところにいるのが億劫で、人混みが落ちつく気がしているのも、ゲンコは気がついている。
ようするに心がストレスで平衡を失って、脳の誤認が起きているのだ。ゲンコ自身は、人混みが苦にならないだけで、人見知りのケがきりはなせない。一人でギターの練習やトレーニングをやっているときに一種の安らぎを感じ、そういう時間を必要とするたちだった。
「最近ちょっと疲れてる?」
という趣旨のことを、休み時間に松本が言ってきた。そのとき、ゲンコはちらりと松本の友人を見た。
そちらも、なにか言いたげではあった。
ゲンコが「うん……どうかな?」と、返答を迷う(そぶりである。実際は図星だなと認めていた)ふうをすると、松本は「あー。ごめんごめん」と、かるく手をふった。
「そうだ。ちょっと話したかったことあっから。昼休みいい?」
「いいよ。なに?」
と、ゲンコはちいさく首をかしげた。あとあと、と、松本は前を向くよううながしてきた。
「オマツリいかない?」
と、昼休みになってから、松本は言った。それは要約してそのような内容だった、ということで、オマツリ、と、ゲンコは目をしばたいて、すこし考えた。
松本の説明によると、毎年十月末に、もろなお町ではオマツリが開かれる。菅原大附属の付近で商店街の道路などを封鎖し、ミコシが通るのだという。それにあわせてエンニチが開かれる。
だいたいの言葉から咀嚼して、ゲンコは二、三質問した。松本はゲンコがオマツリ(行事や慣例ともいいかえられる、日本でのイベントである、と、松本たちの説明で理解した)を知らないとは思わなかったらしく、それでもそこは気にしたふうもなく、丁寧にわかりやすく説明してくれた。簡潔な言葉が、短いつきあいながら、彼女ららしい。
「行きたいけどなぁ」
と、ゲンコは言った。そのとき、ふと思いついたことがあった。もちろん、そんな余裕はないとはねのけることはできる。一方で、たとえば精神の安定をはかることも重要だと自分がささやくところもあった。
「あとで返事していい?」
そう言っておいた。
松本は気にするそぶりもなかった。
ゲンコは放課後になって、ウェルフに電話した。ウェルフは百日変わらない声音で、直接応じた。オマツリは二日後だということだ。
急な話だが打診してみる。と、いいだろう、と、ウェルフは言ってきた。予測が当たっているためか、めずらしく余裕があるのだろう、とゲンコは勝手に判断した。くわしい時間はあとで、とゲンコは言った。無理のある行動を差しはさむ場合であるから、時間は限定して申請しないといけない。
最近体調がすぐれない、と、本当のことを言って無難に断る方法もある。が、単純にせっかく誘ってくれたのに悪いという念がある。
それくらいは感じつつも自分の都合を通すのが、ふだんのゲンコの通念であるし、ここがイギリスであればそうしている。ちがう風俗のちがう判断、というのが、閉塞した自分に穴を開ける方法だと思ったのが、ひらひらした判断の理由にはなっていた。
(もっと賢くやりゃいいんだけれど)
参っているなとゲンコは思った。このようなときは、軽いトレーニングをして、ストレッチでもして、おいしくてあたたかい食事をとって、ぜんぜん上達しないギターの練習をして寝る。
だが、いまはそれもできないのだ。




