83「足捌きだけならな」小さな事件の終息、改善され…た?
〜時間が余った為、時間潰しを兼ねて足運び練習の様子を見る事にしたイツキは、屋敷の短期門番であるトビーに襲われた。とそこにリレイがやって来て、ようやくこの件は落ち着いて来たが〜
細身で力がある様には見えない侍女が、門番を務める大の男を軽々と担ぎ、ドアの奥へ消えて行くのを見送る2人。
もう1人はというと、興味なさげに宙を見つめていた…こともなく、侍女の魔力の動きを見ていた。
(あれも身体強化…の類だろうが)
見た目とは裏腹な怪力を発揮している理由を、魔力探知で理解していたのは、もちろんイツキである。
イツキ自身やミエリアの様に、素の力が強いという風ではなかった為、今だけ何らかの手段で強化しているのだろう、と考えた。
ただ、今朝に森を出た所にある草原で見た、一角馬と戦っていたパーティの前衛と、強化方法が違う様に感じたので、探知のみで観察していた。
何らかの手段、とあやふやな表現なのは、魔力を使用している以外に何をどうしているのか、全く分からなかったからである。
(魔力が体全体を素早く巡っているのは分かるが…何故、強化につながる?)
正確には、魔力をどう動かしているのかは分かるが、何故その動かし方で身体強化になるのか、原理が全く分からない、である。
実際、イツキは森から帰る途中に見様見真似で、魔力を体全体に巡らせて見たことはある。
しかし、まったく効果は現れなかった。
結局、魔力を扱う技術はまだまだだと再認識する事にしかならず、苛立ち紛れに木を蹴り倒して、『今は無理か』と諦めた。
そして、身体強化の2つ目の例を見たイツキだが…
(参考には…ならないな)
それでもまだ、習得はできそうになかった。
さてどうしたものか…と考え込もうとした時、リレイが口を開いた。
「さて、ひとまずは終わりでいいですかね。あなたは…もう上がりなさい。明日以降、もう1人の門衛は別の者になるでしょう」
「…はい。分かりました」
この場を解散させる為に、今起きた小さな事件に区切りをつけ、少し早いがコズを上がらせる事にしたリレイ。
ついでに、門番は2人体制なので、トビーの変わりに別の相方が付けるだろう、と伝える。
その言葉にコズは、不服…というより、止められなかった悔いと、仕方がないという諦念を抱き、ほんの少しだけ顔をしかめてしまう。
「門衛を、あなた1人に任せるわけにも行きません。それに、彼も悪いですからねぇ。それ相応の罰は与えます」
「承知…しております。…それでは、失礼します」
どうしても割り切れない様子に、含みのある言い方で諭す様に説明するが、コズはその含みに気づくことはできず、頭を下げると屋敷を後にした。
「…ふぅ。全く、それほどですか」
暗い後ろ姿を見送ったリレイは、ため息を吐く。
普段はそれなりに頭が切れるというのに、今さっきの頭の鈍さに、どれだけショックを受けているのかと、その原因である、蹴り飛ばした者の顔を思い浮かべていた。
「まあいいです。…それで、イツキ様は何用で?様子を見に来られた、と聞きましたが」
「ああ」
「………なるほど。そのままの通りで、様子を見に来ただけというわけですか」
まあ、どんな理由であれ、自身の知ったことではない…ということで、思考を打ち切ったリレイは、ここに来た理由を聞く。
イツキが訪ねに来た理由はコズに聞かされていたが、それが正しいのか、そして様子とはどの様子なのか、詳しいことを知りたかった…と、いうのに。
イツキは、含まれている意味に気づいていながら、ただ肯定するだけで止めてしまう。
この返し方は、リレイでも流石に予想外だったらしく、まだ続きがあると思い待つこと数秒、全く話し出す気配がない事に気づくり
そして、詳細など特に無く、本当にただ様子を見に来ただけなのだと理解した。
だったらそう言え…そんな心の声が聞こえて来そうな調子を、隠そうともしないリレイだったが、一切の反応もないイツキに、細やかな抗議に意味はないかと諦めた。
「丁度、そろそろ止めにしようと思っていたので、最後に見ていただけますか?」
「ああ」
「ではこちらへ」
イツキの態度はともかく、進捗状況を見てもらうことは指針にもなり、助かる事であった。
それに、話を合わせたのではなく、本当にそろそろ終わりにしようとしていたので、今日の成果を見せるのに丁度いいタイミングだと考えていた。
また、一向に練習を止めようとしないマリスに、最後だと止めさせるいい理由にもなるだろうと考えているリレイ。
是非とも様子を見てもらおうと、庭へイツキを誘った。
今更であるが、リレイの屋敷は門を正面に見た時、横長の長方形となる敷地内にあり、芝生に囲まれる形で、右寄りに建っている。
ちなみに、噴水や像などのオプジェは存在しない。
さて、今向かっている庭と称して稽古に使っている場所は、上空から見た際、門や玄関側を手前とすると左側にあることになる。
つまり、玄関を前に左へ進み、角を右に曲がれば、開けた庭と呼ばれる場所に辿り着くのだ。
玄関側…つまり正面に庭を作らなかったのは、玄関までの道のりが長くなるから、というのは余談である。
というわけで屋敷を時計回りの方向で歩き、数時間ぶりに庭にやって来たイツキは…
(そう来たか…まあ、いい)
真剣な様子でマシになったダンスを踊る、元Aランク冒険者の息子を視界に入れる。
相変わらず、足の動きに意識が向かって、上半身が自由に動いているために、踊っているように見えていた。
それでも足運び自体は改善されており、不恰好という程酷い様にはなっていないのが救いか…いや、最初のインパクトが強すぎて、マシに見えるだけなのかもしれないが。
…まあ、そんな事はどうでもいいのだ。
それより、足運びである。
(まあまあ、か。…十分だな)
踊るマリスを見るに、気づかせる事なくリレイに課せた、足運びの基礎の基礎を少しでも覚えさせる、という目論見は上手くいったらしい。
遅れた時間を取り戻す為に、イツキが行う筈だったことをリレイに行わせ、時間短縮を図った。
その成果は、基礎の基礎の身につき具合は『まあまあ』と、微妙な評価であった。
しかし、使わなくて済んだ時間を考えると、十分だと判断できる程度にはできていたらしく、上手くいった結果に、久しぶりに機嫌がプラス方向に動いた。
表情も雰囲気も、何も変化がない為期限の変化が分かりづらい…というより、読み取ることがまず無理な筈なのだが、勘でも働いたのか。
リレイは少し自慢げに、息子の成長を話す。
「どうでしょう?少し前と比べると、かなり良くなったと思うのですが」
「そうだな。…足捌きだけならな」
流石にドヤ顔まで晒す事はなかったものの、嬉しそうな雰囲気までは隠しきれていないリレイ。
なんだか満足げな様子のリレイの言葉を、肯定する様に返したイツキだったが、上げて落とす様に、余計な一言を付け加える。
だが、この余計な一言は事実であり、この程度で満足されては困ると、伸びかけていた鼻を戻すために、付け加えたのだ。
そういった事情があって付け加えた言葉であったが、リレイからしてみれば、持ち上げられたところで直ぐに落とされた、そんな心情であった。
上げて落とされるというのはなかなか心にくるもので、リレイも少しダメージを負っていた。
持ち上げたのが、滅多に褒めることなどないイツキだったからか、余計威力が高くなっていたから、ダメージがあったのかもしれない。
「…足だけ、ですか」
「ああ。上半身への意識が無さ過ぎる」
「確かにその通りですが、それには…」
「慣れが必要、か?」
死角からの攻撃により、見えない傷を負ったリレイは、少し抱いた不満を押し殺して、評価が低い理由を問う…イツキには、その不満は全く隠せていないのだが。
そのイツキであるが、躊躇いもなくダメであると認めると、今度はその理由をしっかり答える。
リレイはマリスへ目を向け、上半身へ意識が向いていないという事は納得はした。
しかし、下半身全体に意識を向けながら上半身にも意識を向けるというのは、割と難しく、仕方がないと考えている。
両者に意識を向けるには慣れしかなく、今は仕方がないだろうと反論しようとして、イツキに先回りされる。
「えぇ」
「上半身は、足運びに必要となる重心の移動に大きく関わる。慣れを待つ暇は無い」
言おうとしたことを先回りして言われた事には、特に気にすることもなかった。
なにせ相手はイツキである、そのくらい分かっているだろうとは思っていたリレイは、頷いてその通りだと認める。
イツキはその言い分を、否定はしない。
ただ、この依頼は時間をあまり割きたくない、さっさと終わらしてしまいたい事である。
慣れを待つなどという、余計な時間を掛けるつもりは毛頭なかった。
さらに、上半身に意識を向けられないというのは、足運びを教えていく中で障害にもなる為、尚のこと、待つという気長なことは言っていられなかった。
「急ぐ理由でも?」
しかし、そこまで詳しく事情を測れないリレイの目には、その急ぐ姿が怪しく映った様で、普段と変わらぬ声で問いただす様にイツキに問い掛ける。
今回ばかりはリレイの疑いは完全に間違いであった。
「何を疑っているのかは知らないが、教えるのは足運びだけではない。他もあるのだ、急いで当然だろう」
「…そういえば、そうでしたねぇ。すっかり忘れていましたが、基礎を作ってもらうのでしたね」
意外にも、うんざりとすることもなく、急ぐ理由を普通に説明したイツキ。
実は、慣れを待たずにどんどん先へ進んでいく程度、急ぐ内にも入らないのだが。
リレイの、なんだかんだで根っこに抱いている警戒心から、急ぐ意図を深読みして勘違いするのでは、と予想済みだった為、特に不満もなかったわけである。
無駄に深読みして勘違いをしたリレイは、ごもっともな急ぐ理由を聞き、マリスの為なのだと気づき、疑った事に少し罪悪感を覚えた。
足運びの基礎が立派過ぎて、すっかり体術の基礎を作るための一環だと忘れていたのだ。
「すみませんねぇ」
「そうだな」
息子のことを思ってのことだったので、一応心を込めて謝罪をするリレイ。
イツキのなんとも思っていない態度に苦笑いをこぼし、軽く休憩に入った我が子の元へ歩き出した。




