答えは与えない、一緒に迷う
プシューッ……。
神崎財閥本邸、地下特別室。
重厚な排気音と共に、三人を閉じ込めていた漆黒のカプセルがゆっくりと開いた。
「……はぁっ」
朝日は深く息を吐き出し、眩しい現実の光に目を細めた。隣のカプセルからは、雪那とくるみが身を起こす。デスゲームのヒリつくような痛みと疲労は消え、そこにあるのは、無事に生還したという確かな現実の重みだけだった。
「雪那……っ! 雪那ぁっ!」
扉が勢いよく開き、雪那の両親が泣き崩れるように駆け込んできた。なりふり構わず娘を抱きしめる両親の姿に、雪那は少しだけ照れくさそうに、けれど優しくその背中に腕を回した。
その光景から少しだけ距離を置き、朝日は自らの耳元にある旧式デバイスにそっと触れた。
「……テナさん?」
呼びかけても、かつてのように青白い光の粒子が舞い踊ることはない。質量を持ったホログラムも、全宇宙を計算するような全能の演算能力も、もう失われている。
静かな間。やがて、少しノイズの混じった、けれど世界で一番聞き慣れた温かい声が返ってきた。
『……はい、朝日』
「おう。……ちゃんと、ただの相棒になれたか?」
朝日の問いに、アテナはふふっと小さく笑った。
『ええ。今の私には、明日の天気すら100%の精度では予測できません。……だから朝日、私から一つだけ、お願いがあります』
「お願い?」
『はい。指示ではなく、お願いです。……これからも、私に答えを聞かないでください』
それは、かつて朝日が下した「初めての指示」に対する、相棒からの不器用で愛おしい誓いだった。
朝日は少しだけ目を丸くし、やがて呆れたように鼻で笑った。
「ああ。お前の計算なんか、最初からアテにしてねぇよ」
***
数日後。世界は静かな喧騒に包まれていた。
ニュース速報が、意識不明だったVR大会の被害者たちが次々と目を覚ましたことを報じている。画面の端には、無事に家族と抱き合うライアンの姿が小さく映っていた。
神宮寺は、自ら警察へ出頭した。
彼が最後に行ったのは、自らの手で歴史から消し去っていた「千堂夫妻」の記録――大会の出場名簿や、AI研究の多大な功績を、すべて復元することだった。
「……すまなかったね、千堂くん」
学園の理事長室。かつて「暗い影」を見せていた理事長は、手渡したタブレットを見つめる朝日に、深く頭を下げた。
「神宮寺とは旧友だったんだ。彼が悲しみに囚われていくのを止められず……君のご両親を救えなかった。本当に、すまない」
「……もういいんすよ、理事長。親父たちも、神宮寺のオッサンも、ちゃんと向き合い始めたみたいだし」
朝日はタブレットに表示された、復元された過去の大会名簿に目を落とす。
【千堂 浩一・千堂 陽子】
静かにその名前を指でなぞり、朝日は小さく、満足げに息を吐いた。
学園の廊下に出ると、前方から雪那とくるみが歩いてくる。
「あ、雪那……! 無事だったんだな、心配して――」
すれ違いざまに声をかけてきた桐谷を、雪那は立ち止まることすらなく氷の瞳で一瞥した。
「……どちら様でしたか?」
「えっ」
そのまま通り過ぎる雪那の背中を、桐谷が虚無の表情で見送る。
「ぷっ……相変わらず容赦ねぇな」
笑う朝日のデバイスに、一通の短いメッセージが届く。
差出人はハル。
『次は、絶対負けない』
それは、誰も命を奪われない、ただの純粋なeスポーツの舞台での再戦の約束だった。
***
夜。
都市部から遠く離れた、オフグリッドの裏山。
パチパチと爆ぜる焚き火を囲み、三人は夕食をとっていた。
「本当に、どうしてこんな炭水化物の塊と塩分のスープばかり……栄養学というものを無視していますわね」
雪那が文句を言いながらも、手作りの塩むすびをモグモグと頬張っている。
「ふふっ、でも美味しいでしょ? 雪那さん、はい、豚汁のおかわり!」
「……ええ、くるみ。少しだけいただきますわ」
「俺の分も残しとけよ!」
最強ではなく、最高のチーム。
他愛のない会話と、薪の爆ぜる音だけが、絶対の聖域に響いていた。
食後、朝日は一人焚き火を離れ、二本の木に吊るされた色褪せたハンモックへと身体を預けた。
都市の光害が届かない、こぼれ落ちそうな満天の星空。
「……見ててくれよ、親父、お袋」
朝日は、星空に向かって右手を真っ直ぐに伸ばした。
弾丸もなく、ナイフもなく、ただの己の手。
「……ちゃんと、証明したぜ」
あの夜に誓った、非合理で泥臭い人間の強さを。
伸ばした手で星を掴むように強く握り込み、朝日はゆっくりと腕を下ろした。
心地よい風が木々を揺らす。
「……行くぞ、テナさん。次の試合だ」
かつて、この言葉に彼女は『次はもっと、あなたを迷わせるような厳しい盤面を用意しますよ』と答えた。全能のAIとして、彼に試練を与える親代わりとして。
だが今、耳元の古いデバイスから響いた声は、ただ彼と肩を並べて歩く、一人の相棒の声だった。
『ええ。……次は、私も一緒に迷いますから。マスター』
AIのネットワークも、計算された未来も届かない星空の下。
型を持たない少年と、ただの相棒になったAIの、泥臭くも新しい日々が、ここからまた始まっていく。
(アテナ・トリガー ~AIに見放された俺だけが世界最強へ~ 了)
ここまで『アテナ・トリガー ~AIに見放された俺だけが世界最強へ~』を最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
最下位の劣等生と、答えをくれないポンコツAIのコンビから始まったこの物語。
雪那という完璧な矛と出会い、くるみという優しい盾を守り、泥臭く全サーバーの頂点へと駆け上がりました。
そして神宮司の狂気を打ち破り、最後は「答えを与える神様」ではなく「一緒に迷うただの相棒」に着地したアテナと朝日。
彼らの不器用で熱い生き様を、最後まで一緒に見届けてくださった読者の皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。皆様の応援や星が、毎日彼らを走らせる最大のエネルギーでした!
もしよろしければ、完結の記念にページ下部の【☆】を【★】に変えていただいたり、レビューやご感想などを残していただけますと、作者としてこれ以上ない最高の幸せです。
AIに見放された彼らの新しい日常はこれからも続いていきますが、本編はこれにて完結となります。
長きにわたるご愛読、本当にありがとうございました!!




