09 64歳 狂犬ヘンリー・クレイ・フリックとの決別
外敵であるロックフェラーとの戦いに決着をつけたアンドリューは、いよいよ、身内に残った最後にして最大の障壁、ヘンリー・フリックの排除に動き出す。
この時すでに、ホムステッド事件の凄惨な記憶という遺恨、そして会社の経営方針を巡る対立により、二人の仲は修復不可能な域に達していた。かつて最強のタッグを組んだ二人の間には、もはや罵り合いの言葉しか残されていなかったのである。
一八九九年、ついに決定的な爆発の瞬間が訪れた。きっかけは、フリックが所有するコークス会社からアンドリュー鋼鉄へ供給される燃料の「価格」を巡る争いであった。市場価格での取引を求めるフリックに対し、一セントの無駄も許さぬアンドリューは、過去の契約を盾に、不当な安値での供給を強要した。
「これ以上、君の強欲に付き合う気はない」
フリックが冷たく言い放つと、アンドリューの内部に眠る「独裁者」の血が沸騰した。
「ならば、我が帝国から出て行くがいい!」
アンドリューは、かつてフリックに無理やり飲ませた「鉄の誓約」を発動した。筆頭株主は他の株主を強制的に退職させ、その株を「額面通り」という格安価格で買い取ることができるという非情な条項である。フリックが血と汗で築き上げた数千万ドル相当の株式を、わずか数百万ドルの二束三文で巻き上げ、彼を文字通り路頭に迷わせようとしたのだ。
しかし、フリックはこれまでアンドリューが操ってきた並の男たちとは違った。彼は冷徹な「執行人」であると同時に、主君に牙を剥くことも辞さない狂犬であった。
「私をただで追い出せると思うなよ、アンドリュー」
一九〇〇年、フリックはアンドリューを相手取り、前代未聞の巨額訴訟を起こした。裁判が始まれば、アンドリュー鋼鉄がいかに法外な利益を上げ、いかに労働者を搾取し、どのような闇のカルテルを結んできたか、そのすべての「企業秘密」が白日の下に晒されることになる。全米の新聞は「世紀の怪物対決」と報じ、世論の指弾を恐れるアンドリューはパニックに陥った。帝国のイメージが崩壊すれば、株式の価値も暴落するからだ。
追い詰められたのは、仕掛けた側のアンドリューであった。
結局、他の共同経営者たちの必死の調停により、アンドリューはフリックに三千百万ドルという、当時としては天文学的な和解金を支払わざるを得なくなった。フリックは追放されたが、主君の財布から莫大な富を毟り取り、事実上の勝利を収めて帝国の門を去ったのである。
これ以降、二人が言葉を交わすことは二度となかった。
ロックフェラーとのチェスに勝つための最強の駒であったフリックが、強すぎるがゆえに、最後は主君アンドリューの手を噛みちぎった。これが、アンドリュー帝国絶頂期の裏側に隠された、あまりにも冷酷な真実であった。
◇
フリックとの和解は、破滅的な暴露を食い止めるための「外交的勝利」に過ぎなかった。法廷の扉は閉じられたが、世間の疑惑の目は、すでにアンドリューの黄金の仮面を剥ぎ取っていた。
訴状の内容や異常な利益水準の一部は、すでに新聞各紙によって大々的に報じられていたのである。世間は、カーネギーの富が当初公表されていた以上に凄まじい搾取によって成り立っていることを、この時初めて具体的な数字として知ることになった。
アンドリューは痛感していた。どれほど巨額の和解金を積もうとも、一度飛び散った泥は、言葉だけでは決して拭えない。この「露呈しかけた汚い部分」を覆い隠し、自らの名声を死守するために、彼は即座に動く必要があった。
和解からわずか数ヶ月後、アンドリューはピッツバーグ市長に対し、一つの壮大な提案を行う。
「自分の工場で働く労働者やその子供たちが、専門的な技術を学び、自立できる場所が必要だ」
彼はそう宣言し、労働者の子弟のために技術学校(現在のカーネギーメロン大学)を建設することを公式に表明した。これは、フリックとの泥沼の争いで失墜した「ピッツバーグの守護神」という地位を、教育への巨額寄付という形で強引に取り戻そうとする、迅速な「名誉回復の布石」であった。
ニューヨークのカーネギー・ホールが、彼が社交界に捧げた「華やかな花束」だとするならば、ピッツバーグに築かれたこの学舎は、彼が己の過去を清算するために大地に深く打ち込んだ「贖罪の杭」であったと言えるだろう。
◇
フリックが巨額の和解金と共に去った後、アンドリュー鋼鉄は名実ともにアンドリューの一人舞台となった。しかし、世間や競合他社はこう冷ややかに見ていた。
「冷徹な執行人フリックがいなくなったアンドリューは、もはや恐るるに足りない」
ウォール街の支配者、J.P.モルガン(ジョン・ピアポント・モルガン)もまた、そう考えた一人であった。
アンドリューがスコットランドの地で産声を上げた二年後、モルガンはコネチカット州ハートフォードの裕福な家庭に生まれる。父ジュニアス・スペンサー・モルガンは、ロンドンを拠点に活動する国際的な銀行家であった。
アンドリューがスコットランドの貧民街で機織り機の音を聞いていた頃、モルガンはスイスやドイツの大学で高度な教育を受け、数学と語学に類まれな才能を発揮していた。彼は生まれながらにして、世界の「カネの流れ」を支配する側になるべく育てられたのである。一八五七年、ニューヨークの金融界に足を踏み入れたモルガンは、父の築いたネットワークを武器に瞬く間に頭角を現した。当時のアメリカにおいて、彼は「金融界のナポレオン」あるいは「絶対君主」と呼ばれ、恐れられていた。
当時のアメリカは急速な工業化の渦中にあり、無数の企業が誕生していた。しかし、各社が顧客を奪い合うために極端な値下げを行い、結果として業界全体が不況に陥るという悪循環が常態化していたのである。
J・P・モルガンは、企業同士が安売り競争をして共倒れになることを「非効率なカオス」として何よりも嫌った。競争相手がいなくなれば価格は安定し、確実に利益を出せるようになる。彼はこれを「破壊的な競争からの救済」と呼んだ。
モルガンは銀行家としての圧倒的な資金力を武器に、アメリカの産業構造を根底から作り変えていった。バラバラで過当競争を繰り返している業界を、巨大な資本の力で強引に一つへとまとめ上げ、独占的な秩序――すなわち「平和」を作り出していったのだ。世間はこの手法を「モルガニゼーション(モルガン化)」と呼んだ。
このモルガニゼーションの最大の特徴は、会社の経営権を現場を知る「創業者」から、数字を操る「銀行家」の手へと移したことにある。
モルガンはこの手法を、まず鉄道業界で、次いで電気へと適用していった。
鉄道業界においては、倒産しかけていた多くの会社を統合し、不毛な運賃競争に終止符を打った。次いで電機業界では、あのエジソンの会社を含むライバル数社を合併させ、世界最大の電気メーカー「GE」を作り上げたのである。
◇
そんなモルガンが、最後に狙いを定めたのが鋼鉄業界であった。
十九世紀末、鉄鋼業界は「原料や粗鋼を作る会社」と、それを「加工して製品(釘、ワイヤー、チューブ等)にする会社」に分断されていた。アンドリュー・カーネギーは前者の頂点に君臨していたが、モルガンはこのバラバラだった加工会社を次々と買収し、巨大な連合体を作り上げた。
この統合には、二つの狙いがあった。一つは、消費者に近い最終製品の市場を独占して価格を支配すること。そしてもう一つは、アンドリューからの決別である。モルガンの連合体の中に製鉄部門を自前で持てば、もはやアンドリューから高い鋼材を買う必要はない。利益をすべて身内で回せるようになる。
「加工会社をまとめ、自前の製鉄所を稼働させれば、アンドリューは最大の顧客を失って干上がるだろう。その時こそ、彼の帝国を安値で買い叩く絶好の機会だ」
これは、音も立てずに忍び寄る、アンドリューへの「静かなる宣戦布告」であった。




