黄昏
「まず行うべきはこれ以上の侵攻の阻止だ。予定通り、ウラル山脈より西は危険区域に指定する」
「「「「ッ!」」」」
レグルスの言葉に皆は狼狽えた。
ウラル山脈は、謂わばヨーロッパとアジアの境界線。
即ち、彼の発言はヨーロッパ全土を吸血鬼達に明け渡す事を意味していた。
「お待ちください本部長ッ!!」
たまらず声を上げたのは、カイロ支部支部長アブドゥルハーリサ・シャムス。
「本当に、やるんですか? それではまるで、我々が負けたと──」
「そう言っている」
「ッ……」
カイロ支部含め、アフリカ大陸北部に設置された3つの支部はヨーロッパからの侵入を食い止める謂わば門番である。
アブドゥル達からすれば、レグルスの発言は自分達の献身を、何百万の犠牲を軽視するに等しい。
「『王の剣』が動いたという事は、『鬼の姫』の発言の信憑性も増してくる。奴等の標的は恐らく『鬼の姫』の現在地、即ち"日本"。領土を狭め、守りを固める」
「…………なら『鬼の姫』を……処分しましょうよ」
『処分』──それはアブドゥルの口から無意識に言葉として出ていた。
この場の皆が思いながら、それでも憚られたその言葉を。
口にしてすぐ、アブドゥルは軽率な発言だったと気付く。
だが一度口走った以上、もう彼は止まれない。
守るべき国民達の為に腹を括った。
「敵の狙いは『鬼の姫』だ。アレを処分すれば……御手洗支部長ッ!! この世界を思うなら──」
「『鬼の姫』は我々の所有物だ。権限は此方にある」
徹雄はアブドゥルの意見を一蹴した。
まるで聞く耳を持たない物言いに、アブドゥルは血が出るほど拳を固く握り締め、勢いよく立ち上がった。
「正気か!? 既にどれだけの犠牲が出たと思って──」
「あくまで仮説だ。純血の眷属は稀有。確実な根拠がない限り、手放すつもりは無い……少なくとも、最終目標を達成するまではな」
「『浄化計画』の事か? あんな物……ハーストラス家が残した負の遺産だッ!!」
ガダンッ!!
アブドゥルの発言に、今度はミハイルが立ち上がった。
「有栖の前で、それは──」
「事実だッ! 叶いもしない理想をいつまで追い掛けるッ!! 吸血鬼は人には戻れないッ!!! 一度堕ちれば……それまでだッ!!」
アブドゥルは息が切れるほど声を荒げ、ミハイルへ怒号を飛ばした。
彼はミハイルとは違う。
部下達の犠牲を簡単に割り切れない。
「……」
そんなアブドゥルを、自分とは正反対な指揮官としての姿をミハイルは否定しなかった。
ただ何も言わず、苦痛に塗れた表情を見せるアブドゥルを哀れんだ。
「そうじゃなきゃ、ならないんだ……」
アブドゥルは小さく呟いた。
吸血鬼を人に戻す。
アブドゥルとて、そんな未来を望んだ経験はある。
むしろ彼が一番望んでいた筈だ。
しかしそれが叶ってしまうのなら、これまでに吸血鬼に堕ちた者達も、かつての仲間を手に掛けた自分達も報われない。
何より600年の歴史と積み上げられた研究結果が物語っている。
彼は既に、期待する事に疲れ──
「本部長、発言の許可を頂きたい」
殺伐とした空気の中、有栖が声を上げた。
レグルスは何も言わず、右手で『どうぞ。』と許しを出した。
「シャムス支部長、貴方の意見は正しい」
「なッ……」
身構えていたアブドゥルにとって、有栖の寄り添った一言目は予想外の物だった。
困惑を声に漏らすアブドゥルに、有栖は発言を続ける。
「これ以上、我々の研究の為に犠牲を出す訳にはいかない。だが、此処に居る皆も一度は望んだ筈だ……吸血鬼の居ない世界を。我々が諦めては、誰が成し得る」
「綺麗事を──」
「だから私達が戦う。責務は此方で果たす」
「……なんだと?」
「レージライタイ支部長。どんな理由であれ、貴方は吸血鬼達にやり返したい。違いますか?」
「ッ!」
姪から急に話を振られたミハイルは驚いて目を見開くも、彼女の意図を察してにやりと笑った。
脱力して背中から落下するように席に座った。
「その認識に相違はないよ。現状を打破しない限り、僕に明日は無い」
「ラサラス室長、貴方も──」
「当然だ。というか、それ聞くならウチの支部長だろ」
そう言って腕を組んで座るラサラスは、右手の指で隣に座る大柄な男を指差した。
その身長はゆうに2mを超え、かといって身長だけでなく骨格もしっかりとしていた。
そんな彼の右脚は、銀色の丈夫そうな義足に置き換わっていた。
イギリス支部支部長ガレス・ソーバーンは何も言わず、画面越しに有栖と目を合わせた。
大抵の人間なら目を逸らし萎縮してしまうであろう状況だが、有栖は一切狼狽えない。
「貴方が既にイギリス支部の実権を牛耳っているのは有名な話だ。支部長も貴方の選任と聞くが?」
有栖は呆れた様子でラサラスへ尋ねた。
ラサラスは「フン」と鼻を鳴らし、そして隣に座るガレスへ声を掛けた。
「おいバレてるらしいぞ。どうする?」
「知りませんよぉ……ラサラス様がどうにかしてくださいよぉ」
「相変わらず図体だけの支部長だな……質問への回答はYES、復讐には大賛成。既に『王の剣』を討伐する準備は始めている」
ミハイルとラサラスの回答を聞き、有栖は改めてレグルスへ視線を向ける。
「つまり、我々三方の意見は同じ。迎え撃つのはもう限界だ」
「攻め込む、というのか? それは我々の指針に反して──」
「本部長。我々の先祖は、何の為にGAVAを設立したのでしょうか?」
「ッ……」
「全てを取り返す為だ。私は、いや、我々は彼等の意志を紡ぎ全うする」
日が沈み、奴等の時間になっていく。
朝と夜の境界、黄昏の到来と共に、彼女は宣言する。
「10月31日──我々は吸血鬼の王ヴラド・ツェペシュと、それに連なる眷属達を討つッ!!」
有栖の言葉を皮切りに、止まった時が動き出す。
人と人ならざるモノの戦い。
意志を紡ぐ者達と、血で繋ぐモノ達の戦い──
彼等の戦いは後に『一夜戦争』と呼ばれる。




