第九話
ユリスは、今という瞬間を逃してしまったなら、自分は一生浮かび上がれないかもしれない、そのような危機感もあって、いろいろと伝手を使ってボクの住居を調べ、休みの間に使いの者を差し向けたのだそうだ。
しかし、休みの間、残念ながらボクは不在だった。
休みが終わって十日ほどは、声を掛けようかどうしようかと逡巡していたらしい。そして昨日、思い切って声を掛けたのだという。今まで受け身であっても相手が気遣ってくれていただけに、声を掛ける勇気は並大抵ではなかった。でも声を掛けて本当に良かった、こうやって普通にお話ができたのですもの、と彼女は切々と語った。
ユリスの話を聞いた瞬間、ボクは両肩にずしりと重い何かが載っけられたのを感じた。それはボクよりもおそらくちょっと背の高い彼女の体重以上の何かだった。真摯でひたむきで、そしてどす黒く粘性のある何かだった。
ここで断るのは簡単だった。
しかし、それでは切ない願いを抱き続けた彼女の心は、本当に折れてしまうかもしれない。二度と這い上がれない深い深い泥沼の底に沈み込んでしまうかもしれない。
いくらお姫様で、これから先も何不自由なく暮らしていけるとしても、それではあまりにも人生はモノトーンだ。何とかしてあげたいと思う。心は動いた。
ユリス・デ・ライデル、そしてライデル杯。今まで全く考えもしなかった二つの大きな課題を目の前にぶら下げられ、ボクの気分は少しだけ沈痛だった。
しかも、曖昧にお茶を濁せるような決断ではなく、イエスかノーかの二つにひとつ。ゆっくりと考えて明日にでも返事をしよう、でもおそらくダメだろう。今ここで答えを出さなければならない。
しかし、待てよと、とも思えた。この前の夜にも感じたが、ボクはあまりにも人付き合いがなさすぎる。クラスメイトは全て、顔見知り程度で、名前すらよく覚えていない人もいるくらいなのだ。
今まで、自分の秘密を守ろうとするあまり、偏狭になりすぎてやしなかっただろうか? 知己のひとりや二人はいてもいいはずだ。だって、世間的には普通の苦学する女子学生なのだから。ボクに人付き合いがほとんどない、そのあたりもユリスには調べが付いている可能性も高い。
「あなたはずるい人だ、お尻から先の尖った黒いしっぽでも生えているんじゃないですか? ユリス・デ・ライデル姫」
そう言いながらボクは右手を差し出した。
顔は少し強張っていたかもしれない。差し出した手をユリスはおずおずとしながらしっかりとした意志の力で握り返してきた。指が細く、小さなしなやかな手だった。
ただし無条件ではない。ボクからはいくつかユリスに注文を付けた。すべて受け入れてもらえないのであれば、お断りするしかないとも。
「私にだってできない注文だってあるかもしれない。もちろんできる約束なら全て受け入れるつもりだから、お願い言ってみて」
せっかく捕まえかけたパートナーをここで取り逃がすわけにはいかない。彼女なりの必死さが伝わってくる。
「何、それほど難しい注文ではないよ」
そう言ってボクは彼女にいくつかのお願いを突き付けたのだった。
まず、一番大切なのは、このライデル杯に出場するパートナーシップが、スミタマとユリス・デ・ライデルの友情と絆に根差していなければならない。端的に言って、試合をともに戦う相手であるより、ますは友達になろう、友達だからお姫様扱いはしない。
次に大会に出場するからには、皇家の人間だからなおさらに敢闘では意味がない、あくまでも優勝を、それも大学院生までも倒して総合優勝を目指し、努力と知恵を絞りつくす。
そして、内容やリーダーシップはどうあれ、大会の結果や成果はすべてユリスの成果でもあるから、どちらかがどうこう、ではなく、共に喜びを分かち合い、恩を着せ合うのは止めにしよう。
差し当たって、この三つをユリスに告げた。
クラスの選抜試験まで二ヶ月ちょっと、本大会まで二ヶ月半ほどある。その間、二人で秘密特訓をしようとボクは提案した。できればお付きの護衛も遠ざけて、近侍させるとしてもよほど志操堅固な者に限る。その訓練に適した場所を探してほしい。
「私、今まで、近づいて来る人はたくさんいたけれども、ひとつの目標に向かって、友達と何かをするなんてしたことがなかった。本当に嬉しい、これからもずっと私の騎士で、いや友達でいてほしい。ありがとうスミタマ」
ほっとしたのか、ユリスは目に涙を浮かべながら、全てを承諾し、必ず守ると約束してくれた。
ここまでユリスが約束をしてくれたのであれば、ボクもそれに応えなければならない。クラスの代表に選ばれるのは、さして難しくはないにだろう。そこから先は、ボク一人で戦えるのであれば優勝は揺るぎないけれども、ユリスと二人のチーム戦、どのような展開になるのかは未知数だ。
だいいちライデル杯のルールすらボクはほとんど分からない状況だ。クラス選抜戦は約二ヶ月後、戦いはすでに始まっていると考えるべきだろう。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。ちょっと堅めだけど、こういう小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、評価などを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】