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新たに召喚した聖女フェアリーエムは、ダナーの領地で罪人となった。
「また召喚するのか? 核の量が少ないというのに…」
「ですが次の蝕まで待てません。我らが召喚した異物は、まだ王家への献上品を完成させてはいないのです」
役目を終えた前回の巫女から次の蝕、この代で初めて召喚されたフェアリーエルは、多少の幻獣の核の収穫には協力したが、異世界の有益な情報をあまり持ち合わせていなかった。
約三百年前、現在の王家グロードライトが革命により旧王家エルローサを倒した。
グロードライト大公家を影で支えた境会は、彼らが王家となってからも、国を纏めるために様々な協力を惜しまなかった。
その一つが、境会が異界から異物を召喚し、王を助けるための知識や情報を得ること。
他国には存在しない魔力や人力を使用しない、核で動く保冷庫、冷風機、温風機など。歴代の召喚異物が提案したもので、未だ実用化されていないのは、馬を用いない車と、空を飛ぶ大型船だった。
これはどの異物も提案はするのだが、構造を詳しく知るものが居らず、製作は空の模型のみ。
最新技術のそれを定期的に貴族に普及して、国王は国内の支持を強めていった。
召喚は空が闇になる蝕に行われる。
今回フェアリーエルの失敗により新たに召喚されたが、フェアリーエムと名付けられた異物は、ダナーの領地で愚かな行為を行って、境会が関与する前に捕まった。
「そもそもなぜあれらは、呼び寄せるとダナー大公領に現れるのだ?」
「おそらく、未だダナーには多くの幻獣が残っているので、その魔力に惹かれて道が繋がるのだと、過去に言っていた祭司が居りましたね」
「成る程、幻獣を狩るために、異物たちが引き寄せられているならば都合がよいが、しかし、これほどとはな」
教本に記されている通り、落とされる異物は現代の教養がなく、それを理解させるのが困難で、更にそれらは繁殖を目的とするものが多いとあった。
「…全く。番う事しか頭にないとは、使えんな」
フェアリーエルは常に王族貴族の男たちに、分かりやすく媚を売っていたと報告に上げられていた。
「エルに関しては、保冷庫や温水器など、すでに実用化された物ばかりの提案しかありませんでしたしね。聞くところによると、エムもダナーで公子殿下を呼び捨てしたらしく、その様なものからは、有効な情報は期待出来なかったでしょう」
ため息に資料を見下ろした、深紅の外套を纏う二人の主祭司。
「そういえば、あの者が、ダナー大公令嬢の件で、気になる事があると言っていましたが」
「あれか。大方、ダナーの令嬢を仕留め損ねた言い訳だろう。次はないと、念を押しておけ」
了承に一礼したのは壮年の主祭司。戸口に佇むのは灰色の外套を纏う者たち。それを見た皺だらけの顔の奥、つぶらな瞳を苛立ちに歪め、老いた主祭司は祭壇の間を後にした。
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王太子の命は狙われたが、実行犯の口は封じられ証拠は全く出てこない。それを指示した本人は、殺害対象ににっこりと商売用の笑みを浮かべた。
「くれぐれも、自死だけはお気をつけ下さい。王族や貴族のお方は、自尊心の損失により、他よりそれを早く選ぶ傾向がありますので」
エルストラを求めた隣国の公爵は、肥満体で悪臭を放ち、陰湿な性格で嗜虐的な性癖を持つ事で有名だ。
「取引先のお客様は、常に生きた若い身体をお求めなので」
婚姻後の生死は問わない。爵位の復権と引き換えに売られた少女の罪は、恋により盲目となった事だった。
「それはフィンセンテの者たちも心得ているだろう」
一族のものたちは、愚かな行為に及んだエルストラに怨嗟をぶつけて、同情する者はいない。憔悴していたはずの第三王妃は、売られる娘は居なかった事にしたようで、今は保身のために足繁く王の元に通いすがり付いている。
契約書類を封じたアーナスターは、一礼して戸口に向かう。そしてくるりとグランディアを振り返った。
「いつもナイトグランドのご利用、ありがとうございます。王太子殿下」
「……」
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王太子の執務室を後にしたアーナスターは、中庭から食堂テラスを見上げた。ここからは、窓辺に座るリリーの姿がよく見える。
普段は黒の貴族に囲まれて、なかなか目にする事が出来ない。噂の美しい令嬢を一目見たさにこの場所から見上げるのは、アーナスターだけではなかった。
世間では、死や恐怖が色濃く付きまとう印象により、彼らを畏れる者が多い。そして更に、それに関連する善くない噂話も事欠かない。
だがダナー家の者たちを実際に目にした者たちは、彼らの美しさに心を奪われ、焦がれ、常に目で追ってしまうのだ。
中庭には庶民制服の生徒の他に、王族制服の姿も見える。
アーナスターはこの有象無象に紛れるつもりはなかったのだが、グランディアの兄弟粛清以来、ダナー家の者たちは、リリーとアーナスターとのやり取りを完全に拒絶した。
(リリー様…)
もちろんこのままにするつもりは無かったアーナスターだが、今は逃亡した兄の勢力を抑える事が先決だった。
(もう少し落ち着いたら、必ず迎えに行きます)
自分とリリーを阻む壁。それを壊すには、まだ力が足りない。
「ピアノさん!」
決意にリリーの姿を目に焼き付けていると、不意に声をかけられた。
(……誰?)
初めて見る女子生徒は、アーナスターと同じく一般生徒の制服を身に纏う。
長い黒髪、白い肌、どことなく青く見える印象的な瞳。それにアーナスターは、恋しい令嬢の姿を重ねて見た。
「あ、いきなりごめんね。私、フェアリーン」
「……」
「今日学園に来たばかりなんだ。でね、いろいろ見学していたら、あなたを発見して…」
(…なんだろう…。声までリリー様に似てる気がする)
「知り合いが他に居なくて。出来れば、お友達になってくれないかな?」
「……家名は、どちらですか?」
「あ、申し遅れました。私、フェアリーン・クロスって言うの」
**
カタン。
菓子を運ぶ手を止めて、間抜けた表情で自分を見上げたと、驚くリリーの姿にフィエルはほくそ笑む。
「それで? 私を招待したからには、どんな持て成しをしてくれるんだ?」
リリーの周りに侍る十枝からは、静かな殺気がこぼれ出る。スクラローサ学院の規則が無ければ、こうして向かい合って座る事も無い者たち。
見ただけで胸が悪くなったリリーの前に並べられた甘味の山。それをどうこうするつもりは無いが、フィエルは苦いコーヒーを口に含み、食べてもいない甘味を打ち消した。
「前にも言ったが、あれと関わる事は止めて頂きたい。取り入っても無駄だ。結局彼は、左側の同胞なのだ」
リリーから積極的にグランディアに話しかける事は無い。だが王太子は、忙しい合間を縫っては右側に足を運ぼうとする。それを何度か止めたフィエルは、苛立ちをリリーにぶつけた。
「……」
「あれが王座に座った時、右側は、左側に頭を垂れるのと同じになる」
黒の令嬢と白の公子が向かい合う、異様な光景の学生食堂。更に笑いながら言ったフィエルの言葉に、その場の空気が張り詰めた。
「……フン」
「?」
右側にとっては冗談でも許されない侮蔑。これに令嬢の激怒する姿を期待していたフィエルだったが、意外にもリリーは、決壊しそうな緊張を鼻で笑うと、菓子をつまんで一口食べた。
「何を言っているのか、さっぱり分からないわ」
「これは残念だな。こんなに分かりやすく教えてあげたのに、理解出来ないとは」
静まり返って、ざわめきも聞こえない食堂内。口に入っていた食事を、音を立てないように漸く飲み下した生徒たちをよそに、フィエルをじっと見つめたままのリリーは、新しい菓子をつまむとそれを口に運ぶ。
「食べてもいいわよ」
差し出されたのはクリームがこんもりと乗せられたクッキー。それに吐き気が込み上げたフィエルは、苛立ちに眉をひそめる。
「結構だ」
「物欲しそうに見てるから」
「……」
話にならないと、侮蔑に笑って席を立とうとした。だがそのフィエルに、リリーは両手を広げた。
「闇は右手に、光は左手に。間違えてはいけないわ、意味の無い善悪は、いつでも闇が覆い隠せるのだと」
「……」
見ると真白い両手の平には、白砂糖と黒砂糖が厚塗りの焼き菓子が乗っている。
「王が左側に傾けば、右側は不文律を放棄するだけよ」
左側だけを護る王ならば、それを廃するだけ。廃する事が出来ないならば、下げた頭を上げるだけ。
「あなたこそ、こんなに簡単な事もわからないのね」
憐れみを浮かべて微笑むダナー家の令嬢は、未来の王家と敵の旗頭になる男に宣戦布告をした。そして見せつける様に掲げた白の焼き菓子を、ぱくりと口に放り込む。
「…………フッ」
思ったよりも、馬鹿ではない。
感情を顕に品なく激昂する事もしない。
更にフィエルと立ち向かう度胸を持っている。
立ち上がった左側の貴公子は、それを目で追っただけのリリーを見下ろす。
「世に出たことの無い令嬢は考えが短慮だな。いかに甘やかされて育てられたか分かる」
カタリと動いたメイヴァーを片手で制する。口の中のクッキーを飲み込んだリリーは、フィエルに更に微笑んだ。
「お食事中に立ち上がるなんて、あなたこそ、お母様にマナーを教えていただかなかったみたいね。お可哀相に」
そして手にした黒の菓子を一口。その姿をうんざりと見たフィエルは、それ以上は無言で食堂を後にした。
**
「ああ、まだ、生きていると思うよ。…兄上は、行かない方がいいってさ」
早朝、珍しく早めに食卓に現れたメルヴィウスに、新聞を確認していたグレインフェルドが問いかけた。
ダナー領に現れた、不審な女の事後報告。
あらゆる手段を用いて境会との繋がりを問い詰めたが、知らないの一点張りで有益な情報は得られない。
フェアリーエムと名乗る女は、何故かグレインフェルドに異常な執着を見せ、どこで調べたのか、一族でも親しい者しか知らない馬好きの趣味まで知っていた。
「新しい情報は、もう出ないとトライオンから聞いてる」
その女から得られたものは、現在は拷問により面相や髪型が変わり果て、幻術でもリリーの面影が全く無くなった事だけ。
「あの幻術、境会の奴らの仕業だろ。証拠が見つかったら、即殲滅してもいいよな?」
給仕から運ばれて来たコーヒー。それを手にしたメルヴィウスは、妹を狙う組織を思って邪悪な笑顔を見せた。それにグレインフェルドも、同じ様な笑顔で応える。
「奴らと王家は繋がりが深い。確実に、逃げられない証拠が必要だ。そう言えば、セオルはどうした?」
「その事で、旧教会に行くって言ってたな。そろそろ戻って来るかも…」
「おはよう!」
復学してから初めての休日。久しぶりに朝から着飾った妹をみて、二人の兄は穏やかにそれを振り返った。




