15
第三王女エルストラが、ステイ大公令嬢リリエルを階段から突き落とした。
ひきつれた叫びがあちらこちらで聞こえたが、教典を投げ捨てた教師の一人が、落ちるリリーを受け止め下敷きとなった。
「うっ、」
「急に動かないで」
数段を共に落ち身体を段差に打ち付けた教師はセオル。誰かの悲鳴と何かを叫ぶ声が響く中、妙に落ち着いた声が耳に落ちる。
顔を触る冷たい手にセオルが瞳を動かすと、灰色の外套に境会の祭司の証である金色の刺繍帯が見えた。
「息苦しくないですか?」
周囲の騒々しさと反して、祭司の教師は妙に冷静で、横たわるセオルの脈を取り呼吸音を確認する。蝋の様なその手が次にリリーの唇に向かうと、それに気付いたセオルが痛む腕を振り上げた。
「……」
「大丈夫です…。私が、」
意図せず払われた手に、境会の祭司はピタリと動きを止めた。黒ではない鈍色の厚い前髪に覆われて、男の表情はよく分からない。
セオルは痛みに呻きながら身体を起こすが、横たわるリリーはぐったりと動かない。駆け足で傍に来た黒制服の生徒の一人は、自分も蒼白な顔で覗き込んだ。
「姫様、」
「救護官は呼んでいますね。頭や首、打ち所を考えて、まだこのまま、動かさない方がいい」
呼吸は浅いが脈はある。気道は確保したが、これ以上は下手に触る事が出来ない。セオルの確認を傍で見ていたエレクトは、自分の上着を脱いでリリーに被せる。だが固い上着の質感に、これでは駄目だと待機する部下に強く命じた。
「身体が冷える、毛布を!」
周辺では教師が野次馬の生徒を遠ざけて、救護官を呼ぶ慌ただしい声がする。
「姫様、お願いです、目を開けて下さい」
意識だけでも確認したい。セオルとエレクトは、そっと慎重に、何度も真白い少女の顔に声をかけ続けた。
「リリー様、リリー様、」
すると瞼がピクリと一つ痙攣し、微かに唇が開いた。
「姫様! 気付かれましたか?」
エレクトの声かけに、リリーの蒼い瞳がうっすらと開く。背後で様子を見ていた王太子もそれを確認すると、踵を返して階段を上がっていった。
「リリー様、聞こえますか?」
『…………、…………、………………』
いつもの何かを呟いて、おぼろ気な瞳は気だるく伏せられる。それをエレクトは真摯に見つめ、セオルは痛みを堪えて一つ息を吐いた。
「…なぜいつも、あなたは危険な場所に行くのですか?」
思ったよりも、縋るような声が出た。セオルは、目を閉じたリリーに強く語りかけた。
「ご自分の命を、大切にして頂きたいのです」
*
(失敗したのか)
灰色の外套、金色の刺繍帯。涼しげな光の無い黒の瞳は、旧教の神官が身を挺した事により救われたリリー・ダナーをじっくりと観察する。
(そういえば、おかしな事があったな)
国全体にかけられている術式によって、召喚された異物の容姿と言葉は変換されているはずだった。
異物と相対する者が好意的に捉える容姿と、異界言葉の翻訳。
だがリリー・ダナーは、召喚異物と同じ言葉を話したように聞こえた。
「…………」
「祭司エンヴィー! 手当てをお願いします!! 君たち、救護官に至急連絡を!」
王太子と他の教員に急かされて、その場は倒れる二人の確認を優先した。直ぐに黒色の制服に囲まれて、目的の少女は救護官の担架で移動される。
「有り難うございました」
「いえ。あなたも王家の血筋。ご無事で何よりです」
「……」
少女を庇って強かに全身を打ち付けた神官セオル・ファルは、明らかに彼の方が負傷していたが、救護官の担架を拒むと、教員や生徒に囲まれ自分の足で医療室に向かう。
『私、何もしていない。だって皆、見てるはず、エルストラちゃんが虐められてると思って、止めに行っただけです』
こちらも教員と警備隊に囲まれて、言い訳だけをしている異物。
そして少し離れた場所には、犯人を断罪する厳しい顔のグランディアが立っていた。
「何をしたのか、分かっているな?」
青空色の瞳は、冷気を纏ってエルストラを見据える。見たことのない冷たい顔に怯え、何故か気持ちに反して笑顔を作った。
「グランディア様、私、私は、あれは、故意ではないのです、あの者が、あの者は、ここに居ては、いけないのです…」
「連れて行け」
「グランディア様!」
警備兵に腕を掴まれ取り乱すエルストラに、今直ぐにでも首を跳ね飛ばしそうな殺意をぶつける。強い怒りを顕にしたグランディアに、それを周囲は恐々と見守っていた。
(存外、思いきって突き飛ばしたものだが、惜しかったな)
召喚異物が全く仕事をしないので、そろそろダナー家の大公女を葬ってみようと、上から指示があった。
なのでリリー・ダナーに悪意を向ける一手として、分かりやすく敵視するエルストラに、王太子の婚約情報を教えてやった本人は、失敗した結果に落胆する。
「エンヴィー祭司も、報告を、こちらです」
再び呼ばれた灰色の外套の境会祭司。エンヴィーは、目撃者の一人として状況確認に階段上に向かった。
『ほんとに、私、触ってもいません』
学院警備隊に詰問され、おどおどと答える異物。すれ違いに眼が合ったが、再び兵士からの強い問いかけに身を竦ませた。
陽に当たらない白い肌、鈍色の髪に光が宿らない黒色の瞳。
今までエンヴィーの顔を見たことも無い召喚異物は、いつもの様に高圧的に何が欲しいと要求してはこなかった。
(あれはもう、駄目だな。新しいものに替えなくては)
使い物にならなくなった異物。それに境会のエンヴィーは背を向けた。
☆☆
悪役であるリリーが階段から落ちて、何故か私がすごい責められた。
でもこれはヒロインの試練あるあるで、このあと王子様か別キャラとのストーリーに発展するのだと思っていた。
(なのに、誰も現れない。モブの兵士に詰められて、学園から追い出された)
何もかも上手く話が進まないから、最初から、いや、石を集めた後辺りからロードし直したい。
どこでセーブしたとか記憶にないけど、灰色ナビなら、それくらいやってくれてるよね。
だから出来るのか確認しに、いつもの境会を訪ねようと森を進んだら、なかなか目的地には簡単には着かない。
イライラするわ。マジで。
本当に疲れるくらい森を進んだ。そしたらようやく出てきた境会。
(こんなに遠かった?)
日が暮れるかと思ったよ。
疲れてるから、いつもより扉が重い。この疲労感と苛立ちを、あの灰色マントナビに、絶対クレームつける。
ーーバタン!!
『え?』
大きな音で閉まった扉を振り返って、前を向く。
『なにこれ、』
いつものお出迎えマントたちは居なく、室内でもなく、目の前には広がる緑の森の中。
もう一度振り向くと、どこかで見たことのあるボロい教会がぽつん。
これって、私が不思議な色の猫を追いかけて、扉を開けたあの教会じゃない?
直ぐに扉を開いたけど、中はボロボロの廃屋で、何回扉を開いても、それは全然変わらなくて。
普通に家に帰ったら、ちょっとだけ帰宅時間が遅い程度で。
制服も髪の長さも全然前と変わってなくて、まるで夢見てただけみたい。
あの後、何度も何度もあの猫を探したけれど、全然見つけられなかった。
☆☆☆☆☆☆
帰宅end
☆☆☆☆☆☆
進んだところから始められる、
フェアリーエムを開始する?
✳✳
リリーの身体を気遣って、秋期休暇が明けるまでダナーの領地に引き上げた。
王都からの道のり、それぞれが途中で各自の領地に戻り、残すはダナー家と四家がリリーの馬車を取り囲む。
まだ雪は降らないが、息は白くなり肌を刺す空気へ気候が変わる。肺に染み渡る心地よい清浄な冷気に、メルヴィウスは大きく深呼吸した。
石の門を潜り抜け、ダナーの城下町にたどり着く。領民が黒衣の騎士団を恭しく見つめる中、サテラの広場に差し掛かったところで街の警備兵が一行に駆け寄った。
「なんだ?」
リリーの乗る馬車を先に城に進ませ、メルヴィウスは馬首を返す。後方で警備兵の報告を聞いていたセセンテァは、怪訝な顔で馬上のメルヴィウスに告げた。
「先程、サテラの噴水広場前で、怪しい女を一人捕縛したそうです」
「サテラ……、まさか、」
「はい。その女、フェアリーエム・クロスと名乗ったそうです」
「そうか、リリエルの怪我に関与した者だ。よくやった」
リリーを突き落とした犯人であるエルストラは王太子によって捕縛され、貴族を捕らえる塔ではなく、庶民と同じ獄舎に入った。
だがもう一人、リリーに詰め寄り事件に関与したフェアリーエル・クロスは、学院で取り調べを受けて直ぐに、何処かに消えて姿を見せなくなったという。
境会が匿っていると捜査を主張したが、それは無いと完全否定し、そこで国王がそれ以上の追及を阻んだ。
「まさか追われる者が追う者の足下に潜むとは。ある意味盲点か? 学院の者たちはクロスの関与は無いと判断したが、それを覆してやろう」
獲物をいたぶる猫の目のように冷酷に碧く光る。だがそれに、警備兵は逡巡しながらも報告に付け加えた。
「その者なのですが、実は様子がどうも…」
「?」
「妙な格好で、国外から来たと主張するのですが、……その、」
「なんだ?」
「おそらく、頭がおかしいのです。何度も何度も、次期様に会わせろと」
「兄上に?」
**
捕らえられた女は、ダナー領地の外れにある犯罪人の刑務場に街から移された。
かつてケーブ・ロッドという女の養父をリリーが収監した場所だが、その男はもう居ない。
『…………』
その場所は、養女である女は知っているはずなのに、養父の事を問いかけず、無事も生死も全く関心が無いようだった。
「……なんだあれ」
小さな格子窓から確認したメルヴィウスは、報告通りの奇妙さに首を傾げる。
袖は長く、身体に見合わない大きく袋の様な上着は、幼女の寝具の様な薄いピンク色。更に下衣なのか、袋の裾から短い布、腿がむき出しに晒されていた。
「娼婦か?」
「いや、娼婦にも居ませんよ、あんなの」
これから拷問を受けるのに、女は壁を背に地べたに座り込み、手枷のまま、長く茶色の髪を何度も指ですいていた。更に毛先を眺めては、それを指で千切っている。
「見た目にはとても美しいので、残念です」
牢番の言葉に、メルヴィウスとセセンテァは何とも言えない顔をした。
「お前には、あれが美しく見えるんだな」
言われた兵士は思わず漏れ出た感想に慌てて口を閉ざし、メルヴィウスは不快に眉をひそめる。
女は、今も姿を眩ます術を使っている。
メルヴィウスを支持する騎士団は、災いを避けるために、身体に魔除けの入れ墨を刻んでいた。その効果なのか、メルヴィウスは女の姿に苛立ちを覚える。
「意識して見ると、顔がぶれていて、気味が悪いな」
セセンテァにも、メルヴィウスと同じく魔除けの護りが身体に刻まれており、改めて格子内を慎重に観察した。
「確かに、はっきりと顔が分かりません。それに、俺はフェアリーエル・クロスを何度か間近で確認しましたが、あれは、それとも別人だと思います」
「別人?」
「報告でも、フェアリーエルではなく、フェアリーエム・クロスと名乗ったとあります。これは言い間違いではないのかも」
「ははっ、フェアリーエルに、フェアリーエムか。増えんのかよ。……ふざけてやがるな」
女たちは、メルヴィウスの大切な、妹の面影を利用する。
苛立ちに足で蹴り開かれた小さな格子付きの扉。だが怒れるメルヴィウスを前に、奇妙な女はパッと笑顔を見せた。
「もしかして、あなたメルヴィウスじゃないの?」
「…………」
「よかったー…。突然こんな所に監禁されて、すごく困ってたの」
この場の空気も分からずに、何かの自信を持って笑う女。だがその後すぐに、格子窓から女の絶叫が響き渡った。




