第12話「逃げなくなった日」
春になった。
アルディアと恋人になって三ヶ月。桜に似た白い花が、学院の並木道を埋め尽くしている。花びらが風に乗って、時々アルディアの髪に落ちる。
三ヶ月前と比べて、アルディアは先に話しかけてくるし、図書室の席も取っておいてくれるし、帰り道は俺より先に手を出してくる。
でも素直じゃないところと、一人で抱えようとするところと、たまに逃げようとするところは変わらない。
でも今は、逃げかけるたびに「逃げるな」と言うと、ため息をついて戻ってくる。
(この「逃げる→呼ぶ→ため息→戻る」の流れが定番化しつつある。様式美と呼んでいいのかもしれない)
中庭のベンチ。二人でいつもの場所に座っていた。春の陽射しが暖かくて、花の甘い匂いが風に乗ってくる。
「クロード」
「ああ」
「一つ聞いていい」
「何でも」
「私が逃げようとしても、ずっと追いかけてくれる?」
俺は少し考えた。
「追いかけるかどうかは分からない」
「え」
「待つ。追いかけるより、待つ方が俺には合っている」
アルディアが黙った。
「でも」
「でも?」
「逃がしはしない」
「どうやって」
「逃げてもここに帰ってきたくなるようにしておく」
「……それは、どういうこと」
「お前が一番落ち着く場所でいるということだ」
アルディアがしばらく沈黙した。
「……ずるい」
「ずるくない」
「ずるい。そういうこと言われたら、逃げられなくなる」
「それが目的だ」
「知ってる」アルディアが少し笑った。ベンチの石が、二人分の体温でほんのり暖かい。「でも、もう逃げない」
「本当か」
「本当。逃げても、クロードのところに戻ってくるだけだから。同じことだと分かった」
俺は何も言わなかった。
ただ、隣に座っているアルディアの肩に、そっと寄りかかった。
アルディアが少し固まった。
「……クロード」
「ああ」
「恥ずかしい」
「我慢しろ」
「うるさい」
でも、逃げなかった。
春の日差しの中、二人でしばらく黙っていた。
◇
──クロード・バレンシアの日記より、最終記録。
『アルディアが「もう逃げない」と言った。信じる。逃げようとしたら待つ。でも、もう逃げないと言ったから、きっと大丈夫だ。これからも、隣にいる。』
──アルディア・フォン・クレシェントの日記より、同じ日。
『クロードに寄りかかられた。恥ずかしかった。でも逃げなかった。逃げなくて、よかったと思った。』
──リリア・ベルの日記より。
『二人が中庭でくっついていた。微笑ましかった。セバスチャン様に報告したら「そうか」と言って少し笑った。この世界は、本当にいい世界だ。』
──アルヴィン・エドワード・ヴァルディア第一王子の、秘密の手帳より。
『クロードが幸せそうだった。アルディアも幸せそうだった。それでいい。それが、一番いい。』
*完
──夜凪蒼・同世界シリーズ、第⑤章へつづく*




