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条件に合う花嫁を探してほしいと言われましたが、最後に残ったのは私でした   作者: 岸根しき


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8/8

第8話 侯爵様の想い人



 面談を終えた翌日、私は侯爵邸を訪ねた。


 侯爵様はヘレナ様との二度目の面談を、すでに終えていた。


「コンラート様は、本当によい方でした」


 私が報告すると、侯爵様の眉が動いた。


「だが、断ったのだろう?」

「はい」

「なぜだ?」

「私の問題です」


 侯爵様は私から目をそらさなかったが、それ以上は尋ねなかった。


「一つ、お願いがございます」

「何だ?」

「私の夫探しは、ここで終わりにしてください」


 侯爵様は卓上の書類を押さえたまま、私を見た。


「コンラート以上に条件の合う男性がいないと思ったのか?」

「そうではございません」


 条件の問題ではない。


 どれほどよい男性を紹介されても、私は侯爵様と比べてしまう。


 そのたびに断り続けることになる。


(好きな方から、夫候補を紹介され続けるなんて、耐えられないもの)


 けれど、その理由までは口にできなかった。


「これ以上続けても、候補者の方に失礼になると思います」

「……分かった」


 侯爵様は書類の上に指を残したままだった。


 それでも、私の意思を無視して続けるとは言わなかった。


「それから、ヘレナ嬢から連絡があった」


 膝の上の指が、ドレスの布をつかんだ。


「三度目の面談についてですか?」

「ああ。次は、あなたにも同席してほしいそうだ」

「私にも?」

「明日、ここへ来る」


 わざわざ仲介人の私も呼ぶのなら、婚約を受ける返事をするのかもしれない。


(これで、侯爵様の花嫁探しは終わる。うまくいくとよい。私が選んだ方なのだから)


 そう唱えても、つかんだドレスの布を離せなかった。




     ◆




 翌日、ヘレナ様は侍女を一人伴い、侯爵邸へいらした。


 婚約を受ける返事をなさる方にしては、装いはあまりにも普段どおりだった。


 侯爵様と私の向かいへ腰掛けると、ヘレナ様は運ばれた紅茶へ手をつけないまま、口を開いた。


「本日は、縁談を辞退させていただくために参りました」

「辞退?」


 思わず声が出たのは、私だった。


 侯爵様の目も見開かれている。


「二度目の面談では、前向きに考えていると話していたと思うが」

「ええ。そのつもりでおりました」


 ヘレナ様は、まっすぐ侯爵様を見た。


「侯爵様は誠実で、信頼できる方です。領地やご家族に対するお考えにも、共感できるところが多くございました。条件だけを見れば、私も侯爵夫人になれると思っております」

「では、なぜ?」


 ヘレナ様は一度だけ口元をほころばせたが、笑みはすぐに消えた。


「二度お話しして、私ではないのだと思ったのです」

「私ではない?」

「侯爵様が、心から知りたいと思っていらっしゃるお相手が、です」


 侯爵様の指が、茶器の取っ手に触れたまま止まった。


 ヘレナ様は手つかずの紅茶を見た。


「二度目の面談で、私は侯爵様に、いくつか質問をいたしました。どのような家庭を築きたいのか。休日には何をして過ごしたいのか。どのようなときに、心から楽しいと感じるのか」


 ヘレナ様は、そのときの問いを一つずつ挙げた。


「侯爵様は、どの質問にも真面目に答えてくださいました。けれど、お話の中にはいつも、同じ方の言葉や思い出がございました」


 膝の上で、私の指先が冷えていく。


「その方のお名前を伺ったわけではございません。ですが、その方が何を言い、何を大切にし、どのようなときに笑うのかを、侯爵様はたいへんよく覚えていらっしゃいました」


 侯爵様が、ひとつ息を吸った。


「あなたを軽んじたつもりはない」

「ええ。分かっております」


 ヘレナ様はすぐにうなずいた。


「侯爵様は、私にも誠実に向き合おうとなさっていました。だからこそ、気づいたのです」


 ヘレナ様の声から、張りつめた硬さが抜けた。




「その方のお話をなさるときだけ、侯爵様のお声がほんの少しやさしくなることに」




 私は冷えた指を、反対の手で包んだ。


(侯爵様には、すでに想い人がいらしたのね)


 考えてみれば、不思議ではない。


 二十八歳になるまで、心に決めた女性が一人もいなかったとは限らない。


 家柄や事情が合わず、妻に迎えることを諦めた方がいたのかもしれない。


「私は、侯爵夫人の条件に合う女性としてではなく、私自身を知りたいと思ってくださる方と結婚したいのです」


 ヘレナ様の声は揺れず、膝に置いた手も動かなかった。


「そして侯爵様にも、条件だけを理由に、ご自分のお心を置き去りになさってほしくはございません」


 暖炉で薪がはぜる音がした。


 侯爵様は茶器から手を離し、卓上を見た。


「……否定はできない」


 指先に力を込めると、爪が手袋越しに掌へ食い込んだ。


 侯爵様ご自身も、その女性へのお気持ちを認めている。


 これほど近くで何度もお話ししていたのに、私はまったく気づかなかった。


(花嫁を探してほしいと頼まれていたのだから、当然よね)


 想いを伝えられない相手がいるからこそ、条件に合う別の妻を探そうとなさっていたのかもしれない。


「でしたら、今のまま縁談を進めても、お互いによい結婚にはならないと思います」


 ヘレナ様は、手つかずの紅茶へ一度目を落とした。


「今回は、ご縁がなかったのでしょう」


 侯爵様は手を膝へ戻し、ヘレナ様へ向き直った。


「あなたが縁談に真剣に向き合ってくれていたことは分かっている」

「ありがとうございます」

「それに対し、私が同じように向き合えていなかったのであれば、失礼なことをした」


 侯爵様は深く頭を下げた。


「申し訳ない」

「ええ。少しだけ、寂しくはございました」


 ヘレナ様は、それでもやわらかく微笑んだ。


「ですが、婚約を決める前に分かってよかったと思っております。私は、私を見てくださる方を改めて探します」


 それから、私へ顔を向けた。


「アデル様を本日お呼びしたのは、あなたの選び方が間違っていたわけではないと、お伝えしたかったからです」

「ですが、私がお二人を引き合わせなければ、このようなことには――」

「いいえ」


 ヘレナ様は首を振った。


「侯爵様も私も、実際にお話ししたからこそ、自分がどのような結婚を望んでいるのか分かりました」

「……そうでしょうか」

「ええ。条件が合うことと、心が向き合うことは、同じではございませんもの」


 ヘレナ様の選択が、私の責任ではないことは分かる。


 それでも胸の重さは消えなかった。


 侯爵様には、すでに心を向けている女性がいる。


 それならば、私が別の花嫁候補を探し続ける意味などあるのだろうか。


 なにより私は、侯爵様と別の女性との縁談がまとまることを、もう心から望めなくなっている。


(私は、仲介人としてふさわしくない)


「それでは、私はこれで失礼いたします」


 ヘレナ様は立ち上がり、私たちへ優雅に一礼した。


 ヘレナ様を見送ったあと、侯爵様と二人で居間へ戻った。


 卓の上には、ほとんど手をつけられなかった三人分の紅茶が残っている。


 私は自分の席へ戻らず、鞄へ資料をしまった。


「侯爵様。花嫁探しの契約も、ここで終了させてください」


 侯爵様は、卓上の書類を自分の前へ引き寄せた。


「なぜだ?」

「侯爵様には、すでに心を向けていらっしゃる方がいるのでしょう」

「……分かったのか」

「はい」


 鞄の留め具が、指に食い込んだ。


 やはり、ヘレナ様の思い違いではなかった。


 侯爵様は私の返事を待つように目をそらさない。


 私は条件書を鞄へ押し込んだ。


「でしたら、私がこれ以上、別の花嫁候補をお探しするべきではないと思います」


 侯爵様の人差し指が、卓上の紙を押さえた。


 紙の角が持ち上がる。


「それでも、お気持ちを置き去りにしたまま、条件だけで別の方と結婚するのは、侯爵様のお望みではないでしょう」

「……そうか」


 低い声だった。


 侯爵様の唇が開きかけ、また閉じる。


 私に詳しく話すつもりはないのだろう。


 想い人のことを仲介人に尋ねられても、困るだけかもしれない。


「これまでのお仕事をまとめた最終報告書は、明日お届けいたします。月ごとの報酬は、働いた分だけ頂戴しますが、成功報酬は必要ございません」


 鞄の留め具へ指をかける。


 侯爵様は、まだ私を見ていた。


「あなたが夫探しを終わらせたのも、同じ理由か?」


 鞄の留め具を押す手が止まった。


「同じ理由、と申しますと?」

「ほかの相手とは向き合えないほど、心を向けている男性がいるのか」


 嘘をつくことはできなかった。


「……はい」


 紙を押さえていた指が離れた。


「そうか」


 それだけだった。


 誰なのかとは尋ねられなかった。


 侯爵様は、私が暮らす相手を最後に決めるのは私だと言ってくださった。


 だから、私の気持ちに無理に踏み込まないのだろう。


(やさしい方ね)


 そのやさしさが、今はつらかった。


「アデル」

「はい」

「その男性は――」


 侯爵様はそこで口を閉じた。


 私も続きを待てなかった。


 幸せを願うとでも言われたら、平静ではいられない。


「本日は、失礼いたします」


 一礼し、そのまま居間を出た。


 廊下を歩いているあいだも、背後から呼び止められることはなかった。


(これで、よかったのよ)


 侯爵様には、想う女性がいる。


 私にも、想う男性がいる。


 けれど、その相手は互いではない。


 契約が終われば、侯爵様と会う理由もなくなる。


 これ以上そばにいなければ、いつかは気持ちも薄れるだろう。


 そう思ったのに、侯爵邸を出たところで振り返ってしまった。




 いつも打ち合わせをしていた居間の窓は、閉じたままだった。




お読みいただき、ありがとうございます!

互いに心を向けている相手がいると知りなその相手が自分だとは気づかない二人ですが…


次回は最終話です!

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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