表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/16

欠落フレンズ(3)


 家には、誰もいなかった。

 当たり前。

 両親は仕事、兄弟は学校。

 帰ってきても何も聞かれないというのは、楽でいい。


「はぁ。皆勤賞だったのに……」


 玄関で一人呟く。

 そんな言葉が出てくる辺り、少しは落ち着いてきたのかもしれない。

 洗面台で丁寧に手洗いをし、うがいもする。

 冷蔵庫を開けて麦茶を取ると、コップと共に部屋へと上がった。

 ぱっと見た限り、適当に昼飯も作れそうだ。

 とぷとぷとコップに麦茶を注ぐ。

 コップの淵ぎりぎりまで麦茶を注ぐと、そのまま一気に飲み込んだ。

 冷たい麦茶が喉を通り、体の中へと染み渡る。

 痛いくらいの冷たさに、眉をしかめる。

 少しずつ、落ち着いてきた。


「菅ヶ原に撮られた写真は何とかしないと……」


 麦茶とコップを机に置いて、何をすべきか考える。

 一対一に持ち込めば、隙を見て菅ヶ原から携帯を奪うことくらい出来るかもしれない。

 けど、一対一の状況というのが難しい。

 それに、携帯のデータをパソコンに移動させられていたら携帯を壊しても意味なんてなくなる。

 話し合うしか、ないのかもしれない。

 今が授業中だということなんて無視し、私は菅ヶ原にメールを送る。

 一対一で話がしたい。

 絵文字も顔文字もない。

 ただの一文を、送った。

 携帯を閉じて、ベッドへと放る。

 そこまでして、私は風呂場へと向かった。

 洗ったくらいで菅ヶ原との時間をなかったことにできるわけではない。

 だが、体に付いた気持ち悪さはどうにかしたい。

 シャワーを浴びて、すっきりしたかった。

 衣服を脱ぎ、すべて洗濯機に突っ込んだ。

 洗濯機を回し、風呂場に入る。

 熱いシャワーを体に浴び、汚れを洗い流す。

 鏡に映る裸体の所々に、赤い跡が散っていた。


「っ……」


 思わず、爪を立てた。

 皮膚を抉り、爪を食い込ませる。

 こんなことに、意味はないのに。

 なかったことに出来ればいいのに。

 それだけを思いながら、私の体は湯気に包まれた。


 シャワーから上がり部屋へ戻ると、携帯が控えめに点滅しメールが来ていたことを知らせる。

 いいよ。どこがいい?

 五分前に来ていた菅ヶ原からの返信。

 私はしばらく考えて、駅前のファミレスを指定し返信を送る。

 あそこは人通りが多いし、学校から近過ぎず遠過ぎずでちょうどいい距離にある。

 時間は五時。

 菅ヶ原は帰宅部だから、学校終わってから向かえばこれくらいが妥当だろう。

 場所、時間を指定して返信。

 メールを送るとすかさず電源を切り、携帯を机に置いた。

 拒否権なんか与えたくない。

 それと、菅ヶ原との連絡は必要最小限に留めたかった。

 まだ湿った髪のまま、ベッドに飛び込んだ。

 枕が湿っちゃうな、と思ったものの体は怠く、そこまで配慮出来なかった。

 独りきりの家は無音で、耳が痛くなりそうだった。

 気分が悪くなり、私は目を閉じる。

 全身の倦怠感も味方して、睡魔はすぐに襲ってきた。



 水中から水面に顔を出すように自然と、私は目を開けた。

 窓から入り込む光の量が増えていた。

 西側にある窓だから、夕方が近づくにつれ明るくなる私の部屋。


「っ、寝てた!?」


 慌てて起き上がり時計を確認する。

 四時、十分前。

 時間には間に合いそうで安心した。

 今から家を出れば、家族の誰とも顔を合わせずに済むだろう。

 昼飯も食べそこねたから、軽く何か食べていればいい。

 鞄を引っ張りだし、携帯と財布を突っ込む。

 風呂上がりで薄着だったことに気付き、タンスからジャージを出した。

 上下両方を身につけて、壁に掛けた自転車の鍵を取る。

 鞄を手に、階段を駆け降りる。

 履き慣れたスニーカーを履いて、家を出た。戸締まりも忘れずに。

 自転車に跨ると、力一杯ペダルを踏み込む。

 自分で撒いた種なんだから、何とかするんだ。

 無知で幼かった自分が悔しい。

 奥歯を噛み締め、風の中を突っ切って進んだ。

 菅ヶ原への、そしてそれ以上に自分自身への憤りだけを胸に。



 ファミレスに付くとあとから人が来ることを伝え、空いていたから窓際の席に座らせてもらった。

 自分自身で警戒をしないといけない。

 人前なら、菅ヶ原も下手なことは出来ないはずだ。

 だから、人から見える窓際を選んだ。

 多少の空腹を満たすため、ドリアを注文。

 運ばれてきた水を飲みながら、外を眺める。

 時間は四時二十分。

 料理が届いて食べ終わる頃に、丁度約束の時間になるだろう。

 店内にいるのは学生が多く、デザートとドリンクバーでお喋りといった様子だ。

 調理にそんな時間は掛からないと思う。

 僅かに震える手。

 無意識の内に恐れている。

 何とかしたいという気持ちは確かなのに、怯えている自分。

 情けなくて、仕方がなかった。

 堀内のことは割りとどうでもいい。とにかく、撮った写真を消してもらわないといけない。

 まずは普通に頼んでみる。

 流石にそれで素直に写真を消してもらえるとは思えない。

 そうなれば、無理矢理にでも菅ヶ原の携帯を奪って警察に駆け込んでやる。

 詳しい法律なんてわからないけど、写真を撮られて脅されるなんて言われたら菅ヶ原だって困るはずだ。

 あんな写真を他人に見られるなんて、絶対に嫌だ。

 でも、今はそんなこと言っていられない。

 自力で何とかしようとするなら、どれだけ恥ずかしくても我慢するしかない。

 出されたドリアを綺麗にたいらげ、店員に皿を片付けてもらった私は、何もないのに座っているのが居たたまれなくなりドリンクバーを注文した。

 コーヒーとミルクを二つ。

 手にして席に戻ると、窓の外に近づいてくる人影が見えた。

 五時三分。

 窓際の私に気付くと、菅ヶ原は歩調を変えず、遠くから私に笑顔を向けた。

 いつもと変わらない無防備な笑顔に、吐き気がした。


「遅れた? のんびり歩き過ぎたかな」


「別にいい。来てもらうことが目的だったから」


 敵意を露わにした声で答えても、菅ヶ原は動じず笑顔を浮かべる。

 立場が強いのは菅ヶ原なのだから、動じる必要はないといえばそうなのだが。

 あまりにも、今までと変わらない表情で、不気味だった。


「そういえばさぁ」


 菅ヶ原は椅子に座ると、困ったように肩を竦める。


「春緒が休みって聞いた裕里に問い詰められたよ。おまえに何かしたのかってさ」


「……! 何て答えたんだ」


「知らないって。俺だってバラして自分の首絞めるなんて嫌だから」


 裕里を心配させてしまったことに、心が痛む。

 溜め息を吐いた菅ヶ原が、頬杖を付き私を見つめる。


「裕里、中々信じないから大変だったよ」


 眉をしかめ、心底疎ましそうに目を伏せた。

 裕里、心配かけてごめん。

 でも私、自分で何とかするから。

 私は菅ヶ原を睨み、口を開いた。


「用件はわかってるだろ? あの写真、消せ」


「……はい、わかった。なんて上手くいくとは思ってないだろ?」


 当たり前のことだ。

 私はゆっくりと頷いた。

 その態度に、菅ヶ原は目を丸くする。


「驚いた。馬鹿みたいに素直な春緒だから、頼めば何とかなるって考えて俺を呼び出したんだと思ってた」


「確かに私は馬鹿だよ。でも、簡単にはいかないことくらい承知してる」


 例え、力付くでもいい。

 そう告げると、菅ヶ原は微かに眉をひそめる。

 喧嘩で俺がかなうわけないと思っているのか。

 そう思っているのなら、そのまま思っていてくれたほうがいい。

 私だって男相手に喧嘩して、簡単に勝てるとは思わない。

 だから、油断していてくれるなら有り難い。


「俺としてはこの写真使って春緒のこと脅して、またヤりたいんだけどさ」


「……」


 菅ヶ原はポケットから携帯を取出し、何やら操作を始めた。

 奪うなら、今だ。


「断るなら、どこにばらまいて……っ!」


 菅ヶ原が思案げに視線を上に向けた瞬間、私は身を乗り出し携帯を奪った。

 菅ヶ原は慌てることなく、立ち上がった私を見上げる。

 この様子だと、写真をパソコンに送るなどしてあるだろう。


「消したって無駄だよ。俺のパソコンに送っちゃったし」


 やっぱりな。

 私は少し俯いて、閉じた菅ヶ原の携帯を見つめる。

 そして、顔を上げて笑ってみせた。


「……私が今から、この携帯持って警察に駆け込んだらどうする?」


「……!」


「警察じゃなくて、学校でもいい。なんなら、お前の家に行って両親に見せてもいい」


 菅ヶ原は初めて、悔しげに唇を噛んだ。

 いける、そう思った。

 だが、しばらくすると菅ヶ原は俯いて、くつくつと肩を震わせる。


(笑ってる……)


 すぐに動きだせるように私は構えた。


「恥ずかしさは我慢するってことか。俺、春緒のこと見くびってたかも」


 笑いの交じった不快な声。

 菅ヶ原は俯いたまま、窓の外を指差した。

 ゆっくりと、菅ヶ原の指先をなぞるように視線を外へ向ける。

 ガラスの向こう側には、にやにやと気味悪い笑みを浮かべた三人の男がいた。

 仲間、だろうか。

 本当に一人で来るとは思えなかったが、私相手に三人も連れてくるなんて、馬鹿じゃないのか。

 携帯を手に菅ヶ原を睨むと、菅ヶ原は顔を上げて笑みを浮かべていた。


「ほら、あそこの金髪が堀内だよ」


 菅ヶ原が外へと手を振ると、恰幅のいい金髪の男が手を振り返す。

 堀内と言われても、昔の顔など覚えていないからわからなかった。


「ちなみに、今春緒が持っているのは堀内の携帯。俺の携帯はあいつが持ってる」


 からかいを含んだ声音が鼓膜を震わす。

 唇を噛むのは、私の方だった。

 手の中の携帯を、壊れるくらいに握り締める。

 それぐらいで壊れないことくらい、わかっていながら。


「……あいつら、何しに来たんだよ」


 唸るような声を出しても、菅ヶ原は笑顔を崩さない。

 楽しそうな声で、私を嘲笑うだけ。


「そりゃあ、あの写真を見て可愛い春緒に一目惚れしたから会いに来たんだろ」


 それが嘘であることくらい、わかる。

 嘲笑に満ちた男たちの目は、私の身体に対して注がれている。

 一目惚れなんかじゃない。

 写真があるから、脅せばヤれる。

 そう考えているのが、目に見えていた。

 駄目だ、やっぱり私は考えが足りない。

 もっと頭を使わなければ、危なくなるのは自分だ。

 どうすれば、いい。私は今、どうすればいいんだ。

 菅ヶ原は立ち上がると、伝票を手に取った。


「普通にご飯食ってたんだ。お腹空いてた?」


「……」


「待たせたお詫びに俺が奢るからさ、移動しない?」


 頷くことも断ることも出来ず、呆然と菅ヶ原を見上げた。

 答えを待つ必要など菅ヶ原にはなく、菅ヶ原は私の腕を掴んでレジへと向かった。

 店員には私たちが普通のカップルとしか見えていないのだろう。

 学生カップルに対して微笑ましい視線を向けながら、レジを打つ。

 腕を払うことは簡単だ。

 菅ヶ原も、強くは掴んでいない。

 けど、そのあとにどうすればいい?

 私に残された手段は一つ。

 このまま菅ヶ原に付いていき、隙を付いて堀内から携帯を奪うしかない。

 菅ヶ原は取られた携帯を取り返そうとはしていない。

 今更ながら、何か武器になるものでも持ってくればよかったと後悔した。



 菅ヶ原に手を引かれ歩く。

 三人の男たちは、少し離れて前を歩いていた。

 人通りの多い駅前から、少しずつ人気のない道へと移動していくのがわかった。

 歩きだからそう遠くにはいかないだろう。

 近場で人気のないところ。私には、場所の見当が付けられなかった。

 塗装の剥げた工場が目の前に現れた。

 長い間放置されていたのか、草木が建物を包んでいた。

 窓ガラスは割れ、入り口の扉はひしゃげ、こじ開けられている。

 黄色いテープが貼ってあるが、誰もそれを守らないだろう。

 駅からそこまで離れていないはずなのに、辺りは生き物の気配を感じさせない程、静まり返っていた。

 腕を掴む菅ヶ原の力が強まる。もう逃がさないとでも言うかのように。

 工場なら、使えそうなものが転がっているはず。

 向こうが先に手を出してくれば、多少大怪我させても正当防衛を主張出来る。

 男たちはげたげたと品のない笑い声を上げながら、立ち入り禁止を示すテープをくぐり中に入る。

 辺りへ飛び散っていた笑い声が、中に入った途端に建物内に籠もり反響した。

 菅ヶ原に手を引かれたまま、私も中へと入る。

 くぐもっていた笑い声が、内側では響き増幅して聞こえた。

 電気が通っているわけなどないから、中は夕方ではあったが薄暗い。

 割れた窓から差し込む夕日だけが、光源だった。


「ここならどれだけ騒いでも邪魔は入んないぜ」


 笑い声を上げ叫んだのは、金髪の堀内。

 堀内は低く積まれた木の上に腰を下ろした。

 他の二人も、各々地べたに座る。

 三人の目の前まで菅ヶ原は歩き、手を離すと、今度は私の肩を掴んで動きを奪う。


「っ、離せ」


「離してもいいけど、逃げたらあの写真どうなるかわかんないよ?」


 そう言うと菅ヶ原は、ゆっくりと私の肩から手を離す。

 菅ヶ原の言葉が私を縛る。

 解放されても、私は動けなかった。


「しっかし、本当に春緒のこと落とすとはな」


 堀内の声が、しんとした工場の中に響いた。

 人の不幸を喜ぶ歪んだ笑顔に、悔しさで胸が一杯になる。


「恋愛経験が浅いから簡単だったよ? 女扱いして可愛がったらすぐだもん」


 あの優しさも、笑顔も、全てが計算されたものだった。

 私は俯き、歯を食い縛った。

 ただただ、悔しい。


「こんなに美人なのに男みたいってのは残念だよなぁ」


 見知らぬ二人のうちの一人が、私を見ながら言う。

 視線は足やら胸やら、欲望に忠実だった。

 特に胸に視線は強く注がれる。


「春緒さ、上着脱げよ」


「はぁ! 誰が……」


 足を組み偉そうに座る堀内の命令口調に、私はすかさず反抗する。

 それもわかっていたようで、堀内はにやにやと笑いながら菅ヶ原の携帯を取り出した。

 携帯を開くと手の中で弄びながら、私を見上げる。


「断ってもいいぞ。そうしたらおまえの恥ずかしい画像いろんなとこに巻くだけだし」


「……っ!」


 すぐ隣には、菅ヶ原。

 堀内との距離は十歩分程。

 手を伸ばして届く距離ではない。

 今は、素直に従うべきかもしれない。


「っ、くそ!」


 反抗心を見破られないよう、なるべく悔しそうに吐き捨てて、私はファスナーを一気に引き下げた。

 ジャージの下は風呂上がりに着ていたタンクトップ。

 下着姿よりはマシだが、大分それに近い。

 ジャージよりははっきりとわかる身体のライン。

 堀内は満足気に笑みを深め、二人の男はごくりと唾を飲む。

 覚悟を決め、勢い良くジャージを脱ぎ捨てた。

 露わになった肩や腕が、外気と触れ合い背筋が震えた。

 だが、それ以上に寒気を感じるのは彼らからの視線。


「なぁ、お前ら次はどっち脱がせたい?」


「やっぱり、下じゃね?」


「それよりも上だろ! 先に上を下着姿にしちまおうぜ!」


 まるで子供の遊びのように無邪気に声を上げる。

 違いは、悪意の有無。

 三人の会話を見ながら、菅ヶ原は呆れた様子でため息を吐く。


「バカだねぇ、あいつら」


「……お前も、仲間だろ」


「仲間ではないよ。俺、あいつらのこと好きじゃないし」


 とぼけた様子で肩を竦め、菅ヶ原は三人から視線を外した。


「つーかさ、もう焦れったいからさっさとしちまおうぜ!」


「そうだよ、堀内。どうせこの女、あの写真がある限り逆らえないんだろ?」


 我慢できねぇ、と叫び二人は立ち上がった。

 建物内は音がよく響く。

 様々な角度から聞こえる声に、気分が悪くなった。

 二人が一歩、近づいてくる。

 その動きがひどくゆっくりと、まるでスローモーションのように見えた。

 一人が口を開く。


「昔の恨みはさ、これから写真使って晴らせばいいじゃん」


「そうそう。今は先にやっちまおうぜ」


 二人の一歩に合わせ、私も一歩後退る。

 だが、背後の菅ヶ原が両手で肩を掴むため、もう引くことが出来なくなった。

 四対一では、さすがにかなわない。

 私は必死で辺りを見回す。

 鉄パイプや角材など、危ないとは思うが使えそうなものがごろごろしていた。

 冷や汗をかき始めた私の耳に、堀内のため息が聞こえた。


「本当は先にいろいろやるつもりだったんだけどな……」


 そして、堀内もゆっくりと立ち上がる。

 私は堀内を睨みながら、考えるための時間稼ぎに適当な質問をした。


「いろいろって……何するつもりだったんだよ」


「そりゃ、思いつく限りの恥ずかしいことをしてやろうと思ってな。俺もあの時、すっげー恥ずかしかったんだぜ?」


 堀内は早足に私へ近付き、逃げられない私の顎を掴んだ。


「っ!」


「とりあえず脱がして写真取って脅して……てとこかな。実は今、ビデオカメラも用意してあるから動画も撮れるんだよな」


 間近にある、歪んだ笑顔。

 子供の頃の些細な出来事をまだ根に持っていて、復讐まで考えるなんて。

 頭のネジが、抜けている。

 いや、復讐というのはただの口実でしかなくて、本心はただ女の体を良いようにしたいだけなのかもしれない。

 堀内は限界まで口角を吊り上げ、顎を掴む指の力を強めた。


「今からのこと全部動画に撮れば、お前はもう逆らえないよな? 恥ずかしいとこ、見られたくないもんな?」


 堀内の言う通りだろうな。

 確かに、そんなの誰かに見られたくなんてない。

 だけどな、私は、はいそうですかってやられるような奴じゃないつもりだ。


「ふざけんな!」


 私は右後ろで肩を掴む菅ヶ原へと肘鉄を決める。

 ほぼ同じに、堀内の顔へと唾を吐き飛ばした。

 驚き一瞬目を閉じた堀内の手から携帯を奪うと、すばやく距離を取り、さっき確認した中で一番近くに落ちていた鉄パイプを手に取る。

 油断しきっていた堀内は怒りに満ちた顔で私を睨み、他の二人は呆然としていた。

 ただ一人、菅ヶ原だけが涼しい顔をしている。大した興味もないようだ。

 運悪く、扉は私の前方、つまり堀内たちのいる方向にある。


「くそ……女のくせに!」


「吠えてろ!」


 堀内の携帯をポケットにしまい、鉄パイプを両手で握り構え直す。

 このまま、強行突破がいいのだろうか。


「生意気言ってんじゃねえ!」


 堀内が真っ赤な顔で殴りかかってきた。流石に鉄パイプで殴るわけにはいかない。

 脅し程度に外して降り下ろそうとしたら、横から取り巻きの男が腰に掴みかかってきた。


「っ!」


 上手くバランスが取れず、鉄パイプの重さを支えきれず尻餅を付いてしまった。

 堀内はその隙を逃さず、私の頬を拳で躊躇なく殴り付けた。


「痛っ……!」


「ちょ……堀内ー、顔殴るの止めようよ。俺腫れた顔の女ヤだよ」


「うっせぇ谷! お前が我慢しろ」


 口の中に血の味が広がり、頬がじんじんと熱を持つ。一瞬ふらついた頭はすぐに冷静さを取り戻し、私は急いで腰にしがみつく男を引き剥がそうとする。

 しかし、その手は堀内に掴まれてしまった。

 にやにやと私を見下ろす堀内。腰にしがみついた男は私の動きを封じながら、蛇が這うように私の太ももに手を回していた。

 気持ち悪い。

 視線も、手のひらも、全てが気持ち悪い。


「捕まえちまえばこっちのもんだろ」


 堀内は空いていた一人を呼び寄せると私の後ろに立たせた。

 何をするつもりなのか私の位置からは見えないが、ニヤニヤと笑う堀内を見上げると嫌な予感しかしない。

 不意に、何の前触れもなくタンクトップが後ろから捲り上げられた。

 下着に包まれた胸が男達の目の前に晒され、耳障りな歓声が沸き上がった。


「よくやった、横尾! 良い眺めだなぁ」


 羞恥のあまり顔が上げられない。

 堀内達の笑い声が降り注ぐ中、私は力なくその場に項垂れた。

 ああ、もう無理だ。男三人に力付くで押さえられて逃げられるわけがない。

 堀内たちは私の力が抜けていくことにすぐ気付いただろう。

 私の体に掛かる力は強くなる。

 反響する笑い声。

 背中に回っていた男の手が、ブラのホックに触れる。


「……悪ふざけはそこまでにしろよ」


 この場にいる誰でもない声が、工場内の空気を震わせた。

 有り得ない。だって、私は何も言っていないんだから。

 だけど、聞き間違えるわけがない。

 私は、顔を上げる。


「お前っ、裕理っ……?」


 薄暗さを増した工場内。

 ユーリは堀内たちよりやや入り口に近い角材の山の影から、苛立ちを纏い立ち上がった。

 目を丸くし、堀内は振り返る。

 声を裏返らせ、ユーリに対する恐怖を露わにした。


「ユーリ、何で……?」


「……菅ヶ原の後、付けてきた」


 抑揚のない声で、ユーリは菅ヶ原を睨みつけた。

 普段の温厚さの欠けらもない冷たい視線にも、菅ヶ原は動揺せず肩を竦める。


「まぁ、俺の言葉信じてくれてないのはわかってたけどね」


 口では驚いたふりをしながらも、菅ヶ原はどこか楽しそうに堀内を見る。

 対照的に、堀内は冷や汗を掻きながらユーリを睨み付けていた。

 たぶん、堀内は昔ユーリにも喧嘩で負けたことがある。

 普段が優しい分、容赦なく叩きのめすユーリの喧嘩は、相手にとっては軽いトラウマだ。

 ユーリは、怒っている。

 それも、ひどく。

 ユーリは普段から怒りの感情だけは表に出さない。

 大したことでなければ腹を立てることはないし、何かを怒るときも悪ふざけが過ぎた友人を嗜める程度。

 喧嘩だって、自分からは仕掛けない。

 男のプライドがあるから、舐められたままじゃいられないと、売られた喧嘩は買うけれど、ユーリの人柄から他人に恨まれることはない。

 売られた喧嘩を買っているだけだから、相手に腹を立てているのとは違う。

 記憶の中に、ユーリが怒っている姿なんて見つけられない。

 私も初めて見る怒りだった。


「春緒、大丈夫か?」


「え……あ、うん」


 私の姿を確認し、安堵に頬を緩めるユーリ。

 その表情はいつものユーリで、私はゆっくり頷いた。


「お前ら、結構いろんなことベラベラと喋ってたよな」


「そ、それがなんだよ」


 堀内は怯え腰になりながらも、声を張り上げる。

 他の二人にも怯えは伝染し、何も言えずにユーリを見つめていた。

 ユーリは何を考えているかわからない冷淡な瞳で、ポケットからデジカメを出した。


「最近のデジカメって、動画も撮れるって知ってたか?」


 ユーリの言葉に、堀内は眉をしかめて他の男たちの表情を伺う。


「便利だよな、携帯みたいに録画時間短くないしさ」


 ユーリはデジカメに視線を移し、淡々と言葉を紡ぐ。

 いきなり、諏訪が顔を上げてユーリを睨んだ。


「動画で今までの会話を録音してたのか!」


「ご名答。品のない会話で聞いてるこっちは気分が悪かったよ。しかもご丁寧に名前まで名乗ってくれてさ。その制服と名字、あと画像があれば学校に連絡取るのも難しくない」


 ユーリはデジカメをポケットにしまうと、再び私を見て顔を歪めた。


「すぐ助けなくて、ごめん。ある程度使えそうな証拠が欲しかったから……怖い思いさせたよな」


 謝るのは私の方だ。

 心配かけたくないと黙っていたのに、結局私はユーリに助けられる。

 たくさん迷惑を掛けて、危ない目にもあわせてしまう。


「この状況でまだ春緒に何かするつもりか? 画像撮った携帯も春緒が持ってるんだろ?」


 ユーリはポケットの膨らみを指で叩いた。

 堀内は青い顔で、拳を震わせている。

 力付くで奪いかえそうにも、堀内にはユーリに負けた記憶が染み付いているはずだ。

 固まった空間の中、凛としたユーリの声が響いた。


「春緒!!」


 名を呼ばれ、弾かれたように立ち上がる。

 そして、呆然として力の緩んだ男達の拘束を強引に引き剥がした。

 動揺と油断から生じた隙を逃さず、私は一目散に走りだす。引き上げられたタンクトップを戻し、とにかくただ前へと走った。

 ユーリが手を差し出している。

 掴め、逃げるぞ。

 言葉は言わずとも伝わる。

 菅ヶ原の隣を駆け抜ける。

 菅ヶ原は手を伸ばして邪魔をすることすらせず、静かに微笑んでいた。

 不気味さに気を取られている暇などなく、私は駆ける。


「逃がすかっ!」


 慌てて背後にいた男が私を追い掛けてくる。

 男たちとしても、このまま逃がすわけにはいかないのだろう。

 思った以上に男は足が早く、伸ばした指先が私の手首を掴んだ。

 ぐい、と後ろに引かれる体。

 勢いに任せて蹴りを入れようと構えた私の横を、一つの影が通り過ぎる。


「行くぞ!」


「ユーリ……!」


 駆け付けたユーリの見事な回し蹴りを後頭部に食らい、男はあっけなく倒れてしまった。

 ユーリが私の腕を掴み、走りだす。

 痛いくらいに強く腕を掴まれ、声が出そうになった。

 だけど、「痛い」と口にしたらいけない気がして、私は黙ってユーリの後ろを走り続けた。



 工場から抜け出し、人通りの多い道に出た。

 ユーリが足を止め、私たちは人混みの中立ち止まる。

 自然と離れる手。

 私はユーリを見上げ、言葉を失った。

 ユーリはひどく哀しげな瞳を私に向けていた。


「春緒、菅ヶ原の携帯持ってるんだよね? 早いうちに画像消しておきなよ」


「あ、うん……」


 私は震える手で携帯をポケットから取りだし、両手で包む。

 あの写真を消さないと、と思うけど自分の恥ずかしい姿をもう一度見るなんて出来ない。

 ぎゅっ、と目をつぶり動けずにいると、両手に大きな手が重ねられた。

 温かい手に目を開けると、ユーリが優しく微笑みながら私の手から携帯を取り上げる。

 そして、何の躊躇いもなしに高く携帯を振り上げ、力一杯に地面へと叩きつけた。

 派手な音を立て傷ついた携帯を、ユーリは容赦なく踏み潰し足で地面へと押しつけた。

 乱暴な行為に、歩いていた人たちは足を止めユーリを伺うように盗み見る。

 だが、厄介事に巻き込まれる前にと足早に過ぎていくのだ。


「これで携帯の写メは消えた。……もう、大丈夫」


「ユーリ……」


 目の前が滲む。

 安心感と、恐怖。

 加えてユーリに迷惑を掛けた申し訳なさや自分の腑甲斐なさで、涙が出てきた。

 なんとかしなきゃと思っていて、なんとか出来ると思っていた自分が馬鹿らしい。

 私は、何も出来ない。

 無力で非力な女でしかないんだ。

 誰にも迷惑を掛けずに生きていきたい。

 問題も困難も、解決出来るようになりたい。

 もっと強く生きたい。


「ごめん、迷惑……掛けて……」


 あふれる涙を押し戻すように両手で顔を覆っても、涙の量は変わらない。

 初めから男に生まれていれば、こんなことにもならなかった。

 ごめん、ごめんと謝罪を繰り返す私に、ユーリはきつい口調で言う。


「春緒が謝らなきゃいけないのは迷惑掛けたことじゃない」


 視界を封じた私の身体が、ユーリの腕の中に閉じ込められる。

 震えていたのは私か、ユーリか。


「何かあったら言えよって、言ったじゃん……!!」


 ユーリも、自分を責めていた。

 ユーリは何も悪くない、なのに。

 私が困ると、ユーリも困る。

 そんなのは嫌だ。

 ずっとユーリに甘え続け、まだまだのしかかるつもりでいるのか。

 弱い自分が情けない、嫌い、憎い。

 女に生まれてきたことがそもそもの間違いだった。

 私が男なら何も問題はなかったのに。

 こんなことになるくらいなら、初めから男に生まれたかった。



 最近の奈津乃は、少し変わった。

 他人と関わることに積極的になったんだ。


「奈津乃~、百円貸して~!」


「えー、しょうがないなぁ」


 授業がない時間に食堂で奈津乃と話していたら、見知らぬ男が私たちのところへとやってきた。

 男は奈津乃を拝み、奈津乃はため息混じりにピンクと黒のチェックの財布から百円を出して渡した。


「さんきゅ!」


 私は言って、自販機へと駆けていく。


「友達?」


「んー、知り合いかな? 同じ学科なの」


 友達ではないんだ。

 奈津乃は笑顔を浮かべ、私を見つめた。


「変わるって言ったでしょ? だから今までよりまともに人間関係築けるようになろうかなって」


 その言葉を淋しいと思ってしまう私は、ひどい奴だろうか。

 変わっていく奈津乃を止めたいと思う私は、まだあの日に捕われているのかもしれない。


「もちろん、好きなのはハルちゃんだよ」


 屈託のない笑顔が、眩しい。

 自分の愛情を信じられないと言った奈津乃。

 そして私は、同じくらいに人からの愛情を信じられていなかった。

 奈津乃の歪んだ愛情確認に安心していたのは事実。

 私は今でも、誰かを信じることに怯えている。

 他人の言葉が信じられなかったから、どれだけの人に囲まれても壁を作ってしまっていた。

 友達が多いと言われるけど、本当は違う。

 私はただ、人当たりがいいだけ。

 奈津乃も初めは他人の一人でしかなかった。

 だけど彼女は、少し違った。

 誰も信用せず、頼らなかった私を怒鳴った。

 アタシを頼って、と叫んだ。

 人のために声を枯らせ叫ぶなんて、驚いた。

 たぶん、だから、気になった。

 笑顔は嘘でも作ることができる。

 でも、怒った顔は嘘で作るのは難しい。

 加えて奈津乃は女の子だから、下心があって近づいているわけじゃないと安心もしていた。

 目の前で楽しそうにたくさんの話をしてくれる奈津乃。

 自分の話や、授業の内容。

 今まではなかった他の友人の話もしてくれる。


「奈津乃、最近楽しそう」


 よかったね、と微笑むと奈津乃は困ったように首を傾げた。


「……ハルちゃんは、疲れてる?」


「え?」


「元気ないから」


 そんなことない、と首を振る。

 奈津乃は釈然としないままに頷いて、腕時計を確認した。


「あ、アタシちょっと中村教授のとこ行ってくる!」


「うん、いってらっしゃい」


 慌てて立ち上がり手を振る奈津乃の背中へ、私も手を振った。

 奈津乃は自分の将来についても真剣に考え始めたようで、教授へ相談に行くことが多くなった。

 私だけが、立ち止まったままで進めずにいる。

 歩いていく奈津乃の背中を見つめ、そう感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ