11.アデル王国ヴァレリア領へ……行きましょうよ!
第一層への転移が成功してから暫くが経ち、紗希はげっそりとしていた。元来、血色の良い白い肌には疲れが滲み出ている。それもこれも全てバルトが頑ななせいだ。
「バルトさん、明日こそヒロインを探しに行きましょう。ヴァレリア領の様子を見に行くべきです」
「嫌です。それより聖女様こそ調べものなど止めてください」
こんなやり取りを何度繰り返したことだろう。毎回、突っぱねられては終わっている。
紗希が外の世界へ促せば促すほどに、ヒロイン探しどころか足枷でも付けられているのかと思うほど、バルトは頑なに魔王城から出ようとしなかった。
つい先日「魔王城で自分の物語が止まっている」と切実に告げていた張本人が自ら引き籠るとは何事だろう。
いや、好意を伝えられているため紗希の気を引きたい事は理解しているが、あまりに極端過ぎる。
しかも日々上がってくる魔族領で起きる珍事や侵入者への処罰など精力的に捌き、あまつさえ魔王城の改修に着手する始末。
『七年間、どんなに手を加えようが俺の身体と同じように状態が維持されていたので今後どうしようかと困っていたんですよ。ほら、聖女様が足を踏み外して怪我をされてはいけませんから』
第一層に繋がる転移魔法陣がバルトを受け入れたあの日から、バルトと同じく止まっていた魔王城の時間も動き出したという。
だから修繕するのだと言って、その挙句には『やはり窓が無いのは気に入らない』『時刻が分かるよう鐘を鳴らすべき』『生食禁止、調理加工を必須とする』など、自ら問題を提起してはより住みやすい魔王城作りに勤しんでいる。
しかも配下の魔族達はバルトのその変化を喜んでいた。
確かに職場環境の改善に前向きな上司が居ることは喜ばしいことなのだろうが、彼の意欲の中心にあるのは紗希の存在だ。結局すべてバルトの要求は「聖女様のために」から始まる。
私情が城に悪影響を与えているわけでないのは幸いだが、しかしやはり紗希にとっては大問題だった。
そもそも城の改修工事など今やることではない。
「バルトさんと同じ七年を過ごした人がいるかもしれないんですよ?」
「そう言ってそのヒロインを押し付けようとしているのでしょう。俺には聖女様がいる。必要ありません」
いい大人が拗ねて不貞腐れているわけだが、それすらも絵になる眉目秀麗な横顔が憎らしい。
「俺は聖女様だけを愛してますから」
今度はバルトが視線を合わせず言うので、紗希は辟易とした面持ちを隠す事なく溜息とともに机へ視線を落とした。
執務室の机には日々、物が増えている。
今は城の内部設計書と複製魔法で縮小コピーされた魔王城の模型を見比べながら窓をどこに作るか決めているらしい。
羽ペンを滑らせながらバルトは複雑な内部構造との兼ね合いに頭を悩ませていた。
その姿はどこか艶やかで、神秘的な美しさが漂う。
こんな銀髪美麗の色男から日々『あなたが居ればいい』などとあり余る想いを伝えられれば普通少しぐらいは揺らぐものなのかもしれないが、しかし紗希はバルトの感情の扱いに困っていた。
愛というのは物語だから輝く。なによりこれはバルトとセレスティーナの物語なのだから間違えて欲しくない。
「……いっそ絵を飾ったらどうですか?」
紗希がポツリと零すと、先ほどまで逃げるように書類と向き合っていたバルトが顔を上げた。
それから先を促すような視線が向けられる。
「窓の代わりに絵を?」
「はい。構造上無理なら本物でなくても良いのかなと。大きな絵画などあれば閉塞感も和らぎませんか?」
想像しているのかバルトの瞳がゆったりと瞬いた。
「……なるほど」
「あとはその絵が時刻に合わせて色や景色が変わると良いですよね。時間を気にしない魔族の方々でもとっつきやすいかもしれませんし」
そんな魔法があれば、だが。
「いいですね。出来ますよ、やりましょう」
バルトは食い付くように言った。
紗希の思いつきは承認の方向で進められるようだ。
であれば話しを戻そうと紗希は双眸を細めた。
「ならこの問題は解決したので、ヴァレリア領行きについて話し合いましょうよ」
するとバルトの羽ペンが再び止まる。
話を蒸し返された事が気に食わなかったようで眉根に深い皺が刻まれていたが、いい加減引くことは出来ない。
何故ならバルトの幸せな結末と同じくらい、ヒロインの存在を見過ごすわけにはいかなかった。
単純に考えて、バルトが魔王城で足止めを喰らっていたのなら、ヒロインの身にも同じことが起きていておかしくない。
改めて考えると嫌な予感がしてならないのだ。
ヒロインとのフラグ回収は勿論だが、バルトのように苦しんでいないか、未完結の物語がどのような影響を与えているか確かめるためにも、まずは彼女の実家であるヴァレリア侯爵領へ向かうべきだろう。
これはバルトの七年を知ったからこそ生まれた感情だ。
しかし、肝心の勇者はこの通り全く乗り気でない。
「そもそも、セレスティーナ・ヴァレリアといえばアデル王国の王太子の婚約者でしょう。聖女様の知る物語の俺の相手がその小娘だとは信じがたいな」
「小娘って……」
確かに正ヒロインであるセレスティーナ・ヴァレリアは十九歳の侯爵令嬢でバルトとは歳が九つ離れている。
だからといって小娘とは如何なものか。
彼女は立派な淑女だ。それに物語において重要な設定がある。
再三のヴァレリア領行きの拒否に痺れがきれた紗希は、ため息を溢すと大博打に出た。
「……セレスティーナさんは、バルトさんの嫌いな転生クソ女の予言から唯一違った動きができる貴重な女性です。小娘なんて言わないでください」
そう、セレスティーナは所謂バグキャラ令嬢なのだ。
転生クソ女もといミレーヌの抱く逆ハーレム計画を壊せる存在でバルトにとって重要な相手。
ここまで言えば重い腰を上げるだろうと紗希は薄く口端を持ち上げた。
なにせ小説に登場するミレーヌはこの世界を前世でプレイしていたゲームの世界と認識し、最推しであるバルトに執着している。
そして、唯一バルトと結ばれることが出来る逆ハーレムエンドを目指しているのだが……、彼女の底意地の悪さが最悪の方向に作用してバルトに憎まれる。しかしバルトは物語の強制力ゆえかミレーヌから離れられない。
心は離れているのに、腐れ縁というべきか筋書きに縛られているのだ。
故に彼女のゲーム知識から発せられる予言に嫌悪し、自分と同じ人間を熱望していた。
つまりミレーヌの予想通りに動かないセレスティーナはバルトにとって突破口。だからこそ、婚約破棄の夜に契約婚を申し出る。
「……予言と戦うことが出来る貴重な相手だと?」
「そうです」
「なるほど……」
バルトは紗希に向かって今までになく美しく微笑んだ。
「やはり必要ないな。もはやこの状況は予言どころの騒ぎではないでしょう。違いますか?」
この瞬間の勝ち誇った笑みを、なんと表現すべきだろう。
たかがそんな事かと言わんばかりの、瑣末な理由とでも言いたげな問いに紗希は口を開閉させ肩を揺らした。
ーー分かっていない。
確かにエタった七年が引き起こした惨事はバルトの言わんとする物語の筋書きから外れた出来事だが、ミレーヌという女を舐めている。
物語の序盤でこれでもかというほど綿密に描かれたバルト達の幼少期を紗希は知っている。
無邪気な年下の幼馴染を演じていた転生者のミレーヌはとにかく諦めの悪い女だった。
諦めが悪いが故に、バルトと自分の故郷の滅亡を引き起こし、アデル王国の王家に自分の存在を見つけさせ、バルトの望まぬ形で彼を王国の騎士団に入団させる道を作った。
バルトを手元に置き結ばれる唯一のシチュエーションを再現するためならば、他の男とも寝るし、王太子の婚約者の座だって奪いにくる。
作中で特にミレーヌの粘り強さを表す行動として挙げられるのは『王太子の好感度を維持したまま魔王討伐の旅に出る』という難題を成功させようとしていたことだ。
『……後は国に帰るだけ。王国は勇者を手放さないだろう。バルトは名誉職として王家の近衛騎士となるはず。つまり、このまま王太子妃になれば、私に生涯の近いを立てざるを得ない……誓いは精霊が見届けるため彼が私に背を向けることは許されない。絶対に手放さないんだから。私のバルトレッド』
最終更新の末尾に置かれたこのミレーヌの独白。
紗希は七年でミレーヌがバルトを諦めたとは思えなかった。
「……バルトさん。ミレーヌさんがこの魔王城を去った時、どんな様子でした?」
「は……なぜあのクズを?」
「大事なことです」
語気を強めて言えば、バルトは躊躇したものの訥々といった。
「……あの女は確か……あぁ……初めは嫌がっていましたね。魔法陣を調べるべきだと他の仲間に訴えて……けれど自分の命が危険になると、あっさり先に行ってしまいましたよ。戻ってくるなんて嘘をついて」
やはりそうだ。
ミレーヌがバルトを置いていくことに手放しに賛同するわけがない。命が惜しくて魔王城から逃げた事が事実だとしても、完全に見捨てたかどうかは別問題だ。
「戻ってくるつもりが、戻れなかったのかもしれませんよ?」
「まさか」
「いえ、そのまさかです。魔王城は最近までバルトさんが城に閉じ込められた直後の状態を維持していたわけですよね」
「そうですが、侵入者はいました」
「物語に影響しない者は受け入れて、あなたに直接影響があるものは排除していたのかもしれませんよ」
紗希は冷静に自論を述べた。
魔王城はストラスが良い例で、魔族は自由に出入り出来た。転移魔法陣も受け付けないのはバルトのみだという。
バルトが不死者となった理由が物語を再開する時に必要だからという何かしらの力によるものなら、物語に大きく関わるミレーヌを城に再び入れる事はないだろう。
「だとしてセレスティーナ嬢を必要とする理由と、どんな関係が?」
「ミレーヌさんに対抗できるのはセレスティーナさんです。私じゃありません。この魔王城の転移魔法陣を突破出来るようになったのなら、ミレーヌさんもあなたと再会しようと思えばできるはず……問題はそれにいつ気づくか、じゃないですか?」
紗希の言葉にバルトの瞳には少しだけ嫌悪の色が灯る。これで良い。
いくらイレギュラーな存在だからといえど、ハッピーエンドを保証しているのはヒロインなのだ。
「うかうかしていると、また付き纏われるんじゃないですか?」
紗希は挑発するように言った。
優しくバルトを待つ期間は終了。これ以上バルトが魔王城に籠ると言うなら、嫌な部分を突くまでだ。
「情報をなるべく漏らさずアデル王国を探るには、セレスティーナさんの現状を調べることが一番都合がいいんです。安全に先手を打っておくことがバルトさんの幸せに繋がるわけですし……まぁ、ミレーヌさんに振り回されたいならもう何も言いませんけど」
バルトの胡乱な眼差しが一瞬だけ紗希の頬を掠めた。
なにせ彼にとってミレーヌは災いの象徴。
要は北風と太陽作戦である。
セレスティーナとなら幸せになれると風圧で押しても無駄なら、ミレーヌの熱量を思い出させる。いずれ現実となるかもしれないので嘘は言っていない。
「….面白いな」
バルトは苛立ちを逃すように吐息を溢して呟いた。
そしてついに頷いたのだ。
「聖女様には驚かされます……いいでしょう、そこまで言うなら行きましょうか。ヴァレリア領へ」




