1.勇者バルトレッドは聖女を召喚した……本当に?
砕けた石柱。足元で青白く輝く謎の模様。
それから一目で釘付けになるほどの西洋の美丈夫。
――なんて、綺麗な人だろう。
足元の光が反射してアメジストの瞳が複雑に輝き、まるで全ての色を吸い込むような銀色の髪と、透明度の高い白い肌からは神聖な雰囲気が漂っている。
しかし神の最高傑作かと思わせるほどの造形の美しい男と目が合った瞬間、ぞわりと素肌が粟立った。
形良い薄い唇から覗く歯列が一瞬、獲物を目の前にした飢えた獣の如く牙を剥いたような気がしたのだ。
人間、直感というのはなまじ馬鹿にならない。
綺麗だけど、何か変。
この感覚の答えを直後に理解する。
なにせその男は目尻を和らげると滑らかな所作で跪き、恭しく首を垂れるやうっそりと頭を上げ陶然と紡いだのだ。
「――あぁ、聖女様……やっとお会い出来ました……愛しています。どうか俺を最後まで連れていって下さい」
いきなり、何を言っているのだろう。
しかも歪む口元と荒い吐息が隠しきれていない。
いくら完全無欠の美麗な顔で言われても、初対面で息を荒げて愛を語る男性は不審者だ。
そもそも不審な台詞以前に見知らぬ場所に居ること自体、まったくもって理解が追いつかなかった。
なにせ先ほどまで終電の閑散とした電車に居たはずなのだから。
恍惚とした表情を浮かべる男に、ただただ言葉を失っていると、いきなり手を取られ指先に口付けられる。
思わず腕を引いて振り払えば、傷ついたように眉尻を下げ不安気な声が響いた。
「聖女さま……?」
不安なのはこっちの方だ。
なんなら気品あるアーモンド型の瞳が縋るように見つめてきて、若干の恐怖すら感じる。
端正な顔を前にしているというのに、感じるのは“この男、ヤバそう”というシグナルだった。
――――終電に揺られながら、早乙女紗希はまばらに通り過ぎてゆく街の灯りを眺めていた。
地方の都心部で雑貨店を経営していた祖父母が他界してはや二年。大学を卒業してから勤めていた東京の会社を辞めて店を継ぎ、今は電車で一本の距離にアパートを借りてそこから通っている。
一応、祖父母の店自体は三階建てで、二階と三階が住居となっているのだが、懐かしい匂いが残る場所に留まることに些か抵抗があったのだ。
最終電車に駆け込むことが出来たのは幸いだった。地方の電車で一本の距離は、東京都内の一本とわけが違う。
紗希は呼吸を整えるのにしばらく車窓を眺めてから、首から下げていたスマホストラップに触れた。
メールと翌日の天気予報をチェックし、それから最近始めた店舗のSNSを更新する。そこまでのルーティンを終えてから、ふと思い出してWEB小説のポータルサイトを開いた。
更新される気配がないけれど、妙に続きが気になって定期的に確認してしまう、そんな小説が一つあるのだ。
タイトルは『王太子と異世界女に二度裏切られた私は、悪辣勇者に溺愛される』。
サクッとスッキリざまぁ溺愛系を装った、愛憎塗れるじれじれ展開の物語。
たまたま新着更新で見かけて好みの雰囲気だったから追いかけていたのだが、何年か前に作者がぱたっと執筆を止めてしまっていた。
そう、これはいわゆるエタった小説なのである。
忙しいのか、筆が折れてしまったのか……大学時代は自分も趣味で書いていたので色々な憶測が巡っては、まぁいつか続きが読めたらいいなと気長に待っていた。
更新されていればラッキー、止まったままなら残念。それぐらいの感覚で。
――さて、今日はどうでしょう?
タイトルを押す瞬間、少しだけドキッとする。
紗希はこの瞬間が好きだ。
更新チェックは、アイスの当たりくじを確認する時の小さな高揚感に似ている。
ハズレたからといってその日の気分を大きく左右するようなものではないけれど、きっと更新されていれば歓喜するだろう。そんな感覚なのである。
結果は……――残念。また今度。
例の小説は更新されていなかった。
それならば、と時間潰しに他の小説を掘り当てるため検索マークに触れてみたのだが……この日はいつもと違った。
虫眼鏡に指が触れるより先に眩い光が紗希を包み込んだのだ。
「――言っておくが僕は知らないぞ。まったく魔力の消費が激しすぎる……200年は寝るから、絶対起こすなよ」
謎の美丈夫によって口付けられ慄いていると、近くで不機嫌そうな口調の少年が片手をひらつかせ背を向けた。
その後ろ姿には蝙蝠のような羽、頭部には羊の角が付いていた。
「あぁ、十分だ。よくやってくれたよ」
「当然だ」
ハロウィン?ならば納得出来るような、謎のコスプレ少年は紗希のことなど目もくれずどこかへ行ってしまった。
残されたのは紗希と美麗な不審者。
二人きりになってしまい、無意識に視線を周囲に巡らせた。
何が、どうして、こんな所にいるのだろう。夢でも見ているのか。
荘厳な静けさの中に退廃的な雰囲気を漂わせる閉塞的な場所ということぐらいしか分からない。
閉塞的と感じたのは、この場所に人為的な青白い灯り以外の自然光がないからで、天井こそ見えないが日光の差し込む気配がまったくなかった。
言わば、廃墟となった大聖堂のような。
少しカビ臭くて、何かに破壊されつくされたようにそこら中が崩壊している。
そして男の側には石像が一体。
その袂にひび割れた祭壇が残っていた。なんとも不気味すぎる。
「大丈夫ですか?聖女様」
男に再び呼びかけられた。
言語は伝わるが、やはり意味が分からない。
「あの……聖女って……」
「あなたです」
「私?」
「はい」
掠れた声でようやく出てきた辿々しい問いに、男は身に覚えのない役職を紗希に押し付ける。しかも何故かどことなく嬉しそうだ。
「多分、人違いだと思うのですが……」
「まさか。俺が聖女様を間違えるわけがありません。でも確かに……こうやって会うのは初めてですからね、混乱されるのも無理ないか……あなたが何もかも見通していると考えるのは短慮だったな」
男は自信を持って宣言する一方で、視線を下げると今度は一人で呟き始めた。
そこで紗希はこっそり三歩ほどじわじわ男から距離を置いた。
日本人男性の平均と比べて抜きん出て大きな身体に、ちょっとした威圧を感じていたのだ。
それに獣と遭遇した時は、騒がずそっと慎重に下がるべきだいうイメージがあったので。
しかし男は徐に立ち上がるや長い脚で一歩、意図も容易く距離を詰め、紗希の腰に腕を回し横抱きにする。
身体がふわりと宙に浮いた。
重力を感じるのに足裏は地面との接点が消えてしまって酷く心許ない。
「なんですか!?あなたっ……」
あまりの手際の良さにまともな反論の余地もないまま紗希は戦慄し生唾を飲み込む。
本当に、一体何のつもりだろう。
謎の美丈夫によるお姫様抱っこも、いきなり迫られるシチュエーションも、これは絶対三次元に持ってきてはならない。
不審者にしかならないから!
しかもその不審者は不敵に微笑むと問答無用で紗希の頭頂部に口付ける。
「改めて名乗らせていただきましょう。俺の名はバルトレッド。転生者だとか自称するクソ女と共に、魔王討伐の任を押し付けられたバルトレッドです。ずっと俺を見てくれていたなら分かるでしょう?」
紫水晶の瞳が柔く細められた。と同時に紗希は、とても信じられず目を瞠る。
これは何かの冗談だろう。でなければ幻覚に違いない。
男の告げた“バルトレッド”という名。その名に聞き覚えがある故に、紗希は自分の記憶を必死に手繰り寄せる。
まさか自分で思っていた以上に、あの続きを熱望していたのだろうか。だからこんな非現実的な夢を?
――――拝啓 『王太子と異世界女に二度裏切られた私は、悪辣勇者に溺愛される』の作者様
初めて問い合わせさせていただきます。
夢か現実か定かでないのですが、作者様の作品をチェックしていたある日、突然ヒーローの名を騙る不審者が現れました。
言動はともかく素晴らしい再現率です。
まるで流行りの異世界転移でもしたのかと疑うほどに。
しかし作者様。彼はたしか冷徹無慈悲な悪辣男で、傲慢なダークヒーロー的な人柄だったと思うのですが、私の認識は誤りだったのでしょうか。
少なくとも初対面の女性に跪き、愛を囁くような人物ではなかったはず……というか、こんなことってあり得ないでしょう!?




