逆走
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
さて今回「逆走」というタイトルについてです。
自らの思いの為にナナオが地下に戻るという意味と
もう一人、日常を捨てる覚悟を決めた女性がいます。
後に分かりますが、彼女の野心も大したものです。
どうぞ引き続きお楽しみください。
「……掃除してくる。神崎さんには上手く言っておいてくれ」
俺は一度閉じた重いハッチに手をかけ、驚愕に目を見開く白雪さんを振り返った。
この星の重力に馴染もうと、必死に「普通」を演じてきた一ヶ月。
その仮面を、今、内側からの不快感を消すために外すことを決めた。
「来るときにあった交番へ行って、『警視庁公安四課の神崎さん』を呼んでくれと頼むんだ。……それと伝言だ。
『せっかく本庁の地下を出て、普通の生活を始めたのに、台無しにしてしまいました』……って」
白雪さんが、声を震わせて俺に問い返す。
「え……? 公安……? 五味くん、どうして……っ!?」
「後のことは神崎さんに聞いてくれ……それじゃあ」
俺と、サブマシンガンを担いだラプターは、動転する白雪さんを促してハッチの向こう、地上の歩道「四季の路」へと導いた。
『ナナオ、警告します。
隣接するラプターと称する個体の出力係数は、租界に身を寄せる他の個体の約三〇倍。
……キルレシオを算出した場合、一二〇名の強化人間が全滅を覚悟で挑んでも、彼女一人を撃墜できる確率は〇・〇〇一パーセント以下です。
……何より不可解なのは、彼女の生体反応に一切の損傷が見られないことです。
他の個体とは、生存の次元が異なります』
エルピスの解析ログが網膜に警告を刻む。隣の女は、文字通り「桁が違う」。
だがラプターは、不敵な笑みを浮かべて俺の肩を軽く叩いた。
「いいのかい、公安の坊や。
あたしはあの嬢ちゃんを送り出したら、そのままあんたの『掃除』に付き合うつもりだよ。
あんたがタダのガキじゃないのは分かってる。
……だけど、実戦の殺し合いってのは理屈じゃない。
あたしが『本物の仕事』ってやつを教えながら手伝ってあげるよ。死なせない程度には、守ってやる」
隣の女は、俺の肩を軽く叩きながらそう言った。
俺の異質さを認めつつも、なお「守るべき対象」として俺の隣に立とうとしていた。
エルピスが示した、この星の基準を遥かに超える戦闘力。それが裏打ちする自信があるからこそ、彼女は得体の知れない俺を助けると言ってくれるのだろう。
――ありがたい話だ。
それにしても、美少女のキメ顔ってのは、やっぱり格好いいもんだな。
そんな彼女を伴い、俺は白雪さんを安全な地上へと押し出した。
「五味くん! ラプターさん! 待ちなさい、二人とも――っ!」
白雪さんが必死に腕を伸ばすが、俺はそれを振り切るように、ハッチの頑強な鋼鉄製レバーに手をかけた。
豆腐を崩さないように掴む感覚の、真逆。
握り込んだ拳に、100倍の質量を乗せた圧力を込める。
ギギギッ、と耳を劈く金属の悲鳴。
逃げ場を失った応力がレバーの根元に集中し、極厚のハッチを固定していた強固なロック機構が、内側から爆ぜるように砕け散った。
そのまま、ひしゃげた棒鋼がハッチの隙間を埋め尽くし、物理的な「封印」を完了させる。
それは、白雪さんを安全な日常へ切り離すためだ。
「…………は?」
背後で、ラプターの短い困惑の声が漏れた。
最高に格好いい顔で「守ってやる」と豪語していた最強の女が、無残にひしゃげたレバーとハッチを二度見して、魂が抜けたような顔で固まっている。
残されたのは、重苦しい静寂と、冷たい機械油の匂い。
俺は反転した。もはや「加減」は必要ない。
奈落の底へと続く通路。
背後でいまだに「……うそでしょ」と驚いている「最強の助っ人」を伴い、俺は重力を無視した速度で逆行し始めた。
◇◇◇
戻った工廠は、既に蹂躙のただ中にあった。
扶桑重工のエージェント――防衛庁や警視庁と深く結託した大企業の男たちが、抵抗する術を持たない少女たちを「データ取り」と称して弄んでいる。
「……あはは! 見ろよ、このモデルはまだ生きてるぞ。痛覚信号を最大にしたらどんな叫び声を上げるかな?」
男たちの目は血走り、一方的に弱者を踏みにじれる優越感と、それによって理性が飛んだ下卑た興奮に肩を揺らしている。
少女たちの泣き叫ぶ声と、それを肴にするような男たちの粘つく笑い。
その中心で、両腕をもがれたベルゲが、自身の真っ黒な油にまみれて床に転がっていた。
「……あ、あぁ……転、校生……さま……。逃げ……て……」
もがれた両肩の断面から、激しく火花が散っている。
それでも彼女は、俺を見つけるなり、震える声で俺の身を案じていた。
背後に隠した「スズメ」――怯えて動けなくなっている小さな仲間を守るために、彼女は文字通り楯となり、その対価として両腕を「もがれた」のだ。
俺は、一歩、踏み出す。
男たちの狂ったような笑い声が止まり、場違いな制服姿の俺に銃口が集まる。
「……猛烈に、気分が悪いな」
俺の言葉に、強化外骨格を纏った隊長らしき男が、興奮で赤らんだ顔を歪めて笑った。
「なんだぁ、このガキ。いいぜ、こいつの絶望する面もデータに取っておけ!」
重機並みのパワーを誇る外骨格の腕が、俺の頭を握りつぶそうと伸びてくる。
だが、俺は避けることすらしない。
バキ、という、この場に似つかわしくない軽い音が響いた。
俺の頭を掴んだはずの、外骨格の指がすべて逆方向に折れ曲がっている。
「……は? え、あ、ぎゃああああああっ!?」
男が悲鳴を上げ、後方に飛び退いた。
油圧回路から激しくオイルが噴き出し、強化外骨格の指先が飴細工のようにひしゃげている。当然中身もだ。
「な、なんだよこれ……! おかしいだろ! 重機並みのパワーなんだぞ、これ! 外骨格の握力負けしたっていうのかよ!?」
男は涙目で、自分のひしゃげた右腕を凝視しながら叫んだ。
「う、嘘だ、ありえない!
迫撃砲の直撃すら弾き返す装甲なんだぞ!? 軍用合金なんだぞ……っ!
なんで、ただのガキの頭を掴んだだけで、こっちが壊れるんだよぉ……っ!」
潰れた右手を抑えながら、泣きべそをかきながら喚くエージェント。
その横で、恐怖に耐えかねた別の男が機関砲の引き金を引き絞る。
至近距離で放たれる弾丸の嵐。だが、俺は眉ひとつ動かさない。
「これから始めるのは大掃除だよ。……地下の空気を入れ替えようか」
――加速。
その瞬間、工廠内の空気が「爆ぜた」。
俺の肉体が音速の壁をぶち抜いた瞬間に発生した衝撃波が、通路に溜まっていた重油の匂いと、男たちの下卑た欲望を、物理的な圧力で一気に押し流していく。
俺が通り過ぎるだけで、強化外骨格を纏ったエージェントたちは、木の葉のように舞い上げられ、壁に激突して装甲ごとひしゃげた。
もはや、拳を振るう必要すらない。
ただそこにある「密度」が移動するだけで、地球の最新鋭兵器は、踏み潰された空き缶のように無残な姿へと変えられていく。
「ぎ、ぎゃああああああああっ!」
「助けてくれ! くるな、くるなああああ!」
さっきまで少女たちを弄んでいた男たちの、惨めな絶叫。
だが、その声すらも、俺が引き起こす真空の渦に飲み込まれて消えていく。
「て、転校生、さん……」
ラプターは、もはやサブマシンガンを構えることすら忘れていた。
彼女の瞳に映るのは、少年の形をした「歩くハリケーン」。
俺が育った過酷な重力圏の当たり前を、この脆い地球で解放すればどうなるか。
通り過ぎるだけで大気が絶叫し、真空の渦が生まれ、鉄の塊を紙クズのように巻き上げ、粉砕していく。
目の前で起きているのは戦闘ではなく、あまりに一方的な「換気」だった。
数分後。
工廠内を埋め尽くしていたエージェントたちは、一人残らず「ガラクタ」として隅に積み上げられ、不快な笑い声は静寂に取って代わられた。
俺は、床に横たわるベルゲの前で立ち止まった。
「……掃除は、終わったよ」
もがれた肩から火花を散らす彼女を、俺はそっと、壊れないように抱き上げた。
◇◇◇
「神崎さん……! 五味くん、あいつ……『公安の神崎という刑事を呼べ』って……。
あいつ、どうして警察の、そんな怖い組織の人を知ってるんですか? 五味くん、本当は何者なんですか……っ!」
新宿五丁目交番の前。
呼吸を乱し、私のスーツの袖を掴んで必死に問いかける女子高生、白雪の言葉に、私は静かに溜息を吐いた。
「……そう。あの子、私の名前を出したのね」
私は、震える白雪の肩にそっと手を置き、自分のスマホの画面を見つめた。
本庁の緊急回線からは、地下施設での「異常な気圧変化」と「生体反応の消失」を知らせるアラートが、途切れることなく鳴り続けている。
(……地下で、「局所的な重力変動」を検知。
それも、一瞬だけ『巨大な質量』が猛烈な加速で移動したような、物理学を無視した波形。……あいつ、またやったわね)
このままいけば、私は明日には査問委員会にかけられ、この一ヶ月の「教育」はすべて水の泡。警察キャリアとしての私の命運はここで尽きる。
だが――不思議と、怖くはなかった。
「五味くんとラプターさんが、中に残って……!私に、神崎さんに伝言をって……」
白雪が、ナナオから託された謝罪の伝言を震える声で口にする。
『せっかく本庁の地下を出て、普通の生活を始めたのに、台無しにしてしまいました』
その言葉を聞いた瞬間、私の唇の端が自然と吊り上がった。
「……ふふ。あははは!」
突然笑い出した私を、白雪が、そして交番の巡査が怪訝な目で見つめる。
「しょうがないわね。
……いいわ、ナナオ。台無しにしたなら、また新しく作り直せばいいだけよ」
私は公式端末を握ったまま、
もう片方の手で隠し持っていたプライベートの端末を起動した。
発信先は、扶桑重工会長――実の父へのダイレクトラインだ。
『お父様、お久しぶり。
地下の「掃除」は終わったわ。
強化外骨格の実戦テストのつもりだったんでしょうけど、本体があそこまで粉々になっちゃ、データ取りにもならなかったわね。』
送信ボタンを叩くと同時に、
あえて、飴細工のように無残にひしゃげた鉄扉の写真を添付した。
豆腐訓練の初日から、私はナナオの情報を実家にリークし続けてきた。
彼がどれほど御しがたく、そしてどれほど「最高級の資産」であるか、父は既に嫌というほど知っている。
『――玲奈か。面白い冗談だ。
潰れた豆腐の写真を散々送ってきたと思ったら、鉄扉も豆腐と変わらんとはなあ。
だが、あの子の性能は既に我々の想定を遥かに超えている。
警察は私が押さえておく。お前はそのまま公安に居座り、あの子の監視を続けなさい』
父の返信には、尋常ではないまでの期待が透けて見えた。
私は気づいている。
私が実家に送り続けた記録が、すでに扶桑内部の派閥、そして癒着した他国の情報機関へと、水面下で流出していることに。
ナナオの力を初めて見た時に、私は戦慄すら覚えた。
公安キャリアとして、扶桑重工オーナーである神崎家の長女として、その立場から様々な強化人間のデータに触れてきた、エキスパートだと自負している。
そんな私が見ても、ナナオは、浮世離れした唯一の強化人間だと言わざるを得ない。
その価値は、想像を絶するものであると断言できる。
だから、私は彼を「生かす」選択をした。
この国に就籍させ、公的な立場を与えた。
死ぬほど嫌いな父に、ナナオの情報をリークする事で、扶桑重工という後ろ盾が出来るように画策した。結果、公安を裏切ることになろうともだ。
彼を「生かす」ために取った私の選択が、彼を世界の利権という名の檻に閉じ込め、各国や企業が彼を奪い合う、血みどろの第二幕の引き金になった。
「私も謝るわ、ナナオ。
……後始末は、さらに大きな火種にしておいたわ」
私は晴れやかな心地で、四季の路の夜空を見上げた。
たとえ彼を地獄の渦中に置くことになっても、その隣に立つのは私。親の権力も、公安の立場も、使えるものは全て使って、今度は私があなたを守ってあげる。
足元のコンクリートから響く微かな地鳴りが、地下のハリケーンが終わりを迎えたことを告げていた。
しばらくして、地面を揺らしていた振動が止まった。
四季の路に設置された古いハッチが、内側からの猛烈な圧力で吹き飛ぶ。
白雪が息を呑む中、地下の熱気と共に一人の少年が姿を現した。
両腕を失い、首筋から火花を散らす少女ベルゲを、壊れ物を扱うかのように大切に抱きかかえて。
「……ナナオ」
私が呼びかけると、ナナオは少しだけ気まずそうに、ひしゃげたハッチと私を交互に見た。
「神崎さん。……すいません、やっぱり加減を間違えました」
その不器用な言葉に、私は今日一番の、心からの笑みを浮かべた。
「いいのよ、ナナオ。……さあ、帰りましょうか。私たちの新しい日常へ」
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