真紅の覚醒と、散りゆく虚飾
血の海に沈む白銀の少女を守るため、二人の反逆者が巨大な神に立ち向かっていた。
「ハァァァァッ!!」
セラフィが血塗れの大盾を構え、虚飾の神が放つ無数の肉の触手を弾き飛ばす。
その隙を縫って、ミアが獣のような低い姿勢で霧の中を駆け抜け、双剣で巨体の死角を斬り裂く。
『アハハハ! 無駄だ無駄だァ! ゴミ共がいくら足掻こうと、神である私に届くはずが……痛ッ!?』
「黙れ、化け物!」
ミアの双剣が、虚飾の神の醜い皮膚を深く抉った。
いがみ合っていたはずの二人。しかし、「カノンを守る」「カノンを傷つけた奴を殺す」というたった一つの共通目的が、即席の連携とは思えないほどの鋭い反撃を生み出していた。
だが、それでも神格の壁は厚い。
虚飾の神が一つ目をギラリと光らせ、圧倒的な魔力の波動を全方位に放つ。
「きゃあッ!?」
「ぐ、ぅおぉぉッ……!!」
虚飾の神の猛攻に晒され、ミアの華奢な体が吹き飛ばされ、セラフィの盾がひしゃげる。
二人は冷たい石の床に叩きつけられ、全身に深い裂傷を負い、すでに夥しい量の血を流していた。もはや立ち上がる力すら残されていない。
『アハハハハ! 所詮は羽虫! その生意気な吸血鬼と一緒に、肉塊に変えてやろうッ!』
虚飾の神が、再び最大威力の『蹂躙の光』を放とうと魔力を収束させ始める。
「……くそ、っ……このままじゃ、カノンが……」
ミアが自身の血で咽せながら、足元で倒れ伏しているカノンを見つめた。
カノンの息は弱く、透き通るような白い肌は死人のように青ざめている。命の灯火が消えかけていた。
その時、セラフィの脳裏に、宿屋での出来事が閃いた。
『月に一度、こうして血を摂取すれば収まるのよ』
ひどく不味そうな獣の血を飲み下し、苦しそうに顔を歪めていたカノンの姿。
彼女は吸血鬼なのだ。命を繋ぎ、その真の力を引き出すためには、絶対的に『血』が必要なのだ。
「ミア! 私たちが流したこの血を……カノン様に飲ませるんだ!!」
「……ッ! そうか……!」
虚飾の神の攻撃が迫る中、二人は最後の力を振り絞り、這うようにしてカノンの両脇にすがりついた。
傷だらけの腕を伸ばす二人。その時、血に濡れたセラフィの手と、ミアの手が、カノンの顔の上で重なった。
視線が交差する。言葉は必要なかった。
いがみ合っていたはずの二人。けれど今は、たった一つの大切な命を繋ぐために。
白銀の騎士と野良猫は、互いの血が混ざり合うのも構わず、血塗れの指先をギュッと、強く絡め合わせた。
「カノン様、どうか……私たち二人の命で、お目覚めを……!」
「カノン、死んじゃヤダ……私たちのぜんぶ、あげるから……!」
固く手を繋ぎ合った二人の掌から、温かい血がポタポタと滴り落ちる。
そして、その混ざり合った赤い血液を、瀕死のカノンの青白い唇へと流し込んだのだ。
――トクン。
その瞬間。
薄暗い地下室の空気が、ピタリと凍りついたように止まった。
カノンの細い喉が、無意識のうちにゴクリと鳴る。
……甘い。
深い意識の底で、カノンは目を丸くしていた。
舌の上に広がるのは、セラフィの血が持つ『安心するようなホットミルクのまろやかさ』と、ミアの血が持つ『濃密で極上の果実酒の甘さ』。
あの吐き気のする獣の血とは違う。純粋な魔力と、二人の『生きたい』『守りたい』という強烈な意志が込められた、極上の命の味。
生まれて初めて『他者の血』を取り込んだことで、カノンの体内でずっと眠らされ、抑え込まれていた【吸血鬼としての本能と力】が、爆発的に跳ね上がった。
『死ねェェェッ!!』
虚飾の神の『蹂躙の光』が、三人を呑み込もうと放たれた。
だが。
「……五月蝿いわね。食後の余韻が台無しじゃない」
パチンッ、と。
弾けるような乾いた音が響いた。
たったそれだけで、虚飾の神が放った最大威力の光線は、空中で見えない壁にぶつかったかのように、あっけなく霧散して消滅したのだ。
『……な、に……?』
虚飾の神が驚愕に一つ目を見開く。
カノンはゆっくりと立ち上がっていた。
致命傷だったはずの腹部の傷はすでに跡形もなく塞がり、月明かりのような銀髪が、圧倒的な魔力の風を受けて美しく舞い上がっている。
そして、その真紅の瞳は――これまでの落ち着いた色とは違う、獲物を前にした『捕食者』の恐ろしくも妖艶な輝きを放っていた。
「あ……カノン、様……」
「……あったかい……いい匂い……」
手を繋いだままへたり込むセラフィとミアを冷たく、けれど確かに守るように庇いながら、カノンは右手をスッと横に伸ばした。
「……『展開』」
カノンの指先から溢れ出した血が、これまでとは比較にならないほどの禍々しさと神聖さを纏い、巨大な『真紅の大鎌』へと形を変える。
神聖な魔力に、吸血鬼としての無尽蔵の身体能力と暴力性が完全に融合した、文字通りの『神殺し』の姿。
『ヒッ……!? な、なんだそのおぞましい力は!? 貴様、神の分際で下等な血を啜ったというのかァッ!!』
「ええ。とても美味しかったわ。人の命の価値も分からない、あなたみたいな空っぽな化け物には一生理解できない味でしょうけど」
カノンは優雅に微笑み、大鎌を片手で軽々と振り下ろした。
ただの素振り。だが、そこから放たれた真空の斬撃は、地下空間を斜めに両断し、虚飾の神の巨体の右半分を、豆腐のようにあっさりと削り飛ばした。
『ギャアアアアアアアアアッ!?!?』
「あきれた。口ほどにもなく脆いのね」
絶叫し、残った触手で無差別に攻撃を仕掛けてくる虚飾の神。
しかし、覚醒したカノンにとって、それは止まって見えるほど遅かった。
ヒュンッ、と。
カノンの姿がブレたかと思うと、次の瞬間には虚飾の神の眼前に浮遊していた。
『ば、バカなッ……!? 私が、神である私が、こんな……ッ!』
「神を名乗るなら、せめて散り際くらいは美しく飾りなさい」
カノンの冷徹な宣告と共に、真紅の大鎌が一閃する。
悲鳴を上げる間もなく、虚飾の神の巨大な一つ目は真っ二つに切り裂かれた。
ズゴォォォォォン……ッ!!
核を破壊された虚飾の神の巨体が、醜い泥の塊のように崩れ落ち、跡形もなく消滅していく。
街全体を覆っていた甘ったるい幻惑の香も、カノンの神聖な魔力によって完全に浄化されていった。
「……ふぅ。今度こそ、ドレスが台無しだわ」
血の鎌を霧散させ、カノンは自身の血で真っ赤に染まったドレスの裾をつまんで、小さくため息をついた。
静まり返った儀式場。
振り返ると、そこには血塗れのまま固く手を繋ぎ、信じられないものを見るような目でカノンを見上げる、二人の少女の姿があった。




