交わる絆と、吸血鬼への甘い逆襲
色欲の街を後にした私たちは、神々の手が及んでいない中立の交易都市へとやってきていた。
目的は、母を殺した神の手がかりを集めること。
今日は奮発して、街で一番高級な宿のスイートルームを貸し切っている。
「んーっ! このお肉、すっごくジューシー! 骨まで食べられちゃう!」
部屋の巨大なテーブルでは、深紅の髪のレヴィアが、山盛りのローストビーフを豪快に平らげていた。
その隣で、ミアが呆れたように自分の皿の魚をフォークでつつく。
「ちょっとトカゲ、よくそんなに無限に入るわね。……でも、あんたのそのバカみたいな腕力、前衛としては悪くないんじゃない? 私が死角から首を刈る隙、ちゃんと作れてたし」
「えへへっ! ミアもすっごく速かった! ピンク色のシュバババッてやつ、かっこよかったよ!」
レヴィアが無邪気に笑うと、ミアは少し照れたように「ふん、当然でしょ」とそっぽを向いた。
そこへ、紅茶を淹れたセラフィが静かに歩み寄る。
「……野良猫。貴様の身軽さは確かに目を見張るものがある。だが、防御が薄すぎる。私が盾でカバーしなければ、あの近衛兵の槍を掠っていたぞ」
「うるさいなぁ、羽なし天使。……まぁ、あんたの盾がカチカチで絶対抜かれないから、私も安心して突っ込めるんだけどさ」
「……ふん。主の剣となる貴様を死なせるわけにはいかんからな。ほら、トカゲも野菜を食え。カノン様の眷属が栄養を偏らせてどうする」
「あーっ! セラフィ、私のお肉とブロッコリー交換したなー!」
ワーワーと騒ぎながらも、三人の間には以前のような殺伐とした空気はない。
天使、獣人、竜族。種族も生まれも全く違う三人だけれど、私の血(魔力)という絶対的な共通項が、彼女たちを不思議な『姉妹』のような関係性へと結びつけ始めていた。
私は窓際のソファで古い文献を読みながら、その光景を微笑ましく見つめていた。
「……さて。そろそろ、私のご飯の時間にしようかしら」
私がパタンと本を閉じ、真紅の瞳を妖しく細めて三人を手招きする。
普段なら「私が先です!」「カノン、私を吸って!」と争いながら飛んでくるはずの三人。しかし今日は、なぜかコソコソと目配せをし合ってから、妙に統制のとれた動きで私に近づいてきた。
「……? どうしたの、三人とも」
私が首を傾げた瞬間。
「しゅばっ!」
「きゃっ!?」
ミアが目にも留まらぬ暗殺者の歩法で私の背後に回り込み、私の両腕を後ろでクロスさせるようにして、背中からピタッと抱きついてきた。
「ちょっと、ミア? 何をして……」
「主、失礼いたします。騎士として、主の御身をしっかりと固定させていただきますね」
正面からはセラフィが歩み寄り、私の膝の上に跨るようにして座り込むと、私の腰に両腕を回して逃げ道を完全に塞いだ。
そして、私の正面、セラフィの肩越しから、レヴィアがニシシッと悪戯っぽく笑って顔を覗かせる。
「カノン、いっつも私たちをトロトロにして余裕ぶってるから。今日は私たちのペースだからねっ!」
レヴィアのしなやかな竜の尻尾が、私の足首にクルリと巻き付いた。
腕は暗殺者に、腰は騎士に、足は竜に封じられ、私はソファの上で完全に身動きが取れなくなってしまった。
「な……あなたたち、私を誰だと……っ」
少しだけ焦る私の耳元で、ミアがペロリと私の耳たぶを甘く舐め上げた。
「んぁっ……!?」
「あはっ♡ カノン、可愛い声。いつも私たちがされてること、お返ししなきゃね」
背後からミアが私のうなじにそっと唇を這わせる。
同時に、正面に座るセラフィが、私の軍服の襟元を少しだけ乱暴に引き下げた。
「カノン様……主の牙を受け入れるばかりが、眷属の愛ではございません。私たちからも、カノン様を愛させてくださいませ……っ」
セラフィが、私の鎖骨のあたりに、ちゅっ、と熱いキスを落とす。彼女の吐息が直接肌に触れ、私の吸血鬼としての本能とは違う、妙な熱が腹の底に溜まっていく。
「あ、こら……セラフィ、くすぐったい……っ」
「カノーン! 私も! 私のご飯、いただきまーす!」
レヴィアが私の真正面から飛びついてきて、私の頬にカプッと甘噛みをしてきた。
痛くはない。ただ、健康的な竜の体温と、三人の濃密な魔力が私を包み込み、頭の芯がグラグラと揺れる。
「んんっ……あ、ちょっ、三人とも……っ♡」
完全に主導権を奪われ、私は三人のヒロインから一斉に熱烈なキスと甘噛みの雨を降らされることになった。
いつもなら私が「与える」側なのに。三人のあまりにも真っ直ぐで重たい愛情表現に、私の気高いポーカーフェイスはあっさりと崩れ去り、顔を真っ赤にしてされるがままになってしまった。
「カノン様、顔が赤いです。可愛らしい……♡ さあ、私の首筋に牙を」
「カノン、私の血も飲んでいいよ。その代わり、いっぱい撫でてね」
「私の血が一番甘いんだから! ね、カノンっ!」
結局、息も絶え絶えになりながら三人の首筋に順番に牙を立てた私は、完全にペースを握られ、朝まで三人の甘やかされ地獄(天国)から抜け出すことができなかった。
***
翌日。
私は少し寝不足の頭を抱えながら、昨日読み解いた文献の束をテーブルに広げた。
「……カノン様、お疲れのようですね。私が肩をお揉みしましょうか?」
「結構よ。誰のせいだと思ってるの」
私は尻尾を振るセラフィをジロリと睨み、小さくため息をついて文献を閉じた。
「……やっぱり、ダメね。この街の文献をいくら漁っても、『母を殺した神』の正体や、その神がどこに座しているのか、全く手がかりがないわ」
「えー、じゃあどうするの? 適当に目についた神様から順番に燃やしていく?」
「そんな野蛮なことしないわよ、レヴィア」
私は窓の外、遠く離れた空を見つめた。
母の死の真実。そして、父の居場所。
そのすべてを知っているはずの存在が、ただ一人だけいる。
「……行くべき場所は決まったわ。少し遠くなるけれど」
「どこですか、カノン様?」
「私の育ての親であり、私を神々の目から隠し続けてくれた存在……『怠惰の神』が眠る、最果ての結界よ」
私がその名を口にすると、不器用でいつも眠たげだった、あの小さな神の顔が脳裏に浮かんだ。
神殺しの旅を始めた私を、彼はどう思うだろうか。怒るかもしれない。面倒くさそうにため息をつくかもしれない。
それでも、私は前に進むために、彼から真実を聞き出さなければならないのだ。
「……久しぶりの里帰りね」
私が少しだけ表情を和らげて呟くと、三人の眷属たちも顔を見合わせて力強く頷いた。
「主の育ての親君! それは粗相があってはなりませんね。身だしなみを整えねば」
「カノンのパパみたいなもの? じゃあ、ご挨拶しなきゃね」
「私、お土産に大きいお肉持っていくー!」
三者三様に意気込む彼女たちを見て、私はふっと優しく微笑んだ。
「行くわよ。……神殺しの旅、第二幕の始まりね」
私たちは、怠惰の神が隠れ住む秘境へと向けて歩み出した。
――その先に、すべてを喰らい尽くす『最悪の美食家』との絶望的な遭遇が待ち受けていることなど、この時の私は知る由もなかった。




