89 父の来訪2
「ティス様、失礼します」
食堂に侍女のルルが静々と入ってきた。遠慮がちながら声をかけてきたのは手紙を届けるためのようだ。
「なんだ?珍しいな」
カートがルルの方を見て告げる。
確かに歓談中には使用人たちも遠慮して、あまり声をかけてこない。
「ティス様宛てのお手紙がこちらに。初めてのことで」
ルルがおずおずと自分に手紙を差し出してくる。
簡素な白い封書、見覚えのある封印がなされていた。
(これは、メルンスト男爵家のものだわ)
ティスはじっと手紙を見つめる。
実家になぜ、この地での自分の滞在が知られているのか。当然、ティスからは連絡などしていない。
(疑問に思うだけ、無駄なのよね)
諜報を家業とする家柄なのだから。
ティスはため息をつく。
「今更、何だというの?」
思わず声に出していた。知られていること自体は仕方ないとして、あまり積極的に関わりたくない。
ラデン王国にエスト共々追放されて、せいせいしたぐらいなのだ。
(そもそも、ずっと今まで放っておいてくれていたのに)
今になって接触を図ろうという理由は、本当にティスにも分かっている。
「御実家からですか?」
ティスと家紋を見比べてカートが問う。
「はい。どうやら、父からのようです」
ティスは答えて封を開く。
無視するわけにもいかなかった。いずれ父のことだから応じるまでしつこいだろう。
「あまり、御実家とは関係がよろしくないのですか?」
朴訥とカートが尋ねてくる。言い繕える問いでもないから、真っ正直に尋ねてきたのだろう。
(そのほうが私もお話ししやすいわね)
ティスは口元を緩める。
「はい。エスト様の御実家エルニス公爵家に、奉公に出されて。それっきりでしたから。父とも実家とも疎遠でした」
肩をすくめてティスは答えた。
ルルも聞いて決まり悪そうな顔をする。手紙を届けたことが申し訳ないという様子だが。
(それは、届けないわけにもいかないものね)
ティスはルルにも笑いかける。
「そうでしたか?して、お父上はどのようなご用件で?」
カートに言われて、ティスは目を通す。
おおむね、手紙を受け取った段階で察していたとおりの内容だった。
(そんなところよね、お父様の用件なんて)
ティスは手紙を破り捨てたい衝動を抑えた。カートの前でみっともない真似をしたくない。
父について、思い浮かぶのは無表情な顔だけだ。諜報を生業とするだけあって、感情の起伏に乏しい人物だった。
「わざわざ、王都リクロではなくて、滞在先のここを割り出して。何を、と思っていましたけど。父はどうやら私に会いにここを訪れたいようです」
嘆息してティスは告げる。
密偵をしている人間が訪れたい理由など知れていた。
(ここを、私にかこつけて、カート様の領土を見ておきたいということね)
バール帝国の状況が黒騎士のせいで安定していない。
アーノルドやアニスの奮闘も焼け石に水、という状態だとティスも聞いていた。
「そうですか。ティス殿が気不味いのであれば、私の方で来訪を断ることも出来ますが」
カートが気遣ってくれた。
父親の来訪を受け入れるかどうかは、本来、カートに打診すべきことだ。ティスに窺いを入れてくるのは非礼ですらあるのだが。
「いえ、カート様さえよろしければ、こちらを訪ねることを、父に許してくださいませんか?」
カートが来訪を受け入れるかどうかすら、父にとっては判断材料となり得る。
ティスがどこまで取り入っているのか、そこを探りたいという狙いもあるのだろう。拒むよりも、とっとと用件を終わらせ、場合によっては直接、今後の関わりを絶ってしまいたかった。
(利用出来ないと、実力不足だと思うや、私をほとんど捨てたような、そんな親だもの)
武術には幼い頃から自信があった。兄妹の誰にも負けていない。侍女としての技術や立ち振舞でも、あまり困ったことはなかった。
どうにもならなかったのは、諜報員としての判断力だ。もともとこそこそ何かを探るということも得意ではない。その判断力を養う訓練では叱られてばかりだった。
そして父からは見切りをつけられたのだ。
カートの方は、そんな自分の武術を評価し、そして優しくしてくれた。
(実際は気にかけて頂いているだけなのだけど)
そして自分に何事か面倒事を押し付けようという気なのではないか。
「俺の方は、もちろん。ティス殿の御父上となれば、来訪を拒むつもりはありません。歓待致しますよ」
笑ってカートが快諾してくれた。
ラデン王国の歩兵隊長である。軍の頂点だというが相変わらず単独行動ばかりで、交際しているティスとしても、それだけの実力者と交際しているという実感は持てない。
(本当に、気さくで素敵なのだけど。お父様と仲良くなられても、ちょっと困るかも)
ティスは返書を書くため、ルルに頼んで紙とペンを工面してもらうのだった。




