72 巨大な河馬2
巨獣ギガンヒッポスが聖流ハトメア沿いに山を下ろうとする構えだ。
「俺、あんなのの前に立ったら、絶対にすぐ潰されますって」
クイッドは更に当然の危険性を述べる。
自分は前衛なのだ。エストのような後衛の前に立って、敵を引きつけて時間を稼ぐ。
敵がどれほどのものかをしっかりと見極めることも、だから大事なのだ。自分が保たないのなら、後衛も倒されてしまう。
悠然と泉沿いに立つ木々を踏み砕いてギガンヒッポスが歩いている。身体能力強化魔術を使ったとしても、あの木々よりも丈夫な自信がクイッドには無い。
「お馬鹿。何でも馬鹿正直に、敵の前に立つことはないでしょ。横でも後ろでも攻撃して、あいつの気を引いて。私が決定打を撃ち込んでやるんだから」
自信満々にエストが告げる。
クイッドはチラリとその左手に巻きつけた、『大聖女の連珠』を一瞥した。
(凄い自信。それだけ、その大聖女の連珠がエスト様に力を与えているってことなのか?)
勝算があるようだ。
クイッドは大きく息を吸って、そして吐き出した。
自分も身体能力強化を使えば、カート並みには動ける。巨獣からだって逃げ延びられるはずだ。
「分かりました、やりますよ、よやます」
手斧を抜き放ってクイッドは告げた。そして駆け出す。
「そ。そ。そうこなくっちゃ。期待してる、頼んだわよ」
気楽なエストの声が背後から追いかけてきた。
ギガンヒッポスの左後ろ足を目掛けてクイッドは突進する。自分の真後ろにエストが来ないよう、更に配慮、調整した。
「じぇいっ!」
巨体を支える、太く短い後ろ足にクイッドは手斧で斬りつけた。
切創を作ることに成功する。切断面から赤茶色の血が滲み出す。
(浅い)
巨体に対してあまりにも。
クイッドは敵の様子を窺う。
(もう一度、斬りつけてやろうか)
しかし、のっそりとギガンヒッポスの顔がこちらを向いた。
怒っている。目を見れば分かる。
斬られたことが痛いは痛いらしい。クイッドを憎々しげに睨みつけてくる。
「ぐあっ!」
咄嗟にクイッドは円盾で身を守る。盾を泥の塊が直撃して、クイッドを吹っ飛ばす。木の幹に強かに叩きつけられた。
距離が離れたのは良いのだが。
「ゴガァァッ」
咆哮とともに、ギガンヒッポスがドタドタと駆け出してきた。
走る姿の重苦しさに反して速い。
右か左か。
クイッドはエストとは逆方向につき左へ全力で走る。
相手の身体に横幅があるので、全力で走らないと逃げ切れない。そして少しでも突進の威力を削ぐため、クイッドは木々のある方へと敢えて走り続ける。
「ゴアア」
背後から咆哮が追いかけてくる。
姿を隠してやり過ごそうとも思うのだが、そうすると臭いを嗅いで、わざわざクイッドを探すのだ。
見つけてはまた追いかけてくる。
「ちょっと斬っただけだろ!」
あまりのしつこさにクイッドは泣きそうになりながら叫ぶ。
蚊に刺されたようなもののはずだ。
それに、そもそも斬られたくないのなら、接近する前に抵抗するか、現れなければ良かったのである。
「うおおおっ」
全力でクイッドは木々の合間を駆け続ける。
「ゴガァァッ」
先よりも咆哮が大きく聞こえた。
かなり距離を詰められている。
(やばっ)
応戦して巨体の隙間を抜いて逃げるしかない。
覚悟を決めてクイッドは向き直ったのだが。
「いや、無理だろ、これ」
思わず呟いていた。
まるで壁が押し寄せてくるかのようだ。どう戦っても潰される。そんな未来しか思い浮かばない。
クイッドは大きく開かれたギガンヒッポスの顔を見上げた。
「よくやったわっ!クイッド!魔力は十分!」
エストの叫び声だ。
「弾けろ、光!光爆!」
続くエストの言葉とともに、ギガンヒッポスの口の中で光が爆発する。
横合いからの一撃でギガンヒッポスが大きく仰け反る。
「もう一発!トドメッ!」
かさにかかって、エストが叫ぶ。
しかし、クイッドは冷静だった。
(あれ?新技は?もう一発?光爆なんですか?)
先の一撃目からして、以前、黒騎士に放ったものよりも大きい爆発だった。威力もきっと上だろう。
(でも、その技で敵を倒せた試しがない)
クイッドは光爆に良い印象が無いのであった。
「弾けろ、光!光爆!」
一際、大きな閃光がギガンヒッポスの左前脚を直撃した。
あまりの眩しさに目がくらむ。クイッドは腕で目を庇う。
直後、ギガンヒッポスが倒れたのか大地が揺れた。
(倒れた?それとも倒した?)
光が止んでクイッドは腕をどかす。
ギガンヒッポスが横倒しで倒れていた。
「やった!どう?これがお母様の形見の力よ!」
勝ち誇ったエストの叫び。
しかし、クイッドは気付いてしまう。
ギガンヒッポスの身体がピクリと動いたことに。
そして見開かれた目と、自分の目が合った。
「ゴオオオオオオッ」
激しい怒りとともにギガンヒッポスが起き上がって吠える。
「ほら、やっぱり!」
だから光爆はだめなのだ。
エストに怒鳴りつけたい気持ちを抑えつけ、クイッドは再びギガンヒッポスが逃げ始めるのであった。




