70 巨大な河馬1
ヨギラスがギカンヒッポスを視認する数分前。
意気揚々と『大聖女の連珠』をエストが左拳に巻き付ける。
まだクイッドにとっての未確認だった謎の洞穴前であった。
今のところはまだ何も起きていない。嫌な予感がしたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
「これがあればね、私の新技をあんたと敵に見せつけてあげられるってわけよ」
心底嬉しそうに告げて、エストがクイッドの返答を待たずに四つん這いになった。
そのめま藪の中へと進入していく。
「だから俺が切り払いますってば」
慌ててクイッドも後を追う。
また、エストの尻を追っかけるような格好となってしまった。
(なんなんだろ、本当にこの変な状況)
一応、行きで多少、小枝を払っておいたので、するすると2人とも進んでいくことが出来た。それでも膝や服の各所が葉っぱや泥で汚れてしまうのだが。
「とりあえずこれはこれで、大収穫で。次はランパートの森よ。あの首飾りもあれば、いよいよ私は聖女として強くなれるんだから」
エストの声だけが後ろ姿越しに聞こえてきた。
(使い方とか、練習とかいろいろあると思うんだけど。そういうのは良いのかな)
なんとなくクイッドとしては、手に入れる方にばかり気が行き過ぎている気もするのだが。
思いつつ、土塊で汚れたエストのローブを追いかける。
やがて藪を抜け出るというところ。
ドンッと衝撃とともに地面が揺れた。
「キャッ」
立ち上がろうとしていたエストが悲鳴を上げて尻餅をつく。
「地震でしょうか」
クイッドはエストを助け起こしつつ告げる。ラデン王国も多発するわけではないが、稀に揺れる。
(いや、違う。水面が揺れてる、これは)
妙な存在感を感じた。
辺りを見回してみて、クイッドは固まる。
透明だった聖流ハトメアの源泉が真ん中から黒く濁り始めていた。
次第に濁りが広がっていき、水面の揺れが大きくなる。
「ゴオオオオオオッ」
巨大な黒いものが水の中から飛び出してきた。
「な、なにっ?魔獣なのっ?」
エストが戸惑いつつも、再度の揺れにまた尻餅をついた。
クイッドは答えず、とにかく一旦、池からエストを引き離すことに集中する。相手が何かもわからないがとりあえず巨大だ。特にエストなど、潰されればひとたまりもない。
離れて木の陰に隠れてから、クイッドは相手を窺う。
体高が2ミケン(約4メートル)はあるだろうか。周辺の木よりも高い。がっしりとした四つ足で立つ、毛のない魔獣だ。体色が黒く、巨大な口と頭部が見るからに凶々しい。
「でかい、ちょっとヤバいかもです」
クイッドは背中を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
自分の斧など通じるのだろうか。少なくとも一撃では致命傷にはなるまい。
「一旦、離れてここを伝えて増援を呼びましょう」
クイッドは後退りながら提案する。
「悠長なこと、言ってらんないわよ。あんなの、人里に行かせるわけにはいかない」
いつの間にかエストが木の陰から出て、巨獣を凝視していた。
幸い、敵も感覚は鋭くないらしく、姿を晒していても気が付かないようなのだが。
「ほら、下りていこうとしてる」
エストが指差して告げる。
巨獣相手にも怖気付いてはいない。凛々しくも美しい姿なのだが。
「いや、無理でしょう。どう見ても強い。きちんとあれは組織で対応しないと」
クイッドは頭の中でどうやって、どこに報告するかの方に思考を傾けていた。
(パターガーさんとかカート隊長じゃないと、あれは無理だ)
幸い、魔獣の方はこちらに気付いていない。距離を置いて迂回をすれば、上手くすり抜けて最寄りの人里にたどり着けるはずだ。
「専門家が見れば、弱点だって知ってるはずです。こっちはあれが何かすら分からないんだから」
更にクイッドは微動だにせず魔獣を見つめるエストに告げる。
「あれ、ギガンヒッポスよ。でかいだけじゃない。全身から瘴気まみれの泥を噴き出して身を守るんだけど」
エストが思わぬ情報を伝えてくれた。知ったうえで退かないというらしい。
聞く限りでも手強いどころか勝てない相手ではないかとクイッドは思う。
(なんで、この人、分かっていて、そのうえでやる気なのさ)
エストの真っ直ぐな視線に対してクイッドは思う。
まだ、大人しく立っているだけなので助かってはいるのだが。
今も確かに黒い煙のようなものが身体から噴き出している。クイッドとしては、あまり近づきたくない。
「あの瘴気の泥、川は汚染するし、土壌も汚染するし、つまりこの辺の畑、全部ダメにするから。まだ山にいる内に仕留めないと、とんでもない被害になるわよ。この辺、人が住めない場所になる」
更にエストが戦わなくてはならない理由を訴えかけてくる。
倒さないと、というエストの言い分もこれでクイッドにも理解は出来たのだが。
「それは、倒せるんならって、前提の話ですよ」
たまらずクイッドは指摘するのだった。




