おもち(餅のおふるまい)
白く結露した窓に指先を滑らせると、きゅぅと音がした。
遠くの山並みが、うっすらと雪化粧をしていた。
庭先では、霜に覆われたモミジの葉っぱが寒そうに縮こまっている。
「うー、寒い」
霜月、という言葉を肌で感じる今日このごろ。
北国の冬の足音は信じられないくらいに速い。十月の後半には居間にコタツを出し、紅葉が綺麗だねー、なんて言っているうちに朝晩はストーブが欠かせなくなった。
温風を吹き出すファンヒーターの前にしゃがんで暖を取る。
――冬が来るんだ……。
便利なFF式の灯油ファンヒーターはすぐに温かくなる優れもの。排気ガスは外に出るのでお部屋の空気も汚さない。隣近所でも必ず家の横に二百リットルの灯油が入る、大きなホームタンクが設置してある。
今まであまり気にしていなかったけれど、灯油屋さんが定期的にやってきて、給油をしてくれているみたい。こうしてストーブが動くのも誰かのおかげ。そう考えると感謝です。
「はい、ハルはこれ着とき」
ふわりと軽い上着が背中に掛けられた。
「あ、ありがと雪姉ぇ」
「去年のフリースだけど、部屋着ならいいでしょ」
「うん、あったかい……」
「よかった」
この季節、ちょっとした温もりが嬉しくなる。
「あ、そうだハル。今日は公民館で『収穫祭』でしょ」
「うん、支度したらいくね」
「あぁ行っておいで」
村の『収穫祭』は、稲刈りの終わったこの時期に行われるらしい。
皆で集落の公民館に集まって、芋の子汁をつくっておふるまいをしたり、子供会でお餅をついたり。一芸や趣味を持っているは、公民館で作品を展示したりもするのだとか。
地域の交流会を兼ねているので、私たち中学生や小学生も参加する。
私は行事に参加するのは実は初めてで、ちょっと緊張しつつも楽しみだったりする。
「収穫祭というより、文化祭って感じよね」
「確かにね。村の秋祭りの名残りなんだろうけれど、なんだかんだで集まりたいんだよ。日も短くなって寂しくなる季節だし」
「なるほど」
◇
公民館は家から歩いて10分、集落の外れの山際にあった。
昔、小さな小学校が立っていた敷地と校庭をそのまま公民館に転用しているみたい。
映画やアニメに出てきそうなレトロ感覚満載の木造校舎ももそのままに、モノクロームの映像が似合いそうな、そんな雰囲気を醸している。
「うわぁ、渋いわね」
公民館の前には軽自動車や自転車が何台も停まっていた。お母さんお婆ちゃんが十人ぐらい、調理室で色々な仕込みをしているのが窓越しに見える。
「ハルちゃん!」
「ハルカさんー」
同じ地区の夏香ちゃんと、一学年下の……名前は確か、舞ちゃんと、ちょうど公民館の敷地の入口で一緒になった。
二人は学校指定のジャージ姿で、もちろん私も同じジャージ。色合いとデザインがダサイけれど、地域行事のときはそういう決まりなので仕方ない。
「あ、夏ちゃん髪、可愛い!」
「えー? 休日だから手抜きしただけだよー」
髪の先を指先でくるくる回す。
「なんか麦わら帽子が似合いそう」
「おぉ、なら冬だけどかぶろっかな」
「あはは」
夏香ちゃんはいつもの元気印なツインテールではなくて、髪の結び目を低く、耳の後ろよりも下にしていた。分類ではツインテールなのだけど、この場合はカントリー風のお下げというのかしら。
「舞ちゃん、陸上部は休みなの?」
「そうなんですよー。三年生も引退したし、もう大会も無いし!」
一年生の舞ちゃんはショートカットの似合う陸上部の女の子。
跳ねるようにして話す元気っ娘は、公民館前の雑草だらけの旧校庭を見て、兎みたいにかけだしそう。
「他には……男子が二人」
公民館前の広場――旧校庭を見回すと、幼児と小学生を併せて十数人ほどが、元気に駆け回っていた。
その中で同じ色味のジャージ姿の男子が二人。大人しそうな一年生男子たちは、半分地面に埋まっている巨大なタイヤの遊具の上に座っている。カードゲームのカードを見せあって、スゲーマジかーと、話に夢中みたい。
中1の男子なんて小学生の延長だし、クラスの男子は一部を除いてアホである。
「ハルちゃん、そういえば二年の男子も一人来てるわよ」
「同じ地区の二年男子……? 誰だっけ?」
「もうハルちゃん。この地区には私も含めて二年生は3人しか居ないんだよ」
「そうでした」
「あ! ほら……あの人」
「んっ、どれ?」
夏香ちゃんが小さく指差す先に、餅つきの杵を担いで運んでいる男子がいた。同じジャージ姿だからすぐ分かった。
特徴のない男の子。良く言えば嫌味のない性格と、スッキリとした顔だち。振る舞いもどこか落ち着いている。
「律くん。クラスの男子の中じゃ、まぁまぁよね」
「まぁまぁ……ぷっ」
くすくすと顔を近づけて二人で肩を揺らす。
確かに、律くんは「まぁまぁ」「そこそこ」なクラスメイト。
男子の中では真面目で目立つ方じゃない。けれど一応はクラスの副委員長を引き受けていたし、積極性はある。
成績はクラスの男子の中では確か二番目、体育祭のときの短距離走でも二位だった。
座席だって廊下側から二番目の列の後ろから二番目だったっけ?
なんていうか、常に二番手……という印象がある。
「ハルちゃん話しかけてみたら? 結構、気が合うんじゃない?」
「いっ、いやいや!? 何を言いますやら」
思いもよらない提案に私は顔が火照るのを感じていた。ぶんぶんと手を左右に振って否定する。
「そうー? 結構、お似合いだと思うんだけど」
「私はいいからー! 夏ちゃんこそ政光くんとはどうなのよ!?」
「あ、あれは! ……単なる従兄弟だし」
クラスが隣だけど二人は仲良し。廊下でたまに漫才みたいな会話をしているし。双子の兄妹みたいな、友達みたいな。そんな不思議な関係だけど私の見たところ、脈ありね。
「ふーん」
「なによー! ハルちゃんてばー」
慣れない恋バナできゃっきゃと盛り上がっていると、婦人会の人が私たちを手招きをしている。
「夏ちゃん、ハルちゃんもー! お餅の準備、手伝ってー!」
私たちは調理室に行き、手伝うことにした。
湯気の立ち込める調理実習室では、既に餅米が蒸しあがり、ゴットンゴトンと、自動餅つき機3台がフル稼働で餅をつきはじめていた。
「機械でもちつきなのね……」
ちょっと拍子抜け。
「そりゃそうよ、大変だものねぇ」
「ガハハ、その間に他の準備をするのさぁね」
おばちゃんやお婆さん達が笑いながら、ゆで小豆を餡にし、クルミや胡麻をゴリゴリとすりつぶしていた。お餅につける餡は本格的。全部地元で採れたものみたい。
「あれ、じゃぁさっき律くんが運んでいた杵は?」
「午後に臼と杵で小さな子どもたちと一緒に、餅つきをするんだって」
「なるほど、餅つきのデモンストレーション用だったのね」
沢山の人数分のお餅をつくのは大変だろうなぁと思っていたけれど、それなら納得です。
「ハルちゃん、私たちは餅の小分けと盛り付けの手伝いだって」
「うん! わかった」
エプロンをして三角巾をして、手を洗って準備の隊列に加わる私たち。
「今年は何人分だっぺ?」
「150人だって」
「じゃじゃ! 多がべぇ」
「地区の人さぁ皆、タダだからって食べさぁ来るさぁね」
「今年から、金取ったほうがいがべ!」
「んだんだ、がはは……!」
調理室は実に賑やかだ。方言交じりの会話を交わしながら婦人会の人たちが、手際よく作業を続けている。
私たちは、つき上がったお餅を、大きなテーブルの上に載せ、大人数で食べやすい大きさに千切ってゆく係。
お米のいい香りがして、熱々のお餅は粘り気も強い。
「うわ、面白い……!」
「なんか感触がねー」
にゅるっと押し出して、千切って。使い捨てのお椀に入れると、次の人が、餡や汁をかける。
昼近くになって沢山のお餅が完成した。窓の外を眺めると、いつの間にか行事用の白いテントがいくつか張られ、パイプ椅子や簡易テーブルが準備されていた。
秋晴れの昼間は暖かいので、外でのお餅食べ会ということみたい。
「いやぁ、壮観だね」
「こんな沢山のお餅見たの初めて……」
出来上がったお餅は、驚くほど種類があった。
醤油をかけた醤油餅、小豆の餡をかけたあんこ餅、クルミ餅、ごま餅。大好きなきな粉餅。青豆の餡をかけた「ずんだ餅」、これは豆しとぎを作る色鮮やかな青豆なのだとか。
それに、温かい雑煮もある。
「色んな種類があねー!」
じゅるり。
働いた後だからお腹も空いている。
「全部種類、食べるきだよね、ハルちゃん」
「うっ……!? そのつもりです」
「大丈夫、わたしも付き合うから! 体重が何よ」
「そうよね! いい友達をもって幸せだよ!」
餅を前に泣く私たち。もう遠慮なくお餅を食べまくる事に決めました。
でも、私が一番驚いたのは「なっとう餅」。ねばねばのなっとうが白いお餅の上に……これは初めてかも。
「なっとう餅って、初めてなんだけど美味しいの?」
「えっ? そうなの? 結構普通だと思ってたけど」
「私もお嫁に来て初めてのときは驚いたよ。南部藩の影響がある地区では、昔から餅料理が盛んなのよ」
すると横で聞いていたおばさんが、教えてくれた。
「県南の方だとこの他に、川エビを煎ったものをまぶした『えび餅』なんてのもあるの。とにかく餅を食べる風習が多いかもね」
「へぇ!」
「そうなんだ……」
そして、いよいよお昼。
挨拶だの、歌だの、適当な開始宣言の後、お餅の「おふるまい」がはじまった。
「うっまぁあああ!」
「美味しい……美味しいよぉ」
「泣かないで夏ちゃん。食べ物もらえてない子みたいだよっ!」
でも、ほんとうにつきたてのお餅って美味しい。
あんこが甘くて、けれどしっかりと小豆の香りがする。
小豆の次に舌に触れるお餅は、ふわっと柔らかくて、温かくて。舌の上でとろけると、次第にお米の新鮮な風味を放ちながら、喉の奥にすべってゆく。
「美味しい、お餅ってお米なんだね」
「そりゃそうよ! 次、クルミ餅いこう!」
「うん! どんどんいくわ」
皆で好きなお餅を食べて、飲んで、お喋りをする。
お爺さんもお婆さんも、お母さんも。地区の人全員がきているんじゃないってくらい、賑わいを見せている。
「すごい人数だね。この地区、こんなに人が居たんだ」
「私が小さい頃はもっと多かったみたいだぜ」
「毎年少なくなるって……」
にゅーん、とお餅を箸で伸ばしながら、私はその話を聞いていた。いつの間にか周囲のテーブルにいた同級生やその父兄たちが話している声も聞こえてくる。
「おたくんとこも、来年受験だべ?」
「だども、地元だと高校選べないし。困ってらじゃ」
「進学を考えるなら隣の市の公立校まで通わなきゃなんねぇしなぁ……交通の便も」
三年生は受験で部活にも来なくなったし、いろいろと冬に向けて変わってゆく。
私もいよいよ来年には三年生、受験も考えなきゃいけないんだ……。
「高校無いんだね、隣の街までどれくらい?」
「うーん、50分ぐらい」
「歩いていけるところに高校があったらいいのに。ひと駅とか……自転車とかで通えるような……」
「無理よ、ハルちゃん。ここ過疎の村だもん」
過疎。
人が多いところが苦手だった私は、のんびりした良い場所だなぁ、ぐらいにしか考えていなかった。
けれど、衰退の意味を持つ言葉は、実際に住んでみると誰かの決めつけみたいにも思えた。
なんだか悔しい。
人数が少なくっても、こうして一人ひとりが皆で頑張って、祭りをやって楽しくて、美味しいお餅を食べている。
今までだって、沢山の美味しいものを食べてきたし、綺麗な景色も見てきた。
なんだかいつの間にか、私はこの場所で暮らしている。
「そんなの……。私はここが楽しいよ、お餅も美味しいし、みんなが好き」
「ハルちゃん……」
「暮らしているひとがいて、温かいし。寂しくなんてないよ」
「そうだね。盛り上げてけばいいよ!」
肩をぶつけて、お餅で乾杯。笑顔になる夏香ちゃんと私。
冬枯れ色の里山や、稲刈りの終わった田んぼ。日の暮れるのも早くなって、通学路の景色も何だか寂しい。
何もない田舎だって、確かに思う。
けれど変わりゆく季節、美しい風景や、美味しいものを見つけてきた。
友達だっている。
――私はここが好き。
だから、帰ったら雪姉ぇに伝えよう。
進みたい道を見つけたんだ、って。
<おしまい>
【作者よりのお知らせ】
はるか食彩ノスタルジアのお話は、ここでひとまず幕を下ろします。
沢山の地元の食材や珍味、場所、温かい人たちに囲まれながら、はるかは将来に向けてある決意を胸に秘めました。
雪姉ぇのところに残り高校へと進む道、それは進学には不利かもしれないけれど。
でも、高校編なんてのもいいかもしれませんね。
謎の部活、美味しいもの探索のゆるゆる部活、田舎暮らし部なんて。
けれどそれはまた、いつか別の機会に。
お読み頂きありがとうございました!




