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「やっぱりな。あんな酷い音、出るだけでがらくた決定だろ。いくら楽器じゃなくても、<吟遊詩人>の沽券に関わる」
ヒヨリは大袈裟に胸をなで下ろしてみせた。
隣で奏羽が、無言で首を振っている。
「まあだからって、何も成果がないとは思ってないからな。言いたいことがあるなら聞いてやる。ほら、話してみろよ」
ヒヨリは寛大そうに口元を緩めながらも、手を止めない。七輪で炙った鰭を二つの湯呑みに放り込み、湯煎していたお銚子の中身を注ぐ。
奏羽は黙ったまま一つ受け取ってすするが、すぐに机に突っ伏した。
「その件は、オっちゃんやないと話せんのです。公式発表をお待ちください」
潰れたまま顔も上げない奏羽から、とうとうヒヨリは目を逸らして息をついた。
「全くしょうがない奴だな。そんなにうじうじ悩む前に、さっさと会いに行けば良いじゃないか」
「だって。格好こんなやし、ミナミは遠すぎるし」
奏羽の泣き言は小さすぎた。
ノックに気付いて立ち上がったヒヨリには届かず、聞き返されることすらなかった。
「は? あんた、ホクトの姉さん?」
「はい。アキバの銀行に勤めています。その、<大地人>です」
ソウナと名乗った女性は、確かにギルド会館でカウンター越しに良く見られる制服を着ていた。
恐縮した様子だが、しきりに辺りを気にしていて落ち着きがない。
「つい先ほど、ホクトがこちらに向かったと聞いたのです。その、次にどこへ行くとか聞いていたり…… すみません、失礼しました」
湯呑みを持ったまま動きを止めたヒヨリに、ソウナは慌てて頭を下げて部屋を出ようとした。
ヒヨリは奏羽に目配せしつつ、ソウナの手を取る。
「少し落ち着け。それに肝心の御用聞きが終わってないだろう。経緯はどうあれ、請け負った仕事は片付けろ」
奏羽を追いやった椅子に座らせ、カップにお茶を注いで落ち着かせる。
観念したように長々と息をついてから、ソウナはお茶を一口含んだ。
「ホクトとはしばらく会えていないんです。師事している方に着いて回っているとかで、ずっと擦れ違うばかり。手紙でやりとりはしてるのですけど」
ここへのお使い、無理に代わって押し掛けてしまいましたと、小さくなってうなだれてしまう。
「ホクトとは家族で、まだ小さいんだろ。そういうのは仕方ないって、まあ分かる」
思わぬ助け船に顔を綻ばせて、ソウナはヒヨリに頭を下げた。
ヒヨリが決まり悪げに視線で訴えると、奏羽は言葉を一度濁してから選び直した。
「あー、そんなに心配せんでも、良いんちゃうかな。お師匠さんはいつも一緒なんやろ?」
「いえ、それが。お連れの方はずいぶんお疲れの様子だったとかで、気が気でないのです。ホクトがご迷惑をお掛けしているのではないかと」
『なあ、奏羽ー 今どこにいるー 出て来れるー?』
突然体を震わせた奏羽が、一言断ってから席を離れた。二人に背を向けて、口を覆った手に小さくかみつく。
「今、取り込み中」
『そっかー なら伝言だけー』
奏羽の耳にはいくつかの声が聞こえたが、何を言っているかまでは分からない。
「うっちゃん、そこに誰がおるん?」
『<付喪神>使ったのは秀逸ー でも記録するなら<精霊>の方が強化も利いて便利、だってー』
「……うっちゃん?」
不審を露わに、奏羽の声が低く問う。だが返る答えは無邪気で明るかった。
『<風切鬼>より<木霊>? どうせ一人じゃ無理? あー、だよねー』
続く笑い声を無視して、奏羽は辛抱強く問いかけた。
「うっちゃん? 誰に聞いてるの、そこに誰がおるん?」
『んー? えっと、ホクトと、ホクトのお師匠さん? すっごい物知りさんー』
え、物書きさん? という声は遠く小さくてもはっきり聞こえた。
奏羽が鋭く飲んだ息は、思いの外大きく鳴った。ヒヨリとソウナが何事かと、話を止めて顔を見合わせた。
「ちょっ、今どこにおるんよ?! うっちゃん? 返事してな、うっちゃん!?」
『確かに奏羽は<精霊>の契約多かったと思うけどー ふーん、それなら特化するのも面白そうー」
でも【鈴音】に被るー という意味は分からなかったが。奏羽はその物言いにこそ、体を強ばらせた。
『そういう訳でー 打帆は修行の旅に出ることになりましたー 押し掛けだけど、問題ないってー』
奏羽はもはや話の流れを理解出来ず、不穏な単語にも反応すら出来ない。
『しばらく連絡付かないと思うけどー 心配いらないからー じゃあねー』
涼しく軽やかな鈴の音を残して、一方的な通告が終わった。
しばらくしてから、ようやく奏羽は息を潜めて見守っていた二人を振り返った。
「なあ、ソウナ。ホクト見たって教えてくれたの、誰やった?」
「打帆さんという、托鉢のお姉さんです。ここしばらくご無沙汰していましたけど、この仕事に就いた頃に随分お世話に…… あの、大丈夫ですか?」
動きを止めた奏羽は、いつのまにか目に涙を溜めていた。
「うっちゃんばっかりずるい……」
必死に口を結んで耐える奏羽を。ヒヨリは乱暴に肩を掴んで椅子に座らせ、何も言わずに湯呑みを掴ませた。