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ベルメス宗国の軍勢がメニュー地方より南下し、中央都市バルサザクとの中間に位置するハザレー地方に至ったのは、そのような歴史の必然であったといえる。


ここは交通の要衝であり、また緩やかな丘陵と開けた平地が交錯する地形で、近代戦における機動戦と陣地戦の両様が展開されうる場所であった。


宗国側の総大将は、かつて公国軍において名を馳せたコロイス大将である。彼は軍略において冷徹な現実主義者であり、戦場における判断の速さと苛烈さで知られていた。また、その配下にはゴゾ少将、グエン中将といった歴戦の将が名を連ねていた。表面的に見れば、指揮官層は充実していたと言ってよい。


だが、軍というものは将のみで動くものではない。むしろ兵の精神こそが、その根幹をなす。宗国軍の兵士たちは、その意味において致命的な不安を抱えていたのである。


「……おい、本当に戦うのかよ、これ」

 

塹壕の中で、若い兵が呟いた。


「黙れ。命令だ」

 

隣の下士官が吐き捨てるように言う。

 

「命令って……相手、公国だぞ? 昨日まで味方だった連中だろうが」

 

「だからどうした。敵は敵だ。そう教わったろうが」

 

「納得できるかよ、そんなもん!」


このような会話は、決して一部のものではなかったといわれる。兵士たちは、自らの所属する軍が何故反旗を翻したのか、その政治的背景を十分に理解していなかった。国家というものは、ときに兵に説明を与えぬまま、運命だけを押し付ける。


すでに一部の部隊では脱走者が出ていた。これは戦史においてしばしば見られる現象であり、特に内乱的性格を帯びた戦争において顕著である。敵が「他者」でないとき、兵は剣を振るう理由を見失うのだ。


一方、公国軍は対照的であった。


迎え撃つは、第2師団。指揮を執るはヴリゾラ・アニ上級大将。彼女は『炎獅子』の異名を持ち、鐘譜護戦争においてゴズ王国を窮地に追い込んだ猛将として知られていた。


その司令部において、


「敵、前面に展開。数、およそ同数」


伝令兵が報告する。


ヴリゾラは地図から視線を上げた。その瞳には、炎のような静かな闘志が宿っていた。

「士気は」

 

「……低い模様です。逃亡兵も確認されております」

 

参謀が答える。


「ならば決まっているな」


彼女は短く言い放った。


「踏み潰す」


その声音は低く、しかし断定的であった。そこには一切の躊躇も情もなかった。戦場において、迷いは死を招く。それが彼女の信条であったに違いない。


「だが閣下、コロイスが相手です。油断は」

 

「していない」


ヴリゾラは言葉を遮る。


「将は強い。だが兵は弱い。この戦は、そこに尽きる」


これは軍事思想として極めて本質的な指摘である。いかに優れた指揮官を擁しても、兵の士気が低ければ軍は瓦解する。逆に、兵が強固な意志を持てば、多少の不利は覆しうる。


歴史とは、その繰り返しであった。


戦場の空気は、やがて張り詰めた弓弦のように緊張していった。砲兵隊は砲列を整え、歩兵は塹壕に身を潜め、機関銃は丘陵の要所に据えられる。補給部隊は弾薬箱を運び、衛生兵は包帯を用意する。


その一つ一つが、これから訪れる殺戮の予兆であった。


宗国側の前線では、別の声が上がる。


「コロイス閣下がいるんだぞ! 負けるわけがねえ!」

 

士官が叫ぶ。

 

「……本当にそうか?」

 

兵の一人が呟く。

 

「何だと?」

「だってよ……俺たち、何のために戦ってんだ?」


沈黙が落ちた。


この問いに答えられる者は、その場にはいなかった。


コロイスの名声は確かに絶大であった。だが、それは過去の戦場において築かれたものであり、現在の兵の心を支えるには、あまりにも抽象的であったといえる。


名将とは、時に兵を鼓舞する象徴となる。だが、それだけで戦争に勝てるほど、近代戦は甘くない。


やがて、両軍の砲声がハザレーの空を引き裂いた。


それは、単なる戦闘の開始ではない。国家の分裂が、血という形で現れた瞬間であった。


そしてこの戦いが、後にいかなる結末を迎えるか、その時点で予見できた者は、ほとんどいなかったといわれる。

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