第42話 初めての婚活お茶会(1)
「ラン君を連れて、シリュー侯爵家の婚活お茶会に、行ってらっしゃいな」
そう軽やかにアデルが言ってから一週間。
オーロラはアスランとともにシリュー侯爵領へ出発した。
『ローリーお嬢様』の社交界デビューとも言えるお茶会出席だったが、当のオーロラは特にすることはなく、毎日城中を駆け回っていたアスランに申し訳ないと思うほどだった。
アスランはアデルに命じられて、シリュー侯爵領への旅のすべてを担当することになった。
シリュー侯爵領までの道の選定、途中で泊まる宿の手配。
使用する馬車と馬の選定、替え馬も含む、馬車の手配全般。
同時に旅の荷物の準備もしなければならない。
同行する侍女の選定、護衛騎士の選定、とアスランが手配することは数多い。
アスランはルドルフ、執事のスチュワート、家令のワトソンのアドバイスを受けながら、準備を進めた。
その日も、アスランは紙の束を抱えてルドルフの執務室に入った。
ルドルフは国境防衛の要を担う辺境伯だが、領主として書類仕事や各領との交渉事も行っている。
この日も執務室にはスチュワートがいて、ルドルフの補佐を務めていた。
「まずは自分で思ったとおりにやってみるといいさ。途中でこれは良くない、と思えば変更すればよし。アデルも旅程表には目を通しているし、気になることがあったら、遠慮なく修正を入れるだろう」
アスランの差し出した旅程表に一通り目を通すと、辺境伯ルドルフは大将らしく、おおらかに言った。
一方、当のアスランはかなり神経を尖らせている部分がある。
何しろ、今までにさまざまな事件に巻き込まれてきたオーロラである。
たとえ身分を偽装しているとしても、どこから何が漏れているかわからない。
万全に準備するに越したことはない、とアスランは考えた。
そこで念には念を入れて、ということになるので、アスランの計画はかなり大げさな仕上がりになりつつあるのだった。
「ま、いい経験になるさ」
ルドルフはそう言うと、アスランの肩をバンバンと叩いたのだった。
一方、どこかのんびりとしたスチュワートが、ほんわかとして言った。
「そういえば、ローリーお嬢様が騎士の訓練場にいらっしゃっているそうですよ。何でも護身術を学ばれているとか。それはランさんのアイデアですか?」
「え!?」
アスランはスチュワートに詰め寄った。
「だ、誰がお嬢様の対応をしているか、ご存知で!?」
「えぇ。レオナルドが大喜びで教えているとか。何しろ若手のホープですからね、適役と言えましょう」
「!!」
レオナルド、の一言で、アスランは猛ダッシュで部屋を飛び出し、階段を駆け降りていた。
ルドルフが額を押さえて言う。
「おまえな。ものは言いようだろうが? アスランをこれ以上刺激してどうする?」
「いえいえ。最近、ランさんはお疲れのようでしたので、気分転換をと」
スチュワートはそう言うと、悪気ない笑顔でルドルフに次の書類を差し出したのだった。
***
「ラン君、あんなに怒ることなかったのに」
馬車の中で、オーロラが突然言った。
シリュー侯爵家に向かう馬車の中。
オーロラの乗る馬車には、アスランが座っていた。
侍女のエマは他の侍女仲間と別の馬車に乗っている。
途中で、オーロラとの同乗をアスランと適宜交代するらしい。
「はい?」
「レオナルドさんのことです。わたくしは、何かが起こった時に、お荷物になりたくなかったの。だから、レオナルドさんにそうした非常時の対応を教わったんですわ」
「あ」
心なしか、オーロラの頬がぷくっとふくれている。
ご機嫌ななめ、というところなのだが、そんな様子も可愛くて、アスランは表情を引き締めるのに苦労した。
「レオナルドさんの教えはこうです。『ともかくすべて、ランの指示に従うこと』。これが大前提だと言われました。勝手なことをしない。指示に従う。それだけでもとても効果的なのだと」
オーロラは一生懸命に説明を始めた。
「その上で、あらゆるケースを想定して、その時にどうするか、ラン君と相談しろとおっしゃいました。責任者には、こうしてほしい、こうしてもらいたくない、という希望が必ずあるので、それを知って、尊重することが大事だと」
「あ……」
「それで気がつきましたの。わたくし、あなたに直接教わりに行くべきでした。勝手に『ラン君は忙しそうだから、邪魔をしてはいけない』なんて思うべきじゃなかったんです。結果的にはこうしてあなたに嫌な思いをさせてしまっているわけですから」
オーロラは深々と頭を下げた。
「…………勝手に騎士団に行って、申し訳ありませんでした」
「あっ」
アスランはオーロラの素直さ、そのまっすぐさに心を打たれた。
仮にも年上の自分の方が、よほど大人気ないことになってしまった。
「ローリー嬢! いえ、オーロラ嬢! 顔を上げてください! そんな、いいえ、俺が未熟だったのが悪いのです。あまりにも余裕がなくて、それでオーロラ嬢が話しかけにくいと思われたのなら、それは俺が悪いのです。オーロラ嬢の気持ちを、察するべきでした」
オーロラは、困ったように笑った。
「人は、万能ではありません。言葉に出されていない気持ちを読むことはできませんよ? これはわたくしが悪かったのです———ですから」
オーロラはアスランをまっすぐに見つめた。
「ですから、道中、いろいろ教えてください。緊急時の振る舞い方や、わたくしにしてほしいこと。わたくしにしてほしくないこと。そうすれば、時間を有効に使えますでしょう?」
アスランもまっすぐにオーロラを見つめた。
ちょっと派手なグリーンのアイカラーで彩られたオーロラの瞳。
しかし、その瞳の色は、変わらぬアイスブルーだった。
アスランの知っている、アスランの大切な、アイスブルーの瞳。
瞳の色が変わらないように、オーロラはアスランの覚えているオーロラから、変わっていない。
この人は、こうしていつもまっすぐな人なんだ。
どんな状況の中でも、できることを懸命にやってきた。
それが、オーロラなのだ。
アスランは、そんなことを思う。
アスランは深々と頭を下げた。
「では、ローリーお嬢様。不肖、従者のランが、ご説明申し上げます」
「はい。よろしくお願いします」
アスランとオーロラが、笑い出した。
「ずいぶん不器用なお嬢様と従者ね。そう思わない?」
オーロラの言葉に、アスランもまたうなづく。
「本当ですね。お互い、頑張りましょう」
「はい」
「そうだ。オーロラ嬢、最後にひとつだけ、いいですか?」
「はい?」
「こうやって、あなたが笑ってくれることが、何よりも嬉しいのです。思ったことを言うこと。楽しい時は笑うこと。それが嬉しいのです。俺は、あなたの『笑わない伯爵令嬢』なんて噂、まったく信じません。あなたは地味な服を着たり、髪で顔を隠したりしていたかもしれないけれど、いつもとてもまっすぐで、一生懸命な人です。アデル伯母上も、辺境伯閣下も、スチュワートも、ワトソン、エマ、モリソン夫人も、皆、あなたのことが好きです。それだけは、信じていてください」
「……!!」
オーロラはさっと顔を背けた。
不意に涙がこぼれそうになり、慌てて、窓の外の景色を見つめた。
「あ……」
ようやく出せた声は、震えていた。
「ありがとうございます、アスラン様」
アスランは返事の代わりに、オーロラの手をぎゅっと握った。
ほっそりとしたオーロラの指先が、おずおずと握り返してくる。
オーロラはまだ、恥ずかしそうに窓の方を向いたままだ。
それでも、オーロラの指先に、アスランは温かなものを感じる。
二人はそれからしばらく、ぎこちなく手をつないだまま馬車に揺られたのだった。
***
「まあ! ようこそいらっしゃいました!!」
オーロラとアスランを出迎えたのは、印象的な黒い断髪姿。きりっと乗馬服に身を包んだ貴婦人だった。
「わたくしがグロリア・シリューです。侯爵家当主である弟の代理として、領地を管理しています。弟は職務上、王都をなかなか離れることができなくてね。アデルから聞いているかしら? ふふふ、独身ですの。とはいえ、可愛い姪と甥がいましてね、立派なグロリア伯母さんですわ。さぁ、どうぞお入りになって! 辺境からの旅、お疲れでしたでしょう?」
黒い断髪はセイディを思い起こさせた。
それに、はっきりとした口調と、キビキビした動作が印象的な、個性的な婦人のように感じられた。
(セイディに似ている……!)
セイディは小柄なので、一見大人しいと思われがちだが、実際は、行動力もあるしっかり者だ。
セイディに似ていると思ったことで気持ちがほぐれたオーロラは、グロリアの前に落ち着いて立ち、カーテシーをした。
「グロリア様。わたくしはローリーと申します。この度は、ご招待いただきありがとうございました」
アスランもていねいにお辞儀をする。
「お嬢様の従者のランでございます」
「同じく侍女のエマでございます」
オーロラに付き添う侍女は、エマを入れて二人。
彼女達は、オーロラとアスランの背後でお辞儀をしていた。
すると、グロリアの表情が明らかにほぐれた。
「まあまあ、皆さんもごていねいに。どうぞよろしくね。さ、お入りくださいな。町に泊まるなんて水くさい。アデルを叱ってやりましたのよ? ゆっくり当家で滞在を楽しんでいただきたいわ」
「お屋敷での宿泊のお申し出までいただき、心より感謝いたします。グロリア様のもとで安心して過ごせますわ」
オーロラは重ねて宿泊させてもらう礼を述べた。
グロリアはさすが王宮騎士団長の姉というべきか、男性のように背が高く、しゅっと背筋を伸ばして、乗馬服姿でキビキビと歩く。
ついいつもの習慣なのだろう、女性にしては早い足取りで屋敷に向かおうとして、はっと足を止めた。
「あ、ごめんなさいね。ついさっさと歩いてしまって———」
しかし、グロリアは旅行用のドレスを着たオーロラが、遅れずについて来ているのに気づくと、目を見開いた。
すると、自分がその原因だと気づいていないオーロラが、何かあったのかな? という表情で、自分の後ろを振り返っている様子が可愛らしかった。
アスランはただ、そんなオーロラの様子に心を和ませていた。
「グロリア様、あちらに立派な厩舎がありますね。もし機会がありましたら、馬を拝見してもよろしいでしょうか?」
オーロラが、屋敷に隣接して造られている建物を見て言った。
グロリアは微笑んだ。
「ふふ。馬はお好き? 実はね、ここにはいい馬が揃っているんですよ。わたくしも馬が大好きなの。ぜひ、ご案内しましょうね」
グロリアはそう言うと、オーロラを改めて好ましそうに見つめ、今度こそ屋敷の中へと歩を進めた。
***
シリュー侯爵家での夕食に、オーロラは深緑のドレスを選んだ。
翌日の午後に開かれるお茶会用には、仕立てたばかりの白のデイドレスを用意している。
シンプルなデザインに、花の刺繍を施したドレスだ。
深緑のドレスは、いろいろな場面で着られるものを、とアデルが選んでくれた既製品のドレスの一枚。
とはいえ、すでにお直しも済んでいて、既製品とも思えないくらい、オーロラの体にぴったりと合っている。
色合いは深い緑で、けして派手ではないのだが、すべてのリボンを共布で作った凝った作りのドレスで、オーロラは着ていてとても嬉しそうだ。
そのドレスを着ていると、オーロラの瞳もグリーンに見えた。
ブルネットの髪はハーフアップにまとめ、シンプルに飾り櫛で留めている。
「さあ、ローリーお嬢様、できあがりました! いかがですか?」
化粧と髪を仕上げ、ていねいにドレスを着せつけたエマは、満足げにオーロラに鏡を見せた。
「すごく素敵。ありがとうエマ」
「ふふ。お嬢様は背がお高くて、姿勢もよいので、何を着ても見栄えいたしますわ。それに表情が明るくなられたこと!」
オーロラは首をかしげた。
「そんなに変わったかしら?」
「はい。ふふ、毎日、楽しいことがありますか?」
そう問われて、オーロラは迷わずうなづいた。
「ええ、それはもちろん! いつもラン君がそばにいて、あれこれ気遣ってくれるし、毎日、何か新しいことがあるのよ」
「まあ」
エマの笑みが深くなった。
「それはようございました。さて。お飾りはどうしましょう? 奥様からいただいたあれをお付けしますか?」
「そうね……」
オーロラはドレッサーの上に置かれた小さな箱を見る。
それは、アデルから贈られたものだ。
「明日のお茶会から付けましょう。今日は、黒のリボンチョーカーにするわ」
「かしこまりました」
エマはにこにこして平たい箱を開ける。
そこには色とりどりのリボンがきちんと整理されて入っていた。
慎重な手つきでエマは黒いリボンを取り、オーロラの首周りに巻き付けて留めた。
タイミングをはかったかのように部屋がノックされ、アスランが入ってきた。
「お嬢様、お夕食のお時間です」