第40話 辺境伯夫人のお嬢様教育(3)
「さて、皆様、ご本は読まれましたか? これはかのシンプソン夫人の最大のベストセラー本です。昨年発売されてから、いまだに書店で売り上げ一位を記録しているという大人気作ですのよ」
オーロラのドレスを始め、主だったワードローブを発注した翌日、オーロラ、アスラン、エマ、モリソン夫人の四人は、アデルの書斎に集まっていた。
一同は大きなオーバル形のテーブルに並んで、アデルの熱弁に耳を傾けている。
最初に返事をしたのは、侍女のエマだった。
「はい、奥様! わたしもう何度も何度も読んで、お話は覚えてしまいました」
「さすがエマね。ローリーちゃんは?」
「わたくしは恋愛小説を読むのは初めてでしたけれど、最後まで読みましたわ」
自信たっぷりのエマに比べて、オーロラの方は、少々自信なさげである。
「そう。この『悪役令嬢と運命の恋〜これは、真実の愛が生んだ、信じられない愛の物語〜』は、侯爵家の令嬢、美しいクリスタルローズと彼女の義兄アクセルロッドの物語です。美しく優しいクリスタルローズがある日、突然『悪役令嬢』と呼ばれる存在になるのですが、それには理由があったのです」
アデルの言葉に、エマが激しくうなづいた。
「ええ、奥様! アクセル様の婚約者である、聖女クラリス様に殺される運命を回避するためなのですわ。クリスタルローズ様は、時を巻き戻ったために、未来に起こることを知っていたのです。そこでわざとアクセルロッド様に嫌われ、また聖女クラリス様に辛く当たり、人望も失うのですわ———しかし実はクラリス様は、他の世界からの転生者でした。そしてクリスタルローズ様こそが『悪役令嬢』であると言うのです。そして、『悪役令嬢』はかならず破滅を迎えるのだと」
「そうです。その破滅の運命に抗うクリスタルローズの愛と戦いが、この作品の見所です」
アデルはエマの話を引き取った。
そして流れるように、本題へと導いていく。
「この本はシンプソン夫人の聞き書き、という体裁を取っているのですが、実は実際にあった出来事ではないか、と噂されています。巻き戻り、そして他の世界からの転生、という突拍子もない設定が、ここまで現実感を持って受け入れられたのは、まさにシンプソン夫人の技量の高さを示していますわ」
エマは作者のシンプソン夫人が大好きなのに違いない。
もう、これ以上ないほど熱心にうなづいていた。
「クリスタルローズは死という運命を回避するために、今までとは違うように振る舞い始めるのですが、それは義兄のアクセルロッドを傷つけます。なぜなら、彼はひそかに義妹のクリスタルローズを愛していたのですから。二人は血のつながらない兄妹です。侯爵家にあととりが必要で、侯爵が有望な子どもを幼い頃に養子にしたという過去が明らかになります」
一気に説明すると、アデルはちらりとオーロラを見た。
(あら。これは、わたくしも何か言わないといけない、という流れだわ)
オーロラはその意図を正確に読み取って、猛スピードで考え始めた。
はたして、アデルはオーロラに質問を投げかけた。
「さて。ローリーちゃん。副題にもある『真実の愛』について、どう思いましたか?」
内心、「来た!!」と思いながらも、オーロラは落ち着いて話し始めた。
「わたくし、『真実の愛』だと気づくのは結構時間がかかるんだな、と思いましたの」
オーロラの素直な感想に、女性達はどっと笑った。
「たしかに、当初クリスタルローズにとって、アクセルロッドはあくまで兄だという意識がありましたし、アクセルロッドを愛する聖女クラリスの存在もありましたわ。アクセルロッドへの愛に気づくことは、自分の身が危険になるということですもの」
オーロラはそこで言葉を切った。
「……それでも、クリスタルローズが聖女クラリスと対峙することを選んだのは、アクセルロッドへの愛。つまり『真実の愛』ゆえのこと。そこには運命を変える、というクリスタルローズの強い意志があったように思いました」
アデルはうなづいた。
よかった、何とか合格点だったらしい、とオーロラは胸を撫でおろす。
次にアデルはアスランに向き直った。
「ラン君、あなたはどうでしたか? 最後まで読みましたか?」
「はい、奥様。いや物語が思ったより長くて少々苦労しましたが」
そう正直に言うと、アスランは苦笑した。
「でも、メロドラマかと思ったら、主人公のクリスタルローズが令嬢ながらに自立心のある、凛々しい女性で、そこが印象的でした。でも、ヒーローのアクセルロッドが少し鈍感ではないかと。クリスタルローズを愛しているのだから、もっと彼女のためにできることがあったんじゃないかな」
その一言に、女性達は一斉に笑い出した。
「わたくし達も、その点には同感いたしますわ。でもね、ラン君。あなた、他人事のように言っていますけれど、殿方はそもそもが少々鈍感ではないか、というのが女性達の共通の認識だと思っているんですよ。さて」
アデルがなんとか笑いを収めながら言う。
「ローリーちゃん。それで、あなたは『真実の愛』を探す心構えはできたかしら? 困難に立ち向かう準備はできた?」
オーロラはうなづいた。
「はい。そう思います。何より、わたくしのために、誰も犠牲にしたくはない、そう強く思ってこちらにまいりましたから」
アデルはふわりと笑った。
「よろしい。立派な心がけです。では、次の授業に入りましょう。ラン君、さ、ローリーちゃんと一緒に、このソファに並んでお座りなさい」
「はい!?」
「えええっ!?」
オーロラとアスランは思わず声を上げて、にこにこと微笑んでいるアデルを見つめた。
***
「婚活を始めるに当たり、ローリーちゃんに準備をしてもらいたいものがあります。それは、男性慣れをすることです。宮廷恋愛小説を読んでいただいたのは、まぁ、準備運動みたいなものですわね」
エマとモリソン夫人が深くうなづいている。
「まず、恋愛っぽい雰囲気に慣れていただかないと。指先にキスをされたり、耳もとでささやかれる度に、その場から逃げ出すわけにはいきませんからね。同時に、」
ここでオーロラが扇を持った右手を左手に重ねて膝の上に置いて、きちんと座りながらも、目を大きく見開いた。
「若い男性と一緒に馬車に乗ったり、お茶の席で親しくお話をしたり、劇場の暗い座席で二人並んで座ったりもするのです。どこまでがよくて、どこからがダメなのか。さらりと男性を受け流す方法と、万が一の際には身を守る方法も知っておかなければなりません。そこで」
アデルがアスランを見た。
「ラン君、ローリーちゃんの手を取って、そのソファに誘導し、二人一緒に座ってごらんなさい」
「は、はははははい!?」
アスランの顔が一気に赤くなった様子を見て、エマとモリソン夫人の母娘は、気の毒そうにアスランを見やった。
一方、オーロラは素直にアスランがエスコートをするのを待っている。
「よし。まず深呼吸だ」
「ラン君、心の声が漏れています」
「は。失礼しました」
アデルのつっこみに焦りながらも、アスランはそっとオーロラに右手を差し出した。
オーロラがその手にちょこんと指先を載せる。
「…………!!」
オーロラの指先の感触に、アスランがしばらく固まって動けないのを見て、モリソン夫人がアデルにささやいた。
「……奥様。この調子で大丈夫ですか?」
「ふう。若い二人なのよ。今は大目にみましょうか」
「さようでございますね」
「ローリー嬢、どうぞこちらへ」
アスランがオーロラの手を取って、ソファに座らせた。
「失礼」
アスランはぎこちなく反対側に座る。
「……ラン君、それじゃちょっと遠すぎるわよ。もう少し間を詰めて。でも、近づき過ぎてもだめよ。では、退出時のキスをなさい。また近々お目にかかりましょう、と言って、手の甲にキスをして」
「はい。……また近々お目にかかりましょう」
アスランは立ち上がると、体を屈めてオーロラの手を取り、そっとキスをした。
「はい。じゃあ、次は頬にキスをして」
「はい!?」
「いいから。早く」
アスランは混乱しながらも、ついうっかり、オーロラに顔を寄せて、頬にキスをしようとして———。
「きゃあああああああ!?」
バシン! と音がして、何かが宙を舞った。
「…………」
ばさ、と宙を舞った扇が床に落ちた。
オーロラは両手で思いきりアスランの顔を突き返して、はっと気がついた。
両手で突いた際に、手に持っていた扇が宙を舞ったらしい。
「あ。も、申し訳ありません! ラン君、大丈夫ですか!?」
「は、はい。いえ、こちらこそ申し訳ありません」
気まずげにうつむくオーロラとアスランを見て、アデルは扇で笑い顔を隠した。
「ローリーちゃん。このような不埒な殿方もいます。その際は、手で顔を突き返す必要はありませんが、こうして」
アデルは閉じた扇を一瞬にしてばさっと開くと、顔の前にかざした。
「扇を開いて、相手との間に壁を作りなさい。その隙に付き添いの人が対応してくれますから」
「わかりました」
「よし! 次は庭園を一緒にお散歩のシチュエーションです。このサロンを庭園だと思って動いてみてちょうだい。ラン君、エスコート!」
「はい!」
「頬にキス!」
「お約束ですか!?」
「馬車に一緒に乗るシチュエーションです。乗り降りのエスコート!」
「はい!」
「馬車が揺れて頬に」
「キスはしませんよ!?」
「次は劇場で一緒に鑑賞するシチュエーションです。エスコート!」
「はい!」
「場内が暗くなって頬に」
「奥様! いい加減にしてくださいっ!!」
「ふう〜、だいぶいい感じになってきたわね?」
(そうかしら? わたくしにはわからないけれど……アスラン様がかなりお疲れのご様子だから、そうなのかも)
アデルの言葉に、オーロラは首をかしげた。
実際、アスランはもう気力を振り絞っており、フラフラになっていた。
しかし、アデルは容赦ない。
「では、本日最後のレッスン」
アデルが言った。
「夜会でのダンスを練習しましょう」




