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呪われた伯爵令嬢は、婚約破棄にもひるまない  作者: 櫻井金貨
第3章 ローリーお嬢様の婚活

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第38話 辺境伯夫人のお嬢様教育(1)

「おはようございます」


 ドアの外からさわやかな声がしたかと思うと、ノックに続き、ドアがかちゃりと開き、長めの黒髪をポニーテールにした青年が入ってきた。


 銀色のふたをかぶせた皿が載ったワゴンをきびきびと室内に運び入れる。


「ローリーお嬢様、昨夜はよくお休みになれましたか?」

「ええ。ありがとう。おかげでぐっすりだったわ」


 ローリーお嬢様、と呼ばれたオーロラは、目覚めた後、侍女であるエマの手によって化粧着に着替え、とりあえずローリーの髪である、ブルネットのウィッグを着けた。


 ウィッグを着けると、オーロラの気持ちもローリーにぴたっと切り替わるようだ。


 今はローリーの気持ちになって、朝食のテーブルに用意された熱い紅茶を飲んでいる。


「ご朝食をお持ちいたしますので、ご用意いたしますね」

「ありがとう、ラン君」


 一方、アスランの方も、すっかり従者ランとして板についている。


 オーロラにラン君と呼ばれて、嬉しそうに朝食を並べるアスランは、執事のスチュワートと家令のワトソンの兄弟が整えたこげ茶の上下に身を包み、今は白いエプロンも重ねている。


 こうして見ていると、長身の体を曲げて、そつなく朝食の準備をするアスランは、まるで本物の従者のように見えた。


 オーロラの視線に気づいたのか、アスランは困ったように笑った。


「私は閣下の従騎士でしたので、外出先に同行したり、身の回りのお手伝いをすることは慣れているんですよ。もちろんご令嬢のことはまだよくわかりませんが、従騎士の仕事と通じるものも多くあります」


「そうでしたの。剣だけでなく、実務的なことをたくさん知っていらして、すごいと思いますわ」


 オーロラはそう言って、心から感心したようにアスランを見上げた。


 ローリー用の化粧をしていない素顔のオーロラは、朝の光の中で、少し幼く見えた。

 オーロラのアイスブルーの瞳が、まっすぐアスランを見つめていて。アスランはどきりとした。


「あ、ローリーお嬢様、ええと、本日のスケジュールをお伝えいたします」


 赤くなりそうな顔をあわてて背けて、テーブルに来たオーロラの椅子を引いてやりながら、アスランは言った。


「本日は、基本的に身の回りのもの一通りを発注することが目標です。ご朝食の後、お支度を整えていただき、その後ドレスメーカーがこちらに来られます。アデル様も同席されます。ええと、衣装だけでなく、小物や日用品など、必要なものはすべて本日中に発注したいので、一日がかりになるでしょう、とおっしゃっていました」


「!!(一日がかり!?)」


「ご昼食はアデル様と一緒にお部屋で取っていただき、午後も引き続き、お衣装を揃えます。なんでも既製品も持って来られるとのことで、何点かその場で購入し、そのままお嬢様の衣装部屋に収めるそうです」


「!!(既製品も買うの!?)」


「ともかく発注が済んだら、本日は終了。おそらくお茶の時間までには終わるのではと。その後は自由に過ごしていただいて、夜はまたよろしければ大食堂へとおっしゃっていました」


 オーロラはまじめな顔をして立っているアスランを見上げた。


(……本当に一日がかりで予定を考えているんだわ)


「……よくわかりました。ありがとう、ラン君」


 オーロラは圧倒されてめまいがしそうだったが、こらえた。

 この点、王子妃教育が役に立っている。

 ともかくあの王子妃教育で学んだのは、動揺しないこと。平静でいること。そして忍耐心だ。


 一方、アデルがさりげなくも身につけているものは、美しい身のこなしであったり、愛らしくも洗練された話術、そして装いのセンス。それはどれもが素晴らしいものばかり。


 オーロラが今まで一度も学んできたことがないものばかりだった。


(……いい機会よ。アデル様から学ばせていただくのよ。貴婦人として、この上ない見本なのですもの!)


 オーロラはきれいに口角を上げると、銀のカトラリーを持ち上げ、食事を始めた。


***



 オーロラは緊張した面持ちで、サロンのソファに座っていた。


『ローリーお嬢様』のために用意された部屋には、リビングルーム、寝室、浴室、衣装部屋だけではなく、ちょっとしたお客様も通せる、こじんまりとしたサロンも付属しているのだ。


 オーロラはサロンの中央に置かれたソファに、左にアデル、右にモリソン夫人にはさまれて座っていた。


 オーロラの背後に、苦笑いしながら立っているのは、オーロラの侍女エマだ。

 アデルの左45度の角度には、ドレスメーカーの女性が座り、テーブルの上には所せましとたくさんの生地見本やレース、リボンなどが置かれていた。


 一方、従者のラン君ことアスランは、全体を見ながら動き回っており、飲み物を用意したり、物を受け取ったり、それをアデルやオーロラに回したり、ドレスメーカーの女性とそのアシスタントの女性達を手伝ったりと、忙しくしていた。


「それでね、ローリーちゃんは勇ましくも自分で『真実の愛』を探すことになったんですの」

「まあ、そういったご事情があったのですか」

「そうなのよ」


 アデルはドレスメーカーの女性との会話に余念がない。


「ルドルフのお気に入りのお嬢さんでね。わたくしもささやかながらお力添えをと思っているの。これから積極的にお茶会に出たり、夜会に出たりする予定ですのよ。それに最近はあの『婚活お茶会』が地方にも広がっているそうですわね? もちろん、付き添いをつけて、ローリーちゃんを出すつもりですのよ」


「まあ。素敵ですわね、奥様。そうしたご事情でしたら、さっそくお茶会に着て行ける訪問着やデイドレスが必要になりますね」


「実はもう、どんな種類を揃えるかは考えたのよ。今日はね、具体的にそれぞれのデザインと詳細を決めて、発注しようと思っているの」


 アデルはおとといに皆で苦労して作ったリストを取り出した。


「わたくしね、テーマを先に決めるのがいいと思うのよ。ローリーちゃんをどんな令嬢に仕上げるかは、とても大切なこと。彼女の一生がかかっていますからね。華やかに、かつローリーちゃんの個性を際立たせるような、テーマですわ」


 ドレスメーカーの女性もうなづいた。


「テーマでお色も決まってきますしね。逆に言えば、お色からテーマがはっきりとしてくることもあります。そう、例えば———白は、どうでしょうか?」


 ———白!?


 アデル、オーロラ、モリソン夫人にエマ。

 女性達の視線が一気に、ドレスメーカーの女性に集まった。


「わたくしはもちろん、ローリーお嬢様のことをよく存じません。でも、お嬢様と同じお年頃のご令嬢達は、それこそ数えきれないほど見てまいりました。どの方も、花のようにお美しく、お可愛らしい、ご令嬢達です。そして、いつも華やかに装っていらっしゃる」


 彼女はそっとオーロラを見つめた。


「でも。今、こうして静かに座っていらっしゃるローリーお嬢様を見ていると、そんなご令嬢達とはちょっと違うのを、わたくしは感じます」


「静かだけれど、確固とした意志。深い知識。希望。再生、とでも言うのでしょうか。苦しみにも似た痛みから解放され、新たな人生を切り開きたい、という強い想いを感じるのです。そんなローリーお嬢様には、このシンプルな白のドレスは、衝撃的なまでに見る者の心を打つでしょう」


 アデルはテーブルの上から、白い生地サンプルを取り上げた。


「これは、モスリンかしら?」


「はい、奥様。昼間の会には、このモスリンで、シンプルでナチュラルな、まるで妖精のようなドレスを。高いウエストラインから、滝のように流れるドレスにするのです。そしてピンクやブルーの立体的な刺繍のお花を散りばめてみては? 夜の会には一転、えんじ色や紺、といったはっきりした色の豪華なドレスを。ローリーお嬢様のテーマは、『変身・変化』です。人は変わっていってもいいのだと、成長してくことの素晴らしさを表現する。いかがでしょうか」


 人は変わっていってもいいのだと。


 ドレスメーカーの女性が何気なく言った一言が、オーロラの心を強く打っていた。

 アデルがオーロラを見た。


「ねえ、ローリーちゃん。どう思う? あなたは好きな色を着ていいのよ? 着たことのないデザインを試すのもいいと思う。 何よりも、あなたの考えを聞かせて。思ったことを言っても大丈夫なのよ?」


(思ったことを言っても———?)


 オーロラは深呼吸をした。

 それこそが、何年もの間、ミレイユ王妃によって、アレックス王子によって、禁じられていたことだった。


 アデルはオーロラに向けてうなづいている。


(アデル様ほどの女性が、わたくしも思ったことを言ってもいいとおっしゃっている———)


 オーロラはその瞬間、勇気づけられた。


「アデル伯母様」


 ついに決心して、オーロラが言った。


「伯母様、わたくし、やってみたいです。今、この方がおっしゃったように———わたくしも変わっていってもいいのだと———そうすれば、わたくしの運命も、変わるような気がして」


 オーロラはもちろん、呪いのことは何も言わなかった。

 しかし、アデルにはオーロラの想いは痛いほど伝わっていた。


 そして、アスランにとっても。

 アスランは息を弾ませながら、アデルの言葉を持つオーロラを、温かな視線で見守った。


 こんな令嬢は、他にはいない。


 アスランは思う。


 どんな苦境にあっても、虐げられても、必死で、進んできたオーロラ。

 彼女が運命を変えたいと願うなら、全力で彼女を支えてやりたい。


 アスランもまた、アデルをじっと見つめた。


「わかりました」


 ややあって、アデルが言った。


「ローリーちゃんがそう言うのならば、それでいきましょう」


 話は決まった。

 エマとモリソン夫人の母娘は、手を取り合って叫んだ。

「きゃ〜! 素敵ですわ!!」という歓声が、サロンに響いたのだった。


***



 それからの注文は、まるで飛ぶように進んでいった。


 まずは、ローリーのアイコン、象徴的なイメージとなるドレスを作る。

 すべては、そこから始めるのだ。


 誰もがそのドレスの話をし、それを着ていれば、彼女がローリーだとわかる、そんなドレスだ。


 デザインの詳細を詰め、装飾品を選ぶ。


 デイドレスは二着。


 ドレスメーカーの女性が勧めた、ハイウエストのシンプルな白のドレスと、そでもスカート部分も膨らみ、たっぷりとしたシルエットの白のドレス。


 シンプルなドレスには花の刺繍を施し、たっぷりとした方のドレスは素材感を活かして白一色で仕上げる。


 夜会用のドレスも二着。


 一着はミッドナイトブルー。深い青に金を散りばめたドレスで、もう一着は、ふわりと仕上げる濃いバラ色のドレスだ。


「胸もとなんだけど、すべてスクエアにしてちょうだい。やはり、若い令嬢の胸もとは、スクエアでなければ」


「かしこまりました。胸もとが空きますので、お飾りは必要ですね。同色のリボンをご用意しましょう」


「お願い」


 オーロラがよくわからずに、アデルとドレスメーカーの女性の会話を聞いていると、アデルがくるりとオーロラを向いた。


「ローリーちゃん。胸もとの飾りは、どんなものが好きなの? よく付けているネックレスとかあるのかしら?」


 そう問われて、オーロラは首をかしげた。


「ええと。今までは襟の詰まったドレスが多かったのです。飾りは付けていませんでした」


 オーロラの答えを聞いて、アデルがぎょっとしたように目を見開いた。


「付けていなかった? ひとつも!?」

「は、はい。えっ!? アデル様?」


 アデルの剣幕にオーロラが動揺すると、アデルはすっと深呼吸をして言った。


「……胸もとに開いたスクエアは、『絶対領域』です」


 オーロラはぽかんとしてアデルを見つめた。


「ローリーちゃん。いいこと? これ大事なのよ、『絶対領域』。首から胸のスクエアな部分は、『絶対領域』なの。ここが貴婦人の見せ所よ」

「は、はあ?」


「ローリーお嬢様」


 こそっとオーロラの右隣に座っているモリソン夫人が小声でささやいた。


「……奥様の令嬢教育でございますよ。どうぞしっかりとご傾聴なさって」


 オーロラは慌ててうなづいた。


「は、はいっ!」


 オーロラは紙とペンを取って書き取る。


「アデル様によると、『絶対領域』とは、令嬢の首から胸のスクエアに開いた部分を指す。ほっそりとした首すじ。きゃしゃな肩。そこから白くふっくらとした胸へと続く小さな四角い空間こそが令嬢の魅力が凝縮され、殿方を惹きつける魔法のような場所なのである」(by アデル・デルマス辺境伯夫人)


「そうです、オーロラちゃん。『絶対領域』こそ、常にお手入れを怠らず、より美しく見せる装飾品を飾るにふさわしい場所なのですよ」


 大まじめにノートを取るオーロラを、アスランは笑いをこらえながら見守ったのだった。


 しかし、そんな余裕のアスランが動揺しまくる場面は、まもなくやってくる———。


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